Chapter 1 of 31

腹話術

小学校六年生の宮本ミドリちゃんと、五年生の甲野ルミちゃんとが、学校の帰りに手をひきあって、赤坂見附の近くの公園にはいっていきました。その公園は、学校とふたりの家とのまん中ほどにある、千平方メートルぐらいの小さな公園で、みどりの林にかこまれ、三分の二は芝生、三分の一は砂場になっていて、砂場のほうには、ぶらんこやすべり台、芝生のまわりには、屋根のあるやすみ場所や、ベンチなどがあります。

いつもは、ぶらんこやすべり台で、たくさん子どもが遊んでいるのですが、その日はどうしたわけか、ひとりも子どもの姿が見えません。芝生のほうもがらんとしてだれもいないのです。

「まあ、さびしいわねえ。きょうはどうしたんでしょう?」

ミドリちゃんが、ふしぎそうにいいました。ミドリちゃんはからだも大きく、ふっくらした顔の色つやがよくて、快活な、しっかりした子でした。

「でも、あそこにふたりいるわ。おじいさんと、小さな子どもと……。」

ルミちゃんが、そのほうを指さしました。

ルミちゃんは、ミドリちゃんにくらべると、ずっと小がらで、人形のようにかわいい顔をしていました。

「あら、ほんと。あんなすみっこにいるもんだから、気がつかなかった。あのおじいさん、すばらしいひげね。」

なんだかやさしそうなおじいさんなので、ふたりは、つい、そのほうへ近づいていきました。

大きな木の下のベンチに、みごとな白ひげを、胸にたらしたおじいさんが、ちょこんと腰かけていました。灰色の背広をきて、小さな鳥うち帽をかぶっています。その鳥うち帽の下から、まっ白な毛がふさふさとたれ、まゆも口ひげも、長いあごひげも、みんなまっ白です。

そのおじいさんの膝に、五つか六つぐらいの、かわいい男の子が腰かけています。その子は、あらいこうしじまの背広に、同じがらの鳥うち帽を、かぶっていました。ほおがリンゴのように赤くて、大きな黒い目をくりくり動かしています。

ふたりの少女が、手をつないで近よってくるのを見ると、白ひげのおじいさんは、にっこり笑いました。黒いふちのめがねの中から、ほそい目が、やさしそうに光っています。

「ほら、かわいいおねえちゃんがいらっしたよ。坊や、お友だちになっていただくかい?」

おじいさんが、ひざの上の男の子にいいました。

すると、坊やの黒い目が、くるくると動き、赤い口が、ぱくぱくと、ひらいたり、とじたりしました。

「うん。ぼく、こっちのおねえちゃんがすきだよ。」

かん高いきいきい声です。それにしても、この坊やの口と目は、なんて大きいのでしょう。赤いくちびるを、ぱくぱく動かすと、まるで、耳までさけるように見えます。かわいいけれども、へんな子です。

「こっちのおねえちゃんて、この子かい?」

おじいさんが、ルミちゃんのほうを指さして見せました。

「うん、そうだよ。」

坊やが、きいきい声で答えました。

「ハハハ……。ぼうやが、あなたがすきだっていいます。あなた、なんてお名まえ?」

おじいさんが、笑いながらたずねました。

ルミちゃんは、すきだといわれたので、ポッと顔を赤くして、はずかしそうに答えました。

「甲野ルミっていうの。」

「おお、ルミちゃんだね。いい名だ。わたしは、青山にすんでいる黒沢というものですよ。坊や、このおねえちゃんはね、ルミちゃんだよ。」

「うん、ルミちゃんと、握手しよう。」

坊やが大きな口を、ぱくぱくさせました。

「ハハハ……。坊やが、あなたと握手がしたいんですって。」

坊やは、小さな手を、グッとこちらへさしだしました。

じぶんをすきだといってくれたので、ルミちゃんのほうでも、このかわいい坊やがすきになってしまいました。それで、右手を出して、坊やの小さな手をにぎりました。

おやっ、なんというつめたい、かたい手でしょう。坊やの手は、まるで木でできているように、ちっとも、うごかないのです。こちらがにぎっても、にぎりかえしもしないのです。ルミちゃんはびっくりして、手をはなしました。

そして、へんな顔をして、坊やをじっと見つめています。この坊やは、いったい、生きているのでしょうか。木かなにかでこしらえた、人形ではないのでしょうか。すると、おじいさんが、さもおかしそうに笑いだしました。

「ハハハ……。やっと、わかったかね。この坊やは人形なんだよ。ジャックという名だよ。わたしのだいじなかわいい人形なのさ。」

「ああ、わかった。おじいさんは腹話術師なのね、坊やのかわりに、おじいさんが、口を動かさないで、子どもの声でしゃべっていたのでしょう。」

ミドリちゃんがいいあてました。いつか、パパとママといっしょに寄席へいったとき、腹話術を見たことがあったのです。でも、そのときの人形は黒んぼうの人形で、はじめから人形ということがわかったのに、おじいさんの人形は、ほんとうの坊やのようによくできているので、いままで気がつかなかったのです。見れば見るほど、まるで生きているような人形です。

「そうだよ。よくわかったね。ふつうの腹話術の人形とちがって、これは、わたしがたんせいしてこしらえた、上等の人形だから、なかなか見わけがつかないのだがね。あんたは、りこうなおじょうさんだね。なんていう名?」

「宮本ミドリっていうの。それじゃあ、このお人形、おじいさんがつくったの?」

「うん。わたしは人形師なんだ。人形をつくるのが本職だよ。腹話術は、ちょっと、なぐさみにやっているだけさ。しかし、なかなかうまいだろう?」

「ええ。この坊やが、ほんとうにしゃべっているように聞こえたわ。」

「こうして、わたしの右手が、人形の服の下から背中へはいっているのだよ。人形の首にしかけがあって、指でそれをひっぱると、目が動いたり、口をぱくぱくやったりするのだ。ほら、ごらん! またしゃべりだすから……。」

おじいさんがそういったかと思うと、坊やの目がくりくりと動き、赤い大きな口が、ぱくぱくしはじめました。

「ルミちゃん、ぼくと遊ぼうね。ぼく、ルミちゃんがとてもすきだよ。ミドリちゃんは、そんなにすきじゃない。だから、ぼく、ルミちゃんに話すんだよ。ね、ぼくのおじいちゃんは人形をつくる名人なんだよ。おじいちゃんの家にはね、ウジャウジャ人形がいるんだよ。おとなの男もいるし、女もいるし、おじょうさんもいるし、ぼくみたいな子どもも、たくさんいる。それから、動物だっているんだよ。クマや、サルや、犬や、ネコや……。」

そういうたびに、かんじょうをするように、大きな目を、くるっ、くるっと動かします。ほんとうにかわいい坊やです。

ルミちゃんは、その顔を見ていると、人形だとわかっていても、やっぱり、坊やがすきでたまりませんでした。それに、白ひげのおじいさんが人形づくりの名人だと聞くと、このおじいさんもすきになり、おじいさんの家にある、たくさんの人形が見たくなりました。

「美しいおねえさまの人形もあるの?」

「うん、あるよ。ゆうぜんのふり袖を着て、きんらんの帯をしめた、うっとりするようなおねえさまがいるよ。そして、そのおねえさまが、やさしい声で歌をうたうんだよ。」

「まあ、歌をうたうの? 人形が?」

「うん。ぼくのおじいちゃんは名人だからね。機械じかけの人形をつくるんだよ。歌もうたうし、ものもいうし、歩くこともできる。おじいちゃんの人形は、みんな生きているんだよ。ぼくだって生きているだろう?」

ルミちゃんは、坊や人形の話を、目をかがやかして聞きいっていました。もう、おじいさんの家の人形が見たくてしょうがないのです。

そのときミドリちゃんが、「ちょっと。」といって、ルミちゃんの手をひっぱって、すこしはなれたところへつれていきました。

「ね、もう帰りましょうよ。ものをいったり歩いたりする人形なんて、なんだか気味がわるいわ。ね、帰りましょうよ。」

ミドリちゃんがささやきましたが、ルミちゃんは、いうことをききません。すっかり、おじいさんがすきになってしまったからです。それに、坊や人形が、ルミちゃんだけすきだといったので、ミドリちゃんは、やきもちをやいて、いじわるをいっているのだと思いました。

「あたし、もっと坊やのお話を聞きたいわ。ミドリちゃん、さきに帰ってもよくってよ。」

ルミちゃんはそういって、ミドリちゃんの手をふりはらって、ベンチの前にもどりました。

ミドリちゃんは、しかたがないので、しばらく待ってから、また、はなれたところへルミちゃんをひっぱっていって、帰るようにすすめましたが、ルミちゃんは、どうしてもいうことをききません。とうとう、けんかになってしまいました。

「じゃあ、あたし、さきに帰るわ。」

ミドリちゃんはそういって、さっさと公園の外へ出ていくのでした。

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