競争は競争、友情は友情
「拝啓。天高く馬肥ゆるの候、御両親様には益御清福奉賀候。降って小生入社以来無事勤務罷在候間、御安神被下度候。さて、突然ながら、今回好き縁談有之候間、御相談申上候。先方は海軍中将従四位勲二等功四級橋本尚信氏の三女にて、身分は申分無之候。仲人は大谷御夫婦に御座候。小生としては未だ急ぐことも無之候が頻りにお勧め被下候為め、何うせ貰うものに候間、定めて置くも宜しくと考え、一存ながら諾意を表し置き申候。東京にて生活するには矢張り東京の人が宜しく候。会社員の成功は一つに交際により申候間、好き内助を得ることが肝要に御座候。これは大谷氏の家庭を見ても分り申候。御両親に於ても何卒御同意の上、改めて大谷御夫婦へ、御依頼被下度お願い申上候。云々」
安達君は両親に丈けは必ず候文で認める。口語体で書いたこともあったが、経験上候文を適当と考えた。元来両親には金の請求以外に余り用がない。外套がボロ/\になって見すぼらしいですから金四十円至急送って下さいと書いてやったら、学生には虚構を申送りて家郷より遊蕩費を徴発する向き往々にして有之候と言って断って来た。兄貴が瞞したものだから、僕までが疑われる。折り返して、外套全く使用に堪えず、新調の上は御参考の為め洋服屋の受取証御覧に入れ可申候間何卒お願い申上候と認めてやったら、今度は直ぐに送って寄越した。それ以来候文の方が成功することを覚えたのである。
外套どころではない。一生の大事だから、故障を言われては困る。「何れ詳しきことは大谷氏より御音信有之ことゝ存申候。先は右まで、早々頓首」
「奥さん、斯う書いて出しますから、明日にも申込んで下さい」
と安達君は手紙を見せた。
「これは少し違っていますわね。私達、お勧めなんかしませんわ」
「お勧めになったじゃありませんか? 奥さんの方から仰有ったんですもの」
「申上げたには相違ありませんけれど、これじゃ全然私達の責任になってしまいますわ」
「責任を負って下さい。お願いです」
「縁談有之でなくて、これから拵えるのよ」
「そこを宜しく」
「私、あなたに負けを取らせたくないと思って一生懸命になっているんですけれど、必ず貰えるって保証は致しませんよ」
「はあ」
「先さまに何んな御都合があるかも知れませんし、有力な競争者が二人もいるんでございますから」
「人事を尽して天命を俟ちます」
「間違っても決して私をお恨みになりませんね?」
「はあ。大丈夫です」
「それじゃ御返事が参り次第、私、橋本さんへお伺い致しますわ」
「返事は来るに定まっているんです。家から然ういう依頼があったと仰有ったじゃありませんか?」
「でも具体的のお話は別よ。念を入れてかゝらなければ」
「気が長いんですね」
「小生としては、まだ急ぐことも無之候ってのは如何?」
「相手さえなければ落ちついていられるんですけれど、出し抜かれているんですからね。若し手間を取る為めいけなくなるようなら、奥さんの罪です」
「まあ/\」
「兎に角、明日申込んで下さい」
「お家の御承諾がなければ駄目よ。私、主人に叱られますわ」
と奥さんは慎重の態度を取った。
安達君はその翌晩、吉川君のところへ偵察ながら行って見ようかと思いついたが、不愉快が先立って差控えた。出し抜いた奴の家へ此方からノメ/\出掛けるのは人が好過ぎる。自分はこれだから馬鹿にされるのだ。先方から来るのを待っていて突っ込んでやろう。寸鉄相手の胸を刺し貫くような警句はなかろうかと、種々考えている中に興奮して来て、自分の胸がドキ/\した。これは何うしても喧嘩になる。しかし構わない。
「安達さん、小宮さんから、お電話でございます」
と女中が取次いだ。出て見たら、昨日は不在で失礼したというお詫びの後から、一度諸君を家へ招待したいというのだった。
「何うだい?」
「結構だ」
「若子さんを紹介したいんだ」
「それはもう済んでいる」
「いや、瀬戸君にはまだ会っていない。君達だって一寸会ったばかりだから、真価は分っていないんだろう?」
「シンカ?」
「本当の値打さ」
「へゝえ」
「若子さんも君達と話したいんだ。僕が君達のことばかり言うものだから、君達は迚も信用があるんだよ」
「有難う」
「ついては何もございませんけれども、ってことになったんだ。明後日夕刻四時頃から来てくれ給え。大祭日だから宜いだろう?」
「うむ」
「若子さんが料理に腕を揮う」
「吉川君も行くのかい?」
「無論来て貰う。君と吉川君と瀬戸君だ」
「よし」
「吉川君には今かけたところだ。君の方がお話中だったから」
「ふうむ」
「明後日の夕刻四時だよ」
「分ったよ」
「それじゃ失礼」
「さよなら」
「おい」
「何だい?」
「忘れものがあるだろう?」
「さあ」
「若子さんに宜しくって」
「うむ。宜しく言ってくれ」
「ハッハヽヽ」
「失敬」
「おい」
「何だい?」
「矢っ張り吉川君の方が君よりも気が利いている。催促されない中に、若子さんに宜しくと言ったよ。君は落第だ」
「…………」
君は落第だよの一言が時に取って安達君にひどく利いた。瀬戸君も殆んどそれに近いことを言った。尤もこれは歪んだレンズから見ているのだが、小宮君に至っては無私公平だ。為めにするところが些っともない。
「安達君」
と大谷さんが書斎から呼び止めた。電話はお茶の間にある。
「はあ」
「少し話していらっしゃい」
「お邪魔じゃございませんか?」
と安達君は入って行った。奥さんには遠慮がないけれど、主人は窮屈だ。
「一向。お掛けなさい」
「はあ」
「家内から聞きましたが、妙な競争が始まるんだそうですね?」
「さあ」
「何んなものでしょうな? 親友同志」
「仕方がないんです」
「何方が勝っても具合の悪いものですよ。僕の友達にも然ういう例がありました」
「はゝあ」
「親友でしたが、以来仲違いです。詰まらないじゃありませんか?」
「…………」
「候補者は探せば他に幾らもあるんですから、もっと広く求めたら何うでしょうか?」
「さあ」
「危険を冒す必要はないです」
「僕も意地ですから」
「困ったものだな」
「競争は競争、友情は友情でしょう。何とか折合をつけます」
「しかし実際はナカ/\然う行かないんです。折合のつくような君子人同志なら、初めから争いません」
「…………」
「安達君、よく、考えて見なければいけませんよ」
「はあ」
「親友が二人出来るか、敵が二人出来るかという問題です。競争さえしなければ、吉川君はいつまでも親友です。親友の奥さんは矢っ張り親友でしょう?」
「はあ」
「それを親友が敵になって、思う人がその敵について行ってしまうんですから、此方は目も当てられません」
「…………」
「落胆してしまって、会社の仕事も手につかないようになります。出世にまで関係して来ますよ」
「はあ」
「親友を失う上に自信力がなくなるんです。これが大きいですよ。折角好いスタートを切ったのに、惜しいじゃありませんか?」
と大谷さんは、負けた場合ばかり想像している。此方が勝つとは決して思わないのらしい。安達君は苦り切ってしまった。そこへ奥さんが、
「安達さん、吉川さんが、お見えになりましたよ」
とお茶の間から取次いだ。
引き退るに好い切っかけだった。安達君は玄関へ行ったが、吉川君はもう二階へ上っているのだった。
「何うだい?」
「何うでもないよ」
「小宮君から電話がかゝって来たろう?」
「来た」
「行くかい?」
「行く」
と安達君は一々無愛想に答えた。
「ところで誘惑に来たんだ。何うだい? これから銀座へ附き合わないか?」
「厭だ」
「何故?」
「そんな心持になれない」
「御機嫌が悪いのか?」
「当り前だ」
「おや/\。さてはこの男、もう感づいているんだな」
「僕を盲目だと思っているのか?」
「恐れ入った。実は君に話して諒解を得たいことがあるんだ。飲みながらと思ったが、こゝでも宜い」
と吉川君は銀座を諦めて落ちついた。安達君の頭の中には今しがた考えた警句が渦を巻いていた。
「眉毛に唾をつけて聞こう」
「僕もこれで良心があるんだ」
「少し麻痺しているけれどもね」
「お察しの通り、橋本さんの一件だよ。急に縁談が始まったんだ」
「始まったのか? 始めたのか?」
「この間第三者を介して、話があったものだから」
「何方へあったんだ? 君の方へか? 先方へか?」
「詮議が厳しいんだね。仕方がない。僕の方から先方へだよ」
「見ろ。自分で申込んで置いて、申込まれたように嘘をつく」
「つきはしない。つこうと思ったが、考え直したんだ」
「斯ういうのが掻っ払いをやるんだろう」
と安達君は、用意していた丈けに隙がなかった。
「君もナカ/\達者になったね」
「好い師匠がついているからだ」
「これは迚も敵わない」
「お世辞を使って誤魔化しても駄目だ。あの問題はお互に正々堂々という約束だったじゃないか?」
「それだから報告に来たんだよ」
「先にスタートを切るのが正々堂々か?」
「二日や三日は仕方がないだろう。まさか二人揃って申込みにも行けまい」
「兎に角、予め話すのが本当だろう?」
「慌てゝしまって、その余裕がなかったんだ。君」
「何だ?」
「瀬戸君が申込んでいるんだ」
「え?」
「丸尾夫人が聞き込んで来て母に話したものだから、足許から鳥が立つように驚いて、僕も申込んで貰ったんだ」
「呆れた奴だな、瀬戸は」
「君は些っとも気がつかなかったのかい?」
「いや、昨日やって来たんだよ。あれは矢っ張り様子を見に来たのかも知れない」
「昨日何時頃?」
「昼からだ」
「こゝまで来て、僕のところへ寄らないのが変だ。偵察だろう、屹度」
と吉川君は頻りに首を傾げた。
「もう始まっているんだろうって、僕に訊くんだ。それから話している中に、種々と変なことを言うんだ。それだものだから、何うも此奴怪しいと睨んだんだけれど、申込んでいるとは思わなかった」
「何んなことを言ったんだい?」
「探りを入れて頻りに訊くんだ。それだものだから、気のあることが分ったんだ」
とこの辺、安達君は多少取繕って話す必要があった。
「ハッハヽヽ」
「何だい?」
「眉毛に唾をつける」
「何故?」
「君は矢っ張り正直だ。嘘をつく時にはいつも『それだものだから』と前置をつける」
「嘘なんかつくものか? 君とは違う」
「こゝの奥さんに偵察して貰って置いて自分の手柄にしているんだ」
と吉川君は当らずと雖も遠くなかった。
「然う思うなら、然うして置き給え」
「僕さえ気がつかなかったんだもの。僕は瀬戸君丈けは勉強一方の学究だと思っていた」
「奴はいつ申込んだんだい?」
「最近らしい」
「仲人は?」
「それも分らないが、奴のことだから、無論有力者を使っているに相違ない」
「君は丸尾夫人かい?」
「うむ。もう種明しをしてしまったんだから仕方がない。君はこゝの奥さんだろう?」
「然うだ」
「何かの因縁だろうね、これは。仲人同志が目の敵だ」
「成程、悪く出来ている」
「しかしお互は公明正大に行きたいものだ」
「出し抜いて置いてね」
「そんな卑怯な料簡はないんだよ。母が丸尾夫人に形勢視察を頼んで置いたんだから、母と丸尾夫人の交渉だろう。それを一々君に報告するにも及ばないと思って、無断でやったんだ。しかし、斯うやってチャンと領解を求めに来ている」
「勘弁してやる」
「君はもう申込んだのか?」
「これからだ。君と喧嘩になっても仕方がない」
「僕も仕方がないけれど、喧嘩はよそうよ」
「何故?」
「万事佳子さんの意思と橋本家の都合で定るんだから、僕に責任は些っともない。僕を恨むのは間違っている」
「君を恨むって、君は勝つ積りか?」
「無論さ」
「生意気なことを言うな」
「その態度が間違っている。君だって勝つ積りでやれば宜いんだ。初めから負ける積りでやる奴があるものか?」
「よし」
「僕はこの辺もよく話し合いをつけて置きたいと思うんだ。仮りに君が勝っても、僕は君を恨まない。君の責任でなくて、単に然ういう廻り合せなんだから」
「分っているよ。競争は競争、友情は友情ってことにしよう」
「もう一つ何うだい? 分り序にもう一歩進んで貰えまいか?」
「何うするんだい?」
「棄権するのさ。競争がなくなって、友情ばかりになる」
「それは妙案だね。君、一つやってくれ給え」
「仕方がないかな?」
「仕方がない」
「斯うなると一番太いのは瀬戸君だよ」
「うむ。出し抜いて知らん顔をしている」
「知らん顔をしていて出し抜いたんだ。今となって見ると予定の行動だったんだ。頭が好いだけに巧みが深い」
「明後日会ったら面皮を剥いでやる」
「いや、黙って見ている方が面白いよ。此方がまだ知らないと思っているから、種々と芸当をする。目に余ったら僕が突っ込む」
「僕も突っ込む」
「僕は可なり策士の積りでいたけれど、上には上がある」
「本当だ。二人に出し抜かれたんだから、僕は矢っ張り一番正直者だろう」
と安達君は自ら認めていた。