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〔備考〕個人自由とは近来わが政論社会に行なわるる文字なり。今改進論派を吟味するに当たり端なくこの文字を提出するがゆえに、ここにその大要を説明せん。個人的自由とは一個人としてその固有能力を発達するの自由を指称す。たとえば富豪はその財産の力によりて自由に幸栄を増し、学者はその知識の力によりて自由に地位を高め、貧かつ愚なるものもまた国家の干渉を頼まずしてその固有の能力に応ずる発達をなすがごとき、これを個人的自由すなわちリベルテー・インジヴィジュエルとぞ名づく。改進論派はこれを政治の標準となすがゆえに、したがって貴族の成立を是認しまた賤民の存在を常視す。すなわち中等社会〔ミッテルスタンド〕はこれを平均の度としてその標準となすところに係る、しかしてこの三種族の間に法律上の階級を固くせざるは、実に優勝劣敗の天則に任じて個人的発達を自由にするゆえんなり。個人的自由に反対して世人がつねに称道する国家的自由なるものあり、吾輩は国家的自由の何物たるを知るあたわず、しかれども泰西においては個人的自由に対するに公同的自由すなわち平等一般に享受するの自由というをもってせり。邦人の称する国家的自由は多分これを指称するならんか、公同的自由もしくは国家的自由とは、今の板垣伯が八、九年前に明語せしごとく、「自己の自由を枉げて公同の自由を伸ばす」との謂にして、貧富智愚の差等にかかわらず人民みな平等に自由を享有することを指す。すなわち板垣伯のいわゆる「富かつ智なる者が貧かつ愚なる者を圧するの政」は、個人的自由において尋常なるも、公同的自由、国家的自由には反するの政なりとす。以上は二者の区別なるも読者はこれをかの世俗にいわゆる個人主義および国家主義の関係と混じるなかれ、この対語は国家と個人との関係を意味するに似たり。すなわち干渉主義と自治主義との異称と知るべし。なお通俗にこれを言えば政府と人民との関係にして、個人主義とはすなわち人民自治の領分を拡めんとの謂なるべし。同じく自治主義なり、しかして一は個人的自由に基づきて制限選挙および二局議院を主張し、一は公同的自由に基づきて普通選挙および一局議院を主張す、これ改進論派と自由論派との差違なり。この二論派とかの帝政論派とはともに立憲政体すなわち自由制度を主張して異同なかりき、しかして二論派は個人主義すなわち自治主義に傾きて帝政論派は国家主義すなわち干渉主義に傾く、その前者との差別はこれにて明白なるべし。次に自由にはまた人文自由すなわち個人が社会に対する自由と政治自由すなわち個人が国家に対する自由との別あり。政治自由は憲法または法律によりて生じ、人文自由は行政によりて定まる、しかしてその前者との関係を言えば人文自由は個人主義と国家主義とによりて消長し、政治自由とは個人的自由と公同的自由すなわち俗に言う国家的自由とによりて伸縮すべきものなり。例を挙げてこれを言えば法律をもって制限選挙を定め参政の自由〔政治自由の一種〕を制限するは個人能力の差別を認むるもの、すなわち個人的自由の勝利にして公同的自由の敗亡なり、すなわち行政において工業の賃銀を定め職人の自由〔人文自由の一種〕を保護するは国家主義すなわち干渉主義の勝利にして個人主義すなわち自由主義の敗亡なり。これによりてこれを見れば個人的自由とは差別上の自由にして国家的自由とは平等上の自由、別言すれば個人的自由の極度なり、また国家主義とは政府の干渉を是認する主義にして個人主義とはこれに反し人民の自治を主張する主義なり、世人は今日なおいまだこれらの区別を明らかにせざるがごとし、また人文自由とは社交上の自由にして政治自由とは国憲上の自由なり、しかしてかの自由論派はこの二者を混同したるがごとし。
改進論派は貧富智愚の差別を深く考量して制限選挙および二局議院を主張せり。この点においては個人的自由の味方にして帝政論派と相近く自由論派とははなはだ遠し。改進論派は政府の干渉を排斥して人民の自治を主張しすなわち個人主義の味方なり。この点においては自由論派とはなはだ近くして帝政論派とはすこぶる遠し。改進論派は貧富強弱の懸隔を放任して優勝劣敗を常視し、政治自由の制限をば是認するも人文自由に係る干渉は痛くこれを排斥するがごとし、この点においては自由帝政の二論と相離るるや遠しと言うべし。改進論派は自由論派とともに主権在民の説を是認して帝政論派の主権在君論に反対したり。しかれどもその説は帝室および国会を一団となしてこれを主権所在の点となし、英国の例を引きて幾分か取捨を加えたるは自由論派と異同あり。改進論派は帝政論派とともに秩序と進歩とを重んじて自由論派の急激的変革に反対したり、しかれども内治の改良を主として国権の拡張を後にしたるは帝政論派と大いに異同あり。
改進論派は第一期の帝政論派たる国富論派より来たることはすでに前章に述べたるがごとし。さればかの国権論派の一後胤たる自由論派と相隔絶することは自然なりと言うべきか。この二論派はともに欧米の文物を取りて日本の改良進歩を図るの論派なり、しかれども自由論派はその祖先たる論派と同じく主として政治上の進歩を希望し、むしろ理想上の希望を国家の体制に抱く、しかして改進論派は国富上の進歩を期し、社会経済の改良を先にし、その方法として政体の改良を唱え政府の干渉を排斥したるがごとし。この論派は英国のリベラール派に擬したるものにして内治外政いずれも平和的進歩を主眼となす、ゆえに内治については急激改革の害を論じて秩序的進歩を主張し、外政については国権の拡張を後にして通商的交際を要務としたり、けだし破壊と戦乱とは経済世界においてもっとも悪事とするところなればなり。
自由論派はその論拠をつねに義理の上に置き、ただ人類を見て種族を見ず。しかして改進論派はもっぱら便益をもってその標準となし、社会に現存する自然の種族をばみなこれを正当視したり、この点においては改進論派はかの自由論派の理想主義に反対して一の現実論派なり。自由論派はただに日本人民の自由を希望するに止まらず、この自由のためにはまず国権を拡張し、延きて東洋全体に自由主義を及ぼし、ついに世界各国に政法を立てんと希望したるは板垣氏の『無上政法論』に明らかなり、しかして改進論派は人智の劣等国力の微弱を自信し、なるべく国際関係を避けもって内治の進歩を主張し国権の消長をば後にしたり、この点においては該論派は海外に対して一種の保守論派なりき、以上はその自由論派と著しく相違せる大要にして第四期の政論界に至り大いに衝突を起こせしゆえんなりと思わる。然りといえども自由論派が権利上の説を人民の旧思想を喚起したるがごとく、改進論派は経済上の説をもって人民の政治思想を養成したるやその功大なりと言わざるべからず、立憲政体のため民間に施したる準備の功績は吾輩けっしてその自由論派に譲らざることを断言せん。かつ日本において発達したる政論派中当時に至るまでいまだこの論派より充実したるものはあらず、学理と実際とに照らしてその説を立てしかして首尾不同前後撞着の弊少なかりしは、実にこの論派を然りとなす、改進論派の吟味はここに止め、吾輩はこれよりかの帝政論派なるものの大要を吟味せん。
第六 帝政論派
自由論派は抽象的自由を信じてこれをわが国に拡張し、ついに東洋の旧習を一洗せんとするの大望を抱きたり。この論派こそ実に世人の旧思想を警醒し人類の平等を喚起したる奇特の論派なれ、吾輩はその詭激急躁なるにもかかわらずこの点においては該論派の功績を認む。この論派に次ぎて起こりたるはかの改進論派なりといえども、これ自由論派に反対せしにはあらず、むしろ政治の現状を攻撃する点においてはほとんどその朋友なりき、すなわち立憲政体建設の催促においてまったく同一の方面に立ちたり。これに反して「立憲政体建設期の弁護」を勉めたるはすなわち第三に現われたる立憲帝政論派これなり。第一期の政論時代において政法上の急進主義を取りたる国権論派は実に自由論派と帝政論派との祖先なり、しかれども第二期に至り自由論派の父とも称すべき急激民権派に反対し「民選議院尚早論」を唱えたるものは帝政論派の父たる折衷民権派なりき。されば帝政論派は議院尚早論を紹述して当時に起こり、その父祖の系統において親戚たるにもかかわらず、痛く自由論派に反対し、並せてこの点についての付和論派たる改進論派に反対したり。これを要するに帝政論派なるものは政法の改革および自由制度の設立につき他の二論派と相異なることなきも、ただ「改革および設立の期節」においてまったく反対したるものなり。
帝政論派の代表者たるものは実に今の帝国憲法の起草者および註釈者たるところの伊藤伯を然りとなす。福地、丸山の諸氏は常時表面の論者たりしといえどもその本陣はまったく当時の内閣にありというべし。表面より虚心にこれを評すれば当時の内閣は自由制度の反対者にあらず、むしろその味方として自由制度の設立に進行するものなりき、されば帝政論派をもって専制論派または守旧論派となすことはなお自由論派を破壊論派または共和論派となせしがごときのみ。然りといえども大圜線の一断片を取りこれを枉げて別に一小圜を作るは論派の弊なり、自由論派が「主権在民」の理を唱道せしかば帝政論派もまた自ら進んで空理の競争場に入り、あえて「主権在君」の説を唱えこれに反対したり。ここにおいて改進論派はその中を執りて「主権在君民」の論を立て一方に自由論派の急激を排し、他の一方には帝政論派の守旧を撃ちたり。しかして帝政論派はこれより民間風潮の逆流に置かれて一の守旧論派と見做さるるに至れり、けだしその自ら取るところの過ちなりと言わざるべからず。
帝政論派は大なる欠点を有せり、彼その論旨を世人に知らしめんとするよりは、むしろ他の論派に反対してこれを防御せんとしたり。言わば彼帝政論派の熱心は進撃的にあらずして防守的にあり、しかして防守の熱心は彼をして藩閥政府に対する攻撃をも防御せしめたり。彼すでに十五年の聖詔にしたがって立憲政体を是認したり。立憲政体の義においては取りも直さず責任内閣を包含せり。しかして藩閥内閣なるものの義においてはいかに弁護の労を取るも強者の権利または戦勝者の権利もしくは軍人政治の意を存せざるべからず、該論派のこれを弁護したるは実にその賛成するところの立憲政体の義に撞着せり。帝政論派はかの改進論派とともに急激の改革を攻撃して秩序的進歩を主張せり。その藩閥内閣を弁護せしは、けだし秩序的進歩を主張するがためならんか、しかれどもこれ大なる過失なりき、秩序的進歩とは貧富智愚の差を是認する自由的競争および貴賤上下の別を保持するの匡済的改革を言うのみ、けっして強者の権利、戦勝者の権利または軍人政治の類を許容するものにはあらず。
帝政論派は藩閥内閣を弁護して「政権は口舌をもって争うべからず、実功をもって争うべし、死力を出して幕府を仆したる者がその功によりて政権を握れり、これを尊敬するは人民の礼徳なり」とまでに立言せり、これ政権を一種の財産のごとく見做したるの説なり。功を賞するに官をもってすることを是認したるなり、帝政論派の欠点実にこれよりはなはだしきものあらず。しかれども当時他の二論派が主張するところの議院内閣すなわち一名政党内閣と言えるはいかなる意義を有せしか、世人一般はいかにこれを解せしか、これ一の疑問なり。帝政論派の主義によれば帝室内閣こそ至当の制なるがごとし、彼その説の大要にいわく、「政党内閣は党派政治となり、一変して偏頗の政治となり、ついに言うべからざるの弊害を生ぜん、帝室内閣は党派に偏せずいわゆる無偏無党、王道蕩々の美政を維持するに足らん云々」と。しかして彼また以為らく、「世の政党内閣を主張する者は輿論を代表する党派をもって政弊を済うの謂にあらず、むしろ党派の勢いを仮りて政権を奪わんと欲するのみ」と、はたしてこの言のごとくならば政党内閣論はすなわち朋党争権論なり、帝政派のこれを攻撃するは至当なり、しかれどもこれがために藩閥内閣を弁護して戦功者握権を是認するに至りてはすなわち寸を直くするために尺を曲ぐるの愚説と言うべし、帝政論派のただ時の政府に容れられてかえって世の攻撃するところとなりしはまったくこの点にありき。