Chapter 1 of 2

雄吉は、親友の河野が、二年越の恋愛事件以来――それは、失恋事件と云ってもよい程、失恋の方が主になって居た――事々に気が弱くてダラシがなく、未練がじめ/\と何時も続いて居て、男らしい点の少しもないのがはがゆくて堪らなかった。

河野の愛には報いないで、人もあろうに、河野には無二の親友であった高田に、心を移して行った令嬢や、又河野に対する軽い口約束を破ってまで、それを黙許した令嬢の母のS未亡人に対する河野の煮え切らない心持は、雄吉から考えれば腑甲斐なき限りであった。

雄吉が、若し河野であったならば、斬ったり突いたりするような事は、自分の教養が許さないにしても、男らしい恨みを、もっと端的に現わせる筈だのにと思った。それだのに河野は、ぐたぐたとなってしまった許ではなく、令嬢の愛が自分にないと知ると、自分の身を犠牲にして、恋の敵手と云ってもよい高田と、自分の恋人とを、仲介しようとするような、自己犠牲的な行動に出ようとした。河野は、それを人道主義的な、高尚な、行動ででもあるように思って居た。雄吉は、そうした河野のやり方を、蔑んだ。自分が捨てられると、今度は直ぐ、自分の恋人と、憎まねばならぬ筈の恋の敵手とを、仲介しようとする、それでは至純と思われて居た筈の河野の最初の恋までが、イカサマな贋物のように思われるのではないかと雄吉は思った。

而も、河野のそうした申出が、相手の高田から『大きなお世話だ。』と云うように情なく断られると、今度は最後の逃げ道として、帰郷を計画しながら、而も国へ帰ったかと思うと、もう三日振りには、淋しくて堪らなくて、東京へ帰って来たのであった。

それに、自分独りで、グッと踏み堪える力がなくて、毎日のように友人を代りばんこに尋ねて、同じ愚痴を繰り返して、安価のお座なりの同情で、やっと淋しさをまぎらして居るような河野の態度も、雄吉には堪らなくはがゆかった。

それも、細木だとか雄吉など云う極く親しい友人が、河野の愚痴を聴き飽いて、もう新鮮な同情を与えなくなると、今度は高等学校時代の旧友や、一寸した顔馴染の人達を囚えて、河野は相変らず、同じ事を繰り返して居るようであった。

「若し、河野があの失恋をグッと踏み堪えて居て、田舎で半年も、じっと黙って居て呉れゝば、我々はどれほど河野を尊敬したかも知れない。河野だって、何れほど男を上げたかも知れない。」と、雄吉は細木などに、よくそんな事を云って居た。

河野の失恋は、その腐ったような尾を、何時迄も、引いて居た。そして、その尾は何時の間にか、放恣な出鱈目な、無検束な生活に変って居るのであった。彼の生活の何処にも、手答えがなかった。性格から、凡ての堅い骨を抜き取ってしまったように、何事をするにも強い意志がないように見えた。そして、おしまいには、今迄の親友の群を放れて、何時の間にか、遊蕩生活をさえ始めて居た。そして、自分に対する友人たちの尊敬や信頼を、自分で塗り潰して居た。

その頃の雄吉は、細木や藤田などに逢うと、定まって河野に対する悪口を云って居た。細木などと、久し振に会って、三時間も四時間も、立てつづけに喋った後で、総勘定をして見ると、会話の三分の二までが、河野の過去や現在のだらしのない行為や生活に対する非難で持ち切って居た。失恋当時の弱々しい未練たっぷりの態度や、それにつづいての妄動や、現在の彼の生活の頽廃して居ることを、掛合で喋って居るのであった。それに気が付くと、雄吉は淋しかった。親しい友人の悪口を、蔭でさん/″\に云い合う。その事自身が、可なりいやしい厭わしい事に違いなかった。が、会話の途中で、ついその事に気が付いて、

「ああそう/\。又河野の悪口を云って居た。」

と、お互に制し合う場合には、きっとその後の話には、一時に沢山の禁句が出来たように、妙な窮屈さを感じた。そして、何時の間にか話が河野の悪口に、後戻りして居るほど、雄吉たちは、河野の生活に対する非難で、心が一杯につまって居た。

雄吉は思った。我々の親しい友達の間では、今迄蔭口などは、決して利いた事はなかったのに、河野に対してのみは、皆が平気で少しも良心の苛責を受けずに、いくらでも悪口を話し続け得るほど、河野は友達に対する威厳を無くしてしまったのだと。友人に対する威厳や、友人からの信頼を、無くしてしまう事、それは無くする当人から云っても無くされる友達から云っても、可なりの悲劇に違いないと思った。

殊に、雄吉は細木などから、

「何うだ。やっぱり、君が新聞小説なんかを、書かせるからいけないのだ。河野を貧乏にして置いたら今頃は困って居るにしても、健全に、清浄な生活を送って居るぜ。」などと云われる度にくすぐったいような不快を感じた。河野が失恋に苦しむと同時に物質生活の不安に脅かされて居る時、多くの友人の抗議を排して、新聞小説を書かせたのは、雄吉であった。河野が、細木や吉岡などの烈しい反対に逢って、到頭書かないことを決心して、断りの返事を、雄吉の所へ持って来たとき、敢然として再考を求めたのは雄吉であった。

河野と同じように、無資産の貧乏人である雄吉は、細木や吉岡などよりも、河野の心持はよく判った。失恋と同時に、凡てに元気を失った彼には、付物である物質上の不安が、何時よりも猛烈に、感ぜられて居たのだ。その不安を取り去ることは、失恋に対する対症法ではなくとも、彼の心持を、少しでも軽くする事に依って、間接に幾何かは、彼の苦悩を癒するものと信じて居た。雄吉のそうした考えも、一時は誤って居ないように見えた。

『僕は、新聞小説をかいた事によって、やや救われたと云っても、いい位だ、あの頃の友達の忠告の中では、君のが一番適切だった。』と、河野は後になってから、雄吉に感謝の意を洩したこともある。それに対して、雄吉も内心多少の得意は感じて居た。それだのに、河野の生活が、此頃のように放埒になってからは、宛もその原因が、新聞小説をかいた為に得た比較的豊かな、物質上の自由にあるように解釈されて、従ってそれを書く事を勧めた雄吉迄が、細木などから軽い非難の的になって居た。その事も、雄吉としては、快い事ではなかった。

その上、その頃は雄吉の知人で、同時に河野を知って居る誰かに逢うと、その人はきっと河野に対する報告を、聞かせて呉れた。丁度、子供が何かの悪戯をしたのを、それを監督する責任のある父兄に、告口でもするように。

「君! 河野君が此間の晩にね……」とか、

「君が、まだ知らないとは駭いたね。」と云うような冒頭で、河野があゝしたこうしたと云ったような事を、いくらか誇張したように、話して呉れた。どの話を聴いても、河野は決していゝ役廻りをして居なかった。河野が人が好くて、気の弱いのに付け込まれて、散々に利用されて居て、しかも蔭では、馬鹿にされて居ると云ったように結論せられる話ばかりであった。そして彼等はきっとおしまいに、

「君達から、少し忠告するといゝんだ。」と、親切ごかしに、付け加えて呉れるのであった。

雄吉も、細木や藤田などの極く親しい間だけでは、河野に対する非難を、いくら繰り返しても、そう不快ではなかったが、余り自分たちと、親しくない者から、彼に対する非難や侮蔑を聞くと、やっぱり不愉快であった。もっと、何うかして呉れればいゝと、思わずには居られなかった。もっと、シャンとして呉れればと、思わずには居られなかった。

河野は、生活の調子を、ダラシなくしたばかりでなく、創作の方面でも、同人雑誌をやって居た頃の向上的な理想などを、悉く振り捨ててしまって、婦人雑誌の中でも一番下品な雑誌へ、続き物を書く約束などを始めて居た。藤田などは、それを知ると目を丸くして、駭きかつ慨いた。

「僕は、河野が放蕩を始めたからと云って、それを彼是云おうとは思わない。いくら、遊蕩をしてもいゝが、創作の方面でもっと真剣であって呉れれば文句はないのだ。また創作の方面を投げやりにするのなら、もっと実生活の方でシッカリした真面目な生活を送って呉れればいゝんだ。河野は、生活も創作も両方とも、投げやりにして居るから、救われないと思うんだ。どんなに放蕩してもいゝ。いい物を書いてさえ呉れれば、僕達はグウの音も出さないんだ。」と、雄吉は細木に云ったことがある。

河野の生活が、だん/\その調子を狂わしてからは、雄吉たちとの交際も、だん/\疎遠になった。夕方の五時からは、どんな所用があって、尋ねて行っても、在宅して居ることは、殆どなかった。

「河野の所へは、何時行っても居ない。」と、雄吉たちは口々に云い合った。家に居ないことまでが、何も河野に、道徳的責任がある訳でもないのだが、幾度も重って居る中には、そう云う事からしても、妙な感情上のコジレが出来かけて居た。

其中に、河野は雄吉などの連中とは、全く違った遊び友達を、作って居た。

「君達は、酒が飲めないから、駄目だよ。僕にはやっぱり、飲み友達と云ったようなものが必要だよ。」と、河野はよくそれを弁護した。又、人が好くて、我を出さないで、殊に酔うと、益々無邪気になる河野は、誰にでも友達として、直ぐ受け容れられて行くのであった。

「あの連中との交際は、第二義第三義の交際だよ。君達がやっぱり第一義だよ。」と、河野はそんな事を云った事もある。が、然しそうは云うものゝ、河野がだん/\今迄の友達と離れ、新しい――同時に交際の興味も新しい――友達に、親しみかけて居るのは事実だった。相対する高台と高台とに、住んで居ながら、河野は雄吉を尋ねて来ることなどは、殆どなかった。何時行っても不在なので、雄吉の方から、訪問する気も起らなかった。

今年になってから、仲間中だけで、組織して居る会で、雄吉達は久し振に河野に会った。河野の生活に対する非難が銘々の心の中で、白熱して居た。河野は、入って来た時から、険悪な空気に包まれて居た。細木と藤田とは、つい妙な話の機みから、河野に対する平生の非難を、口に出してしまった。それは、蔭で云って居る河野の悪口のホンの余沫が出たのに過ぎなかった。それでも、河野には可なりの致命傷であったらしかった。雄吉は、蔭では河野の悪口を真先に云って居る癖に、いざと云う場合になると、一口も云えなかったことが、恥しかった。誰に対してもいゝ子だと思われたいと云うような、利己的な心持から、黙って居たのではないかと、自分で恥しかった。やっぱり、細木や藤田などの方が、あゝした直言をするほど、自分などよりも、河野に対して、熱誠を持って居るのだ。何も云わないで、黙って居た自分が、河野に対して、一番冷淡なのではないかと思った。

が、兎に角、偶然の機みから、少しは場所柄がよくなかったにしろ、河野に対する苦言が与えられたことを、欣ばずには居られなかった。

あれで、少しでも河野の生活が引きしまって呉れゝばいゝと思った。

が、そう思ったのは、雄吉の空しい望であったことが、直ぐ判った。

河野は、細木や藤田などの忠告を『友達が悪い。』というように、うすっぺらに解釈して新しい友達の今井などに云ったので、今井などは細木や藤田などに対して、悪意を持つようになったと云う事実を、雄吉は新聞のゴシップでしった。それを知った時に、雄吉は河野に対する最後の愛想を尽かさずには居られなかった。

細木や藤田などの、河野の生活の根柢そのものに触れた非難を、小学校の生徒同士の忠告か何かのように、『誰それさんと遊ぶな。』と云うように解釈して、しかもその誰それさんに、直ぐ云い付けに行く態度を、憤慨せずには居られなかった。

交友が悪いと云うような忠告は、小学生少くとも中学生、大負けに負けて、高等学校の生徒迄位に対してのみ、与えられるべきものだ。もう三十にも近く、創作でもしようと云う人間で、友達の善悪などが問題になるのかと思った。みんな自分自身の問題ではないか。自分の生活の心臓に、指し向けられた非難を、正当に受け入れる勇気がなくて、それを罪も報いもない遊び友達に指し向けようとする河野の男らしくない弱者の態度を、雄吉は賤しまずには居られなかった。こんな事は、自分自身の腹の中で、グッと堪えて居ることではなかろうか、それを自分一人では辛抱がしきれなくて、遊び友達を非難の渦中に捲き込んで、彼等に縋り付くことに依って、細木などの忠告から受くる淋しさや苦悶を、免れようとして居るらしい河野の弱さを、雄吉は、賤しまずには居られなかった。それと同時に、用でもなく、満更知らない仲でもない今井などと、細木や藤田などの間柄を、傷けるような河野のやり方を、雄吉は心の中で可なり烈しく非難した。

細木などの苦言を受けて、全く悄気て居た河野には同情した雄吉も、こうなっては少しの好意も残って居なかった。彼のやり方を詰責する手紙を送ってやろう。その為に河野との友情が害われても仕方がない。何うせこんな調子で、推移して行けば、早かれ遅かれ、おしまいには破れてしまうのだからと思った。

が、雄吉がそうした手紙を書こうと思って居た時であった。雄吉は、河野から、こんなハガキを受け取った。

○○座の一行と川越に来て居る。今日一座の者と一緒に町廻りをした。ふと、振り返って見ると、僕の乗って居る車にも、河野秀一と云う旗が立って居るのには駭いた。

と云う簡単な文句が、書いてあった。雄吉は、之を見た時、『河野らしい反抗だな。』と思った。

『君達が、忠告すればするほど、ダラシなくなってやるのだ。田舎の役者と一緒に町廻りなどをすれば、君達は又鹿爪らしく非難する事だろうよ。』と云ったような河野の棄鉢的な反抗が、マザマザと見え透いて居るように思われた。雄吉は、河野の気持が、こんなにこじれてしまって居る以上、詰問などをしても、甲斐がないことだと思った。その儘に思い止まることにしてしまった。それに河野は川越から帰ると、又直ぐ大阪の方へ遊びに行って、其処から又『俺は大に遊んで居るよ。』と云うようなハガキをよこした。それで、大阪から帰る汽車の中で、風邪を引いたにも拘わらず、帝劇の初日に可なりの発熱を感じながら、見に来て居たと云うような噂を、其後誰からともなく、雄吉は聴いて居た。

「あの人は、あゝした賑やかな場所へ来ることが、何よりも好きらしいな。この頃は、自分の家などには、淋しくて居たたまらないらしいのだよ。この間の初日なども、河野君にとっては、別に顔出しをしなければならない訳はないのだが、それでも顔を出さずには居られないんだね。」と、その男は付け足した。

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こうした心持で居たから、雄吉は雄吉達の友達である鳥井の結婚式があると云う日の午前に、河野から、

『流行性感冒にかゝり、昨夜以来、発熱四十度、今日の鳥井の結婚式には、とても出られない。鳥井によろしく云って呉れ。』

と云う速達のハガキ――それも誰かの代筆らしいのを、受け取った時、友人の急な重態に駭くのと同時に、心の底の何処かで『いゝ気味だ』と、云うような気がするのを、何うしても打ち消すことが出来なかった。自分達の河野の生活に対する非難が、こうした偶然の出来事に依って、代弁されるようにさえ思った。無論、河野の放恣な出鱈目な無検束な生活が、直接には発病の因を、成しては居なかったろう。が、雄吉は、若し河野が一月ほど前に、細木や藤田などが与えた苦言を幾らかでも聴いて、もっと慎ましい秩序のある生活をして居たならば、こうした危険な病勢などを、未然に防ぎ得ただろうと思わずには居られなかった。

『あの忠告は、本当に時宜的忠告だった。今度のことで、少しは思い知るがいゝ。』と雄吉は思って居た。

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