Chapter 1 of 15
Kalokagathia
「――宇宙は、単にタアオラの殻にすぎない」(ゴオガン)
一と夜。あらしの怒号が落ちてきた。
この湖中に、一隻の汽船が沈められた。
朝。わたしは見た。マストだけが湖面に二つの手をさしあげてゐる。それは、わたしの双の手に肖て、空な足掻きを仕つくして、倦い厳粛のしづもりに返つたといつたありさま。
けふも湖のほとりにあつて、追はれるもののごとく、右顧左眄しながらわたしは思ひ索める。二本のマストは微風を呼んで、湖面に二個の波紋を放つてゐる。あの下に、汽船はとらへ難い空を追ひながら、青い睡りを貪つてゐるであらう。それに似て索めるものは遠くかに捉へがたい。竟にそれは何であらう。むなしくうち顫ふ、掌とゆびと。ひと日は思惟の彷徨につかれる。
湖の眼はこの二本のマストのほかに何もない。それは神秘を麾くトランシットに似たものである。ここからわたしは、あなたの眼のなかに澄んだ死海をみる。あなたの掌のうちにあるカロカガテイァを! それらのものはかに遠い。とらへがたい冷酷な距離よ。だが、おそらく思惟の犂のひとかへしは、この通俗な世界のかなの神秘を発掘するより首まるのだ。通俗は普遍のなかに、金鉱のやうにひそんでゐる。もし、あの神秘が地球儀のなかに眠つてゐるとすれば……
夕焼けのそらに、幾すぢの河が尾を曳いてゐる。
マストは暮れる。金星をいただく湖水の上で。
いまは詞もなく、報らせもない。ただゆるぎない、無辜のひととき。微粒の砂に没するひかがみは、湖水のふかさを超えて土のふかさを知る。それは通俗の木に萌した神秘の芽であらう。これは誰に剪られ、誰に踏み蹂られるうれひすらもない。
そこに、夥しい通俗のひかりよ!
さうして、おお! 神秘の発芽よ!