野の哄笑
相馬泰三
型の如く、青竹につるした白張の提灯、紅白の造花の蓮華、紙に貼付けた菓子、雀の巣さながらの藁細工の容物に盛つた野だんご、ピカピカ磨きたてた真鍮の燭台、それから、大きな朱傘をさゝせた、着飾つた坊さん、跣の位牌持ち、柩、――生々しい赤い杉板で造つた四斗樽ほどの棺桶で、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋が置かれてある。棺台に載せて、四人して担いだ。
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相馬泰三
型の如く、青竹につるした白張の提灯、紅白の造花の蓮華、紙に貼付けた菓子、雀の巣さながらの藁細工の容物に盛つた野だんご、ピカピカ磨きたてた真鍮の燭台、それから、大きな朱傘をさゝせた、着飾つた坊さん、跣の位牌持ち、柩、――生々しい赤い杉板で造つた四斗樽ほどの棺桶で、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋が置かれてある。棺台に載せて、四人して担いだ。
豊島与志雄
野に声なし 豊島与志雄 芸術上の作品は、必ずその作者の心境を宿す。反言すれば、芸術家の心境は、必ずその作品に反映する。 作者の心境を宿していない作品は、本当の芸術的作品ではない。作品に反映さすべき心境を持たない作家は、本当の芸術的作家ではない。 作品は作家の心境を多く宿せば宿すほど、本質的に益々芸術品となる。作家は作品のうちに己の心境を多く反映さすればさする
中井正一
野に山にかかる虹の橋 中井正一 一九五〇年の新しい年があけるにあたって、日本の図書館は何を自らに省みるべきであろうか。 この世紀の前半、私達は、まず図書館の建設、本の集積に力をつくして来た。この事は互いに競争し、互いに追いつ追われつ、進み来たった道であった。しかし、この世紀の後半は、それだけではすまなくなってきた。 もはや私達は、互いに競争し、互いに孤立しあ
田中英光
ひとのいう、(たいへんな女)と同棲して、一年あまり、その間に、何度、逃げようと思ったかしれない。また事実、伊豆のM海岸に疎開のままになっている妻子のもとに、度々戻ったこともある。 しかし、それはいつも完全に逃げられなかった。(たいへんな女)が恋しく、女房の鈍感さに堪えられなかったのである。たいへんな女、桂子の過去を私はよく知らない。私は桂子と街で逢った。けれ
寺田寅彦
野球時代 寺田寅彦 明治二十年代の事である。今この思い出を書こうとしている老学生のまだ紅顔の少年であったころの話である。太平洋からまともにはげしい潮風の吹きつけるある南国の中学にレコードをとどめた有名なストライキのあらしのあった末に英国仕込みでしかも豪傑はだの新しい校長が卒業したての新学士の新職員五六人を従えて赴任すると同時にかび臭いこの田舎の中学に急に新し
田山花袋
慈悲と言ふことも、頭に上つて来なければ来なくとも好い。他でもなければ自でもなく、自でもなければ他でもない。飽くまで唯、自然に。
中野鈴子
湧く水のように 自然の素直さ 自然の親しさ 親しさの深まった 少女と少年の 永遠をねがう二人の 愛 親しみ 子供から大人へ 成長してゆく ありのままの 素直なねがい りんどうと野ぎくと 花にたとえて りんどうの花しか知らぬ 触れもせぬ 野菊の花の りんどうの花しか知らぬ 子供をみもごり 死んだ方がいいのです 死んだ手に りんどうの花と手紙とにぎられていた ●
小川未明
正二くんの打ちふる細い竹の棒は、青い初秋の空の下で、しなしなと光って見えました。 「正ちゃん、とんぼが捕れたかい。」 まだ、草のいきいきとして、生えている土の上を飛んで、清吉は、こちらへかけてきました。 「清ちゃん、僕いまきたばかりなのさ。あの桜の木の下に、犬が捨ててあるよ。」と、正二はこのとき、鳥の飛んでいく方を指しながら、いいました。 「ほんとう、どんな
久生十蘭
出かけるはずの時間になったが、安は来ない。離屋になった奥の居間へ行ってみると、竹の葉影のゆらぐ半月窓のそばに二月堂が出ているだけで、あるじのすがたはなかった。 窓ぎわに坐って待っているうちに、六十一になる安が、ひとり息子の伊作の顔を見たさに、はるばる巴里までやってきた十年前のことを思いだした。 滋子はそのとき夫の克彦と白耳義にいたが、十二月もおしつまった二十
清水紫琴
野路の菊 清水紫琴 その一 名にしあふ難波の街の金満家、軒を並ぶる今橋筋にもこは一際眼に立ちて、磨き立てたる格子造り美々しき一搆へ、音に名高き鴻の池とは、このお家の事であらうかと、道行く田舎人の眼を欹てぬもなしとかや。標札に金満家てふ銘こそ打つてなけれ、今様風にその肩書を並べなば、何々会社社長何銀行頭取何会社取締役と、三四行には書き切れまじき流行紳商、名さへ
幸田露伴
野道 幸田露伴 流鶯啼破す一簾の春。書斎に籠っていても春は分明に人の心の扉を排いて入込むほどになった。 郵便脚夫にも燕や蝶に春の来ると同じく春は来たのであろう。郵便という声も陽気に軽やかに、幾個かの郵便物を投込んで、そしてひらりと燕がえしに身を翻えして去った。 無事平和の春の日に友人の音信を受取るということは、感じのよい事の一である。たとえば、その書簡の封を
寺田寅彦
量的と質的と統計的と 寺田寅彦 古代ギリシアの哲学者の自然観照ならびに考察の方法とその結果には往々現代の物理学者、化学者のそれと、少なくも範疇的には同様なものがあった。特にルクレチウスによって後世に伝えられたエピキュリアン派の所説中には、そういうものが数え切れないほどにあるようである。おそらくこれらの所説も、全部がロイキッポスやデモクリトスなどが創成したもの
竹内浩三
金がきたら ゲタを買おう そう人のゲタばかり かりてはいられまい 金がきたら 花ビンを買おう 部屋のソウジもして 気持よくしよう 金がきたら ヤカンを買おう いくらお茶があっても 水茶はこまる 金がきたら パスを買おう すこし高いが 買わぬわけにもいくまい 金がきたら レコード入れを買おう いつ踏んで わってしまうかわらかない 金がきたら 金がきたら ボクは
小野浩
金のくびかざり 小野浩 一 よし子さんのお家も、あすは、クリスマスです。 毛なみの、つやつやした、まっ黒いネコは、夜どおし、煙突のてっぺんにすわって、サンタクローズのおじいさんが、このお家をまちがいなく見つけてくれればいいがと、黄色い目をひからせて、見つめていました。よし子さんは今夜は、きっと、おじいさんが、あたしのほしくてほしくてたまらない、小さな金のくび
小川未明
ある金持ちが、毎日、座敷にすわって、あちらの山を見ていますと、そのうちに、 「なにか、あの山から、宝でも出ないものかなあ。」というような空想にふけりました。 その山というのは、あまり高くはなかったが、形がいかにもよかったのです。 ちょうど、そのころ、旅の技師が、この村を通って、 「この山には、銅がありそうだ。」といったといううわさを金持ちはききこみました。
榊亮三郎
金剛智三藏と將軍米准那 榊亮三郎 私は大正二年六月十五日、本校に於て開催せられた宗祖大師の降誕記念會の講演に、「大師の時代」と題した一場の講演を致しました。其の時より今日に至るまで、支那流で申しますれば、裘葛約三十年になりますが、其の間に於ける我が國の東洋學の進歩は驚歎すべき程のものであり、佛教に關する研究も、幾多英俊の士が輩出して長足の進歩を致しましたが、
チェスタートンギルバート・キース
六人の人間が小さい卓子を囲んで座っていた。彼等は少しも釣合いがとれずちょうど同じ、小さい無人島に離れ離れに破船したかのように見えた。とにかく海は彼等をとりかこんでいた。なぜならある意味において彼等の島はラピュタのような大きいそして飜る他の島にとりかこまれていたから。なぜならその小さい卓子は大西洋の無限な空虚を走ってる、巨船モラヴィアの食堂に散らばってる多くの
楠山正雄
金太郎 楠山正雄 一 むかし、金太郎という強い子供がありました。相模国足柄山の山奥に生まれて、おかあさんの山うばといっしょにくらしていました。 金太郎は生まれた時からそれはそれは力が強くって、もう七つ八つのころには、石臼やもみぬかの俵ぐらい、へいきで持ち上げました。大抵の大人を相手にすもうを取っても負けませんでした。近所にもう相手がなくなると、つまらなくなっ
今野大力
小がらで元気がみちみち 眼と口と顔の据えられた位置が やや水平の彼方の空に向い 希望の、言葉ではなし、文章ではなし、絵でもなし ただ五尺たらずのからだに みちみてる熱意ある要求の表情。 私はそこで 彼女の出ている工場で、 一日 一杯、 牛馬のような搾取労働が、 ヘコたれさせた姿を見ていない 彼女が江東労働者の娘で、 工場労働の中にすべてのよろこびやかなしみの
木暮理太郎
秩父山塊の金峰山は、私の古い山旅の朧げな記憶の中では、比較的はっきりしている方である。此山の名を知ったのは小学校の何級であったか忘れたが、何でも暗射地図で甲州の北境に栗の毬殻に似た大きな山の符号があって、それが金峰山だと教えられたのが最初である。お寺を小学校に代用していた田舎のことではあるし、まだ「いろは」も碌に知らないうちから『小学生徒心得』という漢文直訳
知里真志保
おば金成マツが老衰でなくなった。たまたま僕は数日前からがん固なしゃっくりで病床に伏しているのだが、朝から報道関係諸氏の来訪で身動きもできないありさまである。無形文化財とか、紫綬褒章とかいうものの偉力を身をもって体験させられた。これらのものが本人の生きている間に、せめてこの半分ぐらいでも偉力と功徳を発揮してくれたらもっといいのにと思った。 金成マツはユーカラの
知里真志保
叔母とは2年近く会ってなかった。なにしろ高齢なので老衰が著しく、私がテープレコーダーなどを持参してユーカラの採録に行っても、朗唱に重複が多くて資料になりがたい状態であった。彼女の脳裏に刻みこまれていたユーカラのすべてが記録は留められているわけではなく、今となっては永久に不可能ということになったわけだが、私は私なりに、学問上の損失は少ないと思っている。ぼう大な
小川未明
あるところに金持ちがありまして、毎日退屈なものですから、鶏でも飼って、新鮮な卵を産まして食べようと思いました。 鳥屋へいって、よく卵を産む鶏を欲しいのだが、あるか、と聞きました。 鳥屋の主人は、 「よく卵を産む鶏なら、そこのかごの中に入っていますのより、たくさん産む鶏はありません。」といいました。 金持ちは、かごの中に入っている鶏を見ました。それは、背の低い
小川未明
「絵を描きたくたって、絵の具がないんだからな。」 あまり欠乏しているのが、なんだか自分ながら、滑稽に感じたので、令二は笑いました。 「いくらあったら、その絵の具が買えます。」 「さあ、ホワイトはなかった、それにグリーンもないと、まあ三円はいりますね。」 「もし、それくらいでいいのなら、私が、どうかして、こしらえてあげますよ。」 母親は、年のせいか、日の光が恋