迷子になつた上等兵(ラヂオドラマ)
岸田国士
星野少尉 臼田軍曹 小西上等兵 兵卒A 同B 同C 同D 荒物屋の主人 その妻 その娘 大正二三年頃の秋 ある歩兵聯隊の夜間演習が東京近在の農村を中心として行はれる。 小銃の音が二三発、遠くで聞える。 やがて、小砂利を蹈む七八人の靴音。 星野少尉 此の将校斥候の任務、わかつたね。富岡、云つて見ろ。兵卒A はい。――星野将校斥候は、前哨中隊の前方約千五百米
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岸田国士
星野少尉 臼田軍曹 小西上等兵 兵卒A 同B 同C 同D 荒物屋の主人 その妻 その娘 大正二三年頃の秋 ある歩兵聯隊の夜間演習が東京近在の農村を中心として行はれる。 小銃の音が二三発、遠くで聞える。 やがて、小砂利を蹈む七八人の靴音。 星野少尉 此の将校斥候の任務、わかつたね。富岡、云つて見ろ。兵卒A はい。――星野将校斥候は、前哨中隊の前方約千五百米
上村松園
迷彩 上村松園 ○ この間私はある方面から質のいい古い唐紙を手に入れましたので、戯れに興味描きを試みまして、知合いの人にも贈ったりしました。唐紙の古いのは、ガサガサした塵埃が脱けているような気がして大そう筆の運びがいいように思います。紙もそうですが、画絹も質のよし悪しで、仕上がった後に画品への関係がよほどあるように思います。画絹の質は、人によっていろいろ好き
小川未明
二郎は昨夜見た夢が余り不思議なもんで、これを兄の太郎に話そうかと思っていましたが、まだいい折がありません。昼過ぎに母親は前の圃で妹を相手にして話をしていたから、裏庭へ出て兄を探ねると、大きな合歓の木の下で、日蔭の涼しい処で黙って考え込んでいるのであります。二郎は心配そうに傍に寄り添うて、 「兄さん、何を其様に考えているんです、何処か悪いんでありませんか。え、
原民喜
先頃、この四五年間の手紙を整理してゐると、井上五郎・澄田廣史・兒玉孤舟君など、故人になつた人の書簡が出て来て感慨を新たにされた。澄田廣史君など死ぬる前まで、希望に満ち計画に溢れた、元気のいい端書であつた。若くして死ぬる人は、大概気が頑りつめて居る絶頂なのかもしれない。さう云へば、黒川俊子嬢の封筒も四五通出て来て、更に儚い気持がした。家内宛の手紙であるが、綺麗
萩原朔太郎
若山氏の死について、遺族の方から御通知がなかつた爲、僕はずつと遲く、最近になつて始めて知つたわけであつた。明治大正の歌壇にかけて偉業を殘した、このなつかしい巨匠を失つたことは、個人としての友情以外に、深く痛惜に耐へないことである。 僕が始めて牧水氏を知り、文學上での交遊關係を結んだのは、以前の雜誌「創作」の頃からだつた。當時僕は、室生犀星君と共に詩壇に出て、
素木しづ
追憶 素木しづ また秋になつて、まち子夫婦は去年とおなじやうに子供の寢てる時の食後などは、しみ/″\と故郷の追憶にふけるのであつた。 今年もとう/\行かれなかつたと、お互に思ひながらも、それがさしてものなげきでなく、二人の心にはまた來年こそはといふ希望が思浮んでゐるのであつた。 まち子の夫の末男は、偶然にも彼女とおなじ北海道に生れた男であつた。彼女はそれを不
神西清
辻野久憲君が亡くなつたのは一九三七年の九月九日である。早いものだ、それからもう十二年になる。 忘れえぬ友といへば、僕の生涯にもはやかなりの数にのぼる。なかでも年少の友の死は一しほ痛々しい。けれどその死者の記憶が、いつまでも鮮らしい傷口を開いてゐるやうな場合は、かならずしも多くはない。辻野君の死が、僕にとつてその稀な場あひの一つだつた。いやそればかりか、傷口は
寺田寅彦
子供の時分の冬の夜の記憶の中に浮上がって来る数々の物象の中に「行燈」がある。自分の思い出し得られる限りその当時の夜の主なる照明具は石油ランプであった。時たま特別の来客を饗応でもするときに、西洋蝋燭がばね仕掛で管の中からせり上がって来る当時ではハイカラな燭台を使うこともあったが、しかし就寝時の有明けにはずっと後までも行燈を使っていた。しかも古風な四角な箱形のも
寺田寅彦
子供の時分に世話になった医師が幾人かあった。それがもうみんなとうの昔に故人になったしまって、それらの記念すべき諸国手の面影も今ではもう朧気な追憶の霧の中に消えかかっている。 小学時代にかかりつけの家庭医は岡村先生という当時でももう相当な老人であった。頭髪は昔の徳川時代の医者のような総髪を、絵にある由井正雪のようにオールバックに後方へなで下ろしていた。いつも黒
チェーホフアントン
『先生』と綽名のついた老人のセミョーンと、誰も名を知らない若い韃靼人が、川岸の焚火の傍に坐っていた。残る三人の渡船夫は小屋のなかにいる。セミョーンは六十ほどの老爺で、痩せて歯はもう一本もないが、肩幅が広くて一見まだ矍鑠としている。彼は酔っていた。もう夙から寝たくてならないのだが、ポケットには酒瓶があるし、小屋の若者達にヴォトカをねだられるのも厭だった。韃靼人
田中貢太郎
昭和六年の夏の夜のことであった。大連で夜間飛行の練習をやっていると、計器盤のある処に点いているライトの光で、その黒塗の計器盤に、己の乗っている飛行機の後から、今一台の飛行機がやはり同じ方向に向って飛んで来るのが映った。 そんなことはない、錯覚だ、と思いながら計器盤を見るとやはり映っている。とうとううす鬼魅が悪くなって、その夜の練習を中止したことがあったが、こ
坂口安吾
退歩主義者 坂口安吾 馬吉の思想は退歩主義というのである。猫もシャクシも実存主義とか共産主義などゝ月並な旗印をかゝげている時世に、とにかく誰の耳にもきゝなれない退歩主義という一流を編みだしたところは、馬吉タダの鼠に非ず、と申さなければならない。 馬吉というのは勿論アダナで、大食いというところからきている。五尺四寸五分、十五貫といえば、あたりまえの日本人で、顔
中谷宇吉郎
今まであまり思い出のようなものは書かなかったが、私も今年で一人前の年齢に達したので、これからはあまり遠慮しないで、一つそういう話も書いてみることにする。 もう十年以上も昔の話であるが、私は妙な難病にかかって、死に損ねたことがある。それが科学の力でけろりと治って、今では少しにくらしいといわれるくらい丈夫になっている。 科学の力は、科学に縁のない人の方が、余計に
坂口安吾
蒲原氏は四十七歳になつてゐた。蒲原家は地方の豪農で、もとより金にこまる身分ではなかつたが、それにしても蒲原氏のやうに、四十七といふ年になるまで働いて金をもらつた例がなく、事業や政治に顔を出した例もなく、かういふ身分の人々にありがちな名誉職にたづさはつた例もないといふ人は珍しいに相違なかつた。蒲原龍彦の名前は門札のほかに存在しないやうなものだつた。 勿論働かな
平出修
逆徒 平出修 判決の理由は長い長いものであつた。それもその筈であつた。之を約めてしまへば僅か四人か五人かの犯罪事案である。共謀で或る一つの目的に向つて計画した事案と見るならば、むしろこの少数に対する裁判と、その余の多数者に対する裁判とを別々に処理するのが適当であつたかもしれない。否その如く引離すのが事実の真実を闡明にし得たのであつたらう。三十人に近い被告が、
宮本百合子
逆立ちの公・私 宮本百合子 先ごろ、ある婦人雑誌で、婦人の公的生活、私的生活という話題で、座談会を催す計画があったようにきいた。何かの都合で、それは実現されなかった。しかし、その話をきいたとき、わたしは、それは面白い話題のつかみかただと思った。提案者の意企は、どういうところにあったか知らないけれども、今日の日本の現実と向い合ってこのテーマが出て来るからには、
太宰治
老人ではなかつた。二十五歳を越しただけであつた。けれどもやはり老人であつた。ふつうの人の一年一年を、この老人はたつぷり三倍三倍にして暮したのである。二度、自殺をし損つた。そのうちの一度は情死であつた。三度、留置場にぶちこまれた。思想の罪人としてであつた。つひに一篇も賣れなかつたけれど、百篇にあまる小説を書いた。しかし、それはいづれもこの老人の本氣でした仕業で
太宰治
老人ではなかった。二十五歳を越しただけであった。けれどもやはり老人であった。ふつうの人の一年一年を、この老人はたっぷり三倍三倍にして暮したのである。二度、自殺をし損った。そのうちの一度は情死であった。三度、留置場にぶちこまれた。思想の罪人としてであった。ついに一篇も売れなかったけれど、百篇にあまる小説を書いた。しかし、それはいずれもこの老人の本気でした仕業で
宮本百合子
逆襲をもって私は戦います 宮本百合子 みなさん! 八十日間の検束の後自由を奪いかえして来た第一の挨拶を送ります。去る三月下旬以来、ファッショ化した帝国主義日本の官憲が狂気のような暴圧を日本プロレタリア文化連盟とその参加団体に加えつつあることはみなさん御承知の通りです。世界の一般恐慌切りぬけ策として、帝国主義日本は他のブルジョア国とともに第二次世界戦争を計画し
宮本百合子
透き徹る秋 宮本百合子 空を、はるばると見あげ、思う。何という透明な世界だろう。 晴れ渡った或る日、障子を開け放して机に向っていた。何かの拍子に、フト眼が、庭の一隅にある青桐の梢に牽かれ、何心なく眺めるうちに、胸まで透き徹る清澄な秋の空気に打たれたのだ。 平常私の坐っている場所から、樹は、丁度眼を遣るに程よい位置にある。去年の秋、引越して来てから文学に行きつ
原民喜
透明な輪 原民喜 三角形の平地を七つに岐れて流れる川は瀬戸内海に注いでゐた。平地を囲んで中国山脈があった。平地は沢山の家や道路で都市を構成してゐた。それは今も活動してゐるのだが、彼は寝たまま朧げに巷の雑音を聞いてゐるので、活きてゐる街の姿がもう想ひ出せなかった。 そのかはり殆ど透明な輪のやうな風景が、彼の頭には次々と浮んで来る。風景と云ふものは、臭ひや温度を
嘉村礒多
途上 嘉村礒多 六里の山道を歩きながら、いくら歩いても渚の尽きない細長い池が、赤い肌の老松の林つゞきの中から見え隠れする途上、梢の高い歌ひ声を聞いたりして、日暮れ時分に父と私とはY町に着いた。其晩は場末の安宿に泊り翌日父は私をY中学の入学式につれて行き、そして我子を寄宿舎に托して置くと、直ぐ村へ帰つて行つた。別れ際に父は、舎費を三ヶ月分納めたので、先刻渡した
谷崎潤一郎
東京T・M株式会社員法学士湯河勝太郎が、十二月も押し詰まった或る日の夕暮の五時頃に、金杉橋の電車通りを新橋の方へぶらぶら散歩している時であった。 「もし、もし、失礼ですがあなたは湯河さんじゃございませんか」 ちょうど彼が橋を半分以上渡った時分に、こう云って後ろから声をかけた者があった。湯河は振り返った、―――すると其処に、彼には嘗て面識のない、しかし風采の立
牧野信一
都合に出て来ると都合の空気を腹一杯に満喫したいのが念願である。物資に依つて購ひ得られる享楽はこよなく楽しい。殊に田園生活者の僕には止め度もなく嬉しい。だが僕の物資は忽ち無に直面する。だが僕は、その無にさつぱり動じない自分を発見した。山間でのストア派的生活のおかげであらう。山間といへば、ついこの頃、その村で山の神様の祭り日に当つて、今年は一つ新時代的の祭りを行