逸見猶吉詩集
逸見猶吉
ソノ時オレハ歩イテヰタ ソノ時 外套ハ枝ニ吊ラレテアツタカ 白樺ノヂツニ白イ ソレダケガケワシイ 冬ノマン中デ 野ツ原デ ソレガ如何シタ ソレデ如何シタトオレハ吠エタ ≪血ヲナガス北方 ココイラ グングン 密度ノ深クナル 北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘ――≫ 暗クナリ暗クナツテ 黒イ頭巾カラ舌ヲダシテ ヤタラ 羽搏イテヰル不明ノ顔
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逸見猶吉
ソノ時オレハ歩イテヰタ ソノ時 外套ハ枝ニ吊ラレテアツタカ 白樺ノヂツニ白イ ソレダケガケワシイ 冬ノマン中デ 野ツ原デ ソレガ如何シタ ソレデ如何シタトオレハ吠エタ ≪血ヲナガス北方 ココイラ グングン 密度ノ深クナル 北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘ――≫ 暗クナリ暗クナツテ 黒イ頭巾カラ舌ヲダシテ ヤタラ 羽搏イテヰル不明ノ顔
田中貢太郎
二人の仕事師が某夜夜廻りに往っていると、すぐ眼の前でふうわりと青い火が燃えた。二人は驚いて手にしていた鳶口で、それを敲こうとすると、火の玉は吃驚したように向うの方へ往った。 二人は鳶口を揮りながら追っかけた。そして、数町往ったところで、その火の玉は唯ある巷へ折れて、その突きあたりの家の櫺子窓からふわふわと入ってしまった。と、家の中から苦しそうな呻きが聞えて来
葛西善蔵
神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、郊外行きの電車に乗った。 笹川の下宿には原口(笹川の長編のモデルの一人)が来ていた。私がはいって行くと、笹川は例の憫れむようなまた皮肉な眼
小山清
私は中学校の三年生のとき、家出をしたことがある。原因はいまだから話すが、幾何の宿題をなまけて、先生から叱られるのが恐かったからである。 私の学校の幾何を担任していた先生は、とても恐かった。まだ若い人だったが。独身だったか、妻帯していたか、そんなことはわからない。いま想像してみても、どちらとも見当はつかない。独身であったかも知れないし、あるいは妻帯していたかも
岸田国士
遅くはない 岸田國士 畑中蓼坡君、遂に「黒幕万歳」を唱ふ。 此の「黒幕」が「裸の舞台」を意味するとすれば、こゝに始めて、築地小劇場に対立する新劇協会存在の意義が生れた。 一つは演劇より戯曲を排除せんとする意図をほのめかし、一つは演劇の本質を戯曲の生命に托さうとする。近代劇運動の此の二つの傾向は日本に於て、今後如何なる消長を示すか正に刮目して観るべきであるが、
葛西善蔵
私は奈良にT新夫婦を訪ねて、一週間ほど彼らと遊び暮した。五月初旬の奈良公園は、すてきなものであった。初めての私には、日本一とも世界一とも感歎したいくらいであった。彼らは公園の中の休み茶屋の離れの亭を借りて、ままごとのような理想的な新婚の楽しみに耽っていた。私も別に同じような亭を借りて、朝と昼とは彼らのところで御馳走になり、晩には茶屋から運んでくるお膳でひとり
宮沢賢治
歳は世紀に曾つて見ぬ 石竹いろと湿潤と 人は三年のひでりゆゑ 食むべき糧もなしといふ 稲かの青き槍の葉は 多く倒れてまた起たず 六条さては四角なる 麦はかじろく空穂しぬ このとききみは千万の 人の糧もてかの原に 亜鉛のいらか丹を塗りて いでゆの町をなすといふ この代あらば野はもつて 千年の計をなすべきに 徒衣ぜい食のやかららに 賤舞の園を供すとか ●図書カー
相馬御風
○ 短歌が滅亡するかしないかといふやうなことが先頃だいぶ問題になつてゐたやうである。尤もそれは最初誰かその方面の人が問題にしたのではなくて、雜誌編輯者の提出した問題がもとゝなつて一部の人々がそれについての意見を述べたのであるらしい。だから嚴密にいへばそれは或る歌人の心におのづから切實な問題として來たのでなくて、偶然第三者から問題を提出されたことがもとゝなつた
岸田国士
運を主義にまかす男 岸田國士 底野(又はカマボコ) 飛田(又はトンビ) こよ 以前の下宿の娘 口髭を生やした行商人 癈兵と称する押売 鶯を飼ふ老人 宇部家の小間使 一 底野、飛田の両人が共同で借りてゐる郊外の小住宅。座敷と茶の間の外に玄関。 男ばかりの暮しが、家の中全体を殺風景にしてゐるが、それだけ伸々とした空気が、何処かに漂つてゐる。 底野(二十八)が、
堺利彦
A 大隈侯が前の正月に受取つた年始の葉書は無慮十八萬五千九十九枚で、毎日々々郵便局から大八車で運びこんだと云ふが、隨分君エライもんぢやないか。 B 大隈侯のエライのに異存はないが、郵便局から大八車は少しをかしいなア。 A ナニそんな事はどうでもいゝ。計數の正確な所が俺の話の特色だ。 B 成程、君は子供の時から數學ではいつも滿點を取つたと云ふのだね。 A さう
葉山嘉樹
運動会の風景 葉山嘉樹 上 あくまでも蒼く晴れ上つた空であり、渓谷には微風さへもない。 表で遊んでゐる子等が「春が来た、春が来た」と唄ひ出した。十一月三日の明治節の国民運動会の日である。 木曾川は底まで澄みきつて、両岸の紅葉を映してゐる。 私が此夏、鮎釣りに泳ぎ渡つた際、大きな蟻に臍を食ひつかれて愕いた、竜宮岩も紅葉の間に浮んで、静もりかへつてゐる。 竜宮岩
波立一
腰を下して 膝かぶに のっけた掌 俺らの運勢をみろ ごつごつの節くれ奴 大根 ごっそりひきぬいて 町さ うんとこ運んでも 伜の 雑記帳と読本は軽いもんだ なあ女房 いくら人参が好物だって 堪えて呉ろよ 鎮守の店に借があるだぞ 役場の赤紙も溜ってるだ ごつごつの節くれ奴! 一生 運勢だとあきらめて 地主の倉に 種を蒔いているだか 一体? 俺らの収穫はいつの秋だ
尾崎士郎
私はT旅館の二階から、四階の屋根裏へ移らなければならなくなった。下宿料が払えなかったからである。宿の番頭は近いうちに日本から私のところへ金が送り届けられることを信じているらしいので、追い出そうとはしなかったが、しかし、万一追い出されたところで困る筈はなかった。何故かといって私は自分の健康に自信があったし、秋に入って揚子江の沿岸は空気が高く澄みとおって、私の無
豊島与志雄
石田周吉というのは痩せた背の高い男である。彼の身体は一寸薄弱そうに見えるけれど、何処か丈夫なものを身内に包んでいるような観がある。始終健全ではないが、またそのままにじりじりと如何な無理をも通してゆけそうに見える。実際彼のうちには不思議な大きいものが在る。注意の対照となるものを凡て自分のうちに引きずり込んで、それで彼はじっと落ち付いている。誰も彼が激しい言葉を
牧逸馬
生と死は紙一枚の差だ。天と地の間にこれ以上怪奇な事実はあるまい。 そしてその怪奇な事実を時として最も端的に示すものに、海洋ほど不遠慮な存在はないのだ。この意味で、海こそは一番の怪奇を包蔵すると云い得る。 タイタニック号―― The Titanic ――の難船実話である。 モザイク風に、凡ゆる角度から、出来るだけ忠実に詳細に記述して行きたい。 橄欖色の皮膚をし
国木田独歩
運命論者 国木田独歩 一 秋の中過、冬近くなると何れの海浜を問ず、大方は淋れて来る、鎌倉も其通りで、自分のように年中住んで居る者の外は、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網の男、或は浜づたいに往通う行商を見るばかり、都人士らしい者の姿を見るのは稀なのである。 或日自分は何時のように滑川の辺まで散歩して、さて砂山に登ると、思の外、北風が身に沁ので直ぐ麓に下て
鈴木三重吉
パナマ運河を開いた話 鈴木三重吉 一 パナマの運河といへば、だれにもおわかりのとほり、南北アメリカのまん中の、一とうせまい、約五十マイルの地峡をきりひらいて、どんな大きな軍艦でもとほれるやうにこしらへたほりわりです。これは今から十五年まへに出来上つたのですが、最初アメリカ合衆国政府が、パナマ共和国に同意させて、あのほりわりをひらく計画をたてたのは五十年もまへ
原民喜
遍歴 原民喜 植民地を殖すのだとか、鉄道を敷設するのだとか云ふ譬喩で、新しく友達を作ることを彼は説明するのであった。少年が青年になると、進取的な気象が芽生え、新たなる環境と展望の下に、すべてがみごとに進行して行くものだ。彼は自分の頭脳の工場へ現実社会からいろんな原料を運んで来て、其処で加工した品を口の港からどしどし植民地諸君へダンピングした。――かう云ふ自己
斎藤茂吉
遍路 斎藤茂吉 那智には勝浦から馬車に乗って行った。昇り口のところに著いたときに豪雨が降って来たので、そこでしばらく休み、すっかり雨装束に準備して滝の方へ上って行った。滝は華厳よりも規模は小さいが、思ったよりも好かった。石畳の道をのぼって行くと僕は息切れがした。 さてこれから船見峠、大雲取を越えて小口の宿まで行こうとするのであるが、僕に行けるかどうかという懸
斎藤茂吉
遍路 斎藤茂吉 那智には勝浦から馬車に乗つて行つた。昇り口のところに著いたときに豪雨が降つて来たので、そこでしばらく休み、すつかり雨装束に準備して滝の方へ上つて行つた。滝は華厳よりも規模は小さいが、思つたよりも好かつた。石畳の道をのぼつて行くと僕は息切れがした。 さてこれから船見峠、大雲取を越えて小口の宿まで行かうとするのであるが、僕に行けるかどうかといふ懸
種田山頭火
遍路の正月 種田山頭火 私もどうやら思い出を反芻する老いぼれになったらしい。思い出は果もなく続く。昔の旅のお正月の話の一つ。 それは確か昭和三年であったと思う。私はとぼとぼ伊予路を歩いていた。予定らしい予定のない旅のやすけさで、師走の街を通りぬけて場末の安宿に頭陀袋をおろした。同宿は老遍路さん、可なりの年配だけれどがっちりした体躯の持主だった。彼は滞在客らし
中井正一
過剰の意識 中井正一 何年前であったか、親不知子不知のトンネルをでたころであった。前に座っていた胸を病んでいると思える青年が、突然 「ああ海はいい、海はいいなあ……」 といって、一直線にのびている黒い日本海の水平を、むさぼるように凝視しつついうのであった。そして前に座っている私をつかまえて、多くのことをいったが、 「単純な、静かな、この一直線はどうです好いで
片山広子
過去となつたアイルランド文学 片山廣子 今はもう昔のこと、イエーツは一九二三年にノーベル文学賞をもらつた時の感想を書いてゐる――その時私の心にはここにゐない二人のことが考へられた。遠い故郷にただ一人で寂しく暮らしてゐる老婦人と、わかくて死んだもう一人の友と――。グレゴリイ夫人とシングとはイエーツと共にアイルランドの文芸運動を起した中心の人たちであるから、イエ
梶井基次郎
母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。 誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕餉をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋が取りに来る明日の朝まで、空家の中に残されている。 灯が消えた。くらやみを背負って母親が出て来た。五人の幼い子供達。父母。祖母。――賑かな、しかし寂しい