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菊池君
石川啄木
一
私が釧路の新聞へ行つたのは、恰度一月下旬の事、寒さの一番酷しい時で、華氏寒暖計が毎朝零下二十度から三十度までの間を昇降して居た。停車場から宿屋まで、僅か一町足らずの間に、夜風の冷に頤を埋めた首巻が、呼気の湿気で真白に凍つた。翌朝目を覚ました時は、雨戸の隙を潜つて空寒く障子を染めた暁の光の中に、石油だけは流石に凍らぬと見えて、心を細めて置いた吊洋燈が昨夜の儘に薄りと点つて居たが、茶を注いで飲まずに置いた茶碗が二つに割れて、中高に盛り上つた黄色の氷が傍に転げ出して居た。火鉢に火が入つて、少しは室の暖まるまでと、身体を縮めて床の中で待つて居たが、寒国の人は総じて朝寝をする、漸々女中の入つて来たのは、ものの一時間半も経つてからで、起きて顔を洗ひに行かうと、何気なしに取上げた銀鍍金の石鹸函は指に氷着く、廊下の舗板が足を移す毎にキシ/\と鳴く、熱過ぎる程の湯は、顔を洗つて了ふまでに夏の川水位に冷えた。
雪は五寸許りしか無かつたが、晴天続きの、塵一片浮ばぬ透明の空から、色なき風がヒユウと吹いて、吸ふ息毎に鼻の穴が塞る。冷たい日光が雪に照返つて、家々の窓硝子を、寒さに慄えた様にギラつかせて居た。大地は底深く凍つて了つて、歩くと鋼鉄の板を踏む様な、下駄の音が、頭まで響く。街路は鏡の如く滑かで、少し油断をすると右に左に辷る、大事をとつて、足に力を入れると一層辷る。男も、女も、路行く人は皆、身分不相応に見える程、厚い、立派な防寒外套を着けて、軽々と刻み足に急いで居た。荷馬橇の馬は、狭霧の様な呼気を被つて氷の玉を聯ねた鬣を、寒い光に波打たせながら、風に鳴る鞭を喰つて勢ひよく駈けて居た。
二三日して、私は、洲崎町の或下宿へ移つた。去年の春までは、土地で少しは幅を利かした、さる医師の住つて居た家とかで、室も左程に悪くは無し、年に似合はず血色のよい、布袋の様に肥満つた、モウ五十近い気丈の主婦も、外見によらぬ親切者、女中は小さいのを合せて三人居た。私が移つた晩の事、身体の馬鹿に大きい、二十四五の、主婦にも劣らず肥満つた、小い眼と小い鼻を掩ひ隠す程頬骨が突出て居て、額の極めて狭い、気の毒を通越して滑稽に見える程不恰好な女中が来て、一時間許りも不問語をした。夫に死なれてから、一人世帯を持つて居て、釧路は裁縫料の高い所であれば、毎月若干宛の貯蓄もして居たのを、此家の主婦が人手が足らぬといふので、強ての頼みを拒み難く、手伝に来てからモウ彼是半年になると云つた様な話で、「普通の女中ぢや無い。」といふ事を、私に呑込ませようとしたらしい。後で解つたが、名はお芳と云つて、稼ぐ時は馬鹿に稼ぐ、怠ける時は幾何主婦に怒鳴られても平気で怠ける、といふ、随分な気紛れ者であつた。
取分けて此下宿の、私に気に入つたのは、社に近い事であつた。相応の賑ひを見せて居る真砂町の大逵とは、恰度背中合せになつた埋立地の、両側空地の多い街路を僅か一町半許りで社に行かれる。
社は、支庁坂から真砂町を突切つて、海岸へ出る街路の、トある四角に立つて居て、小いながらも、ツイ此頃落成式を挙げた許りの、新築の煉瓦造、(これが此社に長く居る人達の、北海道に類が無いと云ふ唯一つの誇りであつた。)澄み切つた冬の空に、燃える様な新しい煉瓦の色の、廓然と正しい輪廓を描いてるのは、何様木造の多い此町では、多少の威厳を保つて見えた。主筆から見せられた、落成式の報告みたいなものの中に、「天地一白の間に紅梅一朶の美観を現出したるものは即ち我が新築の社屋なり。」と云ふ句があつて、私が思はず微笑したのを、今でも記憶えて居る。玄関から上ると、右と左が事務室に宿直室、奥が印刷工場で、事務室の中の階段を登れば、二階は応接室と編輯局の二室。
編輯局には、室の広さに釣合のとれぬ程大きい暖炉があつて、私は毎日此暖炉の勢ひよく燃える音を聞き乍ら、筆を動かしたり、鋏と糊を使ふ。外勤の記者が、唇を紫にして顫へ乍ら帰つて来ると、腰を掛ける前に先づ五本も六本も薪を入れるので、一日に二度か三度は、必ず暖炉が赤くなつて、私共の額には汗が滲み出した。が、夕方になつて宿に帰ると、何一つ室を賑かにして見せる装飾が無いので、割合に広く見える。二階の八畳間に、火鉢が唯一個、幾何炭をつぎ加して、青い焔の舌を断間なく吐く程火をおこしても、寒さが背から覆被さる様で、襟元は絶えず氷の様な手で撫でられる様な気持がした。字を五つ六つ書くと、筆の尖がモウ堅くなる。インキ瓶を火鉢に縁に載せて、瓶の口から水蒸気が立つ位にして置いても、ペンに含んだインキが半分もなくならぬうちに凍つて了ふ、葉書一枚書くにも、それは/\億劫なものであつた。初めての土地で、友人と云つては一人も無し、恁う寒くては書を読む気も出ぬもので、私は毎晩、唯モウ手の甲をひつくり返しおつくり返し火に焙つて、火鉢に抱付く様にして過した。一週間許り経つて、私は漸々少し寒さに慣れて来た。
二月の十日頃から、怎やら寒さが少しづつ緩み出した。寒さが緩み出すと共に、何処から来たか知らぬが、港内には流氷が一杯集つて来て、時々雪が降つた。私が来てから初めての記者月例会の開かれたのも、恰度一尺程も雪の積つた、或土曜日の夕であつた。
二
釧路は、人口と云へば僅か一万五千足らずの、漸々発達しかけた許りの小都会だのに、怎したものか新聞が二種出て居た。
私の居たのは、「釧路日報」と云つて、土地で人望の高い大川道会議員の機関であつた。最初は紙面が半紙二枚程しかないのを、日曜々々に出して居たのださうだが、町の発達につれて、七年の間に三度四度拡張した結果、私が行く一週間許り前に、新築社屋の落成式と共に普通の四頁新聞になつた。無論これまでに漕ぎつけたのは、種々な関係が結びつけた秘密の後援者があるからで、新聞独自の力では無いが、社の経済も案外巧く整理されて居て、大川社長の人望と共に、「釧路日報」の信用も亦、町民の間に余程深く植ゑつけられて居た。編輯局には、主筆から校正までで唯五人。
モ一つは「釧路毎日新聞」と云つて、出来てから漸々半年位にしかならず、社も裏長屋みたいな所で、給料の支払が何日でも翌月になるとか云ふ噂、職工共の紛擾が珍しくなく、普通の四頁の新聞だけれど、広告が少くて第四面に空所が多く、活字が足らなくて仮名許り沢山使ふから、見るから醜い新聞であつた。それでも記者は矢張五人居た。
月例会と云ふのは、此両新聞の記者に、札幌、小樽、旭川などの新聞の支社に来て居る人達を合せて、都合十三四人の人が、毎月一度宛集るといふので、此月のは、私が来てから初めての会ではあり、入社の挨拶を新聞に載せただけで、何処へも改めては顔を出さずに居たから、知らぬ顔の中へ行くんだと云つた様な気が、私の頭脳を多少他所行の心持にした。午後四時からと云ふ月番幹事の通知だつたので、三時半には私が最後の原稿を下した。
『今日は鹿島屋だから、市子のお酌で飲める訳だね。』
と云つて、主筆は椅子を暖炉に向ける。
『然し芸妓も月例会に出た時は、大変大人しくして居ますね。』
と八戸君が応じた。
『その筈さ、人の悪い奴許り集るんだもの。』
と笑つて、主筆は立上つた。『芸者に記者だから、親類同志なんだがね。』
『成程、何方も洒々としてますな。』
と、私も笑ひながら立つた。皆が硯箱に蓋をしたり、袴の紐を締直したり、莨を啣へて外套を着たりしたが、三面の外交をして居る小松君が、突然、
『今度また「毎日」に一人入つたさうですね。』と言つた。
『然うかね、何といふ男だらう?』
『菊池ツて云ふさうです。何でも、釧路に居る記者の中では一番年長者だらうツて話でしたよ。』
『菊池兼治と謂ふ奴ぢやないか?』と主筆が喙を容れた。
『兼治? 然うです/\、何だか武士の様な名だと思ひました。』
『ぢや何だ、真黒な腮髭を生やした男で、放浪者みたいな?』
『然うですか、私は未だ逢はないんですが。』
『那男なら、何人先方で入れても安心だよ。何日だツたか、其菊池が、記者なり小使なりに使つて呉れツて、俺の所へ来た事があるんだ。可哀相だから入れようと思つたがね、』と、入口の方へ歩き出した。『前に来た時と後に来た時と、辻褄が合はん事を云つたから、之は怪しいと思つて断つたさ。』
私は、然し、主筆が常に自己と利害の反する側の人を、好く云はぬ事を知つて居た。「先方が六人で、此方よりは一人増えたな。」と云つた風な事を考へて玄関を出たが、
『君。二面だらうか、三面だらうか?』
と、歩きながら小松君に問ひかけた時は、小松君は既に別の事を考へて居た。
『何がです?』
『菊池がさ。』
『さあ何方ですか。桜井の話だと、今日から出社する様に云つてましたがね。』
私共が、ドヤ/\と鹿島屋の奥座敷に繰込んだ時は、既七人許り集つて居た。一人二人を除いては、初対面の人許りなので、私は暫時の間名刺の交換に急がしかつたが、それも一しきり済んで、莨に火をつけると、直ぐ、真黒な腮鬚の男は未だ来て居ないと気がついた。人々はよく私にも話しかけて呉れた。一座の中でも、背の低い、色の黒い、有るか無きかの髯を生やした、洋服扮装の醜男が、四方八方に愛嬌を振舞いては、軽い駄洒落を云つて、顔に似合はぬ優しい声でキヤツ/\と笑ふ。
十分許り経つて、「毎日」の西山社長と、私より一月程前に東京から来たといふ日下部編輯長とが入つて来た。日下部君は、五尺八寸もあらうかといふ、ガツシリした大男で、非常な大酒家だと聞いて居たが、如何様眼は少しドンヨリと曇つて、服装は飾気なしの、新らしくも無い木綿の紋付を着て居た。
西山社長は、主筆を兼ねて居るといふ事であつた。七子の羽織に仙台平のリウとした袴、太い丸打の真白な紐を胸高に結んだ態は、何処かの壮士芝居で見た悪党弁護士を思出させた。三十五六の、面皰だらけな細顔で、髯が無く、銀縁の近眼鏡をかけて居たが、眼鏡越に時々狐疑深い様な目付をする。
『徐々始めようぢやありませんか、大抵揃ひましたから。』
と、月番幹事の志田君(先程から愛嬌を振舞つてゐた、色の黒い男)が云ひ出した。
軈て膳部が運ばれた。「入交になつた方が可からう。」と云ふ、私の方の主筆の発議で、人々は一時ドヤドヤと立つたが、
『男振の好い人の中に入ると、私の顔が一層悪く見えて不可けれども。』
と、笑ひながら、志田君は私と西山社長との間に座つた。
酒となると談話が急に燥ぐ、其処にも此処にも笑声が起つた、五人の芸妓の十の袂が、銚子と共に急がしく動いて、艶いた白粉の香が、四角に立てた膝をくづさせる。点けた許りの明るい吊洋燈の周匝には、莨の煙が薄く渦を巻いて居た。
親善を厚うするとか、相互の利害を議するとか、連絡を図るとか、趣意は頗る立派であつたけれど、月例会は要するに、飲んで、食つて、騒ぐ会なので、主筆の所謂人の悪い奴許りだから、随分と方々に円滑な皮肉が交換されて、其度にさも面白相な笑声が起る。意外事を素破抜かれた芸妓が、対手が新聞記者だけに、弱つて了つて、援助を朋輩に求めてるのもあれば、反対に芸妓から素破抜かれて頭を掻く人もある。五人の芸者の中、其処からも此処からも名を呼び立てられるのは、時々編輯局でも噂を聞く市子と謂ふので、先刻膳を運ぶ時、目八分に捧げて、真先に入つて来て、座敷の中央へ突立つた儘、「マア怎うしよう、私は。」と、仰山に驚いた姿態を作つた妓であつた。それは、私共が皆一団になつて、障子際に火鉢を囲んで居たから、御膳の据場所が無かつたからで。十六といふ齢には少し老せて居るが、限りなき愛嬌を顔一杯に漲らして、態とらしからぬ身振が人の気を引いた。
志田君は、盃を下にも置かず、相不変愛嬌を振舞いて居たが、お酌に廻つて来た市子を捉へて私の前に座らせ、両手の盃を一つ私に献して、
『市ちやん、此方は今度「日報」へお出になつた橘さんといふ方だ、お年は若し、情は深し、トまでは知らないが、豪い方だからお近付になつて置け。他日になつて悪い事は無いぞ。』
『アラ然うですか。お名前は新聞で承はつてましたけれど、何誰かと思つて、遂……』と優容に頭を下げた。下げた頭の挙らぬうちに、