一 緒言
自分は昨年一月の本誌神祇祭祀号において少彦名命の研究を発表した中に、説たまたま谷蟆の事から、引いてクグツ(傀儡)の名義にまで一寸及んだ事であった。それには、古事記に少彦名命の事を知っておるものが久延毘古であり、その事を大国主神に申し上げたものが多邇具久であったという、その谷蟆とは傀儡子の事ではなかろうかというのであった。すなわちクグツは蟆人の義ではなかろうかというのである(五巻一号二二頁―二三頁)。それには延喜式内久久都比売神社、倭姫世記の久求都彦の名を引合いに出したのであったが、当時はそれが研究の目的でなかったから、説いて詳細に及ばなかったのみならず、考えの到らなかったところもあり、また後から思いえたところもあり、ことにその問題を引き起すに至った所謂谷蟆なるものについても、深く考慮を廻らすに至らなかったのであったから、今その説の不備を補い、いささかその名義の由って来るところを論述してみたいと思う。そもそも浮浪民の問題は、我が古代の社会状態を知る上において、既に本誌上において手をつけている俗法師や土師部とともに、(既に本誌三巻五号において述べた如く)我が古代特殊民構成の三大要素ともいうべきものである。これらの三大要素は、本来その起原を異にするもののみではなく、またその起原を異にしたものがあったとしても、多くは一度一つの大きな水溜りに流れ合って、それにいろいろの落伍者が流れ込んで、互いに錯綜してさらに種々の流れに分れ出でて、後世見る様な雑多の様子を異にした特殊民をなしたのである。そしてその浮浪民の最も著しい現われは、すなわち中古に所謂傀儡子すなわちクグツであった。今このくぐつ名義考は、自分が本誌において引き続き俗法師や土師部の研究を発表するとともに、残れる一大要素たる浮浪民の研究を、相並べて発表せんとする手始めをなすべきものである。