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ボロ家の春秋
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ボロ家の春秋
梅崎春生
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Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 8 of 8

8

「鼠をもっと取れ。努力が足りないぞ。このやくざネコ!」

と叱声を上げました。これは鼠を取らないためのお仕置と見せかけるためのごまかしなのです。その帆布製リュックサックは、僕がまだ野呂と仲が良かった頃、油絵具を使用して模様を描いてやったやつなのです。鼠をもっと取れだなんて、どうして猫に言葉が判るわけがありましょうか。これひとえにネコに帆布の感触と油絵具のにおいを覚えさせ、その条件さえ与えればすぐ爪を立てるようにと、猛訓練をほどこしているのに違いありません。だからネコは僕の部屋に入ってきて、油絵具を塗ったキャンバスを見ると、もう夢中になって爪を立てるのです。何という卑劣な嫌がらせでしょう。

そこで僕も自衛上余儀なく、新宿のガード下に出かけ、チョンマゲを結った変な爺さんから、竹製の孫の手を三本買い求めて来ました。可憐なる小動物を虐待する気分は毛頭ないのですが、キャンバスに爪を立てられてはこちらも上ったりです。そして僕の部屋にネコが入ってくると、間髪を入れず手近の孫の手をつかみ、ネコの頭をコツンと殴る。ネコはキャッと叫んで遁走する。十日間ほどその行事を続けたら、ネコはもう孫の手を見ただけで、さっと逃げて行くようになりました。外出する時でも、孫の手を鴨居から並べてぶら下げて置くと、ネコはそれをおそれて僕の部屋には入ってこないようです。

長々とおしゃべり致しましたが、昨年春から現在にいたる悪戦苦闘のかずかずは、以上の如くほんとに涙なくしては語れません。現在とても、最後的破局が明日来るか、一週間以後に来るか、あるいは現在のにらみ合いの状態がまだえんえんと続くか、皆目見当もつかない有様です。全くおかしなものですねえ。僕ら二人は同じ被害者であり、現在でもある意味では同じ脅威にさらされているわけなのに、二人の努力はその脅威を取りのぞいて平和を取戻す方向にはむけられず、お互いを傷つけ合うことばかりにそそがれているのです。たとえば不破数馬が奄美大島において権利書を第三者に転売したらどうなるか、そして万一差押えのやりくりがうまく行かなかったらどうなるか、僕ら二人は風の前の塵の如く、第三者によってもろにこの家から追い出されてしまうでしょう。僕ら二人はお互いに対しては意地を張って頑強にねばるが、もともと二人ともひとりよがりの世間知らずなので、他人に対しては全然無抵抗と言っていいほど弱いのです。現に不破や陳根頑や孫伍風から、僕ら二人は赤児の手をひねるように軽くイカれた前歴があるわけですから、今後何か起っても同じコースをたどるでしょう。

では、現在の状態がえんえんと続いて行く場合はどうなるか、それを強く望んでいる人物が一人います。それは僕らの家の地主です。僕らの家の界隈は同一の地主で、百姓タイプの眼のぎょろりとした四十がらみの男です。この男が地代を徴収に時をきめてやって来るのですが、来るたびに地代の値上げを要求する。これは野呂に相談するまでもなく、その都度僕がことわっているのですが、この男が二人のにらみ合いの状態の続行を望んでいるのです。なぜ望むかと言えば、先に申し上げた如くこの家はこわれかかったボロ家で、早いとこ補強工事をしない限り、地震か台風かで早晩居住できなくなるでしょう。二人がにらみ合っている限りは、家の根本的な補強工作は成立しない。せいぜいめいめいの部屋の雨漏りを直す程度で、それ以上のことはやらないでしょう。そうなれば家の崩壊の時期は早くなります。その崩壊の時期の一刻も早く近づくことを、この地主は切に待っているのです。崩壊さえすれば、もう彼は僕らに新築は許さないでしょう。地所を他に高く売り払うか、万一新築を許すとしても莫大な権利金を要求するにきまっています。そんな風なことをこの地主が近所のある家で話して行ったことがあるらしく、そこの奥さんがある時僕に向って、早く補強工事をしないと損ですよ、という意味のことを遠廻しに忠告してくれました。僕もそうした方がいいとは思うのですが、なにしろ相棒が野呂のことですからねえ。修好を回復して団結してことに当ろうじゃないかなどとは、今までの行きがかり上僕からも言い出せないし、言い出したとしても野呂はその提案をせせら笑って一蹴するにきまっています。もう僕らの憎み合い、嫌がらせのし合いは、すでに業の域に達していて、他人の言葉が耳に入る段階をはるかに通り過ぎているのです。まったく因果なことですが、もう仕方がありません。行くものをして行かしめ、亡びるものをして亡びしめよ。こういう悲壮な心境をもって、この日常のするどい緊張裡に、僕らは毎日生きているのです。御憫笑下さい。

●図書カード

Chapter 8 of 8
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