Chapter 1 of 3

箭内亙による譯

伍子胥は楚の人也。名は員。員の父を伍奢と曰ひ、員の兄を伍尚と曰ふ。其先を伍擧と曰ふ。(伍擧)直諫を以て楚の莊王に事へて、(一)顯なる有り、故に其後世、楚に名あり。楚の平王、太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅たらしめ、費無忌をして少傅たらしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の爲めに婦を秦に取らしむ。秦の女、好し。無忌馳せ歸りて平王に報じて曰く、『秦の女絶だ美なり。王、自ら取りて更に太子の爲めに婦を取る可し』と。平王遂に自ら秦の女を取りて、絶だ之を愛幸し、子軫を生む。更に太子の爲めに婦を取る。無忌既に秦の女を以て自ら平王に媚び、因つて太子を去りて平王に事ふ。一旦平王卒して太子立たば己を殺さんことを恐れ、乃ち因つて太子建を讒す。建の母は蔡の女也。平王に寵なし。平王稍益建を疏んじ、建をして城父(ノ地)を守り(二)邊兵に備へしむ。之を頃くして、無忌、又、日夜、太子の(三)短を王に言つて曰く、『太子、秦の女の故を以て、(四)怨望無き※能はず。願はくは王少しく自ら備へよ。太子、城父に居りて兵に將たりしより、外、諸に交はり、且に入りて亂を爲さんと欲す』と。平王、乃ち其太傅伍奢を召して、之を(五)考問す。伍奢、無忌が太子を平王に讒するを知る。因つて曰く、『王、獨り奈何ぞ(六)讒賊の小臣を以て(七)骨肉の親を疏んずる』と。無忌曰く、『王、今(太子ヲ)制せずんば、其事成り、王且に(八)禽にせられんとす』と。是に於て平王、怒つて伍奢を囚へて、(九)城父の(一〇)司馬奮揚をして往いて太子を殺さしむ。行きて未だ至らず、奮揚、人をして先づ太子に告げしむらく、『太子、急に去れ、然らずんば將に誅せられんとす』と。太子建、亡げて宋に奔る。無忌、平王に言つて曰く、『伍奢、二子あり、皆賢なり。誅せずんば且に楚の憂を爲さんとす。其父を以て(一一)質として之を召す可し、然らずんば且に楚の患を爲さんとす』と。王、使をして伍奢に謂はしめて曰く、『能く汝の二子を(一二)致さば則ち生きん。能はずんば則ち死せん』と。伍奢曰く、『尚の人と爲りや仁、呼ばば必ず來らん。員の人と爲りや(一三)剛戻にして(一四)※を忍び、能く大事を爲す。彼、來らば并せ禽にせらるるを見て、其勢必ず來らざらん』と。王聽かず。人をして二子を召さしめて曰く、『來らば吾、汝の父を生かさん。來らずんば今、奢を殺さん』と。伍尚、往かんと欲す。員曰く、『楚の・我が兄弟を召すは、以て我が父を生かさんと欲するに非ず。脱るる者有らば後患を生ぜんことを恐るるなり。故に父を以て質と爲し、詐つて二子を召すなり。二子到らば則ち父子倶に死せん。何ぞ父の死に益せん。(一五)往かば讎に報ずるを得ざらしめん耳。他國に奔り力を借り以て父の恥を雪ぐに如かず。倶に滅ぶるは(一六)爲す無き也』と。伍尚曰く、『我、往くとも終に父の命を全うする※能はざるを知る。然れども父、我を召し以て生を求むるに、而も往かず、後、恥を雪ぐ※能はずんば終に・天下の笑と爲らんを恨む耳』と。員に謂ふ、『去る可し。汝は能く父を殺すの讎に報いよ。我は將に死に歸せんとす』と。尚、既に(一七)執はれに就く。使者、伍胥を捕へんとす。伍胥、弓を貫り矢を執りて使者に嚮ふ。使者、敢て進まず。伍胥、遂に亡げ、太子建の・宋に在るを聞き、往いて之に從ふ。奢、子胥の亡ぐるを聞くや、曰く、(一八)『楚國の君臣、且に兵に苦しまんとす』と。伍尚、楚に至る。楚、奢と尚とを并せ殺せり。

伍胥既に宋に至る。宋に(一九)華氏の亂有り。乃ち太子建と倶に鄭に奔る。鄭人甚だ之を(二〇)善くす。太子建又晉に適く。晉の頃公曰く、『太子既に鄭に善し。鄭、太子を信ず。太子、能く我が爲めに(二一)内應せよ。而して我其外を攻めば、鄭を滅ぼすや必せり。鄭を滅ぼさば太子を封ぜん』と。太子乃ち鄭に還る。事(二二)未だ會せず。(太子建)會自ら私に其從者を殺さんと欲す。從者、(二三)其謀を知り、乃ち之を鄭に告ぐ。鄭の定公、子産と、太子建を誅殺す。建、子有り、勝と名く。伍胥懼れ、乃ち勝と倶に呉に奔る。(二四)昭關に到る。昭關之を執へんと欲す。伍胥、遂に勝と獨身歩走し、幾んど脱するを得ざらんとす。追ふ者、後に在り。江に至る。江上、一漁父の・船に乘るあり、伍胥の急を知り、乃ち伍胥を渡す。伍胥、既に渡り、其劒を解いて曰く、『此劒は直百金。以て(二五)父に與ふ』と。父曰く、『楚國の法、(二六)伍胥を得る者は、粟五萬石・(二七)爵執珪を賜ふ。豈に徒に百金の劒のみならんや』と。受けず。伍胥未だ呉に至らずして疾み、中道に止り食を乞ふ。呉に至る。(二八)呉王僚、方に事を用ひ、公子光、將たり。伍胥乃ち公子光に因つて以て呉王に見ゆるを求む。之を久しうして楚の平王、其邊邑の鍾離、呉の邊邑の卑梁氏と倶に(二九)蠶し、(三〇)兩女子桑を爭うて相攻むるを以て、乃ち大に怒り、兩國・兵を擧げて相伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしむ。其鍾離・(三一)居巣を拔いて歸る。伍子胥、呉王僚に説いて曰く、『楚は破る可き也。願はくは復た公子光を遣れ』と。公子光、呉王に謂つて曰く、『彼の伍胥の父兄、楚に戮せらる。而して王に楚を伐つを勸むるは、以て自ら其讎を報いんと欲する耳。楚を伐つとも未だ破る可からざらん』と。伍胥、公子光の・(三二)内志あり・王を殺して自立せんと欲し・未だ説くに外事を以てす可からざるを知り、乃ち(三三)專諸を公子光に進め、退いて太子建の子勝と與に野に耕す。

五年にして楚の平王・卒す。初め平王の・太子建より奪ふ所の秦の女、子軫を生む。平王・卒するに及んで、軫、竟に立つて後と爲れり。是れを昭王とす。呉王僚、楚の喪に因つて、二公子をして兵に將とし往いて楚を襲はしむ。楚、兵を發して呉の兵の後を絶つ。(呉ノ兵)歸るを得ず。呉國、(三四)内空し。而して公子光乃ち專諸をして呉王僚を襲ひ刺さしめて自立す。是れを呉王闔廬となす。闔廬既に立つて志を得、乃ち伍員を召して以て(三五)行人となし、而して與に國事を謀る。楚、其大臣・郤宛・伯州犂を誅す。伯州犂の孫伯、亡げて呉に奔る。呉、亦、を以て大夫と爲す。前に王僚の遣る所の二公子の・兵に將として楚を伐ちし者、道絶えて、歸るを得ず。後、闔廬が王僚を弑して自立せりと聞き、遂に其兵を以て楚に降る。楚之を舒に封ず。闔廬立つて三年、乃ち師を興し、伍胥・伯と、楚を伐つて舒を拔き、遂に故の呉の反せる二將軍を禽にす。因つて(三六)郢に至らんと欲す。將軍孫武曰く、『民勞る、未だ可ならず。且く之を待て』と。乃ち歸る。四年、呉、楚を伐つて六と潛とを取る。五年、越を伐つて之を敗る。六年、楚の昭王、公子嚢瓦をして兵を將ゐて呉を伐たしむ。呉、伍員をして迎へ撃たしめ、大に楚の軍を豫章に破り、楚の居巣を取る。九年、呉王闔廬、子胥・孫武に謂つて曰く、『始め子、郢の未だ入る可からざるを言へり、今果して何如』と。二子對へて曰く、『楚の將嚢瓦貪りて、(三七)唐・蔡皆之を怨む。王必ず大に之を伐たんと欲せば、必ず先づ唐・蔡を得て乃ち可ならん』と。闔廬之を聽き、悉く師を興して唐・蔡と與に楚を伐つ。楚と漢水を夾んで陳す。呉王の弟夫概、兵に將たり、從はんと請ふ。王聽かず。遂に(三八)其屬五千人を以て、楚の將子常を撃つ。子常敗走して鄭に奔る。是に於て、呉、勝に乘じて前み、五たび戰つて遂に郢に至る。(三九)己卯、楚の昭王出奔し、(四〇)庚辰、呉王、郢に入る。昭王、(四一)出亡して雲夢に入る。盜、王を撃つ。王、に走る。(四二)公の弟懷曰く、『平王、我が父を殺せり。我、其子を殺すも、亦可ならずや』と。公、其弟の・王を殺さんことを恐れ、王と隨に奔る。呉の兵、隨を圍む。(呉 )隨人に謂つて曰く、(四三)『(往昔)周の子孫、漢川に在りし者は、楚、盡く之を滅ぼせり』と。隨人、王を殺さんと欲す。王の子、王を匿し、(四四)己自ら王と爲り、以て之に當らんとす。隨人、王を呉に與へんことを卜す。不吉なり。乃ち呉に(四五)謝し、王を與へず。

始め伍員、申包胥と交を爲す。員の亡ぐるや、包胥に謂つて曰く、『我必ず楚を覆さん』と。包胥曰く、『我必ず之を(四六)存せん』と。呉の兵の・郢に入るに及び、伍子胥、昭王を求むれども、既に得ず。即ち楚の平王の墓を掘いて其尸を出し、之を鞭つこと三百、然る後已む。申包胥、山中に亡げ、人をして子胥に謂はしめて曰く、『子の・讎を報ずる、其れ(四七)以甚だしき乎。吾之を聞く、「人衆き者は天に勝ち、天定つて亦能く人を破る」と。今、子は故平王の臣にして、親しく北面して之に事へたり。今、死人を(四八)するに至る。此れ豈に其れ(四九)天道の極なからんや』と。伍子胥曰く、『我が爲めに申包胥に(五〇)謝して曰へ、「吾、(五一)日暮れて塗遠し、吾故に(五二)倒行して之を逆施するのみ」と。是に於て申包胥、秦に走りて急を告げ、救ひを秦に求む。秦、許さず。包胥、秦の廷に立つて晝夜哭し、七日七夜、其聲を絶たず。秦の哀公、之を憐んで曰く、『楚、無道なりと雖も、臣あること是の如し。存する無かる可けんや』と。乃ち車五百乘を遣り、楚を救うて呉を撃つ。六月、呉の兵を稷に敗る。

會呉王久しく楚に留まり昭王を求む、而して闔廬の弟夫概、乃ち亡げ歸り、自立して王と爲る。闔廬、之を聞き、乃ち楚を釋てて歸り、其弟夫概を撃つ。夫概敗走し、遂に楚に奔れり。楚の昭王、呉に内亂あるを見、乃ち復た郢に入り、夫概を堂谿に封じて堂谿氏と爲す。楚、復た呉と戰つて呉を敗る。呉王乃ち歸る。後二歳、闔廬、太子夫差をして兵を將ゐて楚を伐たしめ、番を取る。楚、呉の復た大に來らんことを恐れ、乃ち郢を去つてに徙る。是時に當り、呉は伍子胥・孫武の謀を以て、西は彊楚を破り、北は齊晉を威し、南は越人を服す。其後四年、孔子、魯に相たり。後五年、(呉王)越を伐つ。越王勾踐、迎へ撃つて呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷く。(呉ノ)軍卻く。闔廬、創を病みて將に死せんとす。太子夫差に謂つて曰く、『爾、勾踐が爾の父を殺ししを忘れんか』と。夫差對へて曰く、『敢て忘れじ』と。是夕、闔廬・死す。夫差既に立つて王となる。伯を以て太宰となし、(五三)戰射を習ふ。二年の後、越を伐ち、越を夫湫に敗る。越王勾踐、乃ち餘兵五千人を以て、會稽の上に棲み、(五四)大夫種をして幣を厚くして呉の太宰に遺り・以て和を請はしめ、(五五)國を委して(五六)臣妾と爲らんことを求む。呉王、將に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰く、『越王、人と爲り(五七)辛苦に能ふ。今、王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん』と。呉王聽かず。太宰の計を用ひて越と(五八)平ぐ。

其後五年にして呉王、齊の景公死して大臣寵を爭ひ新君弱しと聞き、乃ち師を興して北のかた齊を伐つ。伍子胥諫めて曰く、『勾踐、食、(五九)味を重ねず、(六〇)死を弔ひ病を問ふ。且に之を用ふる所有らんと欲する也。此人死せずんば、必ず呉の患を爲さん。今、呉の・越あるは、猶ほ人の・腹心の疾有るがごとき也。而るに王、越を先にせずして、乃ち齊を務む。亦謬らずや』と。呉王聽かず、齊を伐ち、大に齊の師を艾陵に敗り、遂に(六一)鄒・魯の君を滅ぼして以て歸る。益子胥の謀を疏んず。

其後四年、呉王將に北のかた齊を伐たんとす。越王勾踐、子貢の謀を用ひ、乃ち其衆を率ゐて以て呉を助け、而して重寶以て太宰に獻遺す。太宰既に數越の(六二)賂を受け、其の越を愛信すること殊に甚しく、日夜爲めに呉王に言ふ。呉王信じての計を用ふ。伍子胥諫めて曰く、『夫れ越は(六三)腹心の病なり。今、其浮辭詐僞を信じて齊を貪る。齊を破るは、譬へば猶ほ石田のごとく、之を用ふる所無し。且つ(六四)盤庚の誥に曰く、(六五)「顛越不恭あらば、之を(六六)殄滅し、遺育する無からしめよ。種を茲の邑に易へしむる無かれ」と。此れ(六七)商の興る所以なり。願はくは王、齊を釋てて越を先にせよ。若し然らずんば、後、將に之を悔ゆとも及ぶ無からんとす』と。而るに呉王聽かず、子胥を齊に使はす。子胥、行くに臨み、其子に謂つて曰く、『吾數王を諫む。王、用ひず。吾、今、呉の亡ぶるを見ん。汝、呉と倶に亡ぶるは、益無き也』と。乃ち其子を齊の(六八)鮑牧に屬して、還つて呉に(六九)報ず。呉の太宰、既に子胥と隙有り。因つて讒して曰く、『子胥、人と爲り、剛暴にして恩少く、(七〇)猜賊なり。其怨望、恐らくは深禍を爲さん。前日、王、齊を伐たんと欲す。子胥、以て不可と爲す。王卒に之を伐つて大功ありき。子胥、其計謀の用ひられざりしを恥ぢ、乃ち反つて怨望す。而して今、王、又復た齊を伐つ。子胥專ら愎り彊ひて諫め(七一)事を用ふるを沮毀す。徒に呉の敗れて以て自ら其計謀に勝たんことを(七二)幸ふのみ。今、王自ら行き、國中の武力を悉して以て齊を伐つ。而して子胥諫め用ひられず、因つて輟め謝し(七三)佯病して行かず。王、備へざる可からず。此れ禍を起すこと難からじ。且つ、人をして微に之を伺はしむるに、其の齊に使するや、乃ち其子を齊の鮑氏に屬せり。夫れ人臣と爲つて、内、意を得ず、外、諸に倚り、自ら以て先王の謀臣と爲すに、今用ひられず、常に(七四)鞅鞅として怨望す。願はくは王、早く(七五)之を圖れ』と、呉王曰く、『子の言微きも、吾も亦之を疑へり』と。乃ち使をして伍子胥に(七六)屬鏤の劍を賜はしめて曰く、『子、此を以て死せよ』と。伍子胥、天を仰いで歎じて曰く、『嗟乎、讒臣、亂を爲す。王、乃ち反つて我を誅す。我、若の父をして霸たらしむ。若が未だ立たざる時より、諸公子立つを爭ふ。我、死を以て之を先王に爭ふ。幾んと立つを得ざらんとせり。若、既に立つを得るや、呉國を分つて我に與へんと欲せり。我、顧つて敢て望まざりき。然るに今、若、諛臣の言を聽き、以て長者を殺す』と。乃ち其(七七)舍人に告げて曰く、『必ず我が墓上に樹うるに(七八)梓を以てせよ、以て(七九)器を爲る可からしめん。而して吾が眼を抉り、呉の東門の上に懸けよ。以て越の寇の入つて呉を滅ぼすを觀ん』と。乃ち自剄して死す。呉王之を聞いて大に怒り、乃ち子胥の尸を取り、盛るに(八〇)鴟夷の革を以てし、之を江中に(八一)浮ぶ。呉人、之を憐み、爲めに祠を江上(ノ山)に立つ、因つて(其山ヲ)命けて胥山と曰ふ。

呉王、既に伍子胥を誅し、遂に齊を伐つ。齊の鮑氏、其君悼公を殺して陽生を立つ。呉王、其賊を討たんと欲す、勝たずして去る。其後二年、呉王、魯・衞の君を召し、之を※に會す。其明年、因つて北、大に諸を黄池に會し、(八二)以て周室に令す。越王勾踐、襲うて(八三)呉の太子を殺し、呉の兵を破る。呉王之を聞き、乃ち歸り、使を使はし幣を厚うして越と平ぐ。後九年、越王勾踐、遂に呉を滅ぼして王夫差を殺し、而して太宰を誅す。其君に不忠にして、外、(八四)重賂を受け、(八五)己と比周せるを以て也。

伍子胥の初め與に倶に亡ぐる所の故の楚の太子建の子勝といふ者、呉に在り。呉王夫差の時、楚の惠王、勝を召して楚に歸さんと欲す。葉公諫めて曰く『勝は勇を好んで陰に死士を求む。殆ど(八六)私有らんか』と。惠王聽かず。遂に勝を召して楚の邊邑に居らしめ、號して白公と爲す。白公、楚に歸つて三年にして、呉、子胥を誅す。白公勝、既に楚に歸り、鄭の其父を殺ししを怨み、乃ち陰に死士を養ひ、鄭に報ゆるを求む。楚に歸つて五年、鄭を伐たんと請ふ。楚の(八七)令尹子西、之を許す。兵未だ發せざるに、晉、鄭を伐つ。鄭、救ひを楚に請ふ。楚、子西をして往いて救はしむ。(子西、鄭ト)與に盟つて還る。白公勝怒つて曰く、(八八)『鄭は之れ仇に非ず、乃ち子西なり』と。勝自ら劍を礪ぐ。人問うて曰く、『何をか以て爲す』と。勝曰く、『以て子西を殺さんと欲す』と。子西、之を聞き、笑つて曰く(八九)『勝は卵の如き耳、何をか能く爲さんや』と。其後四歳、白公勝、石乞と與に襲うて楚の令尹子西・司馬子を朝に殺す。石乞曰く、『王を殺さずんば不可なり』と。乃ち之を劫す。王、(九〇)高府に如く。(九一)石乞の從者屈固、楚の惠王を負ひ、亡げて昭夫人の宮に走る。葉公、白公の・亂を爲すを聞き、其國人を率ゐて白公を攻む。白公の徒敗れ、亡げて山中に走り、自殺す。而して石乞を虜にして、白公の(九二)尸處を問ふ。言はず。將に烹んとす。石乞曰く、『事成らば卿と爲らん。成らずして烹らるるは、固より(九三)其職也』と。終に肯て其尸處を告げず。遂に石乞を烹る。而して惠王を求めて復た之を立つ。

太史公曰く、怨毒の・人に於ける、甚しいかな、(九四)王者尚ほ之を臣下に行ふ※能はず、況や同列をや。向に伍子胥をして奢に從ひ倶に死せしめば、何ぞ(九五)螻蟻に異ならんや。(九六)小義を棄てて大恥を雪ぎ、名を後世に垂る。(九七)悲しい夫。子胥が(九八)江上に窘められ・道に食を乞ふに方り、志、豈に嘗て須臾も郢を忘れんや。故に(九九)隱忍して功名を就せり。(一〇〇)烈丈夫に非ずんば、孰れか能く此を致さん。(一〇一)白公如し自立して君と爲らざりせば、其功謀亦道ふに勝ふ可からざる者ありしならんかな。

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