Chapter 1 of 8

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野呂旅人という名の男がいます。そいつはどこにいるか。目下僕の家に居住している。つまり僕と同居しているというわけです。しかしこんな場合、同居という呼び方が正しいかどうか、僕にはよく判らない。貴方も御存知のように、僕は世間知らずの一介の貧乏画家だし、言葉の使用法にあまり敏感なたちじゃありません。でも僕の感じからすれば、同居というのは、同じ権利をもって一家に住みあうこと、一方が他方に従属することなしに住み合うこと、(もし従属すればそれは居候とか間借人などと呼ばれるべきでしょう)そんなことじゃないかと思うんですが、そこらの関係が僕等の間ではたいへん複雑になっているのです。第一この家は一体誰の所有物なのか、僕のものか、野呂のものか、僕等以外の第三者のものなのか、それが全然ハッキリしていないのです。まことに困った話です。

野呂旅人という男は、歳はたしか三十一。背丈はせいぜい五尺どまり。身体も痩せていて、体重も十貫か十一貫というところでしょう。しかしこの男はもっともっと肥る素質はあると思います。なんとなくそんな感じがします。それなのに一向肥らないのは、栄養を充分に摂っていないせいだと、僕はにらんでいます。もっともその点にかけては、僕もあまり大口たたく権利はないのですが。――で、今申したように野呂という男は、ミバも良くないし、頭も切れる方じゃなし、パッとした男じゃないのですが、ひとつだけ外見上の特徴がある。それは疣です。疣というのは辞書を引くと、『皮膚上に、筋肉の凝塊をなして、飯粒ぐらいの大きさに凸起せるもの』とありますが、野呂のは飯粒よりももっと大きい。ゆで小豆ぐらいは充分にあります。それが一つだけならいいのですが、御丁寧にもおでこに三つ、顎に二つ、合計五つの疣が、ちりばめたるが如くに散在しているのです。で、このイボ男が僕と同居している。どういう事情といきさつで野呂が僕と同居することになったか、それを話す前に、先ず家のことについてお話ししたいと思います。

家と言っても、僕が住んでいるくらいだから、大した家じゃありません。アバラ家と言った方が近いでしょう。部屋は三つ。八畳の洋室が中央にあって、四畳半の和室が両側についている。部屋はそれだけです。洋室なんて言うとしゃれた風に聞えますが、まあ何のことはない、ザラザラの板の間です。あとは台所、便所、風呂場など。それに五十坪ほどの庭。それで全部です。たいへん古い家で、僕の推定では少くとも建ってから三十年は経過しているでしょう。雨は漏るし風は入るし、柱はかたむき廂は破れ、形容枯槁して喪家の狗の如く、ここらで金をかけて根本的にテコ入れしなきゃ、大変なことになりそうなのですが、そこはそれ誰の持ち家か判然しないものですから、誰も手出しをせず、ついそのままになっているのです。だんだん梅雨が近づくというのに、まったく憂鬱な話です。

こんなボロ家に、どんないきさつで僕が住み込むことになったか。先ずそれをお話し申し上げたい。

不破数馬という人物がいました。僕はこの男と昨年の春、都電の中で知り合ったのです。

都電の中で知り合ったなんて、ちょっと不思議に聞えるかも知れませんが、話はかんたんなのです。ある日僕が都電に乗っていると、僕の前に不破が立った。わりに混んでいて、僕は腰かけていたが、不破は空席がなくて釣革にぶら下っていたというわけです。もちろんその時、前に立っているのが不破という人物であるとは、僕は全然知らないし、また関心もなかった。同車の乗客に一々関心を持ってたら、神経がすり減ってしまうだけですからねえ。僕は疲れてぼんやり電車に揺られていました。ところが終点近くになって、ふと僕の興味を非常にひきつける現象が、その不破の身辺に起ったのです。

不破の隣りに若い男が同じく立っていました。眼鏡などをかけ、一見サラリーマン風に見える。そいつが夕刊をひろげて読んでいるのです。いや、実際読んでいるのか、ただ拡げてるだけなのか、それはよく判らないのですけれども、その夕刊のかげからその男の手がじわじわ伸びて、時々不破の上衣のポケットをそっと押えてみるらしい。車体の動揺のためかと思ったのですが、それにしては指の動きが不自然だ。スリかな、と思ったけれど、僕は黙っていました。電車はごうごうと走って行く。僕は眼を薄眼にして居眠りをよそおいながら、その手の動きに注意していました。指が女みたいにしなやかに動いて、ポケットの表面を小当りするのですが、なかなか本儀には及ばない。僕は少しずつ胸がどきどきして来ました。こういうことは他人事ながらスリルがあるものですな。それはちょいと魚釣りの気分に似ていました。もう掛かるか、もう掛かるかと、ワクワクしながら観察していますと、その手がとたんにグニャリと平たくなって、するするとポケットに忍び込んだ。次の瞬間、人差指と中指にはさまれて、革の財布が無雑作に引き出されて来たのです。僕の心臓は大きくドキンと脈打って、少々きたない話ですが、不覚にも下半身においてある種の生理現象を、ほんのちょっぴりとではあるが起したくらいです。僕は小さい時から大へん緊張すると、とたんにそういう現象をおこす因果な癖があるのです。黄昏時の車内だし、新聞紙にもさえぎられているし、おそらくそれを見たのは僕だけでしょう。当の不破ものんびりした表情で窓外薄暮の風景などを眺めています。そして財布を抜き取った手の持ち主は、徐々に身体をずらして、出口の方に移動して行くらしい。僕は思わず不破の膝頭をこつんとこづいた。

何故、どんな心算で、僕が不破の膝をこづいたか。正直に言ってそれは社会的な正義感というものではなかったようです。言うならばお節介ですか。そんな気合いだと言った方が正しい。僕は生れつき相当のオセッカイ屋で、他人との関係にもこれなくしては入れなかった。でも、大ざっぱに言えば、人間と人間とを結び合うものは、愛などというしゃらくさいものでなく、もっぱらこのオセッカイとか出しゃばりとかの精神ではないでしょうか。大づかみに僕はそう了承しています。オセッカイこそ人間が生きていることの保証であるという具合にです。それにもう一つ、その時嫉妬の気分も多少は僕にあったらしい。もちろんスリ手の若い男に対してです。あいつだけに旨い汁を吸わしてなるものか。一体目撃者の俺をどうして呉れるんだ、というようなあんばいに。

不破はきょとんとした表情で僕を見ました。そこで僕は腰を浮かして、不破の耳に顔を近づけた。不破の耳たぶは大きかったですな。所謂福耳というやつで、こんな耳の持ち主に悪人はめったにいないと言われています。その大きな耳たぶに、僕が今目撃したあらましを口早に吹き込みました。すると不破の顔がさっと紅潮して、出口の方をにらみつけるようにした。電車は新宿終点に停止しかかっていたのです。

たちまち不破は人混みをかきわけて、出口へ突進しました。つづいて僕も。そして停留場から二十米ぐらいの地点で、その若い男の肩をがっしとつかまえたのです。僕らが追っかける跫音を聞いても、若者は逃げ出そうとはしなかったですな。よほどしたたかな奴だったに違いありません。そいつは肩を掴まれたとたんに、かねて予期した如くひょいと振り返り、財布を両手に捧げ持って、ぱっと最敬礼をいたしました。まるで戦時中の『××に対し奉り最敬礼』とでも言った恰好なのです。ふしぎなものでそうやられると、こちらの気合いがスポッとちぢこまってしまい、不破はその財布をあいまいに受取ってしまった。すると若者は最敬礼のまま四五歩後退し、おもむろに頭を上げ、廻れ右をしてしずしずと彼方に歩き去って行きました。まことに天晴れな進退で、僕らはすっかり気を呑まれて、ただ茫然と見送っているばかりでした。交番にしょっぴくことに思いを致したのは、人混みにまぎれ去った後のことなので、どだい話にもなりません。

しかしそれでも、財布が戻ってきたことだけでも不破は大喜びして、僕に一度御馳走したいと申し出ました。僕もそれを拒む理由はないし、欣然と応諾しました。不破が連れて行ったのは、花園町のあるウナギ屋の二階です。不破は革財布を掌でパタパタと叩きながら、

「どうせすられたものと諦めて、ひとつ今夜は豪勢に行きましょう」

と言いました。そしてその財布から名刺を一枚出して僕に呉れたのですが、それは『不破数馬』と印刷してあった。不破は鼻翼をびくびく動かしながら、自分は不破数右衛門の直系の子孫であると、やや誇らしげに語りました。なるほどいい福耳はしているし、顔付も柔和だし、そんな名門の出であることもまんぞらウソではなかろうと、僕はその時思いました。スリに掏り取られるのも、性根が間抜けなせいでなく、おっとりした人柄のせいに違いない。そう僕は思った。そして僕らはウナギを食べ、酒を飲み始めました。さすが数右衛門の子孫だけあって、不破のはいさぎよい飲みっぷりでした。チョコではなく、コップのがぶ飲みです。すっかり意気投合して大いに飲み、ふと気がつくともう十二時近くです。僕はびっくりして立ち上った。当時僕の家は八王子にありまして、早いとこ行かねば電車がなくなってしまうからです。

ところが不破数馬はがぶ飲みの故か、俄かにがたっと参ってしまって、畳に伸びてしまった。ねえさんが勘定書を持って来ても、ぐにゃぐにゃしてさっぱり正体がない風なのです。仕方がないから僕が不破のポケットを探って、ずっしりふくらんだ革財布をつまみ出し、それをあけて見ますと、現金はたった二百二十五円しか入っていない。ふくらんでいるのは古ハガキを五六枚折り畳んで押し込んであるせいで、その一枚をちょっと拡げて見たら、都民税か何かの督促状のようでした。督促状じゃ仕方がありません。そこで僕は渋々自分の財布を取出して、勘定の決着をつけました。そしてひとりで帰ろうとすると、この伸びた男も連れて帰れと女中が強硬に言い張るものですから、余儀なく不破をひっかつぐようにしてハシゴ段を降りた。降りて外に出ると、不破はすこし正気を取戻したようで、自分を送りがてら家に泊りに来いと言う。時刻からみて八王子行きの終電は出たあとらしいし、僕も少々酔ってどうでもいいような気分になっていたし、即座に不破の家に泊りに行くことに決め、タクシーを呼びとめました。不破の家は京王線の代田橋駅の近くにあるのです。僕らを乗せた小型タクシーは、たんたんたる月明の甲州街道をひた走りに走り、とある横丁に折れて一町ばかり行き、そして不破家の門前で停止しました。そのタクシー代も僕が支払いました。この不破家が現在僕が居住しているところの家なのですが、夜のことではあるし、またさんさんたる月光の下では、そんなボロ家屋には見えず、結構ひとかどの邸宅に見えましたな。門を叩くとやがてごとごとと寝巻姿の不破夫人が出て来た。どうも夫人の方が不破より年長のようで、不破を四十ぐらいとすると、夫人は四十五歳ぐらいに見えました。無愛想に門をあけ、僕らを見てもおどろいたような顔もせず、さっさと引込んでしまいました。その夜僕は東の四畳半で、不破と同じ布団に寝ました。夫人は西側の四畳半です。

それから夜が明けて、朝飯を御馳走になりました。朝になって見るとさすがにボロ家で、それに感心したことは家財道具がほとんど無い。全くがらんとしているのです。布団や食器類、そんなぎりぎりの生活必需品だけで、あとは何もない。チャブ台すらないのです。僕らは茶碗を畳にじかに置いて、朝餉をしたためました。四辺を見廻しながら、ずいぶんサッパリしておりますな、と僕が感心して見せたら、自分は物に執着を持たないたちだという意味のことを、不破はにこにこしながら説明しました。夫人は終始仏頂面で飯をかっこんでいました。酔った翌朝のことですから、味噌汁が非常においしかった。またつくり方も上手でした。旨い味噌汁をつくる女は世帯持ちがうまい、そういうことをよく耳にしますが、そうだとすればこの不破夫人は、仏頂面はしてても、きっとやりくりが上手に違いありません。僕はそのワカメの味噌汁を三杯もお代りをしました。

このがらんとしたボロ家に、不破と夫人と二人だけで住んでいる。もったいない話だ。では、半分僕に貸してやろうという話が、どんなきっかけから起ったのか、僕はもうほとんど覚えていません。どちらから言い出したのか、それも忘れてしまった。しかし僕は当時八王子の親爺の家に住んでいたのですが、東京には遠いし、また八王子の家は手狭で画を描くにも不便だし、いずれは東京で部屋を借りて独立しようという気持はあったのです。この家の八畳の板の間なら、アトリエとして充分に使える。それに不破もおっとりした柔和な性格だし、夫人も無愛想ではあるが意地悪なひとではないらしい。万事好都合なわけですから、たちまち話はまとまりました。

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