道化とヸナス
ボードレールシャルル・ピエール
何といふすばらしい日だ! 広大な公園は、愛神の支配の下にある若者のやうに、太陽のぎら/\した眼の下に悶絶してゐる。 なべての物にあまねき此の有頂天を示す物音とてはない。河の水さへ眠つたやうである。ここには人の世の祭とは遙かに事かはつた、静寂の大饗宴があるのだ。 不断に増しつゝある光はます/\物象を輝かせてゐるやうだ。上気した花は、其の色の勢力を、空の瑠璃色と
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ボードレールシャルル・ピエール
何といふすばらしい日だ! 広大な公園は、愛神の支配の下にある若者のやうに、太陽のぎら/\した眼の下に悶絶してゐる。 なべての物にあまねき此の有頂天を示す物音とてはない。河の水さへ眠つたやうである。ここには人の世の祭とは遙かに事かはつた、静寂の大饗宴があるのだ。 不断に増しつゝある光はます/\物象を輝かせてゐるやうだ。上気した花は、其の色の勢力を、空の瑠璃色と
豊島与志雄
道化役 豊島与志雄 村尾庄司が突然行方をくらましてから、一年ほどたって、島村陽一は意外なところで彼に出会った。島村は大川を上下する小さな客船が好きで、むかし一銭蒸汽と云われていた頃には、わざわざ散歩の途をその船の中まで延したこともあるし、近頃でも、たまに何かの機会があると、少し廻り道をしても乗ってみた。街路が舗装で固められ、建物が直角の肩を並べ、交通機関が速
ホワイトフレッド・M
アストリア大使主催の園遊会が開かれ、ほとんどの招待客が居残っていた。大多数の目的は若きモンテナナ国王に拝謁するためだ。おおむね、モンテナナ国王は期待に応えた。 常に紫雲のように恋愛の香りが漂う王宮、それがいや増したのはモンテナナ国のフリッツ王が西洋で后を探すと公言したからだ。ご存知のようにモンテナナ国は小国、ロシアとトルコの間に位置する。あとは山がち、風光明
マンパウル・トーマス
いっさいの結末として、かつ立派な大詰として、いや、あのことの全体として、今残っているものは、生活――おれの生活――が「そのいっさい」、「その全体」がおれの心に注ぎ込む、あの嫌厭ばかりである。おれを絞めつけおれを駆り立て、おれをゆすぶってはまた投げ倒す、あの嫌厭である。おれにこのばかげたくだらない用向きを、残らずさっさと片づけて、逃げ出してしまうだけの動力を、
北条民雄
どんよりと曇つた夕暮である。 省線の駅を出ると、みつ子はすぐ向ひの市場へ這入つて今夜のおかずを買つた。それを右手に抱いて、細い路地を幾つも曲つて、大きな工場と工場とに挟まれた谷間のやうな道を急ぎ足で歩いた。今日は会社で珍しく仕事が多かつたので、まだタイプに慣れない彼女の指先はひりひりと痛みを訴へたが、それでも何か浮き浮きと楽しい気持であつた。こんな気持を味ふ
太宰治
「ここを過ぎて悲しみの市。」 友はみな、僕からはなれ、かなしき眼もて僕を眺める。友よ、僕と語れ、僕を笑へ。ああ、友はむなしく顏をそむける。友よ、僕に問へ。僕はなんでも知らせよう。僕はこの手もて、園を水にしづめた。僕は惡魔の傲慢さもて、われよみがへるとも園は死ね、と願つたのだ。もつと言はうか。ああ、けれども友は、ただかなしき眼もて僕を眺める。 大庭葉藏はベツド
水野仙子
一 まだ九月の聲はかゝらぬのに、朝夕のしんめりとした凉しさは、ちようど打水のやうにこの温泉場の俗塵をしづめました。二三日このかたお客はめつきりと減つて、あちこちの部屋にちらりほらりと殘つてゐる浴衣の人は皆申し合せたやうにおとなしくしてゐます。煙管を煙草盆に叩く音や、女中を呼ぶ手の音や、鈴の音が、絶間なく響く谿流の中に際立つてほがらかに聞えるのも、空虚になつた
戸川秋骨
道學先生の旅 戸川秋骨 若い學生――斷つて置くが、男生女生兩方の學生である――を引率してといふ處だが、むしろ若い學生達に引率されての旅であつた。事實N夫人と私とは晝の辨當を用意して來なかつたので、學生連中の携帶したものからその何割づつかを分けて貰つて、やうやくそれに有りついたといふ事實をもつても解る。山中の一停車場で上りの汽車と竝んで停車したら、丁度その上り
郡虎彦
道成寺(一幕劇) 郡虎彦 人物 道成寺和尚 妙念 僧徒 妙信 僧徒 妙源 僧徒 妙海 誤ち求めて山に入りたる若僧 女鋳鐘師 依志子 三つの相に分ち顕われたる鬼女 清姫 今は昔、紀ノ国日高郡に道成寺と名づくる山寺ありしと伝うれど、およそ幾許の年日を距つるのころなるや知らず、情景はそのほとり不知の周域にもとむ。 僧徒らの衣形は、誤ち
種田山頭火
道〔扉の言葉〕 種田山頭火 いつぞや、日向地方を行乞した時の出来事である。秋晴の午後、或る町はずれの酒屋で生一本の御馳走になった。下地は好きなり空腹でもあったので、ほろほろ気分になって宿のある方へ歩いていると、ぴこりと前に立ってお辞儀をした男があった、中年の、痩せて蒼白い、見るから神経質らしい顔の持主だった。 『あなたは禅宗の坊さんですか。……私の道はどこに
幸田露伴
道教は支那に於て儒教と佛教と共に鼎立の勢を爲してゐる一大教系であり、其分派も少からず、又其教義も少しづゝの異を有して居り、草率に其の如何なるものであるかを説き、且つ之を評論することは、もとより不可能の事に屬する。儒教は歴史的にも教義的にも、むしろ平明なものであり、且又世間教に屬するもので、假令其の淵源たる時代即ち殷周の頃には數上帝を稱し、神鬼に事ふることを重
幸田露伴
支那に道教と稱せらるゝ宗教があり、道家といはるゝ師徒があつて、そして傳承年久しく其教が今に存在し、其徒が猶少からざることは、周知の事實である。盛衰隆替は何物の上にも免るべからざることであるから、現時は唐宋元明の世に比しては勢威の揚がらざる觀があるが、それでも道教道家の氣味風韵が、禹域の文學藝術を浸涵し、社會民衆を薫染してゐることは、なか/\深大であつて、儒教
夏目漱石
ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。そこで牧君の披露に依ると、そのあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになっているが、なかなか牧君のように旨くできませぬ。ことに秩序が無かろうと思う。ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概を二十行ばかりにつづめ
豊島与志雄
ソファーにもたれてとろとろと居眠った瞬間に、木原宇一は夢をみました。森村照子と広い街道を歩いてる夢でした。今晩彼女と一緒に三浦行男氏を訪れることになっているし、しかもそれをどうしたものかと未だに迷っている、そういう意識があったからでありましょうか。そして夢の中の彼女は、背の高い大きな体躯で、巨木の幹のように泰然と構えていまして、不思議なことに、その容貌が全然
北大路魯山人
先日、ある雑誌記者来訪、「ものを美味く食うにはどうすればいいか」とたずねた。 世の中には、ずいぶん無造作に愚問を発する輩があるものだ。思うにこういうふうなものの聞き方をする連中は、その実、料理など心から聞きたいわけではないに決っている。お役目で人の話を聞こうとするが、もとより真から聞きたいのではない。そこで私は言下に「空腹にするのが一番だ」と答えてみた。その
カフカフランツ
道理の前でひとりの門番が立っている。 その門番の方へ、へき地からひとりの男がやってきて、道理の中へ入りたいと言う。 しかし門番は言う。 今は入っていいと言えない、と。 よく考えたのち、その男は尋ねる。 つまり、あとになれば入ってもかまわないのか、と。 「かもしれん。」 門番が言う。 「だが今はだめだ。」 道理への門はいつも開け放たれていて、そのわきに門番が直
高村光太郎
どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る 道は僕のふみしだいて來た足あとだ だから 道の最端にいつでも僕は立つてゐる 何といふ曲りくねり 迷ひまよつた道だらう 自墮落に消え滅びかけたあの道 絶望に閉ぢ込められたあの道 幼い苦惱にもみつぶされたあの道 ふり返つてみると 自分の道は戰慄に値ひする 四離滅裂な 又むざん
夏目漱石
健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。 彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭がまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。 彼は
豊島与志雄
道連 豊島与志雄 君は夜道をしたことがあるかね。……なに、都会の夜道なら少しくらいって、馬鹿なことを云っちゃいけない。街灯が至る所に明るくともっていて、寝静まってるとは云え人間の息吹きが空気に籠っていて、酔っ払いや泥坊や警官や犬や猫などがうろついてる、都会の街路を夜更けに歩いたからって、それで夜道をしたと云えるものかね。僕の云うのは、そんななまやさしいんじゃ
織田作之助
その時、寿子はまだ九つの小娘であった。 父親が弾けというから、弾いてはいるものの、音楽とは何か、芸術とはどんなものであるか、そんなことは無論わかる道理もなく、考えてみたこともなかった。 また、石にかじりついても立派なヴァイオリン弾きになろうという野心も情熱もなかった。そんな野心や情熱の起る年でもなかった。ただ、父親が教えてくれた通り弾かねば、いつまでも稽古が
岸田国士
この集におさめた戯曲三篇は、いづれもわたくしの最近の作品で、「速水女塾」以後のものである。 「女人渇仰」は昨年九月「文学界」に、「椎茸と雄弁」は今年一月「世界」に、「道遠からん」はこの六月「人間」に、それぞれ発表した。 わたくしは、自分の劇作といふ仕事を通じて、現代に於ける「喜劇」の存在理由をますます強く感じるやうになり、その精神の探究と形式の確立に、おぼつ
岸田国士
原始の面影をそのまゝ伝へたやうなところと、近代の文明が到りついたところとを、あらゆる点で混ぜ合せた、ある時代の、ある地方の漁村である。 女性によつて社会及び家庭生活の主導権が握られてゐるために生じた風俗の転倒がみられるほか、人間の思想にも心理にも、その未来像らしいものは少しも示されてゐない。両性はそれぞれ、両性にふさはしい習慣のいくらかを失つてゐるかもしれな
坂口安吾
日本史に女性時代ともいうべき一時期があった。この物語は、その特別な時代の性格から説きだすことが必要である。 女性時代といえば読者は主に平安朝を想像されるに相違ない。紫式部、清少納言、和泉式部などがその絢爛たる才気によって一世を風靡したあの時期だ。 けれども、これは特に女性時代というものではない。なぜなら、彼女等の叡智や才気も、要するに男に愛せられるためのもの
坂口安吾
道鏡 坂口安吾 日本史に女性時代ともいふべき一時期があつた。この物語は、その特別な時代の性格から説きだすことが必要である。 女性時代といへば読者は主に平安朝を想像されるに相違ない。紫式部、清少納言、和泉式部などがその絢爛たる才気によつて一世を風靡したあの時期だ。 けれども、これは特に女性時代といふものではない。なぜなら、彼女等の叡智や才気も、要するに男に愛せ