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死の快走船
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死の快走船
大阪圭吉
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Chapter 3 of 6

三

東屋氏は大きな方の石を、私は小さな方の石を、お互に重そうに抱えて、崖道を登りはじめた。軽く吹き始めた潮風が、私達の頬を快く撫で廻す。下男の早川は、ヨットの艫綱を岩の間の杭に縛りつけたり、船小屋からシートを取り出してヨットの船体へ打掛けたりしていたので、私達よりもずっと遅れてしまった。

私達が崖道を半分ほども登った時に、深谷家の女中が馳け下りて来て、仕度が出来たから昼食を認めるよう申出た。

ところが東屋氏は、早速彼女をとらえて短刀直入式に質問を始めた。

「こちらの御主人は、いつも夜中に海へ出て、いったい何をされるんですか?」

「さあ……」

と彼女は驚いたように眼を瞠りながら、

「でも、夜中にヨットへお乗りになるのは、キャプテンの御趣味なんですもの……」

「随分変った趣味ですね……貴女も、お供をしたことがありますか?」

「ええ、暫く以前のことですが、一度ございます……綺麗な、お月夜でございました」

「ただこう、海の上を帆走り廻るだけですか?」

「ええ。でも素晴らしい帆走ですわ」

「お月様でも出ていればね」

と東屋氏は話題を変えて、「時に、昨日の夕方、他所からのお客さんはありませんでしたか?」

「夕方ですか? ええございませんでした」

「黒塚さんは?」

「あの方は九時過ぎでした」

「電話は?」

「電話? ええ、掛りません。あの電話は、殆んど飾りでございますわ」

「昨夜御主人は、なにを心配して見えたんですか?」

「え?……さあ、少しも存じません。なんでも大変、お顔の色は悪うございましたが――」

彼女は不審気に東屋氏を見た。

「では昨夜は、誰れと一緒にヨットへ乗られたんですか?」

「いいえ、キャプテンお独りだけでございました」

「何時頃出られたんです」

東屋氏は益々執拗だ。

「さあ、存じませんが……早川さんと私は、それぞれお先へ寝まして戴きましたので――」

「ではどうして、キャプテン独りで出られたのが判ったのです?」

「それは……」と彼女は明かに困った風で、「でも、ヨットは今朝、キャプテン独りだけで漂っていましたので」

東屋氏は一息つくと、改めて云った。

「キャプテンは、随分変った方でしたね?」

「ええ。風変りでいらっしゃいました。……そして、なんでも『これは儂の趣味じゃ』と被仰るのが口癖でございました」

やがて私達は、崖道を登り詰めた。

「物置のある別館と云うと、あれなんですね?」東屋氏は岬の最尖端の船室造りの建物に向って、歩きながら言葉を続けた。

「もう少し、私と話をして下さい」

「はい」

彼女は仕方なさそうについて来た。

「あの黒塚さんと云う方は、どう云う人ですか?」

「ああ黒塚様ですか」と彼女は幾分元気づいた様子で、「なんでもあの方は、以前キャプテンの乗っていらした汽船で事務長をなさっていらっしゃるとかで、休航毎にああしてお遊びに来られます」

「御年配は?」

「さあ、四十位? と思いますが……まだお独身で、快活なお方ですから、キャプテンよりもむしろ奥様や洋吉様とお親しい様子で……」

「ああその洋吉さんと云う方は、奥さんの御舎弟ですってね」

「ええそうです。チョコレートのお好きな、随分モダーンな方で、この春大学を御卒業なさってから、ずっとこちらにいらっしゃいますわ」

「チョコレートが好き?」

私は瞬間、先程の下男の言葉を思い出して、思わず口を入れた。「それで、昨夜何時頃に寝まれましたか? 洋吉さんは」

「昨夜ですか? 存じません。なんでも黒塚様と御一緒に、久し振りだからって随分遅くまで御散歩のようでしたので――」

恰度この時、下男の早川が私達に追いついて来た。そしてもう別館の物置の入口まで来ていた私達へ、

「秤は此処にございます。一寸お待ち下さい」

そう云ってポケットから鍵を取り出した。

東屋氏は女中へ云った。

「いや、もう結構です。有難う」

そこで彼女は、ほっとしたように急いで、主館の方へ引返して行った。そして間もなく私達は物置の中へはいって、銘々に秤へ懸りはじめた。

先ず東屋氏が五六・一二〇瓩、次に私が五五・〇〇〇瓩、下男の早川が六五・二〇〇瓩。二つの石は合せて一四・六〇〇瓩。そして合計一九〇・九二〇瓩。――

東屋氏は、以上の数字をノートへ記入しながら、

「合計一九〇・九二〇瓩と、さあよし。つまりこれが、昨夜の白鮫号に加えられた、最高の重量と云うわけだ。……じゃあここらで、昼食にありつくとしようか」

そこで私達は物置の外に出た。けれども東屋氏は、物置の直ぐ右隣のスマートな船室風の室を見ると、思いついたように早川へ云った。

「これが、キャプテンの書斎ですね?」

「ええそうです。船室、船室と呼んでいる特別の室でございます。やはりキャプテンの御趣味に従って七、八年前に建てられたものでして、お許しがなくては誰でも這入れないことになっております」

「成る程、じゃあもう、永久に這入れないわけですね」

東屋氏は皮肉を云いながら歩き出した。

「ローンジを兼た美しい主館の食堂では、窓に近い明るい場所にテーブルを構えて、深谷夫人と黒塚、洋吉の三人が、悲嘆のうちにも、もう和やかな食事を始めていた。そこで私達も席について気不味さを避けるように窓の外の美しい景色を眺めながら、人々の仲間に加わった。

ここから見ると、海の姿は一段と素晴らしい。遠く左の方には薄紫色の犬崎が、私達の通って来た海岸へ続くのであろう、この大きな内海を抱きこむようにして、漂渺たる汀を長々と横えている。向って右側には、油を流したような静かな内湾地帯だ。幾つもの小さな岬が重なり合った手前には、ひときわ目立って斑な禿山のある美しい岬が、奇妙に身を曲ねらして海の中へ飛出している。凡て右側の湾の多い陸地は、深い山が櫛の歯のように海に迫り、蜘蛛の子を散らしたような磯馴松が一面に生い茂っている。この邸以外には人家らしいものとてなく、見渡す限り渺茫たる海と山との接触だ。青い、ぼかし絵のようなその海を背にして、深谷氏の船室が白々と輝き、風が出たのか白い柱の上空を、足の速い片雲が夥しく東の空へ飛び去っていた。

やがて食事が済むと、紅茶のカップを持ったまま、窓の外を見ながら東屋氏が口を切った。

「あの柱は、何になさるのですか?」

「あああれは、汽船の気分――を出すためとか申しまして」

夫人が物憂げに答えた。「あれも主人の、趣味でございます」

「尖端の方に妙な万力が吊るしてありますな?」

「ええ、そう云えば、時にはあの尖端に燈火を点けることもございました……年に一度か二度のことですが、なんでも、いつもより少し遠く、沖合まで帆走する時の、目標にするとか申しまして……」

「ははあ」

と東屋氏はいずまいを改めて、

「いや、随分いい眺望ですなあ」

「お気に召しましたか?」

洋吉氏が口を入れた。

「いや、全く美しいです。こんな美しい海岸でしたら、穢い泡などが浮き溜っているようなところはないでしょうなあ?」

すると洋吉氏は、

「いや。ところがあるんですよ」

と窓の外を指差しながら、「ほら、あそこに、静かな内湾のこちらに、妙に身を曲ねらした、処々に禿山のある岬が見えますね。あの岬は鳥喰崎と呼ばれていますが、あの先端の向う側が、一寸鉤形に曲っていて、そこに小さなよどみと云いますか、入江になった吹き溜りがあります。その吹き溜りには、濃い茶褐色の泡が平常溜っています……去年の夏水泳をしながらあの中へはまり込んで、随分気味の悪い思いをしましたから、よく覚えていますよ」

「ああそうですか。……時に貴方は、大変チョコレートがお好きだそうですな?」

このぶっきら棒な質問には、明かに洋吉氏も驚いたと見えて、複雑な表情をして東屋氏を見返した。

「ああ、いや」と東屋氏は妙な独り合点をしながら、「実は今朝、ヨットの中にチョコレートのチューブがあったそうですので、私はまた、貴方が昨晩……」

「冗談じゃあない」

洋吉氏が流石に色をなして遮った。「成る程私は、チョコレートが好きです。が、あれは、昨日の午後に、姉と二人で帆走した時の残りものです。昨夜は、僕は黒塚さんと一緒に、おそくから山の手を散歩していたんです」

「ははあ、ではその御散歩中、ひょっと怪しげな人間に逢いませんでしたか?」

「逢いませんでしたよ」

と今度は、いままで黙って巻葉を燻らしていた黒塚氏が乗り出した。

「では、海の上に、白鮫号は見えませんでしたか?」

すると黒塚氏は、口元に軽く憫むような笑いを浮べながら、

「なにぶん闇夜で、生憎薄霧さえ出ましたからね……」

そこで東屋氏も笑いながら、

「お風邪を召されませんでしたか?」

とそれから急に真顔になって、「ところで、大変あつかましいお願いで恐縮ですが、貴方と洋吉さんのお二人に、一寸お体を拝借したいんですが?」

「よろしいですとも……だが、なにをなさると被仰るんです?」

「あの物置の、秤に懸って戴きたいです」

「と被仰ると……いったい又なんのためにそんな事をなさるんですか?」

「ええその、この事件に就いて、少しく愚案が浮びましたので……」

「はて? 少しも合点がいきませんな……我々の体を天秤へ乗っける――?」

「つまりですな……犯行当時の白鮫号に、人間が合計三人以上、正確に云えば、一九〇瓩強の重量が乗っかっていた、と云う私の推定に対する実験のためにです」

「ど、どうしてそんな事が断定出来たのですか?」

「先程拝見しました白鮫号の白い舷側の吃水線から、一様に五吋程の上のところに、水平な線に沿って、茶褐色の泡の跡が残っております。でこの五吋の開きは、正確な計算によりますと、約一九〇・九二〇瓩の積載重量の抵抗、白鮫号の浮力に対する抵抗を証明しているのです」

すると黒塚氏は軽く笑い出した。そして、冷やかな調子で口を入れた。

「成る程ね。しかしわれわれ玄人側から見ると、貴方のそのお考えには、少々異論が出ますな……」

東屋氏の顔が心持緊張した。私もついつり込まれて、思わずテーブルの上へ乗り出した。

「貴方はローリング、つまり横揺れを考慮に入れていない」と黒塚氏が始めた。

「御承知の通り、このローリングは、どんな船でも多少にかかわらず必ず作用するものでしてね。で、この場合、空の白鮫号の吃水線上五吋のところに泡の線が着いていたにしても、それをもって直に九〇瓩強の重量が積載されていたと断定するのは、甚だ早計な観測だと思うのです。と云うのは、たとえそれだけの重量の抵抗がなかったとしても、ローリングによって船が左右に傾けば、その角度の大小に従って舷側の吃水線は上下します。そしてもしも海上に泡が浮いていたとすれば、幾度か上下した吃水線のうちの最上の線に沿って、その泡は残ります。つまり空の船が水平に浮かされた場合の標準吃水線以上の位置に、貴方の見られた、第二の別な、泡の吃水線が、何にも乗らなくても、ローリングで作られるのです。成る程あの吹き溜りでは、波はなし、岬の陰で風も少い訳ですから、縦揺などはしないでしょう。が、ローリングは、多少にかかわらず必ずいたします。ですから支那の司馬温公みたいに、池に舟を浮べて象の重さを計るような具合には行きませんぜ。貴方の一九〇瓩説は、少々早計でしたな」

そう云って黒塚氏は、葉巻の吸い差しを銀の灰皿の中へポンと投げこんで、両腕を高く組みあげた。

成る程流石に専門家だけあって、論説もなかなか行き届いている。私は急に心配になって東屋氏の形勢を窺った。ところが東屋氏は一向に平気で、安心したように緊張を解くと、静かに始めた。

「大変有力なお説です。だがここでひとつ、私の素人臭い反駁をさして貰いましょう。でその前にもう一度申上げて置きますが、あの泡の吃水線は、白鮫号の船体の周囲、舷側全体に亘って同じ高さを持っているのです。つまり泡の吃水線は船首も船尾もどの部分も一様に水平であって、少しの高低もないのです。――で、私の考えとしましては、只今被仰ったローリングの作用には、原則として必ず中心となる軸、と云いますか、まあこの場合白鮫号の船首と船尾を結ぶ線、首尾線とか竜骨線とか云う奴ですね、とにかくその軸がある筈です。でもし、貴方の被仰ったように、あの泡の吃水線が積載された一九〇瓩強の重量の抵抗によって出来たものではなく、ローリングによって標準吃水線以上の位置に出来たものであるとすれば、そのローリングの軸である船首と船尾の吃水線は、左右の舷側の吃水線に較べて、必ず低くなければならない筈です。逆に云えば、両舷側の泡の吃水線は、軸の両端の船首と船尾を遠去かるに従って高くなる訳です。ところが、再三申上げた通り、白鮫号の吃水線はどの部分にも高低がなく、一様に水平を保って着いているのです。なんでしたなら、これからひとつ実地検分を願っても好いです。で、この論点からして、失礼ですが、あの泡の跡がローリングによって出来たものであると云うお考えを否定しなければなりません。もっとも私は、白鮫号が決してローリングしなかったとは思いません。現在残っている泡の線を壊さぬ程度の横揺はあったでしょう。しかし、比較的波の多いこちらの海へ漂流して来る間に、ローリングをして尚且つ泡の線が殆んど全体に亘って無事でいられたのは、その吹き溜りで白鮫号が、すっかり空になり、急に軽くなって、吃水が浅くなったからです」

「……ふん、理窟ですな」

黒塚氏は口惜しそうに呟いた。

「では、先程のお願いを、お聞入れ願いたいと思います」

そこでとうとう、二人は秤に懸ってしまった。

先ず黒塚氏が六六・一〇〇瓩。続いて洋吉氏が四四・五八〇瓩。合計一一〇・六八〇瓩。

「義兄さんの体重も、お知りになる必要があるんでしょう?」

洋吉氏が云った。

「深谷氏のですか? ええ、是非ひとつ」

「恰度いいですよ。姉の『家庭日記』に、一月毎の記録がある筈ですから」

そう云って洋吉氏は、主館へ向って大声で女中に命じた。

間もなく上品な装幀の日記帳が届けられた。洋吉氏は早速頁を捲くる。

「ええと、これは先月……これこれ、恰度三日前のが記入してあります」

「ははあ、五三・三四〇瓩ですね……あ、この三八・二二〇瓩と云うのは? ああ奥さんのですな。いやどうも、有難うございました」

東屋氏の語尾が掠れるように消えると、瞬間、緊張した、気不味い沈黙がやって来た。

東屋氏はそれとなく身を反らして数字をノートへ記入しながら、素早く引算をするらしい。私も戸外を見るような振りをして、大急ぎで暗算を始める。例の一九〇・九二〇瓩から深谷氏の五三・三四〇瓩を引くと……一三七・五八〇瓩――これが例の深谷氏の二人の同乗者の重量だ。ところが黒塚、洋吉両氏の合計は一一〇・六八〇瓩。同乗者の乗量より二六・九〇〇瓩も少い。――昨夜深谷氏と共にヨットへ乗っていたのは黒塚、洋吉の両氏ではない。私は何故か軽い失望を覚えて東屋氏を見た。すると彼は、黙ってノートをポケットへ仕舞って、静かに外の芝生のほうへ歩き出した。

大分風が強くなったと見えて、相変らず足の速い片雲の影が、芝生の上に慌だしい明暗を残して掠め去る。――何気ない風を装いながらも、あれで東屋氏も私と同じように、失望したに違いない。が、やがて彼は振り返ると、さも平気な様子で、

「如何ですか黒塚さん。白鮫号の泡の跡を御検分なさいますか?」

「もう、それにも及びますまい」

「そうですか。では、警察官が着くまで、暫く白鮫号を、私達にお貸し下さいませんか?」

「どうぞ御自由に」

すると東屋氏は、私の肩を叩きながら、わざと向うへ聞えるような大声で、

「おい、鳥喰崎へ行って見よう」

Chapter 3 of 6
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