Chapter 1 of 1

Chapter 1

たいそう外科的手術を怖ろしがっている、若い婦人がありました。

もし、すこしぐらいの痛さを我慢をして、手術を受けるなら、十分健康を取り返すことができるのを、どうしても、その婦人は、手術を受けることを欲しなかったのです。

季候の変わりめになると、婦人は、青い顔色をしていました。

「あなたほどの若さで、そんな青い顔色をなさっていてはいけません。早く手術をお受けになって、さっぱり病気を治しておしまいなさいまし。」と、知っている人は、いいました。

「なんとおっしゃっても、私は、手術を受けるのが怖ろしいのでございます。」と、婦人は、光るメスを、はさみを考えると、身ぶるいをしました。

「奥さん、T町に有名な先生があります。この方の手術なら、まったく安心して受けられます。けっして二度とやり直しをするようなことはありませんから、ぜひここへいって見ておもらいになったらいかがですか。」と、心から、婦人のことを思って、いってくれたのでした。さすがに、気の弱い婦人であったが、いくらか心が動きはじめました。

「T町のなんというお医者さまでございますか?」と、教えてくれた人に、ききました。

「M病院といえば、その界隈で知らぬものがないほど、有名なものです。」と、その人は、答えました。

「まあ、そんなにいいお医者さまが、あったのでございますか?」

婦人は、なぜ早くそれを知らなかったろう。そうすれば、こんなに長い間、この病に苦しまなくってもよかったのにと、急に、見もしない、その医者を心の中で尊敬しました。その後、彼女は、いろいろの人に、T町にあるM病院の話をして、はたして、それはほんとうのことかと、たしかめようとしました。まれにはまったくその名を知らぬものもあったけれど、また中には、よくその病院の名を知っていて、「その病気にかけては、二人とない名人だという話です。」と、いうものもあったので、彼女は、いよいよ進んで、その病院へゆく気になったのであります。

彼女が、手術を受けることを覚悟したと知ったときに、彼女の身を案じた周囲の人たちは、それは、よく決心したといって、喜んだのでした。

そこから、T町までは、遠かったのであります。乗り物によっても、一日は費やされたのです。気じょうぶな叔母さんをつきそいに頼んで、彼女はT町にゆき、そして、病院の門をくぐったのでした。

患者の控え室は、たくさんの人で、いっぱいでした。左右にすわっている人々のようすをきくと、いずれも彼女と同じ病気であるらしいので、いまさら、その名医ということが感ぜられたのでありました。

そのうちに、看護婦が入って、彼女のかたわらにきました。

「あなたですか、院長さんに見てもらいたいと、おっしゃられたのは?」と、看護婦はたずねました。

「さようでございます。」と、彼女は、答えました。

「お気の毒ですが、院長さんは、ただいま、ご旅行中なんですが……。」

こう看護婦がいったとき、若い婦人の顔色は、落胆と失望のために、変わりました。彼女は、どうしていいかわからなかったからです。しばらく黙って考えていました。

「代診では、いけませんか。」と、看護婦が、問いました。

彼女は、あれほど、迷った末に、ようやく決心をしてきたのを、いまさら代診にみてもらうまでもないと、いくぶん腹立たしくなりました。

「叔母さん、私、また、くることにしますわ。」といって、彼女は、立ち上がりました。

「せっかく、きましたのに……。」と、叔母さんも彼女の後方に従うよりしかたがなかったのでした。

彼女は、門を出るときに、どうして、みんながあのように、代診で満足しているのだろう? 院長さんには、めったにみてもらえないからかしらんとさえ思いました。そして、彼女はむなしく、家にもどってしまったのです。その後ふたたび、彼女が、出かけるはずもなかったから、病気はついに治らずにしまいました。

ところが、その後になってきくと、M病院では、院長よりも代診のほうが、はるかに手術が上手なので、院長には、時に仕損じはあるが、代診に限ってけっして仕損じがないということでした。

「世の中のことって、みんなこうしたものね。」と、さすがに、これをきいたとき、婦人は、歎息をつきました。いつか代診より、院長が偉いと思った、自分の愚かしさを悟ったのでした。

●図書カード

Chapter 1 of 1