Chapter 1 of 9

白鳥先生のあとを承けてこの稿を草するのはわが光栄とするところである。

だが文学史的に回顧するとすれば、逍遙対鴎外、透谷対愛山の論争につづくべきものは大町桂月対新詩社の「君死に給ふこと勿れ」に関する論争を取上げるのが至当であり、それにつづいては更に自然主義時代の諸論客中に然るべき論争もあるのを無視して一足飛びに初頭とは云へ大正ならぬ昭和時代の龍之介対潤一郎の小説論の争ひでは、少々年代が飛び過ぎるし、第一、龍之介・潤一郎のものは論争と呼ぶには不適当と思はれる節もないでは無いが編輯者には何れ、独自な識見とか商策もあるのであらう。なるほど龍之介と潤一郎との小説論の争なら役者も花形揃ひ、外題も申し分無しと云ふのであらう。それとも単に彼等の寡聞のせゐで少し時代の遠いところはご存じ無しなのか。どちらにせよ僕の関知せぬところである。僕は与へられた題目を処理しさへすればよいのであらう。

龍之介・潤一郎の論争を回顧するのは僕が最も適任だとおだてられても決してそれに同感したわけでも無く、これは間尺に合はない仕事と思ひながらも、そのそばからそれを引受けてもよいと思つたのは、いつもの軽挙妄動では無く、たぶん今はおほかた忘れさうになつてゐるあの頃の事どもを、この機会にもう一度思ひ出してみたいと云ふ気が無意識に働いてゐたものらしい。

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