Chapter 1 of 5

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用言の発展

折口信夫

われ/\は常につくろふとかたゝかふとかいふ所謂延言の一種を使うて居つて何の疑をもおこさぬ。今日の発音ではつくろふもたゝかふも、みな終止形はおの韻をもつたら行長音なりか行長音なりになつてしまふのであるから疑のおこらぬのも尤である。けれども仮字づかひについて考を及してみるとどうもをかしい。なぜつくろふの ro は rofu でかたらふの ro は rafu なのか、どういふわけでまたたゝかふの ko は kafu でかこふの ko は kofu でなければならぬのか、妙な事だといふと常識はたゞちにかう応へる。

その疑は今日の発音を土台として考へるから起るので、昔はつくろふを tukuro-fu、かたらふを katara-fu と発音したからである、またたゝかふは tataka-fu、かこふは kako-fu と発音通りにうつしたのにすぎないとこたへる。けれども疑はその点ではない。形容詞や動詞をとつて考へてみると、

くや・し  うらやま・し  あぶなか・しい  あら・し  やさ・し  たゝは・し

べか・し  めか・し

うごか・す

さか・る  こが・る  まか・る

などのごとく動詞形容詞助動詞すなはち用言の将然段又はあの韻を以て終つて居る語から他の語につゞいてまた用言になつたらしいものがあるかとおもへば、一方には用言の終止段から他の語につゞいて同じく再びある用言を形づくつたらしく見えるものがある。

いつく・し  いきどほろ・し

おそろ・し  さも・しい

うごも・つ

おこ(<く)・す  つも(<む)・る

こも・る  なゆ・ぐ

などが即ちそれである。然るに、をかしい事が此処にある。それは、意味も形式も殆ど同じ語で、将然言から出たのも終止言から出たのも二つともにあることである。

よそはし=よそほし

このまし=このもし

くるはし=くるほし

よろこはし=よろこほし

きか・す=きこ・す  おもは・す(敬)=おもほ・す  おは・す=おほ・す

とゞろか・す=とゞろこ・す(古事記、岩戸びらきの条)

人はこれらの終止段から出たらしい語をば悉くあの韻がお(即ちう)にうつゝた音韻の転訛であるといふけれども、それでは何やら安心のならぬ所があるやうにおもふ。その不安心の点を出発地として、下のやうな推論がなりたつた。

自分のよんだ限りの少しばかりの諸先達の著書のうちには、これこそとおもはれる考がなかつた様に記憶する。大抵やはり将然段から出たものとして、よそほしとかおもほすとかは音韻の転訛であるとやうにとかれてゐる。こゝに卑見をのべるに先だつて、まづある提言をなすべき必要を認める。それは「用言の語根は体言的の意味あひをもつてゐる」といふことである。全体体言といふ名称は形式の上にあるのではあるけれど、こゝには名詞というてしまうてはしつくりとをさまらぬから、かりに意味の上にこの名称を借用した。

語根が体言的の意味あひをもつてゐるといふと、こゝに自然と名詞語根説と語根名詞説とが対立してくる。即ち歌とうたふとは何れが先に存してをつたかといふ争がもちあがる。自分は名詞語根説を把るから、勿論歌がもとで、うたふは後になつたのであると答へる。けれども反対者の説く所にも理由のあることは認めてをる。然しそれが誤解であるといふことを少しばかり論じてみようとおもふ。

かなし・む  そゝ・る  かこ・む  いこ・ふ  しづ・る

などの語によつてみても名詞語根説が語根名詞説よりもまさつてゐる事は明かである。

かなしむは形容詞から来たもので誰もかなしむからかなしといふ語が出来たとはいふまい(このかなしむのかなしは体言である事は後にいふ)。そゝるのそゝ、よゝむのよゝなどは擬声といふのか、擬状といふのか、ともかくも八品詞以外のやゝ感嘆詞に近い語である。これを体言的(意味上の)に借用して、むとかるとかいふ用言にうつす接尾語をつけたのであつてみれば、誰しもそゝ、よゝはそゝる、よゝむの語根から出たのだとは主張すまいとおもふ。ましてそゝのかすとか(そゝめくとか、そゝや秋風などのそゝは、これとは少し系統がちがふ様である)よゝめく、よゝなくなどゝいふ語があつてみれば、そんな議論はおくびにも出る筈のものぢやない。かこむ、しづるなどは次に示す簡単な表をもつても、語根名詞説を破るだけの材料をもつてゐる。

┌ ――(釣錘)

│┌――枝

││――輪 ――鞍

│┤――ごゝろ

││――おり

しづ┤└――みや(出雲国造神賀詞に志都宮尓忌静米仕奉而)

│┌――く

│┤――む

│└――る

│┌――か

│┤

└└――や(やか)

┌┌――む(こむ)

││――す

│┤

かく┤│――ふ

│└――る

└ ――やか

しづむといふ動詞から、魚釣りに用ゐるしづが出たものとすれば、しづく、しづるのしづはどう説明するか。共通の語根しづは非常に煩瑣な説明をまたねば、魚つりのしづの説明を与へることが出来なくなる。下枝、後輪、下鞍、しづごゝろ、倭文みな同様である。しづごゝろは、万葉では下心の字をかいてをる。これを木村博士はしたごゝろとよまねばならぬというてゐられるが、しづごゝろとよむ方がよからうとおもふ。それは三代集あたりのしづごゝろは通常静心と訳するけれど、これは少しどうかとおもふ。(勿論三代集以後には静心の意に用ゐてゐるけれど)友則のしづごゝろなく花のちるらん は従来など静心なく花のちるやらんと解してゐる。然しこれはよろしくないと助動詞らむの性質の上から論じて、三矢先生が花の散るは静心なくてならんと説かれたのは面白い考ではあるけれども、先生はなど静心なくては理屈におちておもしろくないといはれたが、先生の解釈の方がなほ/\理屈におちて趣がない。少しわき路にはいるけれども、この時代の歌にはかういふらむ(即ち無意味に現在をやはらげて想像の形をとつた)の例がたくさんある。……春がすみ立ちかくすらん山の桜を秋萩にうらびれをればあしびきの山下どよみ鹿のなくらむ などは、どうしても現在を柔げたものとしか見られない。めりとかべしとかがたゞの推量ではなく、推量の形をもつて現在をやはらげる事があるのと同じであらうといふ考で、先生に静心なく花の散ることぢやなあと解したらどうでございませうとお尋ねをしたことがある。が今思うてみれば、心もとなく花が散ることぢやなあと解するのが適当かとおもふ。貫之のことならばさかずやはあらぬ桜花みるわれさへにしづこゝろなし といふ歌を、遠鏡に、見テヰルコチマデガ気ガソハ/\スルハイと解してあるけれど、さうではなくて、「ことならば」がわが身へもひゞいてゐて、桜が散る。それにつけてもわが身が心もとなくおもはれる。桜は気をうき立たすものぢやに却つてわれにもともに心もとない思をさせる。こんな位ならば桜が咲かない方がましぢやに、とやうに解するがよからう。桐壺にあらき風ふせぎしかげのかれしより小萩が上ぞしづこゝろなき とあるのは、そは/\するのではない、更衣の母が源氏の上を心もとなくおもふのである。しづこゝろをばしづえ、しづくらのやうにほんたうにしたとしてはよろしくない。それかというてしづかでは勿論わるい。しづく、しづる、しづむなどに共通した下にしづむ様な心もちがあるのである。しづか、しづや(やか)は、もとやはりしづむやうな心もちのしづにかまたはや(やか)がついたものであらう。催馬楽に、しづや男といふ語が見える。これは物に動ぜぬ沈着な男であるのだといふ。このしづかとかしづや(やか)とかいふ語が多く用ゐられたから、そこではじめてしづといふ語に静といふ意が生じたのであらう。

つけていふが、賤男、賤の家などのしづもこの下といふ意味から生れたものではなからうか。かくは今はないけれど、古い動詞の一つにちがひない。かき(垣)といふ語が今もなほ連用名詞法の俤を存してゐる。祝詞によくでる「あめのかきたつかぎり」のかきには壁の字があてゝあるが、このかきは垣といふ名詞ではなくてかきだつとでも今ならばよむべき連用副詞法なのであらう。蜘蛛のいがきとか鳥巣をかくとかいふのは、懸けるのではなくてかまへるとでも訳すべきで外と境をたてる意がある。

かくす、かくむ、かこふ、かくるは、このかくといふ体言的の語があつて後に出来た語である事はいなまれぬ。

かづら・ぐといふ語についても同様の事がいはれる。かづら(鬘)といふ語があつてのちはじめて出来る筈の語で、決してかづらぐから鬘がうまれたとはいふことが出来ない。その外かた・ぐとかはら・むとかちか・ふ(ちかごとなどいふ)、うら・ふ(うらなふと意殆ど同じい)、あが・ふ(あがなふと意殆ど同じい)、あぎと・ふ(魚のあぎと・ふをいふ。あぎとをはたらかしたもの。童児のあぎとふはあき・とふである)とかいふ語を見ても、かたぐから肩、はらむから腹、ちかふからちか、うらふ、うらなふから占、あがふ、あがなふから贖、あきとふから顎などが生れたとは決して考へることはできない。

尚数行いひそへておくが、語根名詞説が正しくて名詞語根説が誤だと主張する論者に次の現象について説明を促さうと思ふ。

(一) たしかに体言といふべきものであつて、ある接尾語をよんで用言となる理由はどうであるか、即ち、

あき・なふ(あきじこり、あきうど)

音・なふ  まか・なふ(まかだち)

まひ・なふ(わかければ道ゆき知らじまひはせむ下べの使おひてとほらせ  憶良)

荷・なふ  甘・なふ  まじ・なふ(まじ物、まじこる)

等のなふ

たゝ・よふ(たゝふ、たゝはし)

不知・よふ  もこ・よふ(むくめく、むく/\し)

等のよふ

さき・はふ  わさ・はふ

いは・ふ(いは忌、即ちゆには、ゆゝしのゆと関係がある)

種・はひ(ちぐさ、くさ/″\)

味・はふ

等のはふ

ちり・ぼふ  よろ・ぼふ  き・ほふ

等のほふ

たゞ・し(正といふ名詞は動詞にたづぬがあることから思ふとたづといふ語があつて、恐らくはその名詞法なのであらう。それにし〈しく形〉がついたのである)

ひさ・し(見ずひさに、ひさにふる)  これ・しき(これしきもの)

もの・し  もの/\・し  おほやけ/\・し

女・し  おとな・し  われ/\・しき(我々しき分際)

こまいぬ・しく(狛犬らしくである。枕草子に二ヶ所見えて居る。但し関根先生は狛犬獅子也といはれたけれど、なほ次のくま/\しくなどからみると狛犬しくであらう)くま/\・しく(きはやかならぬこと。夕顔に、こゝかしこのくま/\しくおぼえ給ふにものゝあしおとひし/\とふみならしつゝ)

等のし

なが・らふ(ながるの延と称せられるながらふではない)

等のらふ

その外

めく(とき・めく、うご・めく)

つく(がさ・つく、うろ・つく、そは・つく)

がる(まろ・がる、くら・がる、ひろ・がる)

がる(いやがる、かなしがる)

かふ  く(ぐ)  す(ず)  つ(づ)

ぬ  む  ふ(ぶ)  ゆ  る  う(得)

等の接尾語がついて動詞をつくるのはどう説明するのか。

(二) かれ・す  つき・す  しに・す

などのかれ、つき、しには動詞の連用名詞法でなうて何であるか。

(三) 料理がれうる、装束がしやうぞくと動詞になり、おはもじ(はづかしいこと)、ひもじが、おはもじい、ひもじいと形容詞になるのはどういふものか。

(四) わかやか やはらか すみやか などと、

わかやぐ やはらぐ すみやく などゝは、どちらが前に出来たかなどゝいふ事は別として、やはらかのら(か)、わかやかのやは何のためについてゐるのかといふことについて詳細の説明がきゝたい。

注意

や、ら、かの説明を求めるにあたつて、自分の立脚地から見たや、ら、かの説明をしておく必要を感ずる。

やはらかのら、わかやかのや、ほこりかのか、あてはかのは等は、名詞をつくる接尾語だと考へる。

やは、わか、ほこり、あてなどにはすでに体言的の意はあるのだけれども、完全な体言とはなりをふせぬから、らなり、やなり、かなり、はなりをつけてその体言的の意をやゝ完全にして、名詞になり、形容詞になり、副詞になり用ゐたものとおもはれる。そして尚いふと、単にや、ら、か、はといふ単純な外部から添加した語ではなく、もと/\活用のあつた語の将然言であらうと思ふ。これについてはなほ後にいふ所があらう。

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