六
樋口さんは、その後忠実に教会に出席をした。そしてどんな寒い朝でも、どんな雨の激しく降る晩でも、教会の礼拝には一度として欠かしたことは無かつた。樋口さんの妹さんは折々病気だと云ふので礼拝に来られないことが有つたが、樋口さんはいつでも達者で、すた/\早足で、脇の浜から毎日曜日と毎木曜日には欠かさずやつて来た。一年近くも一緒に礼拝し、一緒に貧しい人々の友達になると、もう他人とは考へられ無いで、まる切り家内のやうであつた。
それで朔日十五日の休みには、或時にはお寿司を造つて貧民窟に持つて来たり、おはぎを造らへて持つて来た。あまり金持でも無い樋口さんが栄一に対する心尽しには、彼も心から感謝して居た。
それでも樋口さんの家には樋口さんが新川の教会に通ふことに就いて随分激しい反対もあつた。第一お父様が反対であつた。樋口さんのお父様は姉がクリスチヤンであり、自分も現在基督教に関係のある神戸印刷会社に人事掛として出て居るのだが、色々な理由で基督教に反対した。お父様が反対するので、お父様思ひの三番娘の初子も反対した。それに連れられて母親もあまり賛成ではなかつた。
然し栄一は喜恵子さんの熱心な要求によつて二三ヶ月引続いて毎土曜日の晩に、喜恵子さんのお母さんに伝道する為めに聖書研究を脇の浜の樋口さんの家で開くことになつた。
樋口さんの家を訪問することが、何だか罪でも造るやうに考へてゐた栄一は、訪問してみて安心したことは、樋口さんの内には三四人の印刷会社の年若い年期職工が下宿して居ることであつた。それで、栄一は女姉妹ばかりの中にぽかんと一人混るのかと思つて居たら、それらの徒弟職工もみな聖書研究に出席してくれるので安心した。
樋口さんの家庭はきちんと引しまつたもので家の手入などをみても室の整理をみても隅々まで何一つとして散ばつたものとては無く、貧民窟の取乱した家ばかりをみて居る栄一には、こんな整理のよくついた家を見ると心持が善かつた。金が有つて家を美しく持つことは誰でもするが、職工を下宿させて居る位の家庭で而も相当に趣味のある室の手入をみると、栄一は樋口さんのお母さんと云ふ人が余程賢い、つゝましやかな人だと云ふことを想像するのである。
家庭では凡ての人が江戸弁で、歯切れの善い美しい言葉を使つてゐる。栄一はこの家庭の雰囲気が少なからず気に入つた。
それかと云つて、栄一が樋口さんと妙な関係が出来るとは、栄一としては夢にも考へぬことで、栄一は女弟子の善いものを持つたと云ふよりしか以上に何にも考へなかつた。
それにも色々な理由がある。自分の病身であることを心配したのも第一だが、栄一はまだ恋の根本要求は美であると考へた。それでもし鶴子や小秀のやうな、美しい女に恋が出来ないならば、恋などはしないとも考へてみた。それに矢張り身分を考へてゐた。自分は樋口さんよりは一種上の階級の人間であるかのやうに考へることが、貧民窟に来てゐても退かないのである。
樋口さんの宅の聖書研究がすむのはいつも九時頃であつたが、脇の浜から北本町までは十四町あるので喜恵子さんはすぐの妹さんのあき子さんと二人で電燈会社の裏のあたりまで見送りしてくれるのが普通であつた。
秋がたけて冷い風が吹く晩でも、喜恵子は心から新見を思うて見送りしてくれた。あき子さんが、病気で見送れぬと云ふときは、電燈会社の裏が暗いからと云うて、一人で見送つてくれた。
『それは恋だ!』
栄一はそんなに考へたが、さう取りたくは無かつた。二十三の若々しい福々とした白い顔に、薄紅色の頬ぺたをして、東京の下町の女のやうに、伊達な蝶々を水々しく結うて、女工とは決して見え無い絹物の羽織を引つかけて、キユ/\と裾ずれをさせて新見を見送る、喜恵子の姿を提灯の火ですかして見ると、実に凛々しい賢い可愛いものであつた。
鶴子を見た眼や、小秀を見た眼で喜恵子を見ると見当が全く違ふ。鶴子や小秀は一眼見ると美しい。然し長く話をして居ると、話がすぐ尽きて了つて、底には何にも無い。喜恵子は美人と云ふのでは無いが、交際をして居れば、為て居る程雅味が出て来る女で、彼女のしなは一つ一つ曲線美を持つて居て踊の美しいものを見て居るやうである。殊に喜恵子の言葉遣の美しいことには栄一も全く魅せられる程であつた。
聖書を読んでも、お祈りをしても、感想を述べても、その言葉遣は全く芸術的であつた。
色々と過去の経験談や、学問のことを話してみると、高等小学校を卒業した後は、読書が好きで、曲亭馬琴や、源氏物語などを愛読したと云うて、馬琴の物語などをよく知つて居るのである。
喜恵子をみて、新見は人間を作るのは必ずしも学校では無いとつくづく考へたことであつた。しかしそれでもまた栄一はたゞ一つ喜恵子が職工であり、自分が市長の息子であると云ふことの感じが、理性に於ては取り去られて居ても感情に於て除くことの出来ない程強いものであることを感じた。
それでも、もう少し喜恵子が美人ででもあればローマンスにもなるがと思つたが、さればとて、美しい小秀を金で手に入れる勇気も無かつた。
そんな風であるから、喜恵子に対して栄一は鶴子に対するやうに熱狂的ではあり得なかつた。然し新見としては、喜恵子に愛せられて居ることを、此上なき幸福と感じ始めた。それは母の愛のやうに温いものであつたからである。たゞ栄一はその喜恵子の愛に対して報いるだけの多くのものを持つて居なかつたことを悲しく思つてゐた。