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太政官
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太政官
上司小剣
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Chapter 5 of 9

五

光遍寺の初夜の鐘が疾くに聞えて、ボン/\の針は十時半を指した。納税告知書と原簿との對照は漸く半分だけ濟んだ。

「もう止しにしようかい。」と、助役は脇臭をプン/\させながら、手織の袷の高い腕捲りを收めた。

「さいや、こいだけで一先づ明日のことにしよう。……こいつもぼし/\蒸せて來たよつてなア。」と數之介は傍の火鉢にかけた中形の土瓶の蓋の隙から吹き出す白い湯氣を見詰めた。其の湯氣には得ならぬ薫りを含んでゐた。土瓶の尖つた受口には、子供が鼻血を出した時にするやうに、白い紙で栓がしてあつた。

「松茸は土瓶蒸しに限りますなア。」と、重吉は早や黄色い納税告知書の幾束を、錠前付きの大戸棚に納ひかけた。

「早松がかう出るんでは、今年や松茸あかんやろで。」と、助役は大きな欠伸を一つして、疲びれた腦へ、新らしい早松の香氣を、鼻の穴から強かに吸ひ込んだ。

「松茸や不作でも、山林税はたゞみたいなもんやさかいな。山持ちは損する氣遣ひあれへん。」と、數之介は土瓶の蓋を撤つて、濛々と立ち騰る湯氣の中に、白髮頭を突ツ込みつゝ、蒸され加減を見ようとした。

「今年の天滿山官林は、誰れが受けるかなア。わしが受けた時分にや、六十兩でも高いちうたんやが、近年は二百兩下で落札たことがない。今年ら見い、かう早松が生えては、秋の松茸屹と不作やで。……不作が眼に見えたつても、百五十兩下では落札んで、官も商賣上手やが、損知つてゝ高う入れる忠義もんが何んであないに多いやろ。」と言ひながら、助役も湧き立つやうな早松の湯氣に顏の半分を包まれてゐた。

「かう他の税が高いんやもん、天滿山官林の松茸ぐらゐ、村方へ無代呉れたて可さゝうなもんや。それを一兩でも高う賣らうと、競り上げるのは、官も慾が深すぎる。」と、數之介は香氣に充ち滿ちた土瓶の蓋をして、下の火を弱める爲めに、火箸でせツせと灰をかぶせた。

「何んだツか助役さん、一體税ちうもんは、此方から懸け取りみたいにして貰ひに歩くのがほんまで、納める人に持つて來させるのは可かんのだすか。寺田の息子がさう言ふてよつた。」

階下へ下りたと思つた重吉は、盃やら皿やら椀なぞを運んで來て、ガチヤ/\と其處に置きつつ言つた。

「もう置いて呉れ、税の話で腹一杯になつた。」と、助役は手を振つて重吉を制しながら、辨當の包みから赤塗りの小ひさな箸を拔き出し、伸ばせるだけ手を伸ばして、數之介の前の香氣の高い土瓶から、恰好のよい春松茸を一つ挾み出して、がぶりと口に入れた。

「おゝ可味い、早松は秋ほど薫りがないちうのは嘘や。」

「やいや、そら秋の方がえゝ薫りや。」と、數之介も小さな香氣の塊を一つ口に入れ、齒のない口で、もぐ/\と顏中を動かして、ぴちや/\と舌を鳴らした。

「梅鉢屋の坊ンさん、何してやがるんやろ、まだ酒持つて來やがらん。」と、重吉は貴い人の筆蹟「天滿校」の三字の額の眞下の窓から、折柄の朧夜に、薄絹を張つたやうな靄を透かして、葉櫻の影の仄暗い石門の邊りを見下ろした。

「あゝ來た/\。何んぢやこの月夜に提灯とぼしやがつて、……あゝ提灯持つてるのは竹丸さんや。」

重吉がかう言つた時、この大きな室の四隅の柱のあたりで、俄にメキ/\凄まじい音がした。

「地震や。」と、助役は松茸の稍大きなのを口に含んだまゝ、周章てゝ立ち上つた。大きな室の床板は、三人の男と、多くの椅子、卓子と、七つ八つもある書類入の戸棚とを載せたまゝ、風船が下降するやうに、ずうツと沈んで行く。驚いた顏をした重吉と、呆れた眼を瞠つた數之介とは、渡船にでも乘つてゐる人のやうに、中腰でヨロ/\して、下り口も出口も分らぬ状で、うろ/\してゐた。

數之介の手には、大事さうに蔓を握つた蒸し松茸の土瓶があつた。

「數さん大地震だすなア。」と、重吉が慄へ聲で、唇の色まで土色にして言つた時、室の動搖はピタと止つて、朧月に葉櫻の影の映つてゐた硝子窓は二間も上になつた。ところ/″\雲でも描いたやうに、雨漏りのある白い貼り天井は、三間からも上になつて、遙かに大空を望むやうであつた。

「何んやこら、二階の床が落ちたんやないか。」

其の途端、またメリ/\と音がして、階下の教室の黒板を壞した音に、ハツと氣付け藥を服まされた風で、助役はかう言つた。漸く階下への下り口を見出した時は、階上が階下になつて、長い階子段は高く棒のやうに眼の前に突ツ立つてゐたのである。

「あゝ此處が玄關の出口や。……」

二階全體がフワリと下りて、階下の教室の並んだ机の上へ安全に据つたのである、といふことを知つた重吉と數之介とは、何とも知れぬ妙な顏をして、互ひに眼をパチクリさしてゐた。

「えらいこツちや、どえらいこツちや。」

天滿宮の神主の息子竹丸と、梅鉢屋の小僧とは、玄關先からこの状を覗き込むと、口々にかう叫んで、矢のやうに駈け去つた。

「一寸面白かつたやないか。」と、助役は元の顏色になつて、莞爾と笑つた。

「おもろい(面白い)も、よう出けた。……わたへはもう死ぬと思ひましたで。五月二十日が木村重吉の命日になるんやと思ひました。」と、重吉の聲はまだ慄へてゐる。

「命日のこと考へてるやうな、氣樂なこツちや、なか/\死ねん。」と、助役は倒れもせずにあつた自分の椅子に腰をおろした。

今は缺員空位の村長の卓子の青い掛け布の上の、早咲の菖蒲を生けた頭勝ちの花瓶が一つ轉けたゞけで、其の餘のものはそつくり有姿のまゝであつた。

「こいつが危なかつたなア。」と、助役は自分の直ぐ前の、ニツケル鍍金の大きな臺付の空氣ラムプを見詰めた。今一つの燈火は吊ラムプであつたから、柱のボン/\時計とゝもに、遙かに高く取り殘されてゐた。

「あゝ數さんが、……大事さうに土瓶提げてはる。」

かう言つて、玄關の扉から顏を出したのは、宿直室で寢てゐた學校の女小使であつた。四十を越してこんな勤めをしてゐても、女は女だけに、薄汚ない寢衣の袖で、羞かしさうに口元を掩うた。

「お道つあん、どしようぞいな。……こんなことになつて。……」と、重吉は漸く少しの戲談を言ひ得るまでに、落ち付きを見せて來た。

「……月が重なりや、お腹が太る、どしようぞいな……ぢや。」

燒糞のやうに言つて、助役は方々を見はしてゐた。

「……さ、棄てとけ、放ツとけ。……ぢや。」と、數之介は節を付けて今にも踊り出しさうにしながら、また蒸松茸を一つ摘んで、齒のない口に入れた。

「重さん、梅鉢屋の坊主、酒置いてゐたかいな。早うせんと、數さんが松茸皆平げはるで。」

「けんど、こんなりで酒飮んでることも出けんやおまへんか。」と、重吉はまた落ち込みはしないかと、床板をトン/\踏んでみた。

「それもさうやなア。……重さん一寸いて、太政官呼んで來いよ。……あいつが儲けた普請や、このざま見せたろ。」

「さよか、もう寢てるやろな。……」と、重吉は首を傾げ/\、急出來の床の上から廊下へ飛び下りて、上草履のまゝしツとりと夜露に濡れた土を踏んで行つた。

「皆さんの氣樂人やこと。ホヽヽヽヽ。」と、學校の小使お道は、若々しい聲で笑つて、寒さうに肩を窄めながら、宿直室へ歸つて行つた。

「お道つあん、後から行くで。……夜這ひに。」と、助役は叫んだ。

「待つてまツせ。……お家でお家はん(女房の事)が、……鐵漿附けて。……」

お道の若々しい聲は、廊下の曲り角あたりから聞えた。

「今晩は、今晩は。……もうお寢みだすか。」と、重吉が太政官の隱居の戸を叩いてゐるのが、ツイ一重隣りからのやうに聞えた。

東の村あたりで、頻りに犬の吠え立てるのも聞えた。

「中氣やさかいな。太政官、なか/\起きんわい。……太政官も、もう世の季ぢやわい。」と、數之介は嘲笑ひつゝ、また蒸松茸を一つ頬張つた。

「數さん、毒や、腹しもてるちうたやないか。」と、助役は耐り兼ねて、土瓶を取り上げた。

Chapter 5 of 9
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