Volver
地震の話
Table of Contents
地震の話
今村明恒
Reading Settings
Tamaño de fuente
18px
Tema
Claro
Oscuro
Sepia
Protección ocular
Interlineado
Modo de lectura
Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 10 of 13

七、災害防止

昔の人は地震の搖り返し、或は搖り戻しを恐れたものである。此言葉は俗語であるため誤解を惹起し、今の人はこれを餘震に當て嵌めてゐるが、それは全く誤りである。昔の人の所謂搖り戻しは、われ/\が今日唱へてゐる地震動の主要部である。藤田東湖先生の最後を記すならば、彼は最初の地震によつて屋外へ飛出し、搖り戻しのために壓死したのである。われ/\は子供の時分には然か教へられた。最初の地震を感じたなら、搖り戻しの來ない中に戸外へ飛出せなどと戒められたものである。外國の大地震では搖り戻しといはずして、第二の地震と唱へた場合がある。つまり初期微動部、主要部を合併して一箇の地震と見ないで、これを一々別なものと見做したのである。かくして西暦紀元千七百五十五年のリスボン地震の記事がよく了解せられる。

搖り戻しと餘震との混同は單に言葉の上の誤りとして、其儘これを片附けるわけにはゆかぬ。わが國に於ては餘震を恐怖する念が特に強いが、それは右の言葉上の誤りによりても培養せられてゐるのである。

昔の人の言葉を借りていふならば、大地震に家の潰れるのは、皆搖り戻しに由るのである。もし此搖り戻しを餘震だと解したならば餘震は最も恐ろしいものでなければならぬ。そこに理論上又は經驗上全く恐れるに足りない餘震を、誤つて恐怖するようにもなつたのである。

餘震の勢力、或は地震動としての破壞力は、最初の本地震と比較して微小なものでなければならぬ。多くの實例に徴するも其最大なる場合でも十分の一以下である。この事は最後の項に於て再説することだから茲には説明を略するが、とに角餘震は恐れるに足りない。唯恐るべきは最初の大地震の主要動である。然しながら、どんな地震でも其最も恐るべき主要動は、最初の一分時間に於て收まつてしまふのである。此一分間といつたのは、最も長引く場合を顧慮してのことであつて、大抵の場合に於ては二十秒間位で危險な震動は終りを告げるものである。即ち明治二十七年六月二十日の東京地震は最初から十五秒間で著しい震動は終りを告げ、大正十四年の但馬地震は二十秒間で全部殆んど收まり、昭和二年の丹後地震も大抵十數秒間で主要震動がすんでしまつた。但し大正十二年の關東大地震は主要震動が長く續き、最初から二三十秒間で收まつたとはいへない。此事は該地震を經驗した地方により、多少の相違があるべきであるが、比較的に長く續いたと思はれる東京にての觀測の結果を擧げるならば、震動の最も強かつたのは最初から十六七秒目であつて、それから後三十秒間位は、震動が却つて大きくなつた位である。けれども往復震動は急に緩慢となつたゝめ、地動の強さは次第に衰へてしまつた。鎌倉や小田原邊でも、最も激しかつたのは最初の一分間以内であつたといへる。

右のような次第であるから、大地震に出會つたなら、最初の二三十秒間、場合によつては一分間位は、その位置環境によつては畏縮せざるを得ないこともあらう。勿論崩壞の虞れなき家屋の内にゐるとか、或は廣場など安全な場所に居合せたなら畏縮する程のこともないであらう。また餘震の恐れるに足らないこともほゞ前に述べた通りである。かくして最初の一分間を凌ぎ得たならば、最早不安に思ふべき何物も殘さないはずであるが、唯これに今一つ解説して置く必要のあるものは、地割れに對して誤れる恐怖心である。

大地震のときは大地が裂けてはつぼみ、開いては閉ぢるものだとは、昔から語り傳へられて最も恐怖されてゐる一つの假想現象である。もし此裂け目に挾まると、人畜牛馬、煎餅のように押し潰されるといはれ、避難の場所としては竹藪を選べとか、戸板を敷いてこれを防げなどと戒められてゐる。これはわが國にてはいかなる寒村僻地にも普及してゐる注意事項であるが、かような地割れの開閉に關する恐怖は世界の地震地方に共通なものだといつてよい、然るにわが國の地震史には右のような現象の起つたことの記事皆無であるのみならず、明治以後の大地震調査に於ても未だかつて氣附かれたことがない。尤も道路或は堤防が搖り下りに因つて地割れを起すこともあるが、それは單に開いたまゝであつて、開閉を繰返すものではない。又構造物が地震動に因つて裂け目を生じ、それが振動繼續中開閉を繰返すこともあるが、問題は大地に關係したものであつて、構造物に起る現象を指すのではない。とに角人畜が吸ひ込まれる程度に於て、大地が開閉するといふことは、わが國に於ては決して起り得ない現象と見てよい。

日本に於て決して起らない現象が、なぜに津々浦々まで語り傳へられ、恐怖せられてゐるのであらうか。著者は初め此話が南洋傳來のものではあるまいか、と疑つてみたこともあるが、近頃研究の結果、さうでないように思はれて來たのである。

世界の大地震記録を調べてみると、かういふ恐ろしい現象が三所に見出される。これを年代の順に記してみると、第一は西暦千六百九十二年六月七日西インド諸島の中、ジャマイカ島に起つた地震であつて、このとき首府ロアイヤル港に於ては大地に數百條の龜裂が出來、それがぱく/\開いたり閉ぢたりするので、偶これに陷つた人畜は忽ち見えなくなり、再びその姿を現すことは出來なかつた。後で掘り出してみると、いづれも板のように押し潰されてゐたといふ。此時市街地の大部は沈下して海となつたといふことも記してあるから、前記現象の起つた場所は新しい地盤たりしに相違なかるべく、埋立地であつたかも知れない。又此時の死人は首府總人口の三分の二を占めたことも記されてあるから、地震が餘程激烈であつたことも想像される。

西暦千七百五十五年十一月一日のリスボンの大地震は規模頗る廣大なものであつて、感震區域は長徑五百里に亙り、地動の餘波によつて、スコットランド、スカンヂナビヤ邊に於ける湖水の氾濫を惹起したものである。此時リスボンには津浪も襲來し、こゝだけの死人でも六萬人に上つた。震原は大西洋底にあつたものであらう。津浪は北アメリカの東海岸に於ても氣附かれた。

此地震の場合に於て、大地の開閉を起した所は、リスボンの對岸、アフリカのモロッコ國の首府モロッコから三里ほど離れた一部落であつて、そこにはベスンバ種族と呼ばれる土民が住まつてゐた。この時大地の開閉によつて土民は勿論、彼等の飼つてゐた畜類は牛馬、駱駝等に至るまで盡くそれに吸ひ込まれ、八千乃至一萬の人口を有してをつたこの部落は其ために跡方もなく失はれたといふ。此地震史上の大事件の舞臺が未開の土地であるだけに、記事に確信を置くわけにも行かないが、これを載せた書物は地震直後に出版された『千七百五十五年十一月一日のリスボン大地震』と題するもので、歐洲に於ける當時の知名の科學者十名の論文を集めたものである。

大地開閉の記事を載せた第三の地震は西暦千七百八十三年イタリー國カラブリヤに起つたものであつて、地震に因る死者四萬、それに續いて起つた疫病に因る死者二萬と數へられたものである。場所は長靴の形に譬へられたイタリーの足の中央部に當つてゐる。この時中央山脈の斜面に沿うて堆積してゐた土砂が全體として山骨を離れ、それが斜面を流れ下る際曲り目の所に於て、雪崩れの表面が或は開いたり、或は閉ぢたりしたものゝようであるが、此開き口に人畜が陷つて見えなくなつたことが記されてある。或は又開いたままに殘つた地割れもあつたが、後で檢査して見ると、其深さは計測することが出來ない程のものであつたといふ。關東大地震のとき起つた根府川の山津浪は、其雪崩れ下る際、右のような現象が或は小規模に起つたかも知れない。

世界大地震の記事に於て、人畜を吸ひ込むほどの地割れの開閉現象が起つたのは、著者の鋭意調べた結果、以上の三回のみである。此外に幅僅に一二寸程の地割れが開閉したことを記したものはないでもないが、それも餘計はない。一例を擧げるならば、西暦千八百三十五年の南米チリ地震である。此時卑濕の土地に一二寸の地割れがいくらも出來、それが開閉して土砂が吹出したといふ。

右のような小規模の地割れならば、大正十二年の關東大地震に於ても經驗せられた。場所は安房國北條町北條小學校の校庭であつた。此學校の敷地は、數年前に水田を埋立てゝ作られたものであつて、南北に長き水田の一區域の中に、半島の形をなして西から東へ突出してゐた。さうしてこの水田の東西南の三方は比較的に堅い地盤を以て圍まれてゐる。かういふ構造の地盤であるから、地震も比較的に烈しかつたであらう。誰しも想像し得られる通り、校舍は新築でありながら全部潰れてしまつた。わづかに身を持て免れた校長以下の職員は這ふようにして中庭にまで出ると、目前に非常な現象が起り始めた。それは校庭が南北に二條に龜裂して、其處から水柱を二三間の高さに噴出し始めたのであつた。あとで龜裂の長さを計つてみたら、延長二十二間程あつたから、此程噴出の景況は壯觀であつたに相違ない。あれよ/\とみてゐると水煙は急に衰へ裂け口も閉ぢて噴出一時に止まつてしまつたが、僅に五六秒位經過した後再び噴き出し始めた。かく噴いては止み噴いては止みすること五六回にして次第に衰へ遂に止んでしまつた。跡には所々に小さな土砂の圓錐を殘し、裂口は大抵塞がつて唯細い線を殘したのみである。著者は事件があつて二月の後に其場所を見學したが、土砂の圓錐の痕跡は其時までも見ることが出來た。さうしてこの現象の原因は、水田の泥の層が敷地と共に水桶内に於ける水の動搖と同じ性質の震動を起し、校舍の敷地に當る所が蒲鉾なりに持上つて地割れを生じ、それが凹んで下つたとき地割れが閉ぢるようになつたものと考へた。大地震のとき、泥土層や、卑濕の土地には長い裂け目に沿うて泥砂を噴出すことはありがちのことであるが、もし地震の當時に此現象を觀察することが出來たならば、北條小學校々庭に於て實見せられたようなものゝ多々あることであらう。實に北條小學校職員によつてなされた前記現象の觀察は、地震學上極めて貴いものであつた。

地割れ開閉の説明圖

前に記したジャマイカ地震並にリスボン地震に於ける地割れの開閉は、北條小學校に起つたような現象が極めて大規模に起つたものとすれば解釋がつくように思ふ。果して然らば、ロアイヤル港や、昔ベスンバ族のゐた部落は右の現象を起すに最も適當な場所であつて、此等の地方は他の大地震によつて再び同樣の現象を起すこともあるであらう。わが國に於て此現象を未だかつて大規模に起したことのないのは、單に此現象を起すに適當な構造の場所が存在しないのに因るものであらう。

右の樣な次第であるから、著者の結論としては、地割れに吸込まれるような現象は、わが國にては絶對に起らないといふことに歸着するのである。されば竹藪に逃げ込めとか、戸板を敷いて避難せよとかいふ注意は餘りに用心すぎるように思はれる。況んや竹藪自身が二十間も移動したことが明治二十四年濃尾大地震にも經驗され、又それを通して大きな地割れの出來た實例はいくらもある位であるから、左程に重きを置かなくとも差支へない注意であるように思ふ。

大地震に遭遇して最初の一分間を無事に凌ぎ得たとし、又餘震や地割れは恐れるに足らないものとの悟りがついたならば、其後災害防止について全力を盡すことが出來よう。此際或は倒壞家屋の下敷になつたものもあらうし、或は火災を起しかけてゐる場所も多いことであらうし、救難に出來るだけ多くの人手を要し、しかもそれには一刻の躊躇を許されないものがある。これ老幼男女の區別を問はず、一齊に災害防止に努力しなければならない所以である。

下敷になつた人を助け出すことは震災の防止上最も大切なことである。なんとなれば震災を被る對象物中、人命ほど貴重なものはないからである。もしそこに火災を起す虞れが絶對になかつたならば、この問題の解決に一點の疑問も起らないであらう。然しながら、もしそこに火災を起す虞れがあり、又實際に小火を起してゐたならば、問題は全然別物である。

大正十四年五月二十三日の但馬地震に於て、震原地に當れる田結村に於ては、全村八十三戸中八十二戸潰れ、六十五名の村民が潰家の下敷となつた。この村は半農半漁の小部落であるが、地震の當日は丁度蠶兒掃立の日に當り、暖室用の炭火を用ひてゐた家が多く、その中三十六戸からは煙を吐き出し、遂に三戸だけは燃え上るに至つた。一方では下敷の下から助けを乞ふてわめき、他方では消防の急を告ぐるさけび、これに和して絶え間なき餘震の鳴動と大地の動搖とは、幸に身を以て免れたものには手の下しようもなかつたであらう。然し村民の間にはかういふ非常時に對する訓練がよく行屆いてゐたと見え、老幼男女第一に火災防止に力め、時を移さず人命救助に從事したのであつた。幸に火も小火のまゝで消し止め、下敷になつた六十五名中、五十八名は無事に助け出されたが、殘りの七名は遺憾ながら崩壞物の第一撃によつて即死したのであつた。もし村民の訓練が不行屆きであり、或は火を消すことを第二にしたならば、恐らくは全村烏有に歸し、人命の損失は助けられた五十八名の中にも及んだであらう。即ち人命の損失は實際に幾倍し、財産の損失は幾十倍にも及んだであらう。實にその村民の行動は震災に對してわれ/\の理想とする所を實行したものといへる。聞けばこの村はかつて壯丁の多數が出漁中に火を失して全村灰燼に歸したことがあるさうで、これに鑑みて其後女子の消防隊をも編成し、かゝる寒村なるにがそりん・ぽんぷ一臺備へつけてあるのだといふ。平日かういふ訓練があればこそ、かゝる立派な行動に出でることも出來たのであらう。

また丹後大地震の時は、九歳になる茂籠傳一郎といふ山田小學校二年生は一家八人と共に下敷になり、家族は屋根を破つて逃げ出したに拘らず、傳一郎君は倒潰家屋内に踏み留まり、危險を冒して火を消し止めたといひ、十一歳になる糸井重幸といふ島津小學校四年生は、祖母妹と共に下敷になりながら、二人には退き口をあてがつて、自分だけは取つて返し、二箇所の火元を雪を以て消しにかゝつたが、祖母は家よりも身體が大事だといつて重幸少年を制したけれども、少年はこれをきかないで、幾度も雪を運んで來て、遂に消し止めたといふ。この爲に兩少年は各自の家屋のみならず、重幸少年の如きは隣接した小學校と二十戸の民家とを危急から救ひ得たのであつた。實にこれ等義勇の行動はそれが少年によつてなされたゞけに殊更たのもしく思はれるではないか。

日本に於ける大地震の統計によれば、餘り大きくない町村に於て、潰家十一軒毎に一名の死者を生ずる割合である。然るに、もしこれに火災が加はると、人命の損失は三倍乃至四倍になるのであるが、これは下敷になつた人の中、火災さへなければ無事に助け出さるべきものまで燒死の不幸を見るに至るものが多數に生ずるからである。地震の災害を最小限度に防止せんとするに當り主義として人命救護に最も重きを置くことは勿論であるが、唯此主義の實行手段として、火災の防止を眞先にすることが必要條件となるのである。もし此手段の實行上に伴ふ犧牲があるならば、それを考慮することも必要であるけれども、何等の犧牲がないのみならず、火災防止といふ最も有利な條件が伴ふのである。實際大地震の損害に於て、直接地震動より來るものは僅に其一小部分であつて、大部分は火災のために生ずる損失であるといへる。此關係は關東大地震、但馬地震、丹後地震に於て、此頃證據立てられた所であつて、別段な説明を要しない事實である。

Chapter 10 of 13
|