八 奧入瀬の溪流
三浦氏父子に優待せられて宇樽部に宿ること四夜、休屋一村の好意をうけて休屋に宿すること一夜、都合五夜にして、われはこの趣味多き十和田湖を去りぬ。九月三日也。道太郎氏父子、百穗、及び余の四人、一人の男、荷物をもちて從へり。途に小笠原圓吉、太田吉司二氏の蔦温泉より來り迎ふるに逢ふ。昨日も迎へに宇樽部まで來りて、空しく歸りし也。
湖水の川となりて流れ出づる處を根の口と稱す。この流を奧入瀬川と稱す。橋かゝる。長さ十三四間。水は緩く流る。水中の魚も見るべし。右岸を下る。路も緩やか也。十三町にして、根の口の瀧にいたる。奧入瀬川の斷崖に一落する也。高さ三丈、幅十丈。三里四方の十和田湖の水が集まりて落つることなれば、水量は多し。幅の廣きことだけなら、他にも其の類少なからず。殊にナイヤガラの寫眞見たる目には慊らぬ心地す。されど、この溪流は、他には見難き風致を有す。湖口より蔦川を入るゝまで凡そ三里、島多し。みな木を帶ぶ。巖の水中に立てるものも多し。それもみな木を帶ぶ。これ奧入瀬溪流の特色也。溪流は普通、勾配急に、水の増減甚しく、水中に巖あるも、木を帶ぶるに由なき也。ひとり奧入瀬の然らざるは、幾んど勾配なき迄に流れ緩やかにして、十和田の全山、木しげるが爲に、絶えて洪水なく、殊に老樹天を蔽ふに由る也。さればとて、時に急湍もありて、單調にはあらず。げにや、三里の間、山毛欅、桂、楢、栃などの大木しげりあひ、女蘿かゝる。仰いで天を見ず。下には、こゞみ茂る。紫陽花や、蛇麻の花さきたり。如何なる炎天とても、こゝを上下する者は、絶えて夏あるを知らざるべし。左右は、斷崖也。瀑布を帶ぶ。白布瀑を最も美觀とす。白絲瀑、※妹瀑、雲井瀑、棚瀑などは、その名あるものなるが、未だ名のつかざるものも多し。高さいづれも十丈にあまる。木繁れるが爲に落口の見えざるものあり、下部の見えざるものもありて、益奧ゆかしく感ぜられる。十和田湖に遊びて、この溪流を見ざるものは、未だ十和田湖を見たるものと云ふべからざる也。
川畔に、大石、自然に屋となりて、十數人を容るゝに足るものあり。太田氏曰く、これ鬼神お松の潜みし處なりと。
奧入瀬川も、蔦川を入れてよりは、普通の川となる。こゝには危橋あり。猿橋と稱す。斜に生へたる大木を利用し、その木の半ば頃より丸太を彼岸に掛け渡す。人は木を攀ぢて丸太を渡る。一種奇妙なる橋也。されど、手のつかまる木もあり、銅線もありて、さばかり危險なることは無き也。
蔦川の左岸を上ること半里、通天橋をわたりてゆくこと又半里にして、蔦温泉にいたる。午後八時也。春汀兄弟は、既にあらず。江渡省三氏ひとり留りて、われを待てり。法奧瀬村の村長小笠原耕一氏も、わざ/\來りて我を待ち、酒肴を饗せらる。この温泉は、氏と小笠原圓吉氏との經營する所に係る。この頃、家を建増し、路を普請して、三本木より人力車を通ずるやうにせり。泉質は、鹽類泉也。