Chapter 1 of 8

私が戯曲を書きだしてからもう二十五年になる。四半世紀たつたといふわけである。その間に、いろいろな事情でしばらく戯曲の創作から遠ざかつてゐたこともあるが、やはりそれは自分の文学的故郷のやうなものであるから、折にふれて、いつかはまたそこへ帰りたいといふ願望がしきりに私を襲つた。

戦争もすみ、新劇団も活溌に動きだし、昔から関係の深かつた俳優諸君の健在を眼のあたり舞台で知る機会もでき、私は久々で戯曲を書いてみる感興をおぼえたのである。

しかし、妙なもので、いざ書かうとすると、なんとなく勝手が違ひ、機械なら歯車がうまく噛み合はないやうなもどかしさを感じてすこしギヨツとした。

さて、自分でまた戯曲を書くだんになると、新旧内外の戯曲にも以前のやうな親しみを覚えてくる。勉強のためにも、努めて、さういふものに眼を通さうとするのであるが、今、私が一番気になることは、この二十五年間に、世界の、特にわが国の劇文学がどういふ方向に、そして、どの程度に進んだかといふことである。

進んだ、といふのは、進歩の意味よりも、むしろ進化の意味であることはもちろんである。フランスで云へば、私はパニヨオル、ジロドウウぐらゐまでしか読んでゐないし、日本の新作家では、さあ、誰といつたらいゝか、まづ戦争直前ぐらゐまでに目立つた作品を公にした人々を最後として、それ以後の新人の名はほとんど知らないといつてよかつたのである。

蔵書を焼いてしまひ、そのうへ田舎住ひをしてゐるので、新知識の獲得には甚だ不便であるが、あれこれと手に入る材料を漁つてみて、やつと、大戦後におけるアメリカやフランスの演劇界消息をおぼろげに知ることができた。菅原卓、川口一郎、加藤道夫三君のアメリカ劇紹介、佐藤朔、鈴木力衛両君編輯の「現代フランス演劇」第一、第二輯は、ともに大きな参考になつた。

が、それはそれとして、私は、一方、最近の雑誌を注意しながら、日本の劇作家がどういふ道を歩いてゐるかを、極めておほざつぱにではあるが、推測することができたのは大へんうれしかつた。なぜなら、これでわが劇文学の進路が、今日までのところ、非常にはつきりしたといへるからである。

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