Chapter 1 of 23

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少年連盟

佐藤紅緑

暴風雨

雲は海をあっし海は雲をける。ぼうぼうたる南太平洋の大海原に、もう月もなければ星もない。たけりくるう嵐にもまれて黒暗々たる波濤のなかを、さながら木の葉のごとくはしりゆく小船がある。時は三月の初旬、日本はまだ寒いが、南半球は九月のごとくあたたかい。

船は一上一下、奈落の底にしずむかと思えばまた九天にゆりあげられる、嵐はますますふきつのり、雷鳴すさまじくとどろいていなづまは雲をつんざくごとに毒蛇の舌のごとくひらめく。この一閃々々の光の下に、必死となってかじをとりつつある、四人の少年の顔が見える。

みよしに近く立っているのは、日本の少年大和富士男である。そのつぎにあるは英国少年ゴルドンで、そのつぎは米国少年ドノバンで、最後に帆綱をにぎっているのは、黒人モコウである。

富士男は十五歳、ゴルドンは十六歳、ドノバンは十五歳、モコウは十四歳である。

とつぜん大きな波は、黒雲をかすめて百千の猛獣の群れのごとく、おしよせてきた。

「きたぞ、気をつけい」

富士男はさけんだ。

「さあこい、なんでもこい」

とゴルドンは身がまえた。同時に百トンの二本マストのヨットは、さかしまにあおりたてられた。

「だいじょうぶか、ドノバン」

富士男は暗のなかをすかして見ながらいった。

「だいじょうぶだ」

ドノバンの声である。

「モコウ! どうした」

「だいじょうぶですぼっちゃん」

モコウは帆綱にぶらさがりながらいった。

「もうすこしだ、がまんしろ」

富士男はこういった、だがかれは、じっさいどれだけがまんすれば、この嵐がやむのかが、わからなかった。わからなくても戦わねばならぬ、自分ひとりではない、ここに三人がいる、船底にはさらに十一人の少年がいる、同士のためにはけっして心配そうな顔を見せてはならぬのだ。

かれは大きな責任を感ずるとともに、勇気がますます加わった。

このとき、船室に通ずる階段口のふたがぱっとあいて、二人の少年の顔があらわれた。同時に一頭のいぬがまっさきにとびだしてきた。

「どうしてきた」と富士男は声をかけた。

「富士男君、船がしずむんじゃない?」

十一、二歳の支那少年善金はおずおずしながらいった。

「だいじょうぶだ、安心して船室にねていたまえ」

「でもなんだかこわい」

といまひとりの支那少年伊孫がいった。

「だまって眼をつぶってねていたまえ、なんでもないんだから」

このときモコウはさけんだ。

「やあ、大きなやつがきましたぜ」

というまもなく、船より数十倍もある大きな波が、とものほうをゆすぶってすぎた。ふたりの支那少年は声をたててさけんだ。

「だから船室へかえれというに、きかないのか」

富士男はしかるようにいった、善金と伊孫はふたたび階段のふたの下へひっこんだ、とすぐまたひとりの少年があらわれた。

「富士男君、ぼくにもすこしてつだわしてくれ」

「おうバクスター、心配することはないよ、ここはぼくら四人で十分だから、きみは幼年たちを看護してくれたまえ」

仏国少年バクスターはだまって階段をおりた。嵐は刻一刻にその勢いをたくましゅうした。船の名はサクラ号である。ちょうどさくらの花びらのように船はいま波のしぶきにきえなんとしている。とものマストは二日まえに吹き折られて、その根元だけが四尺ばかり、甲板にのこっている、たのむはただ前方のマストだけである、しかもこのマストの運命は眼前にせまっている。

海がしずかなときには、ガラスのようにたいらな波上を、いっぱいに帆を張って走るほど、愉快なものはない。だがへいそに船をたすける帆は、あらしのときにはこれほど有害なものはない、帆にうける風のために船がくつがえるのである。

だが、十六歳を頭にした十五人の少年の力では、帆をまきおろすことはとうていできない。見る見るマストは満帆の風に吹きたわめられて、その根元は右に動き左に動き、ギイギイとものすごい音をたてる。もしマストが折れたら船には一本のマストもなくなる、このまま手をむなしくして、波濤の底にしずむのをまつよりほかはないのだ。

「もう夜が明けないかなあ」

ドノバンがいった。

「いや、まだです」

と黒人のモコウがいった。そうして四人は前方を見やった。海はいぜんとしてうるしのごときやみである。

とつぜんおそろしいひびきがおこった。

「たおれたッ」とドノバンがさけんだ。

「マストか?」

「いや、帆が破れたんだ」

とゴルドンがいった。

「それじゃ帆をそっくり切りとらなきゃいかん、ゴルドン、きみはドノバンといっしょに、ここでハンドルをとってくれたまえ、ぼくは帆を切るから……モコウ! ぼくといっしょにこいよ」

富士男は、こういって決然と立った。かれはおさないときから父にしたがって、いくたびか、シドニーとニュージーランドのあいだを航海した。そのごうまいな日本魂と、強烈な研究心は、かれに航海上の大胆と知識をあたえた。十四人の少年が、かれをこのサクラ号の指揮者となしたのも、これがためである。モコウはおさないときに船のボーイであったので、これも船のことにはなれている。

ふたりは前檣の下へきて、その破損の個所をあらためてみると、帆は上方のなわが断れているが、下のほうだけがさいわいに、帆桁にむすびついてあった。ふたりは一生けんめいに、上辺のなわを切りはなした。帆は風にまかせて半空にひるがえった。ふたりはようやくそれをつかんで、下から四、五尺までの高さに帆桁をおろし、帆の上端を甲板にむすびつけた。これで船は風に対する抵抗力が減じ、動揺もいくぶんか減ずるようになった。

ふたりがこの仕事をおわるあいだ、ずいぶん長い時間を要した。大きな波は、いくどもいくどもふたりをおそうた。ふたりは帆綱をしっかりとにぎりながら、危難をさけた。

仕事がおわってふたりはハンドルのところへ帰ると、階段の口があいて、そこからまっ黒な髪をして、まるまるとふとった少年の顔があらわれた。それは富士男の弟次郎である。

「次郎、どうしてきた」

と兄はとがめるようにいった。

「たいへんだたいへんだ、兄さん、水が船室にはいったよ」

「ほんとうか」

富士男はおどろいて階段をおりた。もし浸水がほんとうなら、この船の運命は五分間でおわるのである。

船室のまんなかの柱には、ランプが一つかかってある。そのおぼつかないうすい光の下に、十人の少年のすがたをかすかに見ることができる。ひとりは長いすに、ひとりは寝台に、九歳や十歳になる幼年たちは、ただ恐怖のあまりに、たがいにだきあってふるえている。富士男はそれを見ていっそう勇気を感じた。

「このおさない人たちをどうしても救わなきゃならない」

かれはこう思って、わざと微笑していった。

「心配することはないよ、もうじき陸だから」

かれはろうそくをともして室内のすみずみをあらためた、いかにも室内にすこしばかりの水たまりができている、船の動揺につれて水は右にかたむき左にかたむく。だが、それはどこからはいってきたのかは、いっこうにわからない。

「はてな」

かれは頭をかしげて考えた。するとかれはこのとき、海水にぬれた壁のあとをおうて眼をだんだんに上へうつしたとき、水は階段の上の口、すなわち甲板への出入り口から下へ落ちてきたのだとわかった。

「なんでもないよ」

富士男は一同に浸水のゆらいを語って安心をあたえ、それからふたたび甲板へ出た。夜はもう一時ごろである。天はますます黒く、風はますますはげしい。波濤の音、船の動く音、そのあいだにきこえるのは海つばめの鳴き声である。

海つばめの声がきこえたからといって、陸が近いと思うてはならぬ、海つばめはおりおりずいぶん遠くまで遠征することがあるものだ。

と、またもやごうぜんたる音がして、全船が震動した、同時に船は、木の葉のごとく巨濤の穂にのせられて、中天にあおられた。たのみになした前檣が二つに折れたのである。帆はずたずたにさけ、落花のごとく雲をかすめてちった。

「だめだ」とドノバンはさけんだ。「もうだめだ」

「なあにだいじょうぶだ、帆がなくてもあっても同じことだ、元気で乗りきろう」

と富士男はいった。

「いいあんばいに追風になりました。一直線にゆくことができます」とモコウはいった。

「だが、気をつけろよ、船より波のほうが早いから、うしろからかぶさってくる波にからだをさらわれないように、帆綱にからだをゆわえつけろよ」

富士男のことばがおわるかおわらないうちに、大山のごとき怒濤が、もくもくとおしよせたかと見るまに、どしんと甲板の上に落ちかかった。同時にライフ・ボート三せき、ボート二せきと羅針盤をあらいさり、あまる力で船べりをうちくだいた。

「ドノバン、だいじょうぶか?」

富士男はころびながら友を案じていった。

「ああだいじょうぶだ。ゴルドン!」

「ここにいるよ、モコウは?」

モコウの声はない。

「おやッ、モコウは?」

富士男は立ちなおってさけんだ。

「モコウ! モコウ! モコウ!」

よべどさけべど、こたうるものは、狂瀾怒濤のみである。

「波にさらわれた!」

ゴルドンはふなばたから下を見おろしていった。

「なんにも見えない」

「救わなきゃならない、浮き袋と縄を投げこめよ」と富士男はいった、そうしてまたさけんだ。

「モコウ! モコウ!」

どこからとなくうなり声がきこえた。

「た、た、助けて!」

「おうモコウ!」

声はみよしのほうである、みよしは波にへりをくだかれてから、だれもゆくことができなくなった。

「みよしだ、ぼくはゆかなきゃならん」

富士男はいった。

「あぶないよ」

とドノバンがいった。

「あぶなくてもゆかなきゃならん」

モコウは富士男の家につかわれている小僧で、昔ふうにいえば、主従の関係である、だが富士男は、モコウをけっして奴隷的に見なしたことはない。かれは白皙人も黄色人も黒人も、人間はすべて同一の自由と権利をもち、おたがいにそれを尊敬せねばならぬと信じている。世界の人種は平等である、人種によって待遇を別にしてはならぬ。これはかれが平素その父から教えられたところである。かれはモコウに対しても、いつも親友の愛情をそそいでいる。

友を救うためには、自己の危難をかえりみるべきでない、義侠の血をうけた富士男の意気は、りんぜんとして五体にみちた。かれは面もふらずまっすぐに、甲板の上をつたいつたい船首のほうへ走った。

「モコウ! モコウ!」

返事がない。

「モコウ! モコウ!」

声はしだいに涙をおびた。とかすかなうなり声がふたたびきこえた。

「モコウ!」

富士男は声をたよりに巻きろくろとみよしのあいだにあゆみよった。

「モコウ!」

一度きこえたうなり声はふたたびきこえなくなった。

「モコウ!」

声のかぎりさけびつづけてみよしへ進まんとした一せつな、かれはなにものかにつまずいて、あやうくふみとどまった。

「ううううう」

つまずかれたのは、モコウのからだであった。

「モコウ! どうした」

富士男は喜びのあまりだきついた。モコウは巨濤にうちたおされたひょうしに、帆綱にのどをしめられたのであった、かれはそれをはずそうともがくたびに、船の動揺につれて、綱がますますきつくひきしまるので、いまはまったく呼吸もたえだえになっていた。

「待て待て」

富士男はナイフを出して帆綱を切った。

「ああ、ありがとう」

モコウは富士男の手をかたくにぎったが、あとは感謝の涙にむせんだ。

ふたりはハンドルの下に帰った、だが嵐はいつやむであろうか。

南半球の三月は北半球の九月である。夜が明けるのは五時ごろになる。

「夜が明けたらなんとかなるだろう」

少年たちの希望はただこれである、荒れに荒れくるう黒暗々の東のほうに、やがて一曳の微明がただよいだした。

「おう、夜が明けた」

一同が歓喜の声をあげた。あかつきの色はしだいに青白くなり、ばら色になり、雲のすきますきまが明るくなると、はやてに吹きとばされるちぎれ雲は、矢よりもはやく見える。

Chapter 1 of 23