Chapter 1 of 4

一 戯曲に於ける類型の意義

……おもはゆげなる玉手御前。母様のおことばなれど、いかなる過去の因縁やら、俊徳様のおんことは、寝た間も忘れず恋ひこがれ、思ひあまつてうちつけに、言うても親子の道を立て、つれない返事堅い程尚いやまさる恋の淵。いつそ沈まばどこまでもと、跡を慕うてかちはだし蘆の浦々難波潟身を尽したる心根を不便と思うてとも/″\に、俊徳様のゆくへを尋ね、めをとにしてくださんすが、親のお慈悲と手を合せ、拝み廻れば、母親も今更あきれわが子の顔、唯うちまもるばかりなり。

「摂州合邦辻」の合邦住家の段のくどきの一番よい所、所謂さはりの所である。くどきとしては長い文句であつて、聞いてゐると、奥へ行く程、心をひかれて来る。詞章としては見られる通りの、何のへんてつもない文句なのである。でも幸福なことに、我々は浄瑠璃の節を聞き知つてゐるので、たゞ読んでも、記憶の中に、こゝのよさが甦つて来る。こればかりでなく、浄瑠璃の文句は一体に、皆さうだと言へる。名高いさはりのところも、文句ばかりを見ると、案外何のとりえもないものが多い。特に美しくも何ともない文句に、太夫や三味線弾きが節をつける前のあるかんで、何もない所からある節を摸索して来る。節づけの面白さは、こゝに発現する。与へられた文学の中から、特殊なものを引き出して来る。即、音楽でもつて、新しいものを創り出して来る訣である。――さう言ふ場合ばかりでは、勿論類型を辿つて、前の行き方をなぞると言ふ方が、多いのであらうが――。それと同じ様な事が、浄瑠璃の作者の場合にもある。一体浄瑠璃作者などは、唯ひとり近松は別であるが、あとは誰も彼も、さのみ高い才能を持つた人とは思はれぬのが多い。人がらの事は、一口に言つてはわるいが、教養については、どう見てもありさうでない。中には寧、軽蔑したくなるやうな行状の人も多かつたらうと思はれる。

さう言ふ連衆が、段々書いてゐる中に、珍しい事件を書きあげ、更に、非常に戯曲的に効果の深い性格を発見して来る。論より証拠、此合邦の作者など、菅専助にしても、若竹笛躬にしても、凡庸きはまる作者で、熟練だけで書いてゐる、何のとりえもない作者だが、しかもこの浄瑠璃で、玉手御前と言ふ人の性格をこれ程に書いてゐる。前の段のあたりまでは、まだごく平凡な性格しか書けてゐないのに、此段へ来て、俄然として玉手御前の性格が昇つて来る。此は、凡庸の人にでも、文学の魂が憑いて来ると言つたらよいのだらうか。

併し事実はさう神秘的に考へる事はない。平凡に言ふと、浄瑠璃作者の戯曲を書く態度は、類型を重ねて行く事であつた。彼等が出来る最正しい態度は、類型の上に類型を積んで行く事であつた。我々から言へば、最いけない態度であると思つてゐる事であるのに、彼等は、昔の人の書いた型の上に、自分達の書くものを、重ねて行つた。それが彼等の文章道に於ける道徳であつた。昔の型から離れようとすると、咎められたのである。かう言ふ道徳の上に立つて昔のものを書きなほして行つた。それが本道だと思つてゐた。

一体文学の場合には、誰にも示すことなしにしまふものは、まあないと言つてよい。人に見られない文学と言ふものは、短詩形の文学にはまゝあるが、長いものは、どんなものでも、どんな呑気な時代でも、読者を考へてゐるし、又其目的通り人が読む。そして次の人がその類型の上に、その類型に拠つて書くので、たとひ作者がつまらぬ人でも、其類型の上に重ねて行くのと、前のものゝ権威を尊重して書く為に、新しいものは前のものよりも、一段も二段も上のものになる事が多い。残念な事に、江戸時代には、初期の僅かな人達数人を除いて、優れた人は少かつた。戯曲の場合、近松の発見した性格が、更に昇つて行つたり、戯曲的な仕組みが更に進められて行くと言ふ事はなかつた。むしろ、悪い方向に、つまり類型が悪く重ねられて行く方が多かつた。「大内裏大友真鳥」に就いて伝へられてゐる話によると、近松が、これが浄瑠璃のこつだと言ひ、それを襲うた竹田出雲は、見物には知らせておいて、舞台の上の人は知らぬと言ふとりつくを悟つて、此後、さう言ふ類型を重ねて行く事になつたと言ふ。後の作者達は、皆此類型を重ねて行き、とりつくを重ねて行くうちに、精神のない、とりつくの型ばかりのものとなつて行つた。浄瑠璃から来た歌舞妓の一部には、だからやはり、かう言ふとりつくばかりで動いて行つてゐるものがある。此は類型が重ねられてゆく事の悪い場合である。併し作者が凡庸である場合には、却つて、少しづゝよくなる事もある。玉手御前の場合は、おそらく、それであつたと思はれる。

Chapter 1 of 4