魂を刳る美
北大路魯山人
陶器だけで美はわからぬ。あらゆるものの美を知って、それを通して陶器の美もわかる。そして本当にわかるということは、本当にそのものに惚れることである。 本当に惚れることが出来るか、これが問題である。下手ものにでも自分が真剣に惚れるなら、そのものの持ち味だけはわかるだろう。多くは他動的である。他人の言葉に引きずりこまれることが多い。甚だしいのは美に見えなくて金に見
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北大路魯山人
陶器だけで美はわからぬ。あらゆるものの美を知って、それを通して陶器の美もわかる。そして本当にわかるということは、本当にそのものに惚れることである。 本当に惚れることが出来るか、これが問題である。下手ものにでも自分が真剣に惚れるなら、そのものの持ち味だけはわかるだろう。多くは他動的である。他人の言葉に引きずりこまれることが多い。甚だしいのは美に見えなくて金に見
岸田国士
およそ俳優の芸術ぐらゐ、その「人間」が直接に、そして、むきだしに示される芸術はないであらう。これはあまりに当然なことだから、かへつて、ひとがそれほど問題にしないのだらうけれども、古来、名優といはれるほどの俳優は、きつと例外なく、なによりも、「人間的魅力」において一個の稀有な存在であつた、といふ事実を注意しなければならないと思ふ。 「人間的魅力」と、ひと口にい
北大路魯山人
良寛様のようなずばぬけた書を、我々如きが濫りに批評するなどは、僭越に過ぎるかも知れぬが、常々良寛様に親しみと尊敬とを持っている一人として、感ずるところを、一応述べさせて貰うことにする。 良寛様の書は質からいっても、外貌からいっても、実に稀にみるすばらしい良能の美書であって、珍しくも、正しい嘘のない姿である。いわゆる真善美を兼ね具えたものというべきであろう。か
陳寿
倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國。漢時有朝見者、今使譯所通三十國。從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里。始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶島、方可四百餘里、土地山險、多深林、道路如禽鹿徑、有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴。又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國、官亦曰卑狗、副曰卑奴母
原民喜
ここでは夜明けが僕の瞼の上に直接落ちてくる。と、僕の咽喉のなかで睡つてゐる咳は、僕より早く目をさます。咳は、板敷の固い寝床にくつついてゐる僕の肩や胸を揉みくちやにする。どんなに制しようとしても、発作が終るまでは駄目なのだ。僕は噎びながら、涙は頬にあふれる。だらだらと涙を流しながら、隣家の庭に咲いてゐる紫陽花の花がぽつと朧に浮んでくる。僕は泣いてゐるのだらうか
原民喜
魔のひととき 原民喜 魔のひととき 尾花の白い幻や たれこめた靄が もう 今にも滴り落ちさうな 冷えた涙のわきかへる わきかへる この魔のひとときよ とぼとぼと坂をくだり径をゆけば 人の世は声をひそめ キラキラとゆらめく泉 笑まひ泣く あえかなる顔 外食食堂のうた 毎日毎日が僕は旅人なのだらうか 驟雨のあがつた明るい窓の外の鋪道を 外食食堂のテーブルに凭れて
佐藤垢石
魔味洗心 佐藤垢石 二、三日前、隣村の嘉平老が、利根川で蜂鱒を拾った。鱒を拾うというのは妙な話であるが利根川では珍しいことではない。 蜂鱒というのは、蜂を食って眼をまわした鱒をいうのである。一体、鱒科の魚は飛んでいる羽虫が大好物であって、利根川の鱒もこの類であるから、蝶でも虻でも蜻蛉でもかげろうでもおよそ水面に近い空間を飛んでいる虫を見れば水中から躍りだして
小熊秀雄
すべての女の読者諸君よ いまは時代の過渡期です、 若しあなたに 恋愛に就いての 真ねんがなかつたら、 恋することはお控へなさい でなければ貴女の 教養と財産にとつて この上もなく危険がやつてきます 若い女よ あなたに若し時代的に恋する若い 勇敢さがあつたなら 私のこの物語りを参考にしてください 日本の悪魔と魔女と 聖母がどのやうに 三つ巴で血に塗れたかといふ
幸田露伴
魔法修行者 幸田露伴 魔法。 魔法とは、まあ何という笑わしい言葉であろう。 しかし如何なる国の何時の代にも、魔法というようなことは人の心の中に存在した。そしてあるいは今でも存在しているかも知れない。 埃及、印度、支那、阿剌比亜、波斯、皆魔法の問屋たる国だ。 真面目に魔法を取扱って見たらば如何であろう。それは人類学で取扱うべき箇条が多かろう。また宗教の一部分と
豊島与志雄
魔法探し 豊島与志雄 一 むかし、ペルシャに大変えらい学者がいました。天地の間に何一つ知らないことはないというほど、あらゆる学問をきわめつくした人で、国王や人民達から非常に尊敬されていました。 ところがある日、高い塔の上から濠の中に落ちて死んだ人を見て、彼はこう考えました。 「鳥は空を飛ぶことができるし、魚は水の中を泳ぎ廻ることができる。それなのに人間だけは
ブラウニングロバート
ウェーゼル河の 南の岸の、 静かで気らくな ハメリン町に、 いつの頃やら ねずみがふえて、 そこでもチュウチュ ここでもチュウチュ、 ねずみのお宿は こちらでござる。 猫にゃかみつく 赤んぼはかじる、 犬とけんかも するあばれかた。 帽子にゃ巣をくう 着物はやぶる、 奥さん方の おしゃべりさえも、 きいきいごえで けされる始末。 町の人たち あきれてしまい、
田中貢太郎
日本には怪談はかなりあるけれども、其の多くは仏教から胚胎した因果物語か、でなければ狐狸などの妖怪であって、独立した悪魔のような物語はあまりない。その中にあって備後国の魔王の物語は、ちょっと風がわりであるから紹介してみよう。 寛延年間のことであったらしい。備後国三次郡布努村に稲生平太郎と云う少年武士があった。彼には己の出生前からもらわれて来て稲生家を相続するこ
坂口安吾
戦争中、私ぐらいだらしのない男はめったになかったと思う。今度はくるか、今度は、と赤い紙キレを覚悟していたが、とうとうそれも来ず、徴用令も出頭命令というのはきたけれども、二、三たずねられただけで、外の人達に比べると驚くほどあっさりと、おまけに「どうも御苦労様でした」と馬鹿丁寧に送りだされて終りであった。 私は戦争中は天命にまかせて何でも勝手にしろ、俺は知らんと
坂口安吾
魔の退屈 坂口安吾 戦争中、私ぐらゐだらしのない男はめつたになかつたと思ふ。今度はくるか、今度は、と赤い紙キレを覚悟してゐたが、たうとうそれも来ず、徴用令も出頭命令といふのはきたけれども、二三たづねられただけで、外の人達に比べると驚くほどあつさりと、おまけに「どうも御苦労様でした」と馬鹿丁寧に送りだされて終りであつた。 私は戦争中は天命にまかせて何でも勝手に
田中貢太郎
昭和十年九月二十八日の夜の八時比、駒込神明町行の市電が、下谷池の端の弁天前を進行中、女の乗客の一人が、何かに驚いたように不意に悲鳴をあげて、逃げ出そうとでもするようにして上半身を窓の外へ出したところで、そこにあったセンターポールで顔を打って昏倒した。 その女客は浅草区西鳥越町の市川喜太郎と云う人の細君で、墓参に往っての帰途であった。市電の方では驚いて近くの河
小川未明
そこは、町のにぎやかな通りでありました。ある店の前へ子どもがあつまっていました。ちょうどきかけたつばめは、どんなおもしろいものがあるだろうと自分もおりてみました。店には、金魚や、めだかなど、いろいろならべてあったが、その中でも、ガラスのいれものにはいった熱帯魚がめずらしいので、みんなは、この前に立って、美しい姿に見とれていました。 「なあんだ、あの魚たちなら
坂口安吾
お魚女史 坂口安吾 その朝は玄関脇の応接間に×社の津田弁吉という頭の調子の一風変った青年記者が泊りこんでいた。私は徹夜で×社の原稿を書きあげたところで、これから酒をのんで一眠りと、食事の用意ができたら弁吉を起そうと考えていた。その弁吉がキチンと身仕度をとゝのえて、ノッソリとあがってきた。 「ねえ、先生、妙な女が現れたよ。キチガイかも知れないねえ」 文士の生活
火野葦平
どんな下手が釣っても、すぐにかかる魚は河豚とドンコである。 河豚が魚の王で、下関がその産地であることは有名だが、別に下関付近でとれるためではない。下関が集散地になっているだけで、河豚は瀬戸内海はもちろん、玄海灘でも、どこの海でもとれる。東京近海にもたくさんいる。ただ、周防灘の姫島付近の河豚が一等味がよく、いわゆる下関河豚の本場となっている。(因に、九州では、
岡本綺堂
魚妖 岡本綺堂 むかしから鰻の怪を説いたものは多い。これはかの曲亭馬琴の筆記に拠ったもので、その話をして聴かせた人は決して嘘をつくような人物でないと、馬琴は保証している。 その話はこうである。 上野の輪王寺宮に仕えている儒者に、鈴木一郎という人があった。名乗は秀実、雅号は有年といって、文学の素養もふかく、馬琴とも親しく交際していた。 天保三、壬辰年の十一月十
岡本綺堂
魚妖 岡本綺堂 むかしから鰻の怪を説いたものは多い。これは彼の曲亭馬琴の筆記に拠つたもので、その話をして聴かせた人は決して嘘をつくやうな人物でないと、馬琴は保証してゐる。 その話はかうである。 上野の輪王寺宮に仕へてゐる儒者に、鈴木一郎といふ人があつた。名乗りは秀実、雅号は有年といつて、文学の素養もふかく、馬琴とも親しく交際してゐた。 天保三、壬辰年の十一月
林芙美子
魚の序文 林芙美子 それだからと云って、僕は彼女をこましゃくれた女だとは思いたくなかった。 結婚して何日目かに「いったい、君の年はいくつなの」と訊いてみて愕いた事であったが、二十三歳だと云うのに、まだ肩上げをした長閑なところがあった。 ――その頃、僕達は郊外の墓場の裏に居を定めていたので、初めの程は二人共妙に森閑とした気持ちになって、よく幽霊の夢か何かを見た
薄田泣菫
魚の憂鬱 薄田泣菫 池のほとりに来た。蒼黒い水のおもてに、油のやうな春の光がきらきらと浮いてゐる。ふと見ると、水底の藻の塊を押し分けて、大きな鯉がのつそりと出て来た。そして気が進まなささうにそこらを見まはしてゐるらしかつたが、やがてまたのつそりと藻のなかに隠れてしまつた。 私はそれを見て、以前引きつけられた支那画の不思議な魚を思ひ出した。 私は少年の頃、よく
太宰治
本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連れて北へ北へと亡命して行って、はるか蝦夷の土地へ渡ろうとここを船でとおったということである。そのとき、彼等の船が此の山脈へ衝突した。突きあたった跡がいまでも残
太宰治
魚服記といふのは支那の古い書物にをさめられてゐる短かい物語の題ださうです。それを日本の上田秋成が飜譯して、題も夢應の鯉魚と改め、雨月物語卷の二に收録しました。 私はせつない生活をしてゐた期間にこの雨月物語をよみました。夢應の鯉魚は、三井寺の興義といふ鯉の畫のうまい僧の、ひととせ大病にかかつて、その魂魄が金色の鯉となつて琵琶湖を心ゆくまで逍遙した、といふ話なの