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奥羽地方のシシ踊りと鹿供養
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奥羽地方のシシ踊りと鹿供養
喜田貞吉
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Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 4 of 5

四 アイヌの熊祭と捕獲物供養

北海道のアイヌは今もしばしば熊祭という事を行っている。熊の幼児を捕獲してこれを飼育し、二歳位に達したならば、適当の時を選んで、所謂熊祭を挙行するのである。その行事としては、その熊を祭場に引き出し、その前にてアイヌの第一の嗜好物たる酒を供して神を祭り、結局ここに盛大なる歌舞宴楽を催すのである。されば、その外観は、熊を生贄として神を祭るに似ているけれども、アイヌの解するところでは、それは熊送りというべきもので、平素彼らの食料となる熊を優遇し、これを神の国に送り返すの意義だという。けだし熊は神がアイヌの食料として下されたものなるが故に、これを優遇して再び神の国に送り返すはこれに酬いる所以であり、神はさらにこれに由って一層多くの熊を下してくださるという期待を有するものであるらしい。つまり平素食料として捕獲する動物に対する一種の供養なのである。

北海道には実際熊が多い。それは狩猟に活きたアイヌの捕獲物として主要なるものであった。そこで自然食用獣の代表的のものとして、熊が選ばるるに至ったものであろう。内地の漁村にては、しばしば魚供養という事が行われる。海岸に祭壇を設けて供物を捧げ、僧を請じて経を読む。これを仏法の方から観れば、平素漁夫によって、捕獲せらるる魚属の頓生菩提の祈りであり、兼ねて漁夫に対しては殺生罪業消滅の願いであるという事であろうが、本来はやはり捕獲物に対する供養にほかならぬ。奥羽地方には往々路傍に庚申、山神、湯殿山、羽黒山などの文字を刻した石碑が建っているが、それらと並んで、前記の鹿踊、または鹿供養、鹿踊供養などと刻したものの存在するを見る。これけだしもと食用として捕獲した鹿に対する供養の示表で、奥羽における鹿はなお北海道における熊の如く、食用獣としての捕獲物の主要なるものであったが為に、自然供養の対象としてそれが選ばれたものであろうと解せられる。津軽浅瀬石川の上流地方には、岩面に鹿の頭を刻したものの存在することを黒石の佐藤耕次郎君が報告せられた。これは前号所載「北海道発見の石面刻文」の末に附記しておいたところであるが、土地の人はそれを獅子岩と呼び、その所在地に獅子が沢の称があるという。これは鹿の事をかつてシシと呼んだ一証であるとともに、今もなお諸所に建てらるる鹿供養の石碑と同じく、捕獲獣に対する供養の意味において、文字なきマタギ等の刻したものであろう。そして同君の最近の通信によれば、同様の石刻が右の獅子が沢以外、他にも二ヶ所で発見されたという。これ以て右の推測に一層の確実性を添加したものと謂わねばならぬ。

さらにこれも前号論文の末に附記したところであるが、秋田県由利郡及び雄勝郡において、同じく岩面に数尾の魚を条刻したものが発見されたとの深沢多市君の通信は、この地方における古代民衆の食料として重き地位を占めた筈の鮭供養記念の碑として解すべく、右の津軽の獅子岩などとともに、捕獲物に対する供養の所々に行われた例として見るべきものであろう。

ここにおいてさらに問題のシシ踊りについて考うるに北海道のアイヌが主要捕獲物たる熊の為に熊祭を行い、酒宴を催して多人数歌舞遊興すると同じ意味において、奥羽地方では鹿供養が行われて民衆が相ともに歌舞宴楽したという事は、何人も容易に想像せられうべきところで、これが当時民間に流行した田楽舞と合流して、遂に所謂鹿踊りを見るに至ったものであろう。獅子頭に鹿角を附けたシシ踊りの意義、かくの如くにして解すべきである。

Chapter 4 of 5
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