一
孝道は支那の國本で、又その國粹である。故に支那を對象とする研究には、先づその孝道を闡明理會せなければならぬ。既に米國の Headland も、孝道が支那人の家族的・社會的・宗教的乃至政治的生活の根據をなせる事實を牢記せねば、支那及び支那人の眞相は、到底理會することが出來ぬと明言して居る(Home Life in China. p. 154)。然るに近時我が國に於ける支那學研究は、哲學・歴史・文學の各方面に亙つて、長足の發展をなせるに拘らず、獨り支那の孝道に關する徹底した研究が、未だ發表されて居らぬのは、大なる遺憾と申さねばならぬ。若し私のこの論文が、その缺陷の萬一を補足し得ば幸甚と思ふ。
今より約百五十年前に、久しく支那に布教して居つた、フランスの宣教師の Cibot 韓國英が、「孝道に關する支那人の教理」と題する一大論文を發表した。彼は上は經傳から、下は俗諺に至るまで、すべて支那の孝道に關する記録を譯出して、當時としては驚くべき程詳細に、支那の孝道を歐洲へ紹介した。その Cibot が支那に於ける孝道の感化の廣大無邊なることに就いて、次の如く述べて居る。
三千五百年前の古代から今日まで、支那人の孝道を尚ぶ心持は、丁度スパルタ人(Lacdmone)が自由を愛し、ローマ人が祖國を愛するそれと同一である。……孝道は今日でも猶ほ【古代と同樣に、支那國内の】すべての階級、すべての地位、すべての性(Sexes)、すべての年齡の人々の、最高の道徳であり、又【支那國内の】各方面に關係し、各方面に影響し、又各方面に【最大の】勢力をもつて居る。かくて王座(Trne)も【孝道の】足下に立ち、……法廷【の裁判】も【孝道に】導かれ、學問の殿堂も【孝道に】支配され、……宮廷に於ても家庭に於ても、【孝道が】中心となり、……あらゆる一切のものは、すべて【孝道の前に】屈服する。……孝道は實に支那人の國民的道徳である。一言でも孝道に攻撃【非難】を加へるならば、それは【支那全國民に對して】戰鬪(Combat)の一合圖となるであらう。支那國民は擧つてその復讎の爲に、武器を執つて起ち、女性や子供さへも、この爭の爲に生命を惜まぬであらう(Doctrine des Chinois sur la Pit filiale 【Mmoires concernant l'Histoire,les Sciences,etc.des Chinois.Tome IV, 1779】. pp. 1-3)。 Cibot の後百年を經て、今より約五十年前に、フランスの領事で同時に支那學者として聞えた Thiersant は、『百孝圖説』の中から、二十五人の孝子の事蹟を譯出してヨーロッパに紹介した。彼はその序論に、支那の孝道に就いて、左の如く記して居る。
誰人でも支那の歴史を通覽する時は、先づ第一にこの尨大なる帝國が、他の如何なる民族の助力をも受けずに、全く獨力で到達し得た、【高き】文化(Civilisation)の程度に驚嘆するのである。然し【それにも増して】更に驚くべきことは、この文化が【同一の状態の儘で】極めて古代にまで溯つて居つて、この異常なる【支那】國民の過去の裡に、原始時代の痕跡を見出すことが、困難であるといふ事實である。
【支那以外の】何れの民族でも、發生し成長し、而して滅亡する。所が支那のみは、殆ど絶對的に不動(Immobilit)であつて、宛も【榮枯の】運命を無視するが如き觀がある。然らば支那は、どこからかかる【不變不斷の】生活力をもち來りつつあるか。そは【支那民族といふ】この尨大なる人間の集團を運轉さす、あらゆる機關の唯一の樞軸となるべき、一の原理(Principe)から生じて來る。即ち【支那の】最初の立法者達が、この帝國の存在及び社會の幸福のたよりとなるべき、最も鞏固なる基礎として制定し公布した、孝【道】といふ教義(Dogme)から生じて來る(La Pit filiale en Chine 【Bibliothque Orientale Elzvirienne. XVI, 1877】. pp. 1-2)。
支那の文化や社會が、Thiersant のいへる如く、しかく不變不動であるや否やは、しばらく別問題として、あらゆる支那の原動力の中樞が孝道であつて、孝道は支那に於ける國家の存在、社會の安寧、家族の平和、文化の維持の基礎をなせる事實は、正しく Cibot や Thiersant の所説の如くである。從つて孝道を理會せずには、支那の國體をも、社會をも、家庭をも、文化をも、【少くとも過去の支那を】正しく理會することが出來ぬ。然らば如何にして孝道といふ教義が、支那でしかく重要な位地を占むるに至つたか。そは畢竟夙に支那で發達した、家族制度を維持する必要に本づくものかと思ふ。
支那では上古から家族制度が發達して居る。否支那に限らず、古代に於ては何れの國でも、家族制度が行はれたもので、今日個人主義の盛んに行はれる西洋諸國でも、その古代に溯ると、家族制度が相當發達して、社會の單位は實に家族であつた(Maine;The Ancient Law. p. 88)。但西洋諸國では、種々の事情によつて、家族制度が崩壞され行く間に、獨り支那――支那を中心とする東亞諸國をも含めて――では、古代の儘に、若くば古代と大差なき状態に、家族制度を最近まで維持し得たのである。かくて今日では、支那と西洋諸國との顯著なる相違點の一つとして、支那では家族が社會の單位となり、西洋では個人が社會の單位と認められて居る(Smith ; The Chinese Characteristics. p. 226)。