Chapter 1 of 10

一 風見章さんのこと

前司法大臣風見章閣下、と、こう書くと、ずいぶん凄いことになって、僕など手がとどかないことになる。しかし、前大阪朝日新聞記者風見章、と、こう書くと、僕といえども気安くものが云える。そこで、その頃の風見さんのことを書く。

その頃僕はその大阪朝日新聞社の社会部の記者であった。その時の同僚といえば、この記事を掲載する「外交」の社長の竹内夏積(本名は、克己だ)や、画家の幡恒春や、今は無き橋戸頑鉄や、水島爾保布や、釈瓢斉などであり、社会部長は長谷川如是閑先生であった。通信部には支那通の波多野乾一がいた。

そうして風見さんは、社会部で無くて、外報部の副部長格であったような気がする。

さて或日、その風見さんが、頭を白い布で捲いて、和服姿で、ヌッと編集室へ入って来たことがあった。

「オーイ、風見、どうした?」

「喧嘩して、頭、割られたのか」

などと、あちこちから、悪童どもが声をかけた。

すると風見さんは、山ヌケが起こって、俺を埋めようとしたって、俺、ビクともしないよ、といったような、よく云えば剛胆、素直に云えば胆汁質のボーッとした態度で、

「禿頭病にかかったんだ」

と云って、ノンビリと椅子へ腰をかけた。

禿頭病といえば、かなりウルサイ病気で、わけても風采や面子を気にする性格者にとっては致命的に苦痛の病気の筈だのにそれにかかった本人がノホホンだったので、それを取巻いた、編集室の悪童どももノホホンで。

「禿頭病! フーン、そうかい」

「なおる見込みあるのかい?」

などと、自分の席から、対岸の火事でも見るような態度で声をかけた。

「時の問題だそうだ」

――これが、その時の風見さんの返事であった。

「時の問題でね。――つまり、この病気には二種類あるんだそうだ。一つは神経性、一つは黴菌性――ところで俺ののは神経性禿頭病なのだそうだ。だからボーッとしているとなおるんだそうだ」

果して、その後、六ヶ月ばかり経つと、以前よりも、もっと濃い、厚い髪が生えた。

さて、その髪も、内閣書記官長だの、司法大臣だの、翼賛会の産婆役だのという、ウルサイ役目を、次々と担任された現在ではどうなっていることやら。

だいぶ白くなったということも聞いているが、三十年近くもお逢いしない僕には真偽のほどはわからない。

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