五
しかし、一番早く分るのは、聴衆だ、民衆だ。僕らのいわゆる弥次に、最初は盛んに吠えついている聴衆が、だんだん僕らの味方になる。そして最後にはほとんどみんな僕らの味方になる。しかも会場のいわゆる秩序は、新しい形となって、立派に保たれて行く。
いつかの晩だってそうだ。最初僕らが弥次り出した時には、聴衆のほとんど全部が起ち上がって、つまみ出せの黙れのと怒鳴り出した。警察官は僕らを取り囲んだ。そして僕らの手足をとって引きずり出そうとした。が、僕らの方の勢いも相応に強いので、もし強いてそうしようとすれば、かえって会場の秩序をまったく打ち毀してしまいそうな形勢になった。それに、聴衆の中にも、僕らが警察官の暴力を受けそうになると、急にその民衆的本能を出して、僕らをかばいにかかるものが出て来る。敏感な警察官らはすぐにそれを察して、やむをえず手をひっこました。
僕らはその勢いに乗じてますます弥次った。弁士の言論の曖昧矛盾を指摘した。そのいわんと欲していい得ざる点を補足した。僕らの弥次は大抵その肯綮に当っていた。聴衆は僕らの弥次に拍手し出した。そして自らもまただんだん、弁士の言論に対する質問や反駁のいわゆる弥次を始め出した。弁士や主催者や警察官は、にがり切った顔をして、仕方なしに黙認していた。
最後に僕が演壇に起った。最初僕らをつまみ出せの、気ちがいめのと罵っていた聴衆が、今までの弁士に対するよりも遥かに盛んに、猛烈な拍手を浴びせかけた。
僕は演壇の上と下との会話や討論を弁士として試みようと思った。実は、僕自身にとっても、数百もしくは数千という会衆の前では最初の試みであったのだ。僕のどもりと訥弁とで、また大演説会というようなものに場所馴れない臆病さとで、果してそれがうまくやれるかどうか、僕は心中甚だそれを危ぶんでいた。
が、僕は演壇に上るとすぐ、すっかりいい気持になってしまった。何を話しするかの準備も何もなかった。僕はただ、今現に会場のすべての人の間に実際問題となっている、会場の秩序そのものについて、みんなと話し合おうと思った。しかしその話し合おうと思った事が、既にもう、みんなの間に立派に了解されてしまっていたのだ。新しい秩序の気分が全会場に漲っていたのだ。
ぼくはふだんの吃りも場馴れない臆病さもまったく忘れて、酔ったようないい気持になって、聴衆のみんなと会話した、討論した。僕はあんな気持のいい演説会は生れて始めてだった。
弁士と聴衆との対話は、ごく小人数の会でなければ出来ないとか、十分にその素養がなければ出来ないとかいう反対論は、これでまったく事実の上で打ち毀されてしまった。
僕らのいわゆる弥次は、決して単なる打ち毀しのためでもなければ、また単なる伝道のためでもない。いつでも、またどこにでも、新しい生活、新しい秩序の一歩一歩を築き上げて行くための実際運動なのだ。
怒鳴る奴は怒鳴れ、吠える奴は吠えろ。音頭取りめらよ。犬めらよ。
●図書カード