一
糟谷獣医は、去年の暮れ押しつまってから、この外手町へ越してきた。入り口は黒板べいの一部を切りあけ、形ばかりという門がまえだ。引きちがいに立てた格子戸二枚は、新しいけれど、いかにも、できの安物らしく立てつけがはなはだ悪い。むかって右手の門柱に看板がかけてある。板も手ごしらえであろう、字ももちろん自分で書いたものらしい、しろうとくさい幼稚な字だ。
「家畜診察所」
とある大字のわきに小さく「病畜入院の求めに応じ候」と書いてある。板の新しいだけ、なおさら安っぽく、尾羽打ち枯らした、糟谷の心のすさみがありありと読まれる。
あがり口の浅い土間にあるげた箱が、門外の往来から見えてる。家はずいぶん古いけれど、根継ぎをしたばかりであるから、ともかくも敷居鴨居の狂いはなさそうだ。
入り口の障子をあけると、二坪ほどな板の間がある。そこが病畜診察所兼薬局らしい。さらに入院家畜の病室でもあろう、犬の箱ねこの箱などが三つ四つ、すみにかさねあげてある。
ほかに六畳の間が二間と台所つき二畳が一間ある。これで家賃が十円とは、おどろくほど家賃も高くなったものだ。それでも他区にくらべると、まだたいへん安いといって、糟谷はよろこんで越してきたのである。
糟谷は次男芳輔三女礼の親子四人の家族であるが、その四人の生活が、いまの糟谷の働きでは、なかなかほねがおれるのであった。
平顔の目の小さいくちびるの厚い、見たとおりの好人物、人と話をするにかならず、にこにこと笑っている人だ。なにほど心配なことがあっても、心配ということを知っていそうなふうのない人である。
細君はそれと正反対に、色の青白い、細面なさびしい顔で、用談のほかはあまり口はきかぬ。声をたてて笑うようなことはめったにない。そうかといって、つんとすましているというでもない。
それは、前途におおくの希望を持った、若い時代には、ずいぶんいやにすました人だといわれたこともあった。実際気位高くふるまっていたこともあった。しかしながらいまのこの人には、そんな内心にいくぶん自負しているというような、気力は影もとどめてはいない。きどって黙っていた、むかしのおもかげがただその形ばかりに残ってるのだ。
天性陰気なこの人は、人の目にたつほど、愚痴も悔やみもいわなかったものの、内心にはじつに長いあいだの、苦悶と悔恨とをつづけてきたのである。いまは苦悶の力もつきはてて、目に気張りの色も消えてしまった。
生まれが生まれだけにどことなし、人柄なところがあって、さびしい面ざしがいっそうあわれに見える。もうもう我が世はだめだとふかくあきらめて、なるままに身をも心をもまかせてしまったというふうである。それでもさすがに、ここへ移ってきた夜は、だれにいうとはなく、
「引っ越すたびに家が小さくなる」
とひとりごとをくりかえしておった。
糟谷はあければ五十七才になる。細君はそれより十一の年下とかいった。糟谷は本所へ越してきて、生活の道が確立したかというに、まだそうはいかぬらしい。
糟谷が上京以来たえず同情を寄せて、ねんごろまじわってきた、当区の畜産家西田という人が、糟谷の現状を見るにしのびないで、ついに自分の手近に越さしたのであるが、糟谷が十年住んでおった、新小川町のとにかく中流の住宅をいでて、家賃十円といういまの家へ移ってきたについては、一場の悲劇があった結果である。