Chapter 1 of 10

熊川忠範の名前は、今や、全村はおろか、県下に知れ渡らうとしてゐる、といつても言ひ過ぎではない。

一介の炭焼が、突如として名声を博し、やがて産を成す希望を与へられたと言へば、おそらく森の奥で金塊を拾つたか、谷川のほとりにラヂウム泉の湧き出るのを見つけたか、そのへんのところに相違ないと思ふひともあらうが、話はもう少し込み入つてゐて、しかも、人生の皮肉を興深く感じさせるものである。

太平洋戦争酣な頃、上州浅間山麓の焼石の原のまんなかへ、海軍関係の工場が建設され、いく百といふ召集漏れの男子が徴用工として集められた。

そのなかに、別にこれといふ特徴もない中年の小柄な男が混つてゐた。なにをさせても、こつこつと、根気よく働くかわりに、なんでもない仕事に、ひとの三倍時間をくふといふ変り者で、そのうへ、仲間のわるい企みには決して加はらず、かといつて、それを上役に密告するやうな真似はしたためしがない。酒は一滴も飲まぬが、煙草は好物で、配給のキザミや金鵄ぐらゐで事足りるわけはないから、ひとから聞いたイタドリやフキの葉を乾かして吸ひ、山をうろつきながら、さまざまな雑草の葉を自分でためしてみては、最後に、ゴハといはれる茎の短い、大きな葉がカヘデのやうに五つに割れたヒダのある草を常用にした。

この男はまた、平生はおそろしく無口で、ひとが何を喋つてゐても、めつたに口を挟むことはなく、だれも、この男が、仕事の最中に無駄話をしてゐるのを見たことがない。ところが、たつたふたつ、この男を見違へるほど能弁にする話題があつた。それは、事、建築用材に関して、それから、もうひとつは、朝鮮といふ土地柄に関してである。

なるほど、その理由は、聞いてみればなんでもないのであるが、たゞ、面白いことは、ひとびとはやがて、この能弁にいたく悩まされるに至るといふことである。

この男は、熊川忠範といひ、徴用された時は四十二歳であつた。もと九州柳川在の生れで、次男坊なるが故に、縁故を辿つて大阪へ年期奉公に出た。奉公先は、ほかでもない、洗ひ屋であつた。洗ひ屋といふ職業を当節の若いひとはあまり知らぬやうであるが、これは、ひと口に言へば、汚れた家の洗濯をする仕事で、年月の垢のたまつた家の隅々を、或は、新築中にいくらかはつく柱や天井のシミを、薬品を使つて綺麗に洗ひ落す特殊な技術者を指すのである。

そこで、熊川忠範は大阪でこの洗ひ屋といふ商売をおぼえ、一人前の職人になると、仲間の誘ひに乗つて東京へ踏み出した。東京には腕のいゝ洗ひ屋が少く、今のうちなら、腕が見せられるといふ、その仲間の、青年らしい野心についふらふらと未来の夢をみたためであつた。

東京は、熊川忠範を寛大に迎ひ入れはしなかつた。仲間と二人で、さる親方の店に使はれてゐるうちに、相棒の男は、彼に無断で店を飛び出し、親方は、その罰として彼の給料を上げようとしなかつた。

彼はしかし、なにひとつ不平を鳴らさず、春夏秋冬、黙々としてサヽラを握り、あらゆる用材の、千差万別の木目に注意を集中した。黒く煤けた柱の面が、薬品の効き目でほのかに地肌を表はしはじめた時の、心のときめきは、彼の生活の唯一の快い刺激であつた。時には親方に連れられ、時には、親方にへたくそな図面を書いてもらつて、新たな仕事場へ出かけて行くのも、楽しみのうちへ数へてよからう。

シモタヤのこともある。おほかたは、自分など住めさうもない、だゞつ広い屋敷である。

旅館料理屋のたぐひが、わりに多い。これも自分とは縁のなささうな贅沢な構えである。

たまには、事務所や、寺や、土蔵などがある。やはり、さういふところは、なんとなく張合ひがない。仕事の最中を、誰かに見てゐられるといふことは、そんなに意識はしなくつても、それはそれで、邪魔にならないばかりでなく、むしろ、気が張つて調子のつくものである。

ひと通り仕事の終つたところを、旦那がやつて来て、――ほゝう、見違へるやうになつた。これやまた、たいしたもんだ、と、目をみはり、どうかすると、それがまた、品のいゝ若づくりの細君が一緒ででもあらうものなら、熊川忠範は、ひときわ面目を施し、硫酸水に荒れた手で鼻をこすり、わざとそつぽを向いて煙草をふかすのである。

彼の仕事は、たしかに丁寧を極めてゐた。しかし、その半面、能率がおそろしくあがらないことも事実であつた。当節の商売は、それでは割に合はぬといふことを悟らないのは彼だけで、親方は、ついに業を煮やした。

能率をあげるといふことは、結局、ざつな仕事をすることだといふ論理を、彼は頑として腹の底にもつてゐた。それゆえ、親方の言ふことは耳にはいらなかつた。

「手間をかけねえで、ぱりツとした仕事をするのが腕のいゝ職人だ。てめえみてえに、柱一本、一日がかりで、ためつすかしつ、いぢくつてたんぢや、見積りどころか、とんでもねえ足が出るばかりだ」

「手をぬく仕事な、わしにやでけんとたい」

「手をぬけと誰が言つた? この腑抜け野郎、見るものが見て、文句がなけれや、それでいゝんだ。いゝ年をしやがつて、ふざけるない!」

別にふざけてなどゐるわけではないが、熊川忠範は、親方の言ひ分が少々腑に落ちない。

彼は、自分の方から、暇をとることにした。ひそかに期するところがあつたからである。

独立しよう、と、彼は思つた。つまり、フリイの立場で、顧客を作るのである。いくぶんは彼の仕事ぶりを認め、好意的に口をかけてくれる棟領などもあつたが、それも当座のこと、秋になると目立つてひまになり、冬にはいると、ぱつたり、手があいてしまつた。

そこへもつて来て、生憎なことに、二十七歳にして、彼ははじめて、異性に近づく機会を得たのである。

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