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うすをもるる豆の音がちょうどあられのようにいかめしい中に、うすのすれる音はいかにも閑寂である、店の奥には母が一生懸命に着物を縫うている。やせた顔におくれ毛がたれて切れ目の長い目で針を追いながらふと手をやめたのはわが子の足音を聞きつけたためであろう。
「折詰がない」
こう思ったときチビ公はこらえられなくなってなきだした。
「だれだえ」
母の声がした。
「千三か」
石うすの音がやんだ。そうして戸をあけるとともに伯父の首だけが外へ出た。
「なにをしてるんだ千三」
チビ公はだまっている。
「おい、ないてるのか」
伯父は手をひいて家へいれた。母は心配そうにこのありさまを見ていた、伯母はすでに寝てしまったらしい。
「どうしたんだ」
「伯父さんにあげようと思ってぼくは……」
チビ公はとぎれとぎれに仔細を語った。
「まあ着物はやぶけて、はかまはどろだらけに……」
と母も悲憤の涙にくれていった。
「助役の子だね、阪井の子だね、よしッ」
伯父の顔はまっかになったかと思うとすぐまっさおになった。かれは水槽の縁にのせたてぬぐいを、ふところに押しこんで家を飛びだした。
「伯父さんをとめて」と母が叫んだ。チビ公はすぐ外へ飛びだした。
「だいじょうぶだ、心配すな、みんな寝てもいいよ」
伯父さんは走りながらこういった。
「待っておいで」
母はこういってぞうりをひっかけて伯父のあとを追うた。チビ公は茶の間へあがって時計を見た、それは九時を打ったばかりであった。チビ公はあがりかまちに腰をかけて伯父と母の帰りを待っていた。伯母さんは昼の中は口やかましいにかかわらず夜になるとまったく意気地がなくなって眠ってしまうので起こしたところで起きそうにもない。豆腐屋は未明に起きねばならぬ商売だ、チビ公は昼の疲れにうとうとと眠くなった。
「眠っちゃいけねえ」とかれは自分をしかりつけた、がいったん襲いきたった睡魔はなかなかしりぞかない、ぐらりぐらりと左右に首を動かしたかと思うと障子に頭をこつんと打った、はっと目をさまして庭へ出て顔を洗った、月はポプラの枝々をもれて青白い光を戸板や石うすやこもや水槽に落とすと、それらの影がまざまざと生きたようにういてくる。チビ公は口笛をふいた。
時計は十時を打った。
「伯父さんが喧嘩をしてるんじゃなかろうか、もしそうだとすると」
チビ公はこう考えたとき少年の血潮が五体になりひびいた。
「阪井の家へいったにちがいない、だが阪井の親父は助役だ、子分が大勢だ、伯父さんひとりではとてもかなわないだろう、そうすると……」
かれはもうだまっていることができなくなった、身体は小さいがおれの方が正しいんだ、伯父さんを助けてあげなきゃならない。
かれは雨戸のしんばり棒をはずして手にさげた、それからじょうぶそうなぞうりにはきかえて外へでた、めざすところは阪井の家である、かれは今にも伯父が乱闘乱戦に火花をちらしているかのように思った、胸が高鳴りして身体がふるえた。町に松月楼という料理屋がある、その前にさしかかったときかれはただならぬ物音を聞いた。ひとりの男がはだしのまま、
「医者を医者を」と叫んで走った。すると他の男がまた同じことをいって走った。
「もしや伯父がここで……」とチビ公は直感した、とたんに暗がりから母が飛びだしてチビ公の肩にもたれた。
「大変だよ千三、伯父さんが……」
母はなかばなき声であった。ばらばらと玄関に五、六人の影があらわれた。
「悪いやつをなぐるのはあたりまえだ、おれの家の小僧をおどかして毎朝豆腐を強奪しやがる、おれは貧乏人だ、貧乏人のものをぬすんでも助役の息子ならかまわないというのか」
たしかに伯父さんの声である。
「子どもの喧嘩にでしゃばって、相手の親をなぐるという法があるか」
二、三人がどなった。
「あやまらないからなぐったんだ」
「ぐずぐずいわんと早く歩け」
「おれをどうするんだ」
五、六人の人々が玄関口で押しあった。その中から伯父さんの半裸体の姿があらわれた、伯父さんの顔はまっさおになってくちびるから血がしたたっていた、かれのやせた肩は呼吸の度ごとにはげしく動いた。
「さあでろ」と巡査がいった。
「はきものがない」と伯父さんがいった。
「そのままでいい」
「おれはけだものじゃねえ」
だれかが外からぞうりを投げてやった、伯父さんはそれをはいた。
「伯父さん!」とチビ公は門内にかけこんでいった。
「おお千三か、おまえのかたきは討ってやったぞ、いいか明日から商売に出るときにはな、鉄砲となぎなたとわきざしとまさかりと七つ道具をしょってでろ、いいか、助役のせがれが強盗にでても警察では豆腐屋を保護してくれないんだからな」
こういった伯父さんの息は酒くさかった。
「歩け」と巡査がいった。
「待ってくださいおまわりさん」とチビ公は巡査の前にすわった。
「伯父さんは酔ってるんです、伯父さんをゆるしてください、明日の朝になって酒がさめたら伯父さんと一緒に警察へあやまりにまいります、伯父さんがいなければ私一人では豆腐を作ることができません」
チビ公の声は涙にふるえていた。
「なにをぬかすかばか」と伯父さんがどなった。
「商売ができなかったらやめてしまえ、商売をしたからって助役の息子に食われてしまうばかりだ」
伯父さんはのそのそと歩きだした、かれは門の外になくなく立っている妹(チビ公の母)を見やって少し躊躇したが、
「あとはたのむぜ、おれは強盗の親玉を退治たんだから、これから警察へごほうびをもらいにゆくんだ」
母がなにかいおうとしたが伯父はずんずんいってしまった、ひとりの巡査と、ふたりの町の人がつきそうていった。チビ公と母はどこまでもそのあとについた、伯父さんは警察の門をはいるときちらとふたりの方をふり向いた。
「困ったねえ」と母がいった。
「阪井にけがをさしたんでしょうか」
「そうらしいよ、たいしたこともないようだが、それでも相手が助役さんだからね」
「今晩帰ってくるでしょう?」
「さあ」
ふたりは思い思いの憂欝をいだいて家へ帰った、母は戸口に立ちどまって深い溜め息をついた、かの女は伯母のお仙をおそれているのである、伯父は親切だが伯母はなにかにつけて邪慳である、たよるべき親類もない母子は、毎日伯母の顔色をうかがわねばならぬのであった。
ふたりはようやく家へはいった、そうして伯母を起こして仔細を語った。
「へん」と伯母は冷ややかにわらった。「なんてえばかな人だろう、この子がかわいいからって助役さんをなぐるなんて……明日から商売をどうするつもりだろう、どうしてご飯を食べてゆくつもりなの?」
お仙は眠い目もすっかりさめて口ぎたなく良人をののしった。
「商売はぼくがやります、伯母さん、そんなに伯父さんを悪くいわないでください」
チビ公は決然とこういった。
「やれるならやってみるがいいや、おら知らないよ」
お仙はふたたび寝床へもぐりこんだ、チビ公と母のお美代は床へはいったがなかなか眠れない。
「なによりもね、さしいれ物をしなくちゃね」とお美代がいった。
「さしいれ物ってなあに?」
「警察へね、毛布だのお弁当だのを持っていくんだよ、警察だけですめばいいけれどもね」
「お母さんが弁当をこさえてくれればぼくが持っていくよ」
「それがね、お金を弁当屋にはらって、さしいれしてもらうのでなきゃいけないんだよ」
「いくら?」
「一遍の弁当は一番安いので二十五銭だろうね」
「三度なら七十五銭ですね」
「ああ」
「七十五銭!」
七十五銭はチビ公ひとりが一日歩いてもうける分である、それをことごとく弁当代にしてしまえば三人がどうして食べてゆけよう。チビ公は当惑した。
「豆をひくにしても煮るにしても、おまえの腕ではとてもできないし、私の考えでは当分休むよりほかにしかたがないが、そうすると」
お美代はしみじみといった。
「休みません、伯父さんのできることならぼくがやってみせます、ぼくのために助役をなぐった伯父さんに対してもぼくはるす中りっぱにやってみせます」
「でもさしいれ物はね」
「お母さん、ぼくの考えではね、お母さんもぼくと一緒に豆腐を作って、それから伯父さんの回り場所を売りにでてください、二人でやればだいじょうぶです」
「そうだ」とお美代はうれしそうにいった。「そうだよ千三、私は女だからなにもできないと思っていたが、今夜から男になればいいのだ、伯父さんと同じ人になればいいのだ、そうしようね」
「お母さんに荷をかつがせて豆腐を売らせたくはないんだけれども……お母さん、ぼくはまだ小さいからしかたがありません、大きくなったらきっとこのうめあわせをします」
チビ公の興奮した目はるりのごとくすみわたって瞳は敢為の勇気に燃えた。
うとうとと眠ったかと思うともう東が白みかけたので母に起こされた、チビ公はいきおいよく起きて仕事にとりかかった、お美代もともに火をたきつけた、このいきおいにおされてお仙はぶつぶついいながらもやはり働きだした。
「伯母さんはなにもしなくてもいいからただ指図だけしてください」
とチビ公はいった。
至誠はかならず天に通ずる、チビ公の真剣な労働は邪慳のお仙の角をおってしまった、三人は心を一つにして、覚平が作る豆腐におとらないものを作りあげた。
「さあいこうぜ」とお美代はいせいよくいった。脚絆をはいてたびはだしになり、しりばしょりをして頭にほおかむりをなしその上に伯父さんのまんじゅう笠をかぶった母の支度を見たときチビ公は胸が一ぱいになった。
「らっぱはふけないから鈴にするよ」とお美代はわらっていった。
「じゃお先に」
チビ公は荷をかついで家をでた、なんとなく戦場へでもでるような緊張した気持ちが五体にあふれた、かれは生まれてはじめて責任を感じた、いままでは寒いにつけ暑いにつけ商売を休みたいと思ったこともあった、また伯父さんにしかられるからしかたなしにでていったこともあった、しかしこの日は全然それと異なった一大革命が精神の上に稲妻のごとく起こった。
「おれがしっかりしなければみんなが困る」
かれは警察にある伯父さんも伯母も母もやせ腕一本で養わねばならぬ大責任を感ずるとともに奔湍のごとき勇気がいかなる困難をもうちくだいてやろうと決心させた。
らっぱの音はほがらかにひびいた、かれは例のたんぼ道から町へはいろうとしたとき、今日も生蕃が待っているだろうと思った。
かれは微笑した、それはいかにも自然に腹の中からわきでたおだやかな微笑であった。いつもかれはこのところでいくどか躊躇した、かれは生蕃をおそれたのであった、がかれはいま、それを考えたとき恐怖の念が夢のごとく消えてしまった。でかれは堂々とらっぱをふいた。
町の角に……はたして生蕃が立っていた。
「やい」と生蕃は血走った目でチビ公をにらんだ。
「おまえに食わせる豆腐はないぞ」とチビ公は昂然といった。
「なにを?」
生蕃はびっくりして叫んだがつぎの句がつげなかった、かれはいつも涙ぐんでぺこぺこ頭を下げるチビ助が、しかも昨夜かれの伯父がおれの父をなぐったことを知ってるチビ助が、復讐のおそれも感ぜずにいつもより勇敢なのを見ると、実際これほどふしぎな現象はないのであった。
「待てッ」
「待っていられないよ、明日の朝またあおうね」
チビ公はずんずん去ろうとした。
「こらッ」
生蕃の手がてんびん棒にかかった、とこのとき電柱の陰から声が聞こえた。
「阪井、よせよ」
それは柳光一であった。
「なんでえ」
「きみは悪いよ」と光一は歩みよった。
「なんでえ」と生蕃がほえた。
「きみはぼくと親友になるといったことをわすれたか」
「わすれはしねえ」
「じゃ、一緒に学校へいこう」
「しかし」
「もういいよ」
光一は生蕃のひじをとった、そうしてチビ公ににっこりしてふりかえった。チビ公は鳥打帽をぬいで一礼した。
この日ほど豆腐の売れた日はなかった、町では覚平が助役をなぐって拘留されたという噂が一円に拡がった、しかもそれは貧しき豆腐屋の子がになってくる豆腐を強奪したうらみだとわかったので町内の同情は流れの低きにつくがごとくチビ公に集まった。