二
婚礼の夜が来た。
地主の息子といふのが、少々抜けた若者だつた。今頃は娘つこだつて、親が勝手に取決めた婿は一応悲しい顔で否認するのが常識なのに、地主の息子正吉は、一遍の見合ひをする暇もなく早々に取決められた縁談に対して、懐疑的な嘆息ひとつしなかつた。
彼はたゞ嬉しいのだ。
地主の邸の庭さきに、小作人から選抜された声自慢が花嫁をお迎ひする人足として、集つてゐた。これらの若者は、声自慢でもあるし、また村の不平分子の精鋭でもあつた。彼らに酒をうんと飲ませて、地主と小作人との親睦を計るのが、今日の嫁取りの大きな目的の一つでもあつた。
さて、菜の花月夜だ。
黄色な月夜である。日本海から押し寄せて来る靄で、おぼろにかすむ月夜である。
「好えこと、しやがるなア」
庭さきに屯して、若者たちは、ニヤリ/\と花嫁のきりやうの予想話だ。
「ほれ見い、あの態を……」
母家の縁側に、もはや紋服を飾つた花婿正吉が立ち現れたが、すぐ又障子の中に消えてしまつた。
「さつきから、何度あそこへ出たり入つたりしとるんぢや」
「待ちどほしうて耐らんのぢやろ」
「俺はまた、早う飲みたいわい」
「芸妓は、もう来とるぞ」
「ハヽヽ」と、何か猥褻なことを云つて、みんな一度に笑つた。
台所口から、盛に煙が立ちのぼつた。門と母家の間の空地は、無数の提灯で昼のやうに明るかつた。その月と溶け合つた淡い影の中を手伝ひの女たちが賑やかに右往左往した。邸中の隅々から、笑ふ声やはしやいで罵る声が、ひつきりなしに起つた。
かすむ月は中天に在る。
「然し」と若者の一人の良三が云つた。「山口の野郎は、何と考へても好い気味ぢやないか」
「今頃は、うん/\唸つてけつかろ」
「おかげで今夜は酒がうまいぞ」
その通りだつた。番頭と云ふよりは仲人の山口が、今夜急性胃腸カタルで、どうしても此のかんじんな婚礼に立ち会へないと云ふのは、確かに「酒をうまく」することにちがひなかつた。
山口は三四町はなれた自宅で、ウン/\呻いてゐるのだつた。「お嫁さんの家の御紋は下り藤ぢや。川下から、下り藤の定紋のついた提灯の行列が来たら、それが花嫁さんと思へ――そして、間違ひなく、お迎ひに出るんだぞ」
それだけの下知をしておいて、山口はひとり淋しく、自分の家で唸つてゐるのだつた。
やがて空なる月の在りかは、三里川下の町から来る花嫁の行列がもう到着してもよささうな時刻である。