青褪めた顔
すると、ドアが細眼に開いて、そこから物怖じしたような二つの眼が覗いた。
「東京から参りました。御主人にお取り次ぎ下さい」
と、苦笑しながら名刺を出した。
相手は無言で、細い白い手を差延べてその名刺を受けた。と思うと、急にさッとドアを開けて、さも待ち焦れてでもいたように、息まではずませて、
「どうぞ、先生、お入り下さいませ。よくいらして下さいました!」打って変ったような人懐い態度で迎えた。
洋子は一目で、それが評判の美人、有松の養女美和子だと分った。十七八位だろうか、凄いほどの美しさだが、何分にも青褪めてまるで病人のようだ。しかも、彼女は小刻みにぶるぶると体を震わし、唇のあたりには微かな痙攣さえ見える。これはただごとではない、と直感したので、
「お嬢様、どうかなすったんですか?」優しく言うと、美和子はもう我慢がしきれなくなったというように、突然声をあげて泣き出した。
「どうなさいました? お父様の御病気でもお悪いのですか?」
「いいえ。父が――、あの父が――」
「お父様が?」
「あの――、亡くなりましたの」
「えッ? いつ?」
長距離電話で声で聞いたのは、まだ四五時間前の事だ。洋子もこの急変に驚いてしまった。
「それが分らないんですの。私――、ちっとも知らずに――、お書斎へお茶をいれて持って行ったんですの」と云いかけて、美和子は怖しそうに身を震わし、
「父は机の前に俯伏せになって――、死んで居りました。四辺は一面の血――」
「咯血なすったの?」
「いいえ。たぶん泥棒に――、心臓に短刀が刺っていました。――私は夢中でその短刀を抜き取りましたの、すると急に血が吹き出して、私の手も、腕も、袖も、血だらけになってしまい――」
洋子は終りまで聞いていられなかった。美和子に案内させ、主人の書斎へ馳けつけた。
室内はすっかり荒され、散乱した書類の中に、有松は朱に染って倒れていた。その右手にはピストルがかたく握られてあったが、彼は引金をひく前に、心臓を刺れたものらしかった。美和子が抜き取ったという短刀は床の上に投げ出されてあった。
「警察へお知らせになりましたか?」
「いいえ、まだ――、だって、誰も居りませんの。私一人きりで――、どうしたらいいかと途方に暮れているとベルが鳴ったので、竦んでしまいました。泥棒がまた来たのかと思ったもんですから、恐くって――、とてもお玄関へ出られませんでしたの。――でも、ほんとに嬉しゅうございました、先生がいらして下すって、私は助かりましたわ」
「お女中さんは?」
「町へ買物に参りました。もう帰るだろうと思いますけれど――」
何も知らないこととは云え、短刀には美和子の指紋が着いたであろうし、偶然ではあろうが、女中は買物に出掛けて不在、家の中には美和子一人しかいなかったとなると、その結果はどういう事になるのだろう。犯人が証拠でも残して去ってくれない限り、嫌疑のかかるのは当然だった。
洋子は第一にそれが心配になった。しかし、美和子はそんな事よりも、父が殺害されたという事で気が顛倒しているらしく、洋子が警察へ知らせに行こうと云うと、慌てて引き止め、
「先生、どこへもいらっしゃらないで――、どうぞ、私の傍にいらして下さいませ。後生ですから――」手に縋りついた。
「じゃ、私が留守番していますから、お嬢様行っていらっしゃい」
家に居残るよりも、その方がいくらか恐しくなかったと見えて、美和子は直ぐに外へ馳け出した。
検屍の結果、殺人の行われたのは午後六時から七時の間であるとの事であった。その時間に家にいた者は美和子一人である。
女中は係官の前でこんなことを云った。
「最近の旦那様は非常な気難しさで、始終いらいらして、夜もおちおちお眠りになれない御様子でした。ニュースを聞いていらしたかと思うと、突然顔色を変え、東京から急に大工を呼び寄せて戸締りを直させたり、ちょっとした物音にも脅えて、まるで誰かに狙われてでもいらっしゃるようでした。今日は朝から大不機嫌で、お嬢様に当り散し、聞くに堪えない悪口を浴びせかけたので、お温順しいお嬢様も我慢がお出来にならなかったと見え、遂いに大口論となりました。旦那様は恐しいお声で、美和子は俺を殺す気だな、とか、いつかは俺はお前に殺されるだろうとか仰しゃっているのが聞えました」
係官の眼は等しく美和子にそそがれた。しかし、彼女はその六時と七時の間には二階の自分の部屋で手紙を書いていたと云った。
なるほど書きかけのレター紙が机の上に置いてあった。それにはこんなことが書いてあった。
「私はお世話になるべからざる人のお世話になっていることの苦痛に、もはや堪えられなくなってしまいました。
私の亡き父と無二の親友の養父が、突然両親に死別し孤児になった私を引取って、今日まで育てて下すった御恩、それを思うと、反抗してはすまないと思いますが――、一言目には有松家の財産を私が狙っているように云われるのも辛く、私の顔が母に似ず、段々亡父に似てくるので養父はひどく厭がって、時には眼を覆うて私の顔を見ないようにしたりするのも辛うございます。親友なら懐しそうなものですのに、何故厭がるのだろうと思うのですが、また考えてみれば、それは当然の事でもあります。だって、亡父は母を殺害し、入牢中に発狂して自殺した人なんですもの。どういう動機で父が母を殺すようになったのかよく分りませんが、非常な感情家で、激し易かったそうですから、単純な動機からついそんな大罪を犯してしまったのではないかと思います。
余りにも母を愛する結果、ひどく独占的になり母が、ちょっと男の人と話していても怒ったのを覚えています。熱し易く、怒りっぽいが、直ぐまた上機嫌になるような性質でした。それがまた私にそっくりだそうです。私も怒ったが最後、随分乱暴をしますよ。今日なんて、私は半日気狂いのようになりました。何故って、養父は自分の置き忘れを棚に上げて、ネクタイピンが紛失したと云って私に疑いをかけ、ひどくせめられました。盗んで逃げる積りだろうッて、そして最後には、氏より育ちというがやはり両親が両親だからなアって云いました。
私はその一言でカッとなり、そこにあった一輪ざしを床の上に叩きつけました。無論心の中では養父に投げつけたのですが――。養父は眼をむいて、私を打ちました。投げつけた一輪ざしで私は散々打たれて、痣だらけになりました。
私はもう今日限りこの家を出ます、そしてタイピストになって働く決心をしました。働いて自活します。針の蓆に座っているより、荊棘の道を勇敢に掻き分けて進みます。養父に云わせると私の父は気狂いだったそうですから、私も今に気狂いになって何を仕出かすか分りません。養父の恐怖病も私がいなくなったら全快するでしょう、心密かに私を怖れているもののようですから。私もまた養父が怖しい――」
手紙は参考として押収され、美和子はその場から連行された。