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仇討姉妹笠
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仇討姉妹笠
国枝史郎
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Chapter 2 of 17

2

歩きながら袖の中の独楽を、主税はしっかりと握りしめ、

――あの浪人をはじめとして、同志だという多数の人々が、永年この独楽を探していたという。ではこの独楽には尋常ならない、価値と秘密があるのだろう。よし、では、急いで家へ帰って、根気よく独楽を廻すことによって、独楽の面へ現われる文字を集め、その秘密を解き価値を発見けてやろう。――興味をもってこう思った。

(駕籠にでも乗って行こうかしら?)

(いや)と彼は思い返した。

(暗い所へでも差しかかった時、あの浪人か浪人の同志にでも、突然抜身を刺し込まれたら、駕籠では防ぎようがないからな。……先刻の浪人の剣幕では、それくらいのことはやりかねない)

用心しいしい歩くことに決めた。

平川町を通り堀田町を通った。

右手に定火消の長屋があり、左手に岡部だの小泉だの、三上だのという旗本屋敷のある、御用地近くまで歩いて来た時には、夜も多少更けていた。

御用地を抜ければ田安御門で、それを通れば自分の屋敷へ行けた。それで、主税は安堵の思いをしながら、御用地の方へ足を向けた。

しかし、小泉の土塀を巡って、左の方へ曲がろうとした時、

「居たぞ!」「捕らえろ!」「斬ってしまえ!」と言う、荒々しい男の声が聞こえ、瞬間数人の武士が殺到して来た。

(出たな!)と主税は刹那に感じ、真先に切り込んで来た武士を反し、横から切り込んで来た武士の鳩尾へ、拳で一つあてみをくれ、この勢いに驚いて、三人の武士が後へ退いた隙に、はじめて刀を引っこ抜き、正眼に構えて身を固めた。

すると、その時一人の武士が、主税を透かして見るようにしたが、

「や、貴殿は山岸氏ではないか」と驚いたように声をかけた。

主税も驚いて透かして見たが、

「何だ貴公、鷲見ではないか」

「さようさよう鷲見与四郎じゃ」

それは同じ田安家の家臣で、主税とは友人の関係にある、近習役の鷲見与四郎であった。

見ればその他の武士たちも、ことごとく同家中の同僚であった。

主税は唖然として眉をひそめたが、

「呆れた話じゃ、どうしたというのだ」

「申し訳ない、人違いなのじゃ」

言い言い与四郎は小鬢を掻いた。

「承知の通りのお館の盗難、そこで拙者ら相談いたし、盗人をひっ捕らえようといたしてな、今夜もお館を中心にして、四方を見廻っていたところ、猿廻しめに邂逅いたした」

「猿廻し? 猿廻しとは?」

「長屋の女小供の噂によれば、この頃若い猿廻しめが、しげしげお長屋へやって来て、猿を廻して銭を乞うそうじゃ」

「そこで、怪しいと認めたのじゃな」

「いかにも、怪しいと認めたのじゃ。……その怪しい猿廻しめに、ついそこで逢ったので、ひっ捕らえようとしたところ、逃げ出しおって行方不明よ」

「なに逃げ出した? それなら怪しい」

「……そこへ貴殿が土塀を巡って、突然姿をあらわしたので……」

「猿まわしと見誤ったというのか?」

「その通りじゃ、いやはやどうも」

「拙者猿は持っていない」

「御意で、いやはや、アッハッハッ」

「そそっかしいにも程があるな」

「程があるとも、一言もない、怪我なかったが幸いじゃ」

「すんでに貴公を斬るところだった。これから貴公たちどうするつもりじゃ」

「剛腹じゃ。このままではのう。……そこでこの辺りをもう一度探して……」

「人違いをして叩っ切られるか」

「まさか、そうそうは、アッハッハッ。……貴殿も一緒に探さぬかな」

「厭なことじゃ。ご免蒙ろう。……今日拙者は非番なのでな、そこで両国へ行ったところ、あそこへ行くと妙なもので、田舎者のような気持になる。それで拙者もその気になって、曲独楽の定席へ飛び込んだものよ。すると、そこに綺麗な女太夫がいて……」

「ははあ、その美形を呼び出して、船宿でか? ……こいつがこいつが!」

「何の馬鹿らしいそのようなこと。……もう女には飽きている身じゃ。……ただその美しい女太夫から、珍らしい物を貰うたので、これから緩々屋敷へ帰って、その物を味わおうとこういうのじゃ。……ご免」と主税は歩き出した。

猿廻し

歩きながら考えた。

何故この頃お館には、金子などには眼をくれず、器物ばかりを狙って盗む、ああいう盗難があるのだろう? それも一度ならずも二度三度、頻々としてあるのだろう?

(ある何物かを手に入れようとして、それに関係のありそうな器物を、狙いうちにして盗んでいるようだ。……そのある物とは何だろう?)

これまで盗まれた器物について、彼は記憶を辿ってみた。

蒔絵の文庫、青銅の香爐、明兆の仏書、利休の茶柄杓、世阿弥筆の謠の本……等々高価の物ばかりであった。

(盗難も盗難だがこのために、お館の中が不安になり、お互い同士疑い合うようになり、憂鬱の気の漂うことが、どうにもこうにもやりきれない)

こう主税は思うのであった。

(お互い同士疑い合うのも、理の当然ということが出来る。お館の中に内通者があって、外の盗賊と連絡取ればこそ、ああいう盗みが出来るのだからなア。……そこで内通者は誰だろうかと、お互い同士疑い合うのさ)

主税はこんなことを考えながら、御用地の辺りまで歩いて来た。

御用地なので空地ではあるが、木も雑草も繁っており、石材なども置いてあり、祠なども立っており、水溜や池などもある。そういう林であり藪地なのであった。

と、その林の奥の方から、キ――ッという猿の啼声が、物悲しそうに聞こえてきた。

(おや)と主税は足を止めた。

(いかに藪地であろうとも、猿など住んでいるはずはない。……では話の猿廻しが?)

そこで主税は堰を飛び越え、御用地の奥の方へ分け入った。草の露が足をぬらし、木の枝が顔を払ったりした。

また猿の啼声が聞こえてきた。

で、主税は突き進んだ。

すると、果たして一人の猿廻しが、猿を膝の上へ抱き上げて、祠の裾の辺りへうずくまり、編笠をかむった顔を俯向けて、木洩れの月光に肩の辺りを明るめ、寂しそうにしているのが見えた。

「猿廻し!」と声をかけ、突然主税はその前へ立った。

「用がある、拙者と一緒に参れ!」

「あッ」と猿廻しは飛び上ったが、木の間をくぐって逃げようとした。

「待て!」

主税は足を飛ばせ、素早くその前へ走って行き、左右に両手を開いて叫んだ。

「逃げようとて逃がしはせぬ、無理に逃げればぶった斬るぞ!」

「…………」

しかし無言で猿廻しは、両手で猿を頭上に捧げたが、バッとばかりに投げつけた。

キ――ッと猿は宙で啼き、主税の顔へ飛びついて来た。

「馬鹿者!」

怒号して拳を固め、猿を地上へ叩き落とし、主税は猛然と躍りかかった。

だが、何と猿廻しの素早いことか、こんもり盛り上っている山査子の叢の、丘のように高い裾を巡って、もう彼方へ走っていた。

すぐに姿が見えなくなった。

(きゃつこそ猿だ! なんという敏捷さ!)

主税は一面感心もし、また一面怒りを感じ、憮然として佇んだが、気がついて地上へ眼をやった。

叩き落とした猿のことが、ちょっと気がかりになったからである。

木洩れの月光が銀箔のような斑を、枯草ばかりで青草のない、まだ春なかばの地面のあちこちに、露を光らせて敷いていて、ぼっと地面は明るかったが、猿の姿は見えなかった。

(たしかこの辺りへ叩き落としたはずだが)

主税は地面へ顔を持って行った。

「あ」

声に出して思わず言った。

小独楽が一個落ちているではないか。

主税は袖を探ってみた。

袖の中にも小独楽はあった。

(では別の独楽なのだな)

地上の独楽を拾い上げ、主税は眼に近く持って来た。その独楽は大きさから形から、袖の中の独楽と同じであった。

「では」と呟いて左の掌の上で、主税は独楽を捻って廻し、月光の中へ掌を差し出し、廻る独楽の面をじっと見詰めた。

しかし、独楽の面には、なんらの文字も現われなかった。

(この独楽には細工はないとみえる)

いささか失望を感じながら、廻り止んだ独楽をつまみ上げ、なお仔細く調べてみた。

すると、独楽の面の手触りが何となく違うように思われた。

(はてな?)と主税は指に力を罩め、その面を強く左の方へ擦った。

不思議な老人

「おおそうか、蓋なのか」と、擦ったに連れて独楽の面が弛み、心棒を中心にして持ち上ったので、そう主税は呟いてすぐにその蓋を抜いてみた。

独楽の中は空洞になっていて畳んだ紙が入れてあった。

何か書いてあるようである。

そこで、紙を延ばしてみた。

三十三、四十八、二十九、二十四、二十二、四十五、四十八、四、三十五

と書いてあった。

(何だつまらない)と主税は呟き、紙を丸めて捨ようとしたが、

(いや待てよ、隠語かもしれない)

ふとこんなように思われたので、またその紙へ眼を落とし、書かれてある数字を口の中で読んだ。

それから指を折って数え出した。

かなり長い間うち案じた。

「そうか!」と声に出して呟いた時には、主税の顔は硬ばっていた。

(ふうん、やはりそうだったのか、……しかし一体何者なのであろう?)

思いあたることがあると見えて、主税はグッと眼を据えて、空の一所へ視線をやった。

と、その視線の遥かかなたの、木立の間から一点の火光が、薄赤い色に輝いて見えた。

その火はユラユラと揺れたようであったが、やがて宙にとどまって、もう揺れようとはしなかった。

(こんな夜更けに御用地などで、火を点もすものがあろうとは?)

重ね重ね起こる変わった事件に、今では主税は当惑したが、しかし好奇心は失われないばかりか、かえって一層増して来た。

(何者であるか見届けてやろう)

新規に得た独楽を袖の中へ入れ、足を早めて火光の見える方へ、木立をくぐり藪を巡って進んだ。

火光から数間のこなたまで来た時、その火光が龕燈の光であり、その龕燈は藪を背にした、栗の木の枝にかけられてある。――ということが見てとられた。

だがその他には何があったか?

その火の光に朦朧と照らされ、袖無を着、伊賀袴を穿いた、白髪白髯の老人と、筒袖を着、伊賀袴を穿いた、十五六歳の美少年とが、草の上に坐っていた。

いやその他にも居るものがあった。

例の猿廻しと例の猿とが同じく草の上に坐っていた。

(汝!)と主税は心から怒った。

(汝、猿廻しめ、人もなげな! 遠く逃げ延びて隠れればこそ、このような手近い所にいて、火まで燈して平然としているとは! 見おれ、こやつ、どうしてくれるか!)

突き進んで躍りかかろうとした。しかし足が言うことをきかなかった。

と云って足が麻痺したのではなく、眼の前にある光景が、変に異様であり妖しくもあり、厳かでさえあることによって、彼の心が妙に臆れ、進むことが出来なくなったのである。

(しばらく様子を見てやろう)

木の根元にうずくまり、息を詰めて窺った。

老人は何やら云っているようであった。

白い顎鬚が上下に動き、そのつど肩まで垂れている髪が、これは左右に揺れるのが見えた。

どうやら老人は猿廻しに向かって、熱心に話しているらしかった。

しかし距離が遠かったので、声は聞こえてこなかった。

主税はそれがもどかしかったので、地を這いながら先へ進み、腐ちた大木の倒れている陰へ、体を伏せて聞耳を立てた。

「……大丈夫じゃ、心配おしでない、猿めの打撲傷など直ぐにも癒る」

こういう老人の声が聞こえ、

「躄者さえ立つことが出来るのじゃからのう。――もう打撲傷は癒っているかもしれない。……これこれ小猿よ立ってごらん」

言葉に連れて地に倒れていた猿が、毬のように飛び上り、宙で二三度翻筋斗を打ったが、やがて地に坐り手を膝へ置いた。

「ね、ごらん」と老人は云った。

「あの通りじゃ、すっかり癒った。……いや誠心で祈りさえしたら、一本の稲から無数の穂が出て、花を咲かせて実りさえするよ」

その時猿廻しは編笠を脱いで、恭しく辞儀をした。

その猿廻しの顔を見て、主税は思わず、

「あッ」と叫んだ。それは女であるからであった。しかも両国の曲独楽使いの、女太夫のあやめであった。

Chapter 2 of 17
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