三
釣暦から云つても、七月にはもうあらゆる魚が釣れると云つてよい。どんな池でも川でも、そして鮒でもタナゴでも、或はハゼでもイナでも、女子供のピクニツクの好伴侶になる。その点でプロ的な釣りは、ダボ釣りと川エビ釣りであらう。
野薔薇が咲くと川エビ、魚類は人間よりも季節に正しい。あの愛すべきグロ味のある手長エビといふ奴は、初夏より八月頃まで池や川の浅い処を這ひ廻つてゐる。これは三銭の竿で、木綿糸、一銭に三本の鈎、二三分の蚯蚓で釣れる。半日もやると晩のお菜に四五十は釣れる。此奴の釣り味といふものは、実に静かで、優雅なところがある。ツンツンと上つて来て、草の上へ釣りあげると、ツサツサと小さい鋏を鳴らす。飯鮹はよく人の指を敵だと思つてからみつくが、エビは人の指を鋏む。大きいのになるとちよつと痛い、この釣りは環境がよいので、誰にでも出来るし、又出掛けるに都合がよく、京浜間の池や川なら何処にでもゐる。少し凝つた男は、この川エビを夜釣りにする。多摩川、鶴見川あたりでは、失職者の父がエビを釣り、その子供がダボを釣つて、一日のお惣菜を稼いでゐる。
夫れに、少し海でも近かつたら、もうそろそろ夏のハゼが釣れるし、田舎だつたら、鯰釣りが面白くなる。鮒やタナゴ、ハヤなどは釣れてももう匂ひがしてたまらない。鰌釣り、鰻の夜釣りなどもちよつとよいが、面白いのは鯰釣り、長竿で太糸で、大鉤へ蛙をつけて、夕暮の沼や川の藻の中を、ぽかんぽかんと叩く、すると貪婪な鯰がガバと来る、一名ポカン釣りといつて滑稽な釣りの一課目である。そんな意味から、面白半分に変つた釣りをやらうといふなら、工場地帯などの橋の下では、蟹が釣れる、シヤコも釣れる、江東や京浜地方では、もうイナが始まる。川では流しのウキ釣り、潮入りの池ならネリといつて米糠の団子で釣る。小さいのが洲走りといつて、此奴は釣れないが、オボコとなるともう四五寸あるから、夕方の上げ潮なら何処の川口でも釣れる。それ以上になるとイナ、ハシリボラが交る。この釣りも蘆荻の間にあつて、昼顔の花の上に坐り、握り飯でも食ひながら釣れるから、足の達者な人にはよい。金を払つて、生白い釣堀りのものを釣つてゐるより、いかにも野趣があつてのんびりしてゐる。赤い夕雲が出て静かな夕方など、私はよく自転車をとばして、海岸近くの小池へ出掛ける。
前夜に天気予報を聞いて、静かな日曜などには、これから十月まで鰺に凝る人がある。凡そ暑い釣りで、経木の帽子に浴衣、一日舟の上で潮風に吹かれてゐるのであるから、健康にはよいかも知れない。六月から始まつて、七八月、横浜沖から横須賀まで、小舟が蟻のやうにつづく、乗合もある。そこで腕の強い男は二貫目以上釣ることもあつて、帰りにはその魚を売つて来る。殊に横浜が盛んだ。東京附近では、鯊かカイヅ、或は投網でイナをやるくらゐであるが、横浜から先は海も深くなるし、大鰺やメゴチ、或はソーダ、鱸、大鮹、ガラ、カンパチ、ボラ、メナダ、といふやうなものが釣れるから、皆ハネ竿で、倫糸も長く、先づ半職釣といつた人が多い。
この鰺は船頭が、魚の游泳層を見てくれるから、コマセを撒いて、脈をとつてゐればよいのであるから、ゐれば誰れにでも釣れる。只愉快なのは、沖膾といつて、釣りたての鰺を皮をむいて、生醤油のまま沖でむしやむしやとやれる事だ。少しも臭くない。この味をしめるともう陸の刺身などは食へなくなる。鮎の背越しもよいが、鰺の沖膾は先づ夏の珍味の一つであらう。もちろん鯖などもやつて見るが、シマアヂに限る。何の沖釣りでもさうであるが、海で食べるものは一切うまい、オゾンで腹が空くのか、後で後悔するほど人はたべる。といつて船暈はたまらないが、度々行くうちには船暈など先づ先方から逃げてゆく、そこが又沖釣りの爽快さである。