Chapter 1 of 4

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馬妖記

岡本綺堂

M君は語る。

僕の友人の神原君は作州津山の人である。その祖先は小早川隆景の家来で、主人と共に朝鮮にも出征して、かの碧蹄館の戦いに明の李如松の大軍を撃ち破った武功の家柄であると伝えられている。隆景は筑前の名島に住んでいて、世に名島殿と呼ばれて尊敬されていたが、彼は慶長二年に世を去って、養子の金吾中納言秀秋の代になると、間もなく慶長五年の関ヶ原の戦いが始まって、秀秋は裏切り者として名高くなったが、その功によって徳川家からは疎略にあつかわれず、筑前から更に中国に移封して、備前美作五十万石の太守となった。神原君の祖先茂左衛門基治も主人秀秋にしたがって中国に移ったが、やがてその主人は乱心して早死にをする、家はつぶされるという始末に、茂左衛門は二度の主取りを嫌って津山の在に引っ込んでしまい、その後は代々農業をつづけて今日に至ったのだそうである。

神原君の家は、代々の当主を茂左衛門と称しているが、かの茂左衛門基治以来、一種の家宝として大切に伝えられている物がある。それは長さ一尺に近い獣の毛で、大体は青黒いような色であるが、ところどころに灰色の斑があるようにも見える。毛はかなりに太いもので、それは人間の手で丁度ひと掴みになるくらいの束をなしている。油紙に包んで革文庫に蔵められて、文庫の上書きには「妖馬の毛」と記されてある。それに付帯する伝説として、神原家に凶事か吉事のある場合にはどこかで馬のいななく声が三度きこえるというのであるが、当代の神原君が結婚した時にも、神原君のお父さんが死んだ時にも、馬はおろか、犬の吠える声さえも聞えなかったというから、この伝説は単に一種の伝説として受取っておく方が無事らしいようである。

しかしその「妖馬の毛」なるものは、明らかにその形をとどめていて、今でも家宝として秘蔵されている。その由来に就いては、茂左衛門基治の自筆と称せられる「馬妖記」という記録が残っているので、江戸時代はもちろん、明治以後になっても遠方からわざわざ尋ねて来て、その宝物と記録とを見せてもらってゆく人もあったということである。わたしも先年、出雲大社に参拝の帰路、津山の在に神原君の家を訪うて、その品々をみせて貰うことが出来た。

その記録にはこういう事実が伝えられている。

文禄二年三月、その当時、小早川隆景は朝鮮に出征していて、名島の城には留守をあずかる侍たちが残っていた。九州一円は太閤秀吉に征伐されてから日が浅いので、なんどき何処から一揆の騒動なども起らないとも限らない。また朝鮮の戦地には明の大軍が応援に来たというのであるから、その軍の模様によっては更に加勢の人数を繰出さなければならない。それやこれやで留守あずかりの人びとも油断がならず、いずれも緊張した心持でその日を送っていたが、そのなかでも若い侍たちは張り切った馬のように自分のからだを持て扱っていた。

「なぜ留守番の腰ぬけ役などに廻されたかな、せめて虫押えに一揆でも起ってくれればよいが……。」

戦地から出陣の命令が来るか、それとも近所に一揆でも起ってくれるかと、そんなことばかりを待ち暮らしている若侍たちの耳に、こういう噂が伝えられた。

「多々良川に海馬が出るそうだ。」

名島の城は多々良村に築かれていて、その城下に近いところを流れて海に入るのが多々良川である。この正月の春もまだ寒い夜に、村のある者がこの川端を通ると、どこからともなしに異様な馬のいななく声がきこえた。暗いのでよくその見当は付かなかったが、その声は水のなかから響いて来るらしく思われた。そうして、それが水を出て、だんだんに里の方へ近付いて来ると、家々に飼ってある馬があたかもそれに応えるように、一度に狂い立って嘶き始めた。

家々の馬が狂って嘶いたことは、どこの家でもみな知っていた。どうしてすべての馬が一度に嘶いたのかと不思議に思っていると、あくる日になってかの者の口から異様な馬の噂を聞かされて、いずれもいよいよ不思議に感じた。そこらの畑道には大きい四足の跡が残っていた。

それから注意して窺っていると、毎晩ではないが、三日に一度か五日に一度ぐらいずつは、家々の飼馬が一度に狂い立って嘶くのである。水から出て来るらしい馬の声は普通の馬より鈍く大きい。あたかも牛と馬との啼き声をひとつにしたように響き渡って、それが二、三度も高く嘶くと、家々に繋がれているたくさんの馬はそれに応えるのか、あるいはそれを恐れるのか、一度に嘶いて狂い騒ぐのである。だんだん調べてみると、飼馬はかの怪しい馬の声を恐れるらしい。その証拠には、かの馬の声のきこえた翌日は、どこの馬もみな癇高になって物におどろき易くなる。こういうわけで、かの馬は直接になんの害もなすというではないが、家々の飼馬をおどろかすだけでもよろしくない。もうひとつには一種の好奇心もまじって、村では屈竟の若者どもが申合せて、かの怪しい馬の正体を見届けようと企てた。

勿論、それが本当の馬であるかどうかは判らないのであるが、仮りにそれを馬と決めておいて、かれらはそれを馬狩りと唱えた。馬狩りの群れは二、三人幾組にも分れて、川筋から里につづく要所要所に待ち伏せをしたが、月の明かるい夜にはかの嘶きが決して聞えないで、いつも暗い夜に限られているために、その正体を見届けるのが頗る困難であった。殊にそれが水から出て来るのか山の方から出て来るのか、その足跡がいろいろに乱れているので、確かなことは判らなかった。しかしその声は川の方からきこえ始めるような場合が多いので、それは海から川づたいに上って来るのであろうということになったが、かの馬は決して続けて啼かない。続けて啼けば、その声をしるべに尋ね寄ることも出来るのであるが、その嘶くような吠えるような声は、最初から終りまで僅かに三声か四声である。したがって、声のする方角へ駈け付けても、そこにはもうそれらしい物の気配もしないのである。

何分にも暗くてはどうにもならないので、かれらは松明を持って出る事にすると、その夜には一度も嘶きの声が聞えなかった。怪しい馬は火の光りを恐れて姿を現さないらしいのである。火がなくては暗くて判らない。火があっては相手が出て来ない。まことに始末が悪いので、かれらは相談して一種の陥し穽を作ることにした。その通路であるらしい所に、二ヵ所ばかりの深い穴を掘り下げて、枯柴や藁などでその上を掩って置いたが、それもやはり成功しなかった。

「海から来るならば格別、もし山から来るならば足跡のつづいていない筈はない。根よくそれを穿索してみろ。」

老人たちに注意されて、成程と気付いた若者どもは、さらに足跡の詮議をはじめると、山の方角にはどうもそれらしい跡を発見し得なかったので、怪しい馬はやはり海から上って来ることに決められてしまった。

「海馬か、トドだ。」

海獣が四本の足を持っているかどうかということを、その時代の人たちは考えなかったらしく、それを一種の海獣と鑑定したのである。そのうちに、ここにひとつの事件が起った。

それは二月なかばの陰った夜である。本来ならば月の明るい頃であるが、今夜は雨もよいの暗い空に弱い星の光りが二つ三つひらめいているばかりであった。こんな晩には出て来るかも知れないと、馬狩りの群れは手配りして待ち構えていると、やがてかの嘶きの声がきこえた。つづいて一ヵ所の陥し穽で鳴子の音がきこえた。素破こそと彼等は一度そこへ駈けあつまって、用意のたいまつに火をともして窺うと、穴の底に落ちているのは人であった。

人は隣り村の鉄作という若者である。彼は今頃どうしてここへ来て、この陥し穽に落ちたのかと、不思議ながらに引揚げると、鉄作はほとんど半死半生の体で、しばらくは碌ろくに口も利けないのを、介抱してだんだん詮議すると、彼は今夜かの怪しい馬に出逢ったというのであった。

この村の次郎兵衛という百姓の後家にお福という女がある。お福はことし三十七、八で、わが子のような鉄作とかねて関係を結んでいたが、自分の家へ引入れては母の手前や近所の手前があるので、自分の家から少しはなれた小さい森のなかを逢引きの場所と定めていた。ところが、この頃はかの海馬の騒ぎで、鉄作はちっとも寄りつかない。それを待ちわびしく思って、お福はきょうの昼のうちに隣り村へそっとたずねて行って、今夜はぜひ逢いに来てくれと堅く約束して帰った。年上の女にうるさく催促されて、鉄作は今夜よんどころなく忍んで来ると、さっきから自分の家の門に立って待ち暮らしていたお福は、すぐに男の手をとって、いつもの森をさして暗い夜道をたどって行くと、狭い道のまん中で突然に何物かに突き当った。

こっちは勿論おどろいたが、相手も驚いたらしい。大きい鼻息をしたかと思うと、たちまちにひと声高く嘶いた。それがかの怪しい馬であると知ったときに、鉄作は気が遠くなるほどに驚いた。驚いたというよりも、怖ろしさがまた一倍で、彼はもう前後の考えもなく、捉られている女の手を振払って、一目散にもと来た道へ逃げ出したが、暗いのと慌てたのとで方角をあやまって、かの陥し穽に転げ込んだのである。

そう判ってくると、騒ぎはいよいよ大きくなって、大勢は松明をふり照らしてそこらを穿索すると、果して道のまん中に次郎兵衛後家のお福が正体もなく倒れていた。お福は介抱してももう生きなかった。横ざまに倒れたところを、かの馬の足で脇腹を強く踏まれたらしい。肋の骨がみな踏み砕かれているのを見ても、かの馬がよほど巨大な動物であることが想像されて、人々は顔をみあわせた。

「次郎兵衛後家が海馬にふみ殺された。」

その噂が又ひろまって、人びとの好奇心は次第に恐怖心に変って来た。海馬だかなんだか知らないが、そんな巨大な怪物に出逢っては敵わないという恐怖心にとらわれて、その以来はかの馬狩りに加わる者がだんだんに減って来るようになった。暗い夜にはどこの家でも早く戸を閉じてしまった。怪しい馬は相変らず三日目か五日目には異様な嘶きを聞かせて、家々の飼馬をおびやかしていた。

「どうも不思議なことだな。しかし面白い。」と、その噂をきいた城中の若侍たちは言った。

前に言ったような事情で、かれらは何か事あれかしと待ち構えていたところである。その矢先へこんな風説が耳にはいっては猶予がならない。糟屋甚七、古河市五郎の二人は、すぐに多々良村へ出向いてその実否を詮議すると、その風説に間違いはないと判った。

「もう三月ではないか。正月以来そんな不思議があったら、なぜ早く俺たちに訴えないのだ。」

二人はさらに隣り村へ行って、かの鉄作を詮議すると、彼はその後半月あまりも病人になっていたが、この頃はようよう元のからだに戻ったとのことで、甚七らの問いに対して何事も正直に答えた。しかし、自分の出逢った怪物がどんな物であったかを説明することは出来なかった。何分にも暗い夜といい、かつは不意の出来事であるので、半分は夢中でなんの記憶もないのであるが、それは普通の牛や馬よりも余ほど大きい物で、突きあたった一刹那に感じたところでは、熊のような長い毛が一面に生えているらしかったというのである。

その以上のことは判らなかったが、ともかくも一種の怪獣があらわれて、家々の飼馬を恐れさせ、さらに次郎兵衛後家を踏み殺したというのは事実であることが確かめられたので、甚七と市五郎とは満足して引揚げた。城へ帰る途中で、甚七は言い出した。

「しかし貴公、この事をすぐにみんなに吹聴するか。」

「それを俺も考えているのだが、むやみに吹聴して大勢がわやわや付いて来られては困る。いっそ貴公とおれと二人でそっと行くことにしようではないか。」

いかなる場合にも人間には功名心がある。甚七と市五郎も海馬探検の功名手柄を独り占めにしようという下心があるので、結局他の者どもを出しぬいて、二人が今夜ひそかに出て来ることに相談を決めた。

三月もなかば過ぎて、ここらの春は暖かであった。あたかもきょうは午後から薄陰りして、おそい桜が風のない夕にほろほろ散っていた。

「今夜はきっと出るぜ。」

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