二、屋外への避難
耐震的構造
地震に出會つてそれが非常の地震であることを意識したものは、餘程修養を積んだ人でない限り、たとひ耐震家屋内にゐても、又屋外避難の不利益な場合でも、しかせんと力めるであらう。この屋外へ避難することの不利益な場合は次項に説明することゝし、もし平家建の家屋内或は二階建、三階建等の階下に居合せた場合には屋外へ飛び出す方が最も安全であることがある。然しながらいづれの場合でもさうであるとは限らぬ。先づ屋外が狹くて、もし家屋が倒潰したならば却つて其ために壓伏されるような危險はなきか。これが第一に考慮すべき點である。
平家建の小屋組、即ち桁や梁と屋根との部分が普通に出來てゐれば容易に崩れるものではない。たとひ家屋が倒伏することがあつても、小屋組だけは元のまゝの形をして地上に直接の屋根を現すことは、大地震の場合普通に見る現象である。かような場合、下敷になつたものも、梁又は桁のような大きな横木で打たれない限り大抵安全である。
一方屋外に避難せんとする場合に於ては、まだ出きらない内に家屋倒潰し、而も入口の大きな横木に壓伏せられる危險が伴ふことがある。前に述べた通り、初期微動の繼續時間は概して七八秒はあるけれども、前記の但馬地震及び丹後地震に於ては、震原地の直上に於て三秒位しかなかつた。かゝる場合、家の倒伏前に屋外の安全な場所迄逃げ出すことは中々容易な業ではない。實際前記の大地震に於ては機敏な動作をなして却つて軒前で壓死したものが多く、逃げ後れながら小屋組の下に安全に敷かれたものは屋根を破つて助かつたといふ。かような場合を省みると、屋外へ避難して可なる場合は、僅に二三秒で軒下を離れることが出來るような位置にあるときに限るようである。もし偶然かような位置に居合せたならば、機敏に飛出すが最上策であること勿論である。
右のような條件が完全に備はつてゐなくとも、大抵の人は屋外に避難せんとあせるに違ひない。これは寧ろ動物の本能であらう。目の前を何か掠めて通るとき急に瞼を閉ぢるような行動と相似てゐる。
安政二年十月二日の江戸大地震に於て、小石川の水戸屋敷に於て壓死した藤田東湖先生の最後と、麹町神田橋内の姫路藩邸に於て壓死した石本李蹊翁の最後は全く同じ轍を踏まれたものであつた。此地震の初期微動繼續時間は七八秒程あつたように思はれる。各先生共に地震を感得せられるや否や、本能的に外に飛び出されたが、はつと氣が付いてみると老母が屋内に取り殘されてあつた。とつて返して助け出さうとする中、主要動のために家屋は崩壞し始めたので、東湖は突差に母堂を屋外へ抛り出した瞬間、家屋は全く先生を壓伏してしまつたが、李蹊は母堂と運命を共にしたのである。東湖先生の最後のありさまはよく人に知られてゐるが、石本李蹊翁のは知る人が少い。翁の令息に有名な石本新六男があり、新六男の四男に地震學で有名な巳四雄教授のあることは、李蹊翁も又以て瞑するに足るといはれてもよいであらう。
われ/\の崇敬する偉人でも、大地震となると我を忘れて飛び出されるのであるから、二階建、三階建等の階下や平家建の屋内にゐた人が逃げ出すのは、尤もな動作と考へなければなるまい。前記の但馬地震や丹後地震の如きは初期微動繼續時間の最も短かつた稀有の例であるので、寧ろ例外とみて然るべきものである。それ故に若し數秒間で廣場へ出られる見込みがあらば、最も機敏にさうする方が個人として最上の策たるに相違ない。唯一つ茲に考慮すべきは火の用心に關する問題である。地震に伴ふ火災は地震直後に起るのが通常であるけれども、地震後一二時間の後に起ることもある。避難の際、僅に一擧手の動作によつて火が消されるようならば、さういふ處置は望ましきことであるが、もし其餘裕なくして飛出したならば、後になつてからでも火を消ことに注意すべきであつて、特に今迄ゐた家が潰れたときにさうである。これ著者がこの項の本文に於て、『但し火の元用心を忘れざること』と附け加へた所以である。