第一場
舞台は麺麭屋の店に続いた茶の間であるが、正面は障子の心もちにて全体に白幕。――プロセニウムに近く、炬燵に向ひ合つて、文六とおせい。――極度の不安。
家具類は置く必要なし。――夜である。
文六は、独酌で盃を傾ける。もう、大分酔ひがまはつてゐる。
おせいは、時々袖を眼にあてる。
天井裏で、ゴトンといふ音。二人――殊に文六は、水をひつかけられたやうに首を縮める。二人は、笑ひもせず、顔を見合はす。
文六 廉太のやつ、一体、何処へ行つてやがるんだらう、今ごろまで……。
(沈黙)
おせい ほんとなんでせうかね、一体、地球がつぶれるなんて……。
(沈黙)
文六 (頤で二階を指し)おちかは、もう呼ばんでいゝか。おせい いゝぢやありませんか。どうせ今夜限りの命なら、一つ時でも、先生のそばに……。文六 それがいゝことかどうか、おれにはまだわからん。
(遠くの方から賑やかな楽隊の音がだん/\はつきり聞えて来る。群集の歌ひ喚く声。やがて、正面の白幕に一団の人影が映る。舞踏者の群れである。男女の入り乱れ、踊り狂ふ光景が暫く続く)
文六 (独言のやうに)また始まつたな。おせい (これも独言のやうに)どういふつもりでゐるんだらうね、あの人達は。
(楽隊の音次第に遠ざかり、人影消え去る。長い間)
文六 (居眠りをしはじめる)おせい あんた、風邪を引きますよ。文六 (夢現にて)おれは、何んにも悪いことをした覚えはない。おせい ねえ、あたし一人、ほうつといちや、いやですよ。文六 うん……? いま、すぐだよ。おせい あんたつてば……なんて呑気な人でせうね。居眠りなんかしてる場合ですか。文六 うん……お前にはいろ/\苦労をかけたよ。
(遠くから、今度は三味線と太鼓、笛などの囃子が聞えて来る。それがだん/\近づくと、白幕に、三味線を弾くもの、太鼓を叩くもの、笛を吹くもの、扇子をかゝげて舞ひ歩くものなどの影が遠くまた近く映る)
おせい あんた。文六 (答へない)
(囃子遠ざかり、人々去る。間。突然、二つの人影が現はれる。両方とも刃物を振り上げて、身構へる。時計が十一時。おせい、驚いて、文六の傍に身を寄せる。立廻りが始まる)
おせい (悸えて)あんた、いよ/\時間ですよ、もう……。文六 (答へない)
(一つの影が、もう一つの影に触れたと思ふと、一方が、ばつたり倒れる。おせい、文六の肩に顔を押しあてる。一つの影、走り去る。遠くで、人を呼ぶ声)
――幕――