春
桃色に雲の入日やいかのぼり 其木
句意は格別説明するまでのこともあるまい。この句の生命はいうまでもなく「桃色」にある。夕日の空に凧の上っているところは、必ずしも特色ある景色ということは出来ないが、「桃色」を先ず点じ来ったため、夕雲の鮮な色が眼に浮ぶように思われる。
北原白秋氏の歌に「鳰鳥の葛飾小野の夕霞桃いろふかし春もいぬらむ」というのがあった。こういう色彩に対する感覚は、近代人の得意とするところであるが、古人も決して閑却していたわけでないことは、この一句によっても自ら明であろう。
鍬の刃の夕日に光ル田打かな 嘯風
今日の眼から見ると、何となく平凡な句のように見える。しかしこの句の出来た元禄時分にも、果して平凡だったかどうかは疑問である。夕日に光る鍬の刃は、当時にあってはむしろ新しい見つけどころではなかったろうかという気もする。
振上げ打おろす鍬の刃が、夕日を受けてきらりと光る。そういう動作は句の表面に現れてはいないけれども、「田打」という言葉によって、同じような動作を繰返しつつあることが連想されるのである。
「振あぐる鍬のひかりや春の野ら」という杉風の句も、ほぼ同様な光景に著眼しているが、この句に比べるとよほど大まかなところがある。杉風は「振あぐる」という動作に重きを置いているに反し、嘯風はそれを「田打」という語に包含せしめ、夕日を点ずることによって時間的背景を明にした。両句の相異は主としてその点から来ている。
うぐひすや内等の者の食時分 黙進
この句を読むと直に蕪村の「うぐひすや家内揃うて飯時分」を思い出す。「食時分」はやはり「メシジブン」とよむのであろう。こう二つ並べて見ると、「内等の者の」は「家内揃うて」よりも表現が不束なように思われる。そこに修辞上における元禄と天明との差が認められるのであるが、「家内揃うて飯時分」という言葉には多少の俗気があって、蕪村の句としては上乗のものということは出来ない。食事時に鶯が啼くという全体の趣向からいっても、已に元禄にこの句がある以上、蕪村の手柄はやや少いわけである。
鶯の句にはなお元禄に
鶯や宮のあかりの起時分 幾勇
というのがあり、天明にも
鶯のなくやきのふの今時分 樗良
というのがある。「何時分」という語で結ぶ句がいくつもあるのは偶然であるか、どれかの先蹤に倣ったものであるか、その辺はよくわからない。
鶯や片足あげて啼て見る 桃若
スケッチである。鶯は昔から愛玩される鳥だけに、その形についてもいろいろな観察が下されているが、其角の「鶯の身を逆にはつねかな」にしろ、蕪村の「うぐひすの啼くやちひさき口明て」にしろ、梅室の「尾をそらす鶯やがて鳴きにけり」にしろ、皆これを遠く見ず、近く観察している点に注意すべきであろう。しかもその動作がいずれも啼く場合のものであるのは、声に重きを置く鳥だからである。桃若の句も鶯が片足あげてちょっと啼いて見たという、平凡な事柄のようでありながら、そこに一脈の生気が動いている。実際触目の句なるが故に相違ない。
この作者は「豊後少年」という肩書がついている。由来少年の句というものは、大人の影響が多いせいか、子供らしいところを失いがちなものであるが、この句などは比較的単純率直な、部類に属する。
籾ひたす池さらへけり藪の中 鶴声
苗代に種を蒔くに先って、籾種を水に浸して置く。普通に「種浸」とか「種かし」とかいうのがそれで、浸す場所によって「種井」とも「種池」とも呼ばれている。この句はその籾を浸す前に池を浚ったという、やや特別な趣を捉えたのである。
藪の中にあるというのだから、この池はそう大きなものとは思われない。池を浚って冬以来溜っていた水を一掃するのは、籾種を浸すために先ずその水を清からしむるのであろうと思う。農家の人々から見たら、あるいは平凡な事柄であるかも知れぬが、こういう句は机上種浸の題を按じただけで拈出し得るものではない。実感より得来った、工まざるところに妙味がある。
草に来て髭をうごかす胡蝶かな 素翠
このままの句として解すべきである。「草に来て」という上五字に重きを置いて、花に来ないで草に来た、という風に解すると、理窟に堕する虞がある。この句の特色は蝶が草にとまって髭を動かしているという、こまかな観察をしている点にあるので、表現法の問題はともかく、古人の観察も往々かくの如く微細な方面にわたることを認めなければならぬ。
其角に「すむ月や髭を立てたる蛬」という句がある。きりぎりすは姿態の美を見るべき虫でないから、長い髭が目につくのも当然であるが、蝶は翅の美に先ず目を惹かれるものだけに――またその髭がそう著しいものでもないだけに、これに著眼することが、いささか特異な観察になるのである。尤も観察の精疎は直に句の価値を決定する所以にはならぬから、以上の理由だけを以て、この句をすぐれたものとするわけではない。
拍子木も絶て御堀の蛙かな 一箭
拍子木を打って廻っていた音が聞えなくなって、御堀の蛙がしきりに鳴立てる。句の上にはこれだけしか現れていないけれども、城のほとりか何かで、夜もやや更けた場合かと想像される。「拍子木」といい「蛙」といっただけで、その音なり声なりを連想させるのも、馴れては誰も怪しまぬが、俳諧一流の省略的表現である。
子規居士の「石垣や蛙も鳴かず深き濠」という句は、蛙が鳴くべくして鳴かぬ、闃寂たる深い濠を想像せしめるが、見方によっては夜と限らないでもよさそうな気がする。この「御堀の蛙」が直に夜景を思い浮べしむるのは、上に「拍子木も絶て」の語があるからである。こういう連想の力を除去すれば、俳句はかなり索然たるものになりおわるに相違ない。
打はらふ袂の砂やつく/\し 源女
一見何人も婦人の句たることを肯定するであろう。女流俳句の妙味は常にこういう趣を発揮する点にある。
われわれは元禄のこの句に逢著する以前、明治の『春夏秋冬』において
裏がへす袂の土や土筆 秋竹
という句を読んでいた。頭に入った順序は全く逆であるが、この「裏がへす」の句は「打はらふ」の句を換骨奪胎したものとは思わない。むしろ作者も選者も元禄にこういう句のあることを、全然知らなかったのではないかという気がする。土筆を採って袂に入れて帰る場合、いくらも起り得べき事実であるだけに、二百年を隔てて殆ど同一地点に掘り当てるようなことになるのかも知れない。
しかし正直にいうと、かつて「裏がへす」の句を読んだ時には、別に女性的な句だとも感じなかった。そう考えるようになったのは、「打はらふ」の句を知った後である。われわれの鑑賞とか批評とかいうことも、存外種々な先入観念に支配されがちなものであるらしい。
春雨や桐の芽作る伐木口 本好
根もとから伐った桐の株に新な芽を吹いて来る。桐の芽立は勢のいいものではあるが、「桐の芽作る」という言葉から考えると、これはまだあまり伸び立たぬ時分であろう。春雨はしずかにこの伐株の上に降る。「伐木口」とあるがために、その木口も鮮に浮んで来るし、そこに「芽作る」新な勢の籠っていることも想像される。
桐の芽立は春の木の芽の中では遅い方である。長塚節氏の「春雨になまめきわたる庭の内に愚かなりける梧桐の木か」という歌は、その芽立の遅いところ、他の木におくれてなお芽吹かずにいる有様を詠んだのであるが、本好の句は已に芽吹かんとする趣を捉えている。普通の芽立と、伐株の芽立との相違はあるにしろ、春雨の中の桐の木を描いたことは同じである。春もよほど暖になってからの雨であることはいうまでもない。
雉子啼や茶屋より見ゆる萱の中 蓑立
野景である。今憩いつつある茶店から萱原が見える。その萱の中から雉子の啼く声が聞えて来る、という句であるが、この茶店と萱との距離は、そう遠くないように思われる。
雉子の声というものは、現在のわれわれにはあまり親しい交渉を持っていない。眼に訴える方の雉子ならば、距で「美しき貌かく」其角のそれにしても、「木瓜の陰に貌たぐひすむ」蕪村のそれにしても、胸裏に浮べやすいにかかわらず、雉子の声になると、直に連想に訴えにくいのである。勿論これはわれわれの見聞の狭い結果に過ぎぬ、柳田国男氏に従えば、雉子の声を聴くには東京がかえって適していたということで、「春の末に代官町の兵営の前を竹橋へ通ると、右手の吹上の禁苑の中から、いつでも雉子の声が聞えていた」というし、「駒込でも岩崎の持地がまだ住宅地に切売されぬ前には、盛んに雉子が遊んでいた」という。東京にいても耳にする機会はいくらもあったらしいのである。
けれどもこの「萱の中」の句は、われわれが読んでも雉子の声が身に親しく感ぜられる。萱との距離が遠くなさそうに思われるのも、畢竟雉子の声の親しさによるのであろう。その点は
雉子啼や菜を引跡のあたりより 鞭石
という句もそうである。畑に来て何かを求食りつつある雉子の声は、前の句より更に人に近い親しさを持っている。尤もこの「引跡」という言葉は、文字通りに現在菜を引きつつある、その近くまで雉子が来て啼くものと考えなくても差支ない。菜を引いた跡の畑に来て啼くということでよかろうと思う。
前の句は萱の中から声が聞えるので、無論雉子の姿は見えておらず、後の句も「あたりより」という漠然たる言葉によって、やはり姿を表面に現さないでいる。しかもこの場合、雉子の声が毫も他のものに紛れぬ響を持っているのは、実感の然らしむる所に相違ない。
宿取て裏見廻ルやあか椿 寿仙
田舎宿の趣であろう。日高いというほどでなくても、まだ明るいうちに宿を取った場合と思われる。夕飯にも多少間があるので、庭へ下りて見た。「見廻ル」という言葉は、今日では或目的を持って巡回するような意味になってしまったが、これは無論そんなわけではない。無目的な、軽い気持でぶらぶらしているので、偶然その家の裏に真紅な椿の咲いているのを発見した、というだけのことである。「庭」といわずに「裏」といったのは、実際裏であったに相違ないが、つくろった様子の庭でないことも窺われる。
散花や猫はね入てうごく耳 什佐
庭前か何かの光景であろう。猫が睡っている上に桜の花が散りかかる、睡っていながらも猫は時々無心にその耳を動かす、というスケッチである。
其角は四睡図に題して「陽炎にねても動くや虎の耳」という句を作った。多分猫から連想したのであろうが、この虎の句にしろ、猫の句にしろ、一句の主眼というべきものは、睡っていても耳が動くという事実の興味にあるので、陽炎なり落花なりは背景として趣を添えているに過ぎない。が、同時にこの背景によって、その事実が麗な春の中に浮んで来ることは、俳句の特色として多言を要せぬであろう。
ひよどりの虻とりに来るさくらかな 細石
芭蕉に「花にあそぶ虻な食ひそ友雀」という句がある。材料は大体同じであるが、この句はそういう主観を加えずに、花に遊ぶ虻を鵯が取りに来る、という眼前の事実をそのまま叙したものである。
昆虫学者の書いたものを見ると、虫の多く集る花の上は即ち強食弱肉の小世界で、蜜を吸う以外に何の用意もない蝶や虻などは、しばしば悲惨な運命に陥るという。季節は違うけれども、蟷螂なども花のほとりに身を潜めて、得意の斧を揮うものらしい。その点は人の多く集るところに犯罪者が入り込み、それをつけ狙う探偵もまたここに集る、というのとほぼ傾向を同じゅうするようである。荘子の言を借用すれば「一蝉方に美蔭を得て而して其身を忘れ、蟷螂翳を執りて而して之を搏たんとし、得るを見て而して其形を忘れ、異鵲従つて而して之を利し、利を得て而して其真を忘る」というところであろう。
芭蕉は風雅の眼から、雀が花に遊ぶ虻を食うことを憎んだのである。この句はそういう寓意なしに、ただ鵯が虻を逐って桜のほとりに来ることを詠んでいる。鳥を配し虫を配するだけなら敢て珍とするに足らぬが、鳥虫交錯の世界を描いたところに、桜の句としてはいささか異色がある。
岨を行袂の下のさくらかな 潘川
ちょっと変ったところを見つけている。岨の下に桜が咲いている、といってしまえばそれまでのことであるのを、「岨を行袂の下」といったために、その岨道の細いこと、その道のすぐ下まで花の梢の迫っていることなどが連想されて来る。「袂の下」という言葉はかなり際どいいい現し方であるが、この場合は細い岨道をとぼとぼと歩みつつある姿を髣髴し得る点で、成功しているといわなければなるまい。
むし立る饅頭日和や山桜 理曲
山中の茶店などであろうか、蒸し上った饅頭の湯気が、濛々と春日の空へ立騰る、あたりに桜が咲いている、という光景である。同じ白い湯気であっても、寒い陰鬱な空に立つ場合と、麗に晴れた空に立つ場合とでは大分感じが違う。「饅頭日和」というのは随分大胆な言葉であるが、恐らく作者の造語であろう。一見無理なようなこの一語によって、桜の花に湯気の立騰る明るい感じを受取ることが出来る。俳句独得の表現である。
山吹の岸をつたふや山葵掘 支浪
これはわれわれが見馴れている庭園の山吹ではない、山中の景色であろうと思う。山葵掘の人が清らかな流れに沿うて岸伝いに来る。山吹はその清流に影をして咲いているのである。
子規居士の早い頃の句に「山吹の下へはひるや鰌取」というのがあった。景色は違うけれども、調子は大分この句に似ている。或目的を持った人物を山吹に配した点も、共通しているというべきであろう。
杉菜喰ふ馬ひつたつる別かな 関節
「餞別」という前書がついている。如何なる人が如何なる人を送る場合か、それはわからない。わかっているのは送られる方の人が、これから馬に乗って行くらしいということだけである。
名残を惜しんで暫く語り合ったが、どうしても出発しなければならなくなって、馬を引立てて行こうとする。今まで人間の世界と没交渉に、そこらに生えている杉菜を食っていた馬が、急に引立てられることによって、二人は袂を分つわけになる。「杉菜喰ふ」で多少その辺の景色も現れているし、「ひつたつる」という荒い言葉の裏に、送る者の別を惜しむ情が籠っているように思われる。餞別の句としては巧なところを捉えたものである。
菜の花や山路出れば夕日影 舎六
今まで歩いていた山路を出て、濶然たる眺が展けた感じと、菜の花に夕日の当っている明るい感じとが、ぴたりと一緒になっている。「山路出れば」という中七字は、作者が菜の花を見るまでの経過であり、「夕日影」に至るまでの順序でもある。言葉で説明すると面倒になるけれども、要は山路を出ると共に眼に入った、菜の花に夕日の景を直叙したに過ぎない。この句を一誦して、ぱっと眺の変った明るい感じを受取り得れば、それで差支ないのである。形よりも感じを主とする点に元禄俳句の長所があるともいえる。
穴市の仕舞を掃やむめの花 路圭
普通には「穴一」と書いてある。『言海』に従えば「穴打の転」ということだから、一にしろ、市にしろ、皆借字なのであろう。地上に小さい穴を穿って、少し離れたところから銭なりメンコなりを投げる、穴に入ったものを勝とし、もし穴の外へ出た場合には、次の者が別の銭なりメンコなりを打って、中ったら勝とする、というような説明がある。われわれが子供の時に石ケリ玉(文法学者は蹴という字にケリという活用はないというが、実際石ケリといい、石ケリ玉というのだから仕方がない)と称する平たいガラス玉でやったのは、穴の代りに地上に円なり角なりを劃して置いて、その中へ先ず投入れる、次の者がまた同じように投げて、前の玉をその区劃の外へ跳ね出させる、という勝負のようであった。その時は何とも思わなかったが、今この説明を読んで見ると、やはり穴一の系統に属するものらしい。穴一銭と称して両面に恵比須大黒だの、富士山だのを鋳出したものがあったという。石ケリ玉にも先輩があったのである。
穴一をして遊んでいた子供が帰ってしまった。地上に穿った穴をはじめ、踏荒したあとの土を掃き清める。その辺に梅の花が咲いている、という趣である。梅の花というと、とかく文人墨客が幅を利かして、矢立瓢箪と最も調和するように考える人もあるかも知れぬが、この句は右のような児童遊戯に配して立派に成功している。児童の帰り去った後、遊び荒した土を掃くというのは、梅の花の静な趣味によく調和している。
うそくらき木々の寐起や梅の花 木兆
この句はやや擬人的な叙法を用いている。夜がまだ明けきらぬ、ほの暗い木々の様を形容して「寐起」といったのは、気の利き過ぎた憾はあるが、或感じを現し得て妙である。恐らく作者も寐起のところで、そういう暁闇の中に咲く梅花を認めたのであろう。自己の寐起を移して植物の上に及ぼしたなどというと、少し話が面倒になって来る。読者はこの語によって、昧爽の静な空気の中に匂う梅の花の趣を感じさえすればいいのである。
むめちるやその木蔭なる雪の上 有節
梅の木の陰に解け残った雪がある、その上に梅の花が散る、といったのである。「その木蔭」というのは、多少説明的ないい方のように見えるが、上に「むめちるや」といって、その散るところが梅の木の下であることを現すためには、こういうより仕方がないかも知れない。子規居士もかつて「梅の木に近くその木の梅を干す」という句を作ったことがあった。「その」の字の使い方は全く同じである。但因果関係からいえば、自分の枝になった実を梅干にして、その木に近く干すというよりも、ただその下蔭の雪に散る花の方が、複雑でないことはいうまでもない。
梅がかや雨だれ伝ふやれ簾 古道
閑窓春雨の眺は決して新しいものではない。けれども「つくづくと春のながめのさびしきはしのぶに伝ふ軒の玉水」という『新古今』の歌から、「春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏」という芭薫の句に眼を移すと、そこに歌と俳句との相異を感ずる。同じ閑中の趣にしても、蜂の巣を伝う屋根の漏の佗しさ、面白さは、自ら案を拍たしむるものがある。
「雨だれ伝ふやれ簾」は所詮蜂の巣の斬新なるに如かぬ。ただ去年のままの破簾に雨垂の雫が伝う趣は、やはり俳人の擅場ともいうべき天地である。蜂の巣に遜るの故を以て、軽視するわけには行くまいと思う。
うぐひすの音にうち当る割木かな 李邦
木を割る音の中に鶯の声を聞いたのである。もう少し委しくいえば、戞然として木を打ち割った音と同時に鶯が啼いたので、「音にうち当る」といったものであろう。音に形あってぶつかるものの如くいったのは、一種の技巧ではあるが、またその場合の感じをよく現している。
単に二つの音が空中にかち合ったというだけでなしに、作者が現在木を割りつつある場合と思われる。「鶯の音にうち当る」というのは、慥に木を割る方が主になっている感じである。
鶯や寺のはさかる市の中 野紅
必ずしもその寺に鳴くと限らなくても宜しい。町中に寺の介在している、そういう場所で鶯が啼くのである。「はさかる」は「はさまる」と同義であろう。
一茶に「五月雨の竹にはさまる在所かな」という句がある。竹にはさまる在所は、じめじめした五月雨時の陰鬱さを想像せしむると共に、その在所の小さなものであることをも語っている。市中に介在する寺も、勿論そう大きなものではあるまい。むしろそこに寺のあることが、周囲に対して多少不調和なような場所ではないかと思われる。
鶯もわたる日和リや浜の松 玄指
明治二十六年春であったか、子規居士がどこかの連座で、「鶯の淡路へ渡る日和かな」という句を作った。それが最高点だったので、多人数の評判のあてにならぬことはこれでわかる、という意味の手紙が残っている。
鶯が淡路島まで渡って行く、それほどうららかな日和であるということは、俗人にもなるほどと合点し得るところがある。考えて成った趣向だからであろう。
玄指の句には鶯の渡る距離の問題は含まれていない。その代り鶯の渡って来た浜の様子――松の生えている景色が現れている。この方が遥に自然である。
梅がかや客おくり出る燭明り 梅坡
燭を秉るということは、近頃は停電でもないとあまり見られなくなった。人気のない玄関のようなところでも、スウィッチを一つ捻りさえすれば、直に皎々たる電燈の世界になるのだから、便利になったには相違ないが、それだけ趣を失ったともいえるであろう。ラムプを持って玄関まで送り出たり、マッチを擦って穿くべき下駄を検したりしたのは、ついこの間のように思うけれども、どうやら過去の風俗誌中のものになりかけてしまった。
この句は燭を秉って客を送り出た場合である。定らぬ燭の灯に、送る主の影も、送られる客の影もゆらぐ。そういう夜気の中に漂う梅が香を感ずるのは、電燈世界にはあるまじきほのかな趣である。
梅が香なるものは歌よみがいうほど強い匂ではない、代々の歌人がよんだ梅が香の量は大変なものだから、それを香水の料にでも用いるのは格別、歌の材料としては今後見合せたらどうだ、といって嗤ったのは子規居士であった。俳句に用いられた梅が香を見ても、単に梅というのと変らぬようなのもあるが、香に即したものは動もすると利き過ぎる弊に陥る。この句の如きは不即不離の間において、よく梅が香の趣を発揮し得たものというべきであろう。
茜うらふきかへす春に成にけり 耕月
「田家春」という前書がある。正に蕩々たる天下の春である。
謡曲作者が「四条五条の橋の上、/\老若男女貴賤都鄙、いろめく花衣、袖をつらねてゆくすゑの」といった洛中の春ではない。「世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に颯と開いた中を――赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。子供が通る。嵯峨の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹と嵐山に行く」と漱石氏が書いた洛外の春でもない。そこにはただ村娘の茜裏を吹きかえす春風があるだけである。この一色の齎す太平の気は、洛中洛外の春に優るとも劣るものではない。
満々たる野趣は「茜うら」の一語に集っている。一茶流の俗語を駆使するばかりが、野趣の表現に適うわけではない。大まかを極めたこの種の叙法も、なお這般の野趣を盛って余あるのである。あるいは天下の春は彼にあらずしてこれにあるのかも知れぬ。
正月を直す二月の文字ふとし 端当
二月になってからついうっかりして正月と書いた、その正の字を二と改めたために、二月という字が太くなったという風にも解せられる。あるいは已に書いてあった正月の文字を、二月という字に改めた、という風にも解せられる。いずれにしても二月になってから書改めたので、それがこの句の季になっている。
つまらぬ句だという人があるかも知れない。われわれも別に大した句だとは思わぬ。明治年代にも「文月や水無月と書いて消しにけり 麦人」という句があって、『春夏秋冬』撰の時、碧虚両氏の間に議論を生じ、結局採用にならなかったと伝えられている。これも無論大した句ではないが、要はこの瑣末な事実に興味を持つか否かにある。われわれがその事実の瑣末なことを認めながら、これを俳句にした点に一種の興味を感ずるのは、自分でもしばしばこれに似たことを繰返しつつあるためであろうか。
「正月」の句と「水無月」の句とは、全く揆を一にするわけではないが、ほぼ同じような点を覘っている。但書損って消したというよりは、正の字を二に改めたのが太くなったという方が、事柄として纏っているであろう。そこに元禄の句と明治の句との相違があるといえばいえる。
出かはりや猫抱あげていとまごひ 慈竹
出代という季題は、東京などでは夙にその実がなくなった。京都あたりでは比較的近くまで、その風を存していたそうであるが、それもこの頃では如何であろうか。雇人交代ということは永久に続くとしても、それが三月を待ってはじめて動くという季節的意味がなくなるのである。近代生活にあってはむしろ卒業生の就職の方が、季節的意義を持っているであろう。
出代の句は旧人物の名残を惜しむ意味か、代って登場する新人物の様子か、大体この二通りを出でぬようになっている。この句は退場する雇人が、今まで自分に馴れた猫を抱上げて、名残を惜しむ趣である。あるいは子供のない家庭で、この猫も大事に飼われているのかと思うが、文字以外の連想は人によって違う。強いて限定するには及ばぬことである。
寄かゝる裸火燵やはるの雨 意裡
もう大分暖くなって、火燵の必要もないのであるが、未だ全く撤去せざる状態にある。裸火燵というのは中に火も置かず、布団も掛けてないのであろう。こういう言葉があったものかどうかわからぬが、作者の造語であるにしても、十分その意味を受取ることが出来る。
外には春雨が煙るように降っている。暖を取る必要も何もないのだけれども、習慣的に火燵に寄かかっている。懶いような春雨の感じが溢れているように思われる。
春雨や藪に投込む海老の殻 广盤
面白いところを見つけたものである。いずれ田舎の景色であるに相違ない。食膳に上せた海老の赤い殻を、藪の中に抛り込んだ。湿っぽい、薄暗いようなあたりの空気に対して、赤い海老の殻が鮮に眼に映るのである。
一茶の「掃溜の赤元結や春の雨」という句もほぼ似たような趣に目をつけているが、何となく重みに乏しいような感じがするのは、必ずしも元結と海老の殻だけの相違ではあるまい。春雨の寂しい華かさとでもいうべき趣は、殆どこの海老の殻に集っているような気がする。
雪ふりの明る日ぬくし藪椿 之道
「ヤブツバキ」という植物は別にあるらしい。『本草図譜』などは女貞(ネズミモチ)の一名として「ヤブツバキ」を挙げている。そういう事の当否は専門家の知識に俟たなければならぬが、もともと俳句は博物学に立脚したものでなし、俳人は植物学者ではないのだから、どう解決がついたにしろ、それのみに則るわけには行きそうもない。この句なども女貞と解したのでは、やはり面白くないようである。
春になってからのことであろう。雪の降った翌日が非常に暖い天気になった。その麗な、明るい天気の中に椿の花が咲いている。(この場合「藪椿」は藪の中の椿の意に解したい。崖椿などという言葉が通用している今日から考えれば、藪椿を藪中の椿と解することは、決して無理ではあるまいと思う)暖い、明るい雪晴の藪に咲く椿の花は、白では工合が悪いから、ここは紅と見るべきであろう。
尤も女貞は常緑樹である。強いていえば雪後の女貞を詠んだものと解されぬこともないが、それでは「ぬくし」という趣が一向利いて来ない。雪後の麗な日和を生かすためには、どうしても藪中の椿として別個の色彩を点ずる必要がある。
一雨に椿落ち来ん藪の水 荘人
藪の中に累々たる花をつけた椿がある。今一雨来たならば、あの花がぽたぽた落ちるであろう、といったのである。「藪の水」というのは、藪の中に溜っている水であるか、藪の根をめぐる流であるかわからぬが、後者と解した方が景色としても面白いし、「落ち来ん」という言葉から考えても、単に藪中の溜り水に落ちるだけでなく、落ちて流れるという動きがあった方がよさそうに思う。
桜などに配した雨は、多くは花のうつろうことを惜しむ意に用いられるが、この「一雨」は、それによって椿の花の落ちることに、或風情を認めているのである。「一雨」は将来の仮定と解さないでも、「この一雨」の意味として、現在降りつつある場合でも差支ない。――この句を読むと、田舎の藪などに累々と花をつけた、比較的大樹の椿が想像される。この花もやはり紅と見たい。
雉子鳴や川の向ひの小松原 楚舟
大きな川ではあるまい。その向側が小松原になっていて、そこからケンケーンという雉子の声が聞えて来る。雉子の声は鋭いから、かなり遠きに及ぶものであろうが、この句の場合は、そう多くの距離を必要とせぬように思われる。
雉子の声が過去において相当人に親しいものだったらしいことは、前に述べた。
塀越に庭の深さや雉子の声 笑酔
というに至っては、山野を離れて庭園に入込んでいる。何人の住居であるか知らぬが、塀越に深々とした庭があって、そこから雉子の声が聞えて来るのである。春日の閑なる趣は、ありふれた小鳥の囀よりも、の鳴声よりも、かえってこの雉子の声において深められたかの感がある。
如何に昔の世の中にしても、庭に雉子が来て啼くのは野趣横溢に過ぎる、という説が起るかも知れぬ。しかしこの句の雉子は、場合によっては野生のそれでなしに、庭籠に飼ったものと見ても差支ない。西鶴が『五人女』の中で「広間をすぎて縁より梯のはるかに熊笹むら/\として其奥に庭籠ありてはつがん唐鳩金鶏さま/\の声なして」と書いたような庭籠が、大きな屋敷などにはあったらしいからである。
春雨や灯花のくらみ立 江
電燈万能の世の中になってしまっては、丁子丁子吉丁子などという、昔人の縁起がわからなくなるのもやむをえない。丁子などというと、われわれの連想はとかく神棚の御燈明に行きがちであるが、こういう油火が一般の燈火であったことに留意しなければならぬ。
春雨のしとしと降る夜、座辺の灯火に丁子が立って、俄に暗くなった、というだけのことである。作者はむやみに担いでいるわけではないが、丁子の吉兆たることは十分意識した上の句であろう。
丁子のことは夙に漢時代にあった迷信で、『西京雑記』に「火華則拝之」とあるのがそれだと、三村竹清氏の書かれたものにあった。由って来ること遠しというべきである。電燈の世界にも停電、漏電その他いろいろの現象があるが、こういう迷信の種にはなりそうもない。丁子頭によって暗くなる灯火は、慥に春雨と調和を得ている。
かりそめにはえて桃さく畠かな 心流
若木の桃であろう。種を蒔いたのでもなければ、苗を植えたのでもない。畠の隅に桃の木が生えたのを打棄って置いたら、いつの間にか花が咲くようになった。「桃栗三年柿八年」という。種のこぼれからでも生えたらしい桃の木が花をつけるまでには、そう多くの年月を要せぬのである。
別にいい句でもないが、何となくのんびりしている。こういう技巧のない、大まかな句を作ることは、近代人にはむずかしいかも知れない。
大竹をからげて青しもゝの花 桐之
太い竹を縄か何かでからげる、その竹が真青な色をしている。場所はどんなところであっても差支ない。真青な竹の色と、桃の花の色との配合が、この句の眼目である。
こういう句法で、「……青し」から「桃の花」へかかる場合と、かからぬ場合とがある。この句は上十二字が竹の叙述で、「青し」で言葉が切れるのみならず、意味もはっきり切れる。桃の紅はその背景を彩るに過ぎないが、慥に美しい一幅の図をなしている。
はるもやゝの蹴爪や牡丹の芽 磊石
見立の句である。「はるもやゝ」は芭蕉の「春もやゝけしきとゝのふ月と梅」などと同じく、「漸々」の意であろうと思う。単に「牡丹の芽はの蹴爪の如し」といったのでは、そういう思いつきを述べたまでのものであるが、漸くに春がととのい来るという背景の下にこれを置くと、見立以外に或感じを伴って来る。「の蹴爪」も漫然たる思いつきでなしに、春の感じを助けていることがわかる。俳句が季節の詩であることは、約束的に季題の力を借りるためばかりではない。季題以外のものを捉え来っても、よく季節の感じを助けしむる点に注意すべきである。
燕は反橋なりに飛にけり 助叟
反橋の上を飛ぶ燕が、すっと上りまたすっと下る。反橋の反ったなりに飛ぶ、というのである。燕の飛方を説明したまでのようだけれども、やはり実際の観察からでないと、こういう句は生れない。ただ燕がすっと上り、またすっと下るだけでは、眼に訴える力がいささか薄弱である。「反橋なりに飛ぶ」というに及んで、反橋のかかっている池辺の様子、燕が幾度となく反橋なりに往反する姿などが想像されて来る。
雲に入鳥の行衛や星ひとつ 其由
「鳥雲に入る」という季題は、春になって鳥の北地に帰ることを意味するらしい。古来の句を見るのに、いずれもただ鳥の遥に眼界より消え去ることを詠んでいるようである。「げに歌人、詩人といふは可笑しきものかな。蝶二つ飛ぶを見れば、必ず女夫なりと思へり。塒に還る夕烏、嘗て曲亭馬琴に告げて曰く、おれは用達に行くのだ」といった明治の皮肉家の筆法を以てすれば、果して北地へ帰る鳥であるかどうか、一々吟味がつかぬはずであるが、雲に入ってしまうのだから、その辺は大まかに見てよかろうと思う。
この句は夕方の景色で、雲に入る鳥を目送していると、蒼茫と暮れ初めた空の中に、一点の星が見えて来た、というのである。星光一点は巧に似てしかも自然なところがある。芭蕉の「ほとゝぎす消行く方や嶋一つ」と同じような調子であるが、印象はこの方がはっきりしている。飛鳥の影の消え去ったあとに、しずかに一点の星光を認めるのは、大景のうちに引緊ったところがあって面白い。
もまるゝや花見の中の相撲とり 李千
花見の群集の中に相撲取が一人まじっている。人波に揉まれながらも、その巨躯が目立って見える。一人の相撲取をここに点じたのは、群集に或ポイントを与えたもので、その大きな身体が揉まれることによって、夥しい周囲の人波が想像されるのである。
行過て女見返す汐干かな 露挂
川柳子は「三月はいとなまめいた漁師出る」といった。春の干潟は慥に汐干狩の女によって彩られる。「汐干けふ女草履や一からげ 兎園」などという句は、干潟に下り立った女の草履を、一まとめにしてからげて置くというに過ぎないが、それでも何となく艶なる趣を感ぜしめる。平生何もない海上だけに、特にそういう色彩が著しく感ぜられるのであろう。
「行過て」の句は、汐干潟で出逢った女が、行過ぎてから此方を見返した、というだけのことである。向うが見返したのを認める以上、此方からも見返ったか、そのまま見送っていたかしたに相違ない。あるいは女の方から見返したものとせずに、行き過ぎてから此方が見返した、と解することも出来る。「女(が)見返す」と見るか、「女(を)見返す」と見るかの相違であるが、そうやかましく僉議するほどのこともあるまいと思われる。
子規居士にも「春の野に女見返る女かな」という句がある。これは行違った女同士が互に見返るという点で、多少複雑な変化を生じている。
春雨に雀かぞゆる夕部かな 如嬰
穉拙な句である。春雨の夕方、庭先か軒端かに来て雀が啼き交している。それが何羽いるか、数を算えて見たというに過ぎない。
その実雀が何羽いるかはさのみ問題ではないので、数を算えて見るというところに、徒然な春雨の夕方の心持を感じ得ればいいのである。
小でまりや花に座を組雨蛙 伊珊
このままの景色であろう。粉団花の白い花の上に坐っている緑色の雨蛙は、色彩の上からも調和を得ている。「座を組」というのは単なる蛙の形容で、仏様に見立てたりしたわけではない。
雨蛙という季題は、今では独立して夏になっているが、古くは蛙の下に包括されて、春の部に入っていた。この句もその一例である。
合羽干日影に白きつゝじかな 不流
合羽がひろげて干してある、その傍に白い躑躅が咲いている、という趣である。合羽と躑躅との間には格別重大な関係はない。躑躅は躑躅で白く咲き、合羽は合羽で日に乾きさえすればいいのである。
雨のあがった庭先などの景色であろうか、日光の漲った、明るい空気が眼に浮ぶ。
うぐひすや鞍の内ほす朝日影 遅候
縁側などであろうか、鞍の内側を日に当てるために干してある、どこかで鶯が啼いている、という静な朝の光景である。
単に鞍を干すというのでなしに、「鞍の内ほす」というのが面白い。早春の朝の日影だけに、うすら寒い感じがする。塗鞍の日を受けて光る様なども想像される。鶯と鞍との配合も、一の取合に過ぎぬようであって、決してそうではない。季節の感じが的確に現れた句である。
うぐひすや有明の燈のありやなし 舎羅
鶯という鳥は早朝に来て啼くことが多いようである。夜を徹して机に向っている時など、室内は燈火がかんかんついているので、天明の近づいたことも知らぬうちに、思いがけず鶯の声を耳にすることがある。しずかな暁闇を破って、朗かな鴬の声を聞く毎に、「鶯の暁寒し」という其角の句を、今更のように思い出す。
この句の作者は灯を挑げて起きているわけではない。終夜点して置く灯を有明の灯という。
昔は固より、明治のラムプ時代にも、古風な家では行燈を有明の灯に用いていた。「ありやなし」は「ありやなしや」で、蕪村の「若竹や橋本の遊女ありやなし」なども同意であろう。鶯に対する暁の情というべきものを捉えた句である。「有明の燈のありやなし」と続くあたり、歌ならば調子を取ったというところであるが、この句はただ自然にそうなったと見た方がいいかも知れない。
老僧の理窟いはるゝ接木かな 重就
これは別にいい句ではない。老僧の接木という言葉があって、齢已に傾いた老僧が接木をする。なお幾程の未来を恃んでそんなことをするのかというと、自分のためにするのではない、こうやって接いでさえ置けば、何時かは大きくなって人の役に立つ時があろう、と答えるのである。鳩巣の『駿台雑話』にも「老僧が接木」なる一章があり、三代将軍が谷中辺へ鷹狩に出た時、将軍とは知らずに今のような理窟をいって聞かした、という話が出ている。その真偽はわからぬが、そういう考で接木をした者はいくらもあったろうと思う。子規居士の没前数日に口授した「九月十四日の朝」という文章を読むと、朝納豆売が来たのを聞いて、家人にこれを買わせる話が書いてある。「余の家の南側は小路にはなっているが、もと加賀の別邸内であるので、この小路も行きどまりであるところから、豆腐売りでさえこの裏路へ来る事は極て少ないのである。それで偶珍しい飲食商人が来ると、余は奨励のためにそれを買うてやりたくなる」というのであるが、これなどもやはり老僧の接木の一種であろう。
重就の句は老僧が理窟をいったというまでで、その内容には触れていない。けれども老僧が接木をしながらの理窟である以上、先ず例の話と見て間違はなさそうである。ただその理窟を御尤とも何ともいわず、「理窟いはるゝ」とだけいったところに、多少のおかしみを生じているような気がする。
新井戸や春たつけふの釣瓶竿 釣眠
立春の日に古今の相違はない。違うのは暦の上の日だけである。けれども正月の初に春が立つのと、二月の初に春が立つのとでは、連想に著しい相違がある。この感じは畢竟新年と立春とが一致すると否とによって分れるのであろう。
尤も現在でも農村あたりでは一般に旧暦が用いられている。折衷的に一月おくれというところも少からずある。それも遠い地方ではない、先年大東京に編入された府下の某村などでも、役場とか、学校とか、工場とかいう文明的施設の場所では、勿論一月一日に新年を祝うけれども、農家の方は二月にならないと正月の行事をやらぬという話であった。つまり年賀状は一月、雑煮は二月というわけで、あるいは今の人の気には入らぬかも知れぬが、そこに日本らしい面白味があるように思う。由来統一論者の弊は、狭い範囲の主張を強いて一般に推及ぼそうとする点にある。われわれの考え方が時に都会本位になる虞があるのも、不知不識の間に同様の誤に陥っているのかも知れない。
この釣眠の句なども、一陽来復という言葉が、そのまま新年に通用する時代ならば、とかくの説明を要せぬのである。年内に掘った井戸を春立つと共に汲みはじめる。井戸が新しいのだから、釣瓶も竿も悉く改っているに相違ない。新しい木の香を帯びて汲上げられる水にも、同じく新春のよろこびを感ずる、という新な気持である。この気持は「春立つ」を「年たつ」としたら、今の人にもわかりよくなるかと思う。
尤もこの「新井戸」は単に新しい井戸というまでで、若水から汲みはじめるものとまで限定しなくとも差支ない。以上は昔の春が大体において年と共に改ることを説くために、新しい感じをやや強めていったに過ぎぬのである。
霞む日やまばゆき紅の水洗 里東
「紅」はモミと読むのであろう。紅い絹の意である。うらうらと霞む長閑な日の下に、水に浸してざぶざぶと洗う、その絹の紅が日に映えて眩いような感じがする、という趣を詠じたものと思われる。
上に「霞む日」と置いたところを見ると、普通の井戸端などでない、多少眺の展けた流のほとりかも知れない。そうすればまた一句の連想が複雑になって来る。あるいは霞む日の空を遠い背景として、水洗をした紅絹がそこに干してある、その紅の眩いような感じを捉えたものとも解せられぬことはない。一句の主眼は春の日を集めた紅絹の眩さにあるのだから、他は各自の連想に任せていいようなものであるが、姑く前のように解して置く。
黙礼の跡見かへるや朧月 柳之
夜道を歩いて行くと、黙って御辞儀をする人がある、此方も礼を返して行き違ったが、何歩か行ってあとを振返って見たら、今の人は朧月の下を向うへ歩みつつある、といったような趣かと思う。相手は誰であるかわからぬ、御辞儀をするから此方でも御辞儀をしたものの、訝しいような気がして振返ったものとも解せられる。それほど面倒に考えずに、黙礼をしたまますれ違った人を、少し行き過ぎてから振返った、というだけでもいいかも知れない。何とも挨拶せぬために、いくらか無気味な影が附纏うようだけれども、その人を怪しむというほど強い感じでもなさそうである。
人通りなどのあまりない場所であろう。朧月の下に顧る人影の、遠からずしかも明ならざるところに一種の趣がある。
さらば又かき餅焼んおぼろ月 露堂
「舎羅除風に草庵に押こまれて」という前書があるから、その場合は一応わかるが、舎羅、除風と作者との関係はあまり明瞭でない。この前書によって按ずるに、二人が突然やって来たので、いささかもてなしのため、夜話の伽にするような意味で、かき餅でも焼こうといったのであろう。「さらば又」というところを見れば、こんな事はしばしばあるので、御互に親しい間柄らしいことも、「押こまれて」の一語から想像し得る。
この句を読んでふと思い出したのは、吉野左衛門氏の「十三夜行」である。月夜の松濤庵に清流を汲んで茶を淹れ、何かないかと戸棚を捜したら一袋の掻餅が出て来た、それを泉鏡花氏が喜んで食べた、ということが書いてある。春と秋で情景は全く異るけれども、夜の客に対して掻餅を持出すところ、相手が二人であるところなども頗る趣を同じゅうしている。この句が目についたのも、事によったら「十三夜行」の記事が頭にあったせいかも知れない。
簡素な昔の生活の思いやられる句である。
吹上るの中の雲雀かな 呈笑
畠であるか、河原であるか、それはわからぬ。強い風が吹いて濛々と埃が揚る、その中に雲雀の声がする、というのである。
雲雀の声は多くの場合、長閑な光景に配せられている。この句は風が吹いている上に、濛々たる砂塵まで揚っているのだから、平安朝流の歌よみなどは閉口しそうな趣であるが、それで雲雀の感じは少しも損われていないところが面白い。
蛙子や尾先ににごす小田の水 淵龍
田の水の浅いところに、蝌蚪が沢山かたまっている。あのやがて消え去るべき短い尾を動かすたびに、田の水にささやかな濁りが立つ。大まかなようで繊細な趣を捉えたものである。
「尾先ににごす」という言葉だけ切離して考えると、もう少し大きな動物であってもよさそうな感じがする。従ってこの蝌蚪も一疋の動作と見た方が、印象がはっきりするかも知れぬが、蝌蚪そのものとしてはやはり黒くかたまって、絶えず動いている方がよさそうに思う。蝌蚪の尾によって絶えず濁りを生ずるところに、浅い田の水の様子が窺われる。
肩もみてともに眠るか春の雨 百洞
春雨の懶さとでもいうべきものを現した句である。肩を揉ませているうちにいい気持になって、ついうとうとする。揉んでいる方も眠くなったのであろう、揉む手に力が入らなくなる、外は春雨がしとしと降っている、というのである。
「ともに眠るや」では断定に過ぎる。眠っているのかいないのか判然せぬ状態、揉ませている方の意識もやや朦朧たる点が、春雨の趣に調和するのであろう。
枯蘆に雪の残りや春の鷺 怒風
これは見立の句であろうと思う。枯蘆のほとりにいる鷺の白いのを、残ンの雪に擬したので、実際枯蘆に雪が残っているわけではない。散文的に解釈すれば、春の鷺の白きは枯蘆に残れる雪の如し、ということになるわけであるが、作者は机上にこの趣向を案出したのではなく、現在眼の前に枯蘆を見、白鷺を見ているのである。そうでなしに単にこれだけの譬喩を持出したものとすれば、一箇の思いつきに過ぎぬことになってしまう。「枯蘆に雪の残りや」という十二字だけなら、あるいは枯蘆の上の残雪と解することも出来るかも知れない。ただそのあとから登場するものが白鷺なので、雪に色を奪われたのでは折角出て来た甲斐がないから、ここはどうしても枯蘆の鷺を残雪に見立てたという解釈によるべきであろう。この辺は今の句とは大分勝手の違うところがある。
尤も鷺を雪に見立てるのは、必ずしも珍しい趣向ではない。宗鑑にも「声なくば鷺こそ雪の一つくね」という句があった。これは「雪の一つくね」という語が鷺の形容に適切であるという外、全然理智的譬喩になりおわっている。従って吾人の眼前には何も浮んで来ず、文学的価値も頗る乏しいわけである。しかるに鴎外博士の『佐橋甚五郎』を読むと、中に次のような描写がある。
丁度春の初で、水のぬるみ初めた頃である。とある広い沼の遥か向うに、鷺が一羽おりていた。銀色に光る水が一筋うねっている例の黒ずんだ土の上に、鷺は綿を一撮み投げたように見えている。
この鷺を撃てるか撃てぬかの賭になって、甚五郎が鉄砲で撃つ。そこに「そのまま黒ずんだ土の上に、綿一撮みほどの白い形をして残った」と、もう一度同じ形容が繰返してある。かつてこの条を読んだ時、譬喩の文学的効果ということについて、少し考えて見たことがあった。散文あるいは長詩の一節としてこれを用いれば、大に効果のある譬喩的形容でも、俳句の如き短い詩にあっては、他に補足的な文字を添える余裕がないため、譬喩倒れにおわる傾向がある。『佐橋甚五郎』の一節としては効果のある「一撮みの綿」の如きも、俳句においては成功せぬ場合が多くないかと思われる。
宗鑑の鷺は姑く問題の外としても差支ない。怒風の句が或程度まで早春水辺の景色を展開しているにかかわらず、全体の感じを弱めているのは、主として譬喩の一点にある。これは俳句に適するか否かの問題で、必ずしも形容の巧拙に関するものではなさそうである。
新道の置土かわく菫かな 里東
菫という花は、明治以後いわゆる星菫趣味の普及によって、一種の型を生じたが、昔の日本にはそんなハイカラなものはない。野草として普通の待遇を受けるにとどまっていた。赤人の「野をなつかしみ一夜ねにける」にしても、芭蕉の「山路来て何やらゆかし」にしても、明治の若い連中が随喜したようなものでないことは勿論である。
この里東の句なども当り前の田舎の景色で、新しく作った道の上に置土をする、その土の乾いたところに菫が咲いている、というまでである。ハイカラでもなし、艶でもない。ただそういう置土の間にある、小さな野草の紫色が人の目を惹くに過ぎぬ。
小便に連まつ岨の菫かな 松白
に至っては、一層野趣の甚しいもので、星菫党に見せたら憤慨しそうな句であるが、わざわざこういう材料を持出したのではない。古人は自然の間に菫を認め、或観念を以て臨まなかったから、岨道に小便をする男なども、句に取入れられることになったのであろう。反対に古人が或観念を以て臨み、今人はかえって無関心なものもある。時代趣味の上からいろいろ対照して見たら、存外面白い結果になるかも知れない。
あひさしの傘ゆかし花の雨 淀水
「あひさし」は二人でさすの意、相合傘のことであろう。こういう言葉があるかどうか、『大言海』などにも挙げてはないが、相住、相客等の用例から考えて、当然そう解釈出来る。
花の雨の中を相合傘で来る人がある。「ゆかし」は「暖簾の奥ものゆかし」とか、「御子良子の一もとゆかし」とかいうのと同じで、傘の内の人は誰だか知りたい、という意味である。艶といえば艶なようなものの、少しつき過ぎる嫌がある。但普通の春雨よりは、花の雨の方がいくらかいいかと思う。
鶯や籠からまほる外のあめ 朱拙
飼鶯である。「まほる」は「まぼる」即ち「まもる」の意であろう。雨の日の鶯が籠の中からじっと外を見ている。雨の降る様を見守っているようだ、というのである。
鶯には限らぬが、動物には時にこういうところがある。彼らは実際外の雨を見ているのかも知れない。あるいは人間にそう見えるだけで、うつろな眼には雨も何も映っていないのかも知れない。いずれにしても作者は自己の感じたままを句にしたので、つれづれな雨の日の観察がここに及んだことはいうまでもあるまい。
鶯や目をこすり来る手習子 温故
鶯が啼いている。手習子がやって来る。朝早いのに無理に起されたと見えて、眠そうな眼をこすりながらやって来る、というのである。「目をこすり来る」の一語によって、朝の早い様子と、その子の年の行かぬ様子とをよく現している。そうした可憐な趣が鶯と或調和を得るのである。
ふたつみつ花になりけり苔の梅 従吾
老木の梅と見える。幹には深々と苔をつけた梅の木が、僅に二輪か三輪の花を著けている。「花になりけり」という言葉は、単に花が咲いたというだけでなしに、咲くべくも思われなかったのに咲いた、というような意が寓せられているように思う。
森田義郎氏の歌に「苔むせる老木のつはり痛々しかくて幾世の春を飾れる」というのがあった。花と芽との相違はあるけれども、老木を憐むの情においてはほぼこの句と趣を同じゅうしている。「苔の梅」という言葉は多少無理な感じがないでもないが、苔むせる老木の梅を現す場合、他に適当な言葉もなさそうである。
朱鞘さす人物すごしんめの花 一庸
この梅の咲いているのはどんな場所かわからぬ。が、恐らくは梅見に人の来るようなところで、特に朱鞘の人が目立つというのであろう。講談に出て来る中山安兵衛のような浪人者であるかどうか、とにかく一見物凄いような感じを与える人物がいる。「人物すごし」は「ヒトモノスゴシ」で「ジンブツスゴシ」でないことは勿論である。
「何事ぞ花見る人の長刀」という桜の下では、到底この種の人物は調和しない。仮令朱鞘の浪人者が徘徊するにしても、空気は一変して春風駘蕩の図とならざるを得ぬであろう。物凄い朱鞘の人物に調和するのは、やはり梅より外はあるまいと思う。
梅を「んめ」と書くのは古俳書によくある例である。蕪村は「梅さきぬどれがむめやらうめぢややら」と言ったが、文字面からいうと、もう一つ「んめ」がある。但発音は「む」と同じだから、特にいうほどのことはないかも知れぬ。
いかのぼり見事にあがるあほうかな 林紅
凧も得揚げまいと思っていた阿房が、見事に凧を揚げたというだけでは面白くない。皆が揚げ悩んでいる風の日であるとか、人の目をそばだてるような大凧であるとか、何か特別な事実がないと、いくら阿房でも揚げ甲斐があるまいと思う。「見事にあぐる」でなしに、「見事にあがる」である点にも注意しなければならぬ。凧を揚げ得た阿房が主眼ではない。阿房の手から見事に大空に揚った凧が主眼なのである。
他に何の能もないが、凧を揚げることは名人だという解釈も成立ち得るかも知れぬ。われわれは阿房の手によって見事に揚った凧を仰ぎ見るだけにとどめて置きたい。
羽織著た禰宜の指図や梅の垣 素覧
垣の修理か、庭の手入かわからぬが、羽織を著た禰宜がそこに出て、何かしきりに指図している。その垣根には梅が咲いている、という趣である。平服の禰宜を捉えたのが一風変っていて面白い。
『その後』の中にある「地祭り」という文章の最後のところに、地祭が済んで地主の家へ行って見ると、神官は束帯を脱いでただの人で坐っていた、そして目白の話をしたりしていたが、帰る時に好いついでだからといって接骨木の小苗を貰って行った、ということがある。
この句を読んだらすぐあの一節を思い出した。平服の神官に興味を持ったりするのは、俳人的観察の一であろう。
飛咲の菜の花寒し麦の中 三径
「飛咲」というのは飛び離れて咲くの意であろう。青い麦の中にぽっつり離れて菜の花の咲いている趣である。万緑叢中黄一点というほどではないが、とにかく菜の花の甚だ優勢ならざることを示している。「寒し」は気候の感じでもあり、また乏しい菜の花の感じでもある。春色未だ遍からざる野の景色であろうと思う。
麦緑菜黄をはっきり描いた句に、子規居士の「菜の花の四角に咲きぬ麦の中」がある。印象明瞭の一点では、三径の句はこれに及ばぬであろう。ただ感じの複雑なところは、あるいは勝っているかも知れぬ。「飛咲」という耳慣れぬような言葉も、この場合相当な効果を収めている。
川越せばあとに啼なり雉子の声 文砌
今まで前路に当って聞えていた雉子の声が、川一つ越したら後の方になった、という意味であろう。ぼうっと霞んだような、春の野の様が眼に浮んで来る。
この川はかなりの大河らしく思われる。これを越すことによって眼界も異り、今までの雉子の声も遥かうしろの方に聞える。必ずしも同一の雉子が啼いているわけではないかも知れぬが、その声がうしろになったというので、川を越した感じはよく現れている。
水汲の手拭落すやなぎかな 祐子
井戸端か、川のほとりか、それはわからぬ。手拭は被っているのか、持っているのか、腰にでも挿んでいるのか、それもわからぬ。ただ水を汲みに来た人が、手拭を地に落す、その白い色と、緑に垂れた柳との対照がこの句の主眼である。
色彩の対照以外に、明るい、軽やかな感じが一句に溢れていることは、贅するまでもあるまい。
ちかよりて見れば畑打女かな 枳邑
遠くに畑を打つ人の姿は、ただそれと見えるばかりで、男だか女だかわからぬ。だんだん近寄るに及んで、はじめて女であることがわかった、というのである。「ちかよりて見れば」という言葉は、わざわざ近寄って見る場合にも用いられるが、この際は作者の歩いている足が自然と畑打に近づくのである。
去来の「動くとも見えで畑打つ麓かな」という句は、本によっては下五が「男かな」ともなっている。「動くとも見えで」という語は遠景に適し、「男かな」は遠景に適せぬところがあるが、「麓かな」ならすべてが遠景になって、その問題は消滅することになる。枳邑の句は去来の句には無論及ばぬけれども、遠く畑打を望み、近づいてはじめてその女たることを知るという順序は、極めて自然に行っているように思う。
春の夜や蕪にとぼす小挑灯 牧童
この句には「夜更て帰る時に蝋燭なし、亭坊の細工にて火とぼす物でかしてわたされたり、むかし龍潭の紙燭はさとらんとおもふも骨をりならんとたはぶれて」という前書がついている。夜更けて帰るのに蝋燭がないといったら、亭坊が蕪の中をくり抜いて――だろうと思う――灯をとぼすものを拵えてくれた、というのである。西瓜燈籠はありふれているが、蕪の挑灯は面白い。よほど大きな蕪でないと、火をとぼすには工合が悪かろうと思うけれども、そこは然るべく工夫したのであろう。
「龍潭の紙燭」は『碧巌集』にある話である。徳山がはじめて龍潭に参した時、侍立するほどにいつか夜が更けてしまった。「潭云く何ぞ下り去らざると、山遂に珍重して簾を掲げて出で、外面の黒きを見て、卻回して云く、門外黒しと。潭遂に紙燭を点じて山に度与せむとす。山接せむとするに方って潭便ち吹滅す。山豁然として大悟す。便ち礼拝す」とある。龍潭の紙燭は受取ろうとするのを吹消すところにあるらしいが、牧童は蕪の挑灯で足下を照して家へ帰らなければならぬ。「さとらんとおもふも骨をりならん」というのは、例の俳人一流の態度であろう。
蕪の挑灯というのは他にもあるかも知れぬが、私はまだ見たことがない。しかしこの句を読むと、俳味津々たるのみならず、何だか春の夜に調和するように思われるから妙である。異色ある句といわなければならぬ。
客亭主ともに老けり炉の名残 諷竹
炉塞の場合、そこに坐っている客も主人も共に老人で、茶を啜りながら閑談に耽っている、というようなところらしい。侘びた趣である。
天明の句にはこういう世界を覘ったものが多い。この句はその先蹤とも見れば見らるるものである。
陽炎や川の浅みの蚫から 范孚
陽炎が立っている。さらさら流れる川の浅いところに、蚫の殻が一つ沈んでいて、きらきら光っている。眩いような明るい趣である。
われわれの子供の時分には、金魚池などに蚫の殻を鼬よけに吊すということがあった。蚫の殻は裏がよく光るので、夜でも鼬が恐れて近寄らぬからだという。そういう貝だけに、川の浅みに沈んでいても、その光が目につくわけであろう。
玉椿落て浮けり水の上 諷竹
椿の花がぽたりと落ちて、しずかに水の上に浮ぶ、という意味である。こういう風の句は近来の写生句には極めて多いが、元禄時代にあってはむしろ異とすべきであるかも知れぬ。
椿が水に落ちるというだけの句なら、古来無数にある。「玉椿」と最初に置いたのも、修辞的に趣を助けておらぬことはないが、それよりもこの句において見るべきは中七の叙法である。
「落て浮けり」という言葉には、自ら時間的な経過がある。椿の花がぽたりと水に落ちて、しかして水面に浮ぶ。普通の落花と違って、大きさからいっても、重量からいっても、どっしりしたものであるだけに、落ちてしかして浮ぶという経過が、はっきり眼に映るのである。単に椿の花が水面に浮んでいるというだけのことではない。
再考するに「落て浮けり」という言葉には、大まかな中に一種の働きがあって、やはり元禄らしい特色が認められるかと思う。
朧夜や化物になるざうりとり 長年
作者の肩書に「イカ小童」とあるから、これは少年俳句である。「女をともなふ野辺の帰り日くれて道をたどる」という前書によって、この句の場合は明瞭になる。
女を連れた野辺の帰りに日が暮れて、朧夜のほの暗い道を帰って来る、供の草履取が女たちを威すべく化物の真似をした、というのである。「化物になる」というのはどんなことかわからぬが、そういう説明を十七字詩中に求めるのは無理であろう。殊に作者が少年である以上、先ずこの辺で満足するより仕方があるまい。
太祇に「春の夜や女をおどす作り事」という句がある。これは化物になるところまで行かぬ、話頭の作り事なのであろう。こういう趣向は降って春水作中の一齣となり、お化蝋燭を持出したりして、道具立はいよいよこまかくなるけれども、あまり感心したものではない。太祇にはまた「後の月庭に化物つくりけり」という句もある。百物語などの趣向ででもあろうか、いずれ誰かを威すはかりごとに相違ない。
野中の辻堂に集って百物語を完了したが、未だ夜は明けず、別に怪しい事も起らぬから、もう帰ろうといって立去ろうとすると、一人が己だけ少し残る、皆さきへ行ってもらいたい、といい出した。怪しんでその故を問うたところ、実は堂を下りようとした時に、うしろから腰を抱えた者がある、その手をしっかり押えているのだ、という答であった。そいつは化物だろう、少し切って見よう、と刀を抜きかかると、その化物の声として、それは危いといった。百物語の中途で、気分が悪いといって帰った男が化物になっていたのだ、という話が『窓のすさみ』にある。百物語の化物などは、とかく仲間のうちから生れるものらしい。朧夜の野道の化物も、草履取が一足先に廻って、そんな悪戯をするのではないかと思うが、固より想像に過ぎぬ。万事春の夜の朧々たる中に委して置いて差支ない。
折々や蝶に手を出す馬の上 我峯
長閑な春の道中の様である。
馬はほくほくと歩いて行く。馬上の人は屈託もなさそうに揺られて行く。折々蝶がひらひら飛んで来るのを、馬上の人は捕えようともなく手を出す、というのであろう。
春日の永きに倦む馬上の旅の様子がよく現れている。煕々たる春光の中を飛ぶ蝶の姿が、ありありと眼に浮んで来るような気がする。
朝風や蛙鳴出す雨くもり 千百
「雨くもり」というのは、雨を催す曇り空の意であろう。しずかな朝風も自ら湿気を含んでいる。どこかで蛙の鳴く声が聞える。この蛙は雨蛙のようなものではないかも知れぬが、集団的合唱でなしに、少数の蛙の率先して鳴く場合が想像される。「鳴き出す」という語は、その声の多からざることを示しているからである。
泥足や縁にさげたる桜がり 万乎
泥足というと泥田の中にでも踏込んだように思われるが、それほど限定しないでも差支あるまい。泥まみれになった足をぶら下げて、縁に憩うている有様を描いたのである。
「桜がり」とあるだけで、この場所は明瞭でないから、他は想像で補うより仕方がない。寺か何かの高い縁であれば、ぶら下げるということも適切なような気がするが、それもそういう気がするまでである。泥足だから上へ上るわけに行かず、ぶらりと縁から垂れている。そこに草臥れた様子も窺われる。
桜狩中の一瑣事を捉えたのである。
寐はぐれるあけぼの白し梅の花 無笛
「寐はぐれる」は今普通に「寐そびれる」などというのに同じであろう。眠りそこねてぐずぐずしているうちに、いつの間にか夜が明けかかった。この句では梅の咲いている場所はわからぬが、それは漠然たる古句の常として、強いて穿鑿するにも及ぶまい。寐はぐれた、眠りそこねた暁の空気の中に、梅の花を認めたというだけのことである。
「白し」はしらしら明にかかる言葉かと思うが、この梅はやはり白梅のような気がする。
普請場にうぐひす鳴や朝日和 芙雀
市井の鶯というほどではなくとも、人寰を離れざる世界である。普請場小景というところであるが、鑿や手斧の音が盛にしはじめては、如何に来馴れた鶯でも、近づいて啼くほどにはなるまい。先ず大工たちがやって来て、焚火でもしている位の時間かと思う。
周囲に多少の立木がある、ものしずかな場所らしく思われる。今日も上天気で、まだ寒い春の朝日が明るく普請場にさして来る。折ふし朗な鶯の声を聞いたというので、「普請場に」の語は「普請場のほとりに」という程度に解すべきであろうか。普請場の木材にとまって啼くわけではない。
鶯の句としては、ちょっと変った場合を見つけたものである。「朝日和」の下五字も、ものしずかな普請場の様子をよく現している。
鶯や雨が霽れば日がくるゝ 釣壺
これは反対に夕方の景色を持出して来た。一日ほそぼそと降りつづいた雨が夕方近くやんで、あたりの空気も明るくなると、ほどなく日が暮れて行く。雨が霽れて日が暮れる。その僅な間の時間に鶯が啼いたのである。
「雨が霽れば日がくるゝ」という時間的経過のみを叙して、他の何者をも描かずに鶯を点じたのは、巧といえば巧であるが、恐らくは技巧の産物でなく、自然の趣がそのまま句になったのであろう。
うぐひすや日のさし残る小芝はら 路柳
これも夕方の鶯である。
もう暮近くなったが、芝原の上にはまだ日がさしている。その明るいしずけさの中に鶯が啼く。前の句は雨が霽れて日が暮れるという、しずかな中にも変化ある空気を捉えているが、この方は暮れる前の静止した空気が主になっている。「日のさし残る小芝はら」の印象は頗る鮮である。
世のさまや質屋にかゝる涅槃像 除風
寺になければならぬ涅槃像、年に一度涅槃会にかけて、世尊入滅の日を偲ぶべき涅槃像が質屋の壁にかかっている。在家の人の持つまじきものだから、寺の住持が金にでも困って典したのであろう。鳥も獣も斉しく涙を流している涅槃像だけに、質屋にかかっているのは情ない。作者はそれを「世のさまや」と歎じたのである。この歎息は尤千万ではあるが、句としてはかえってつまらぬことになっている。
年に一度あればいい品物だから、不断は質に置いて、涅槃会の前に受出すのかもわからない。あるいは太夫が語り物を典し、雲助が褌を質に置くように、寺としてなければならぬものを置くので、質屋の方でも安心して取るのかも知れない。そういう点を描いたら、少し平凡の嫌はあるけれども、西鶴あたりの一材料にならぬとも限らぬ。更に下って川柳子の嘲笑を浴びそうな事実である。
いずれ末世における売僧の仕業であるが、質屋の壁で風に吹かれている有様は、涅槃会ならぬ日の事と解したい。
雪ちるや梅の垣根の魚の骨 巴水
梅の咲いている垣根に魚の骨を捨てる、降出した雪がその上にかかる、というのである。古人としては梅に不調和な垣根の魚の骨が、雪のために隠れむことを希うような心持があるかも知れない。
「雪ちるや」というのは、雪の降りはじめの頃、まだ多く積らぬ場合らしく思われる。従って垣根に捨てた魚の骨も気になるのである。
春の野も寂しや暮の馬一つ 由水
昼の間は行楽の人で賑っていた野が、夕暮近く急に寂しくなった光景であろうか。あたりにはもう人影も見えず、ただ一頭の馬がいるだけだ、という風にも解せられる。
「寂しや」という言葉は昼の光景に対したものではあるが、必ずしも行楽の人ばかりには限らぬ。野良へ出て働く人も、春は自ら多いわけだから、そういう風に解しても構わない。要するに暮色が漸く迫って、物音もないような、寂しい春の野の様である。
ただこの句で不明瞭なのは、唯一の登場者たる馬である。歩いているのか、路傍に繋がれているのか、放し飼なのか、その辺は一切わからぬ。今日の句であったら、この馬の状態をもう少しはっきり描いたかも知れぬが、元禄の作者は一頭の馬を野中に点じたまま平然としている。けれどもこの句を誦すると、薄墨色の野の暮色の中に唯一つ馬のいる様子が、髣髴として浮んで来るような気がする。
まよひ子の太鼓きく夜の朧かな 壺中
誰かが迷子になった場合、家族はいうに及ばず、近隣の者まで動員して、「迷子の迷子の――やい」といって捜して歩く。遠くからわかるように、鉦や太鼓でたずねるという話は、われわれの子供の頃までよく聞かされたが、交番という便利なものが出来ていたので、実際にはもうなかった。漱石氏が『坊ちゃん』に用いた「鉦や太鼓でねえ、迷子の迷子の三太郎と、どんどこどんのちゃんちきりん……」という唄なども、やはりこの迷子さがしを踏えているようだから、昔はしばしばこういう事件があったものであろう。
「まよひ子の太鼓」は「迷子を捜す太鼓」の意味である。迷子自身が太鼓を聞くわけではない。春の夜の朧の空に太鼓の音が聞える。またどこかに迷子があって、それを捜しているのであろう、と想像したのである。
迷子を捜すという事柄に対しては、寒月とか、木枯とかいう配合の方が適切だという人があるかも知れない。しかしそれはやや型に嵌った見解で、哀れを強いる嫌がある。この句の場合はそう立入った気持でない、ああまた迷子があるな、という非人情的態度である。そうすれば背景が春の朧夜であることも、緩和的効果を与えているように思う。
春雨や戸板に白き餅の跡 酒楽
かつて餅搗の場合に、戸板を外してその上に餅を並べた。その時の餅の粉が白く戸板に残っている、というのである。作者はそれを春雨の際に発見したのであるが、この戸板は外されているのか、それとも立っているのであろうか。「戸板」という言葉だけ切離して考えると、外された場合のようでもある。ただ雨戸といったのでは、何で餅の跡があるのかわからぬから、前に外した時のことを現すため、殊更に戸板といったのかも知れない。必ずしも歳暮の餅搗でなしに、近く搗いた餅の跡としても差支ないが、とかくは無用の穿鑿であろう。春雨のつれづれなるに当って、「戸板に白き餅の跡」を発見しただけで、作者は満足なのである。
面白い見つけどころの句である。戸板に残る餅の跡などに興味を持つのは、俳人得意の世界でなければならぬ。
子を運ぶ猫の思ひや春の雨 里倫
猫が自分の産んだ子を他の場所へ移す。人があまり覗いたりすると、危害を加えられるように思うのか、知らぬ間に全く別の箇所へ運んでしまう。子猫の首のところを銜えて、一匹ずつ運ぶ親猫の様子は、慥に真剣なものの一である。
香取秀真氏の古い歌に「おしいれの猫の産屋に雨もりて夜たゞ親鳴く子を守りがてに」というのがあった。この場合もあるいは雨漏のためにどこかへ移すのかも知れない。雨の中を子を銜えて運ぶ親猫の様子が見えるようである。
この句の面白味は「思ひ」というところにある。「蛇を追ふ鱒のおもひや春の水」という蕪村の句も、動物の「思ひ」を捉えているが、いささか特殊に過ぐる嫌がないでもない。「子を運ぶ猫の思ひ」は平凡な代りに、何人にも窺い得る境地であろう。
鳴雉子微雨に麦の茎立ぬ 鷺雪
「微雨」はコサメと読むのであろうか。どこかに雉子の声がする。微雨の中の麦もいつか茎が伸び立って来たというので、単なる配合のように見えて、そこにいうべからざる陽春の気が感ぜられる。雨に濡れた麦の色と、どこともわからぬ雉子の声と、野外の春は一句に溢れているといって差支ない。
「ほろ/\と椿こぼれて雨かすむ巨勢の春野に雉子なくなり」という歌は、美しいことは美しいけれども、大和絵風の繊麗に堕した傾がある。茎立つ麦に啼く雉子の工まざるに知かぬような気がする。
紅梅やひらきおほせて薄からず 睡闇
紅梅の花が開ききって、なお濃かな色を保っているというのである。それだけのことで、格別すぐれた句でもないが、古人の観察が往々この種の世界に触れているという点で、やはり棄てがたいものがある。
子規居士の晩年、鉢植の紅梅を枕辺に置いて、日夕見ながら作った歌の中に「紅のこそめと見えし梅の花さきの盛りは色薄かりけり」「ふゝめりし梅咲にけりさけれども紅の色薄くしなりけり」というのがあった。これは紅梅の花が開いたら、やや色のうすくなったことを詠んだのである。「薄からず」にしろ、「薄かりけり」乃至「薄くしなりけり」にしろ、こういう観察は漫然紅梅に対する者からは生れない。比較的長い間、紅梅をじっと見入った結果の産物である。紅梅は紅いものだというだけで、それ以上の観察に及ばぬ人から見たら、この句も歌もけだし興味索然たるものであろう。
はなの山のぼりすませば上広し 淡水
「二丁上れば大悲閣」ではないが、項上まで登って見たら、上に平なところがあって、広やかな感じがした、という意味らしい。作者は多分はじめてこの山に登り、思いがけず上に平地を見出したものかと想像する。
高い山ではなさそうである。上広くして人の遊ぶに任すのは、如何にも花の山にふさわしい。
三味線や借あふ花の幕隣 柳士
其角の句に「花に来て都は幕の盛かな」というのがある。花見の幕は上方風俗だったらしい。この句の作者も恐らくは上方であろう。西鶴の『五人女』にも花見の幕が出て来るのは、お夏清十郎のところであった。
幕を張って花を見る、その幕の隣同士が三味線を借合って唄でもうたうという意味らしい。偶然幕を隣合せただけの人に三味線を借りたりするのも、花見の一情景たるを失わぬ。花に浮れ、酒に興ずる人の間には、今でも珍しからぬことかも知れない。
花散ていかの尾かゝる梢かな 従吾
「いか」は「いかのぼり」の略、紙鳶のことである。花の散った梢に紙鳶の尾の引かかっているのを発見した。多分花の咲く前からのものであろうが、花が散ってから今更のように目につく。それを「いかの尾かゝる」といったわけである。
面白いところを見つけたものである。
足洗ふ石川浅しもゝの花 市中
「石川」というのは地名でなしに、底に石の多い川の意であろう。「砂川」などという例もあったような気がする。
見るから清冽な流が想像される。そういう浅い川で足を洗う。桃の花はその川のほとりに咲いているらしい。桃の句というと、とかく平遠な農村の景色がつきもののようであるが、これは多少趣を異にする。
桃花の趣は梅より桜よりも明るい。そうして野趣がある。底の見える石川の流に日がさして、きらきら光るあたりに足を浸して洗うなどは、慥に桃と或調和を持っている。
あすの雨西にもちてやおぼろ月 林陰
空には朧な月がかかっている。明日は雨になるのであろうか、というのである。それを漠然と雨になるといわずに、「あすの雨西にもちてや」といったところに、この句の生命がある。「西が曇れば雨となる」という唄の文句の通り、西の空がどんより曇っては、明日の天気はおぼつかないのであろう。
梅が香や寝たる地のくぼみ 如行
農家の庭などの実景であろう。日向の土の窪んだところに、が寝て砂を浴びている。あたりにある梅が馥郁たる香を放っている、というようなところらしい。
香ということにはあまり執著する必要はない。梅の咲いている日向にが砂を浴びている、しずかな光景が浮べばいいのである。「地のくぼみ」の一語がこの場合最も重要な働をなしている。
広庭や鳩の物くふ梅の花 昌房
梅に鶯は陳腐の極であるが、鳩を配したのはちょっと変っている。広庭の日当りのいいところであろう、鳩が下りて餌を食っている。この鳩は一羽や二羽ではあるまい。多くの鳩が一種の声を立てながら、豆でも拾っている光景らしく思われる。
神社か寺の境内のような感じもするが、そう限定する必要はない。前のの句といい、この鳩の句といい、自然を直に捉え来って一幅の画図を成しているのは、さすがに元禄人の世界である。
雉子啼や見付た事の有やうに 野紅
一茶調である。曾呂利新左衛門の筆法を用いれば、太閤が猿に似たのではない、猿が太閤に似たのだというところであろう。
しかしこの句は単に一茶調といい去るには、あまりに似過ぎている。『一茶発句集』にある「雉子なくや見かけた山のあるやうに」という句は、材料からいっても、調子からいっても、全くこの句の通りであるのみならず、「見かけた山」という言葉も自然の丘山でなしに、見込がついたという意味の諺だそうだからである。両句の僅な相異点である中七字も、存外意味が近いことになって来る。
一茶の特色の一として擬人法が挙げられる。われわれもあの顕著な特色を認めぬわけではないが、あれを以て直に一茶独造の乾坤とする説には賛成出来ない。その証拠には現にこういう句が元禄時代に存在している。一茶調の先蹤をなすことは、野紅の名誉ではないかも知れぬ。但一茶としてはどうしても野紅に功を譲らなければなるまいと思う。
尺八の庵は遠しおぼろ月 魯九
門を吹いて通る虚無僧の尺八ではない。どこかの庵で吹いている尺八である。そう断定する以上、作者はその尺八の音色を知り、吹く人を知り、その庵を知っているのであろう。その庵は遠くにある。かねて聞おぼえのある尺八がそこから聞えて来るので、この「遠し」は視覚に訴える意味のものでなしに、聴覚に訴える遠さであろうと思う。万象は悉く朧なる月の下に眠っている。その中に尺八の音だけ流れて来るというのは、如何にも春の夜らしい感じである。
此日和つゞく雲雀の高音かな 夕兆
毎日毎日いい天気が続く。その日和を喜ぶように雲雀が啼く。快適な春の感じを現した句である。
これだけの客観の句としても差支ないが、この句には「餞別」という前書があって、路健の旅に出るのを送ったことになっている。出立の際も已に天気つづきだったので、眼前の景色をそのまま取入れたものであろうが、同時に旅立つ人に対し、この日和の更に続けかしと希う意が含まれているような気もする。日和の空に高く啼く雲雀の声を聞きながら、徐に旅程に上る。こういう風物を採って直に餞別とするのは、俳句以外の詩のあまり執らぬ手段であろう。
春雨や障子を破る猫の顔 十丈
障子の破れから猫がぬっと顔を出す、というのでは平凡である。締出された障子の外から、猫が紙を破って入って来る、というところに面白味がある。外から入る場合には限らぬ。内から破って出るのでもいいわけであるが、内から外へ出るのでは「顔」が利かない。紙を押破ってぬっと猫の顔が現れる。そこがこの句の主眼でなければならぬ。
猫を飼ったことのある者なら、しばしば経験する実景である。春雨に降り込められて徒然なる日、障子を破って猫が顔を出すのは、俳味横溢して面白い。春雨時分ならば障子に穴を明けられても、そう迷惑ではなかろうなどと余計なことをいう必要はない。
落さうな神鳴雨や木瓜の花 路青
中七字は「カミナリアメ」と読むか、「カミナルアメ」と読むか明でない。雷雨を訓じて「カミナリアメ」と読むのが無理ならば、「カミナルアメ」でよかろうと思う。全体の意味には大した変りはないからである。
春雷とはいうものの、すさまじく鳴りはためいて、今にも落ちそうになる。そういう雷雨の中に木瓜の花がしずかに咲いているというのである。木瓜の咲いているのはどういう場所だかわからぬが、深く穿鑿する必要はない。ただそういう雷雨の下の木瓜の花というだけで、この句の感じは十分である。春雷と木瓜との配合も、自然に或調和を得ている。
春風やよごれて戻る手習子 吾仲
登場人物が手習子であれば、「よごれて戻る」材料は墨にきまっている。「顔に書子と手に書と、人形書子は天窓掻」という寺子屋の文句は人の耳目に熟しているが、寺子屋というものがなくなった今日でも、この光景にあまり変りはない。小学校の生徒も習字のある日などは、大概顔や手足を汚して帰って来る。
しかしあの「よごれて戻る」様子は、頗るのんびりした情景である。「春風」を配合しないでも、慥に春風駘蕩たるところがある。
行燈の一隅明しはるの雨 紫貞女
古ぼけた行燈の隅のところだけ明るい、という風に一応解せられる。春雨が音もなく降るような晩、座辺の行燈をじっと見つめて、こういう趣を発見したのであろう。
しかし再案するに、行燈だけの一隅と解するのは、少しく世界を局限し過ぎる嫌がある。行燈を置いた座の一隅がぼんやり明るいという、やや広い場合に解した方がいいかも知れない。今から考えれば何の威力もなさそうな行燈の光が、それだけ明るく感ぜられるということは、昔の夜の暗さ――戸外の闇ばかりでなしに、室内の暗さを語るものである。
「一隅明し」というところにこの句の主眼がある。女流の句だから「イチグウ」とよまずに「ヒトスミ」とよむべきかと思う。
鳴さかる雲雀や雨のたばね降 沙明
雨中の雲雀である。「たばね降」という言葉はあまり耳にせぬようであるが、相当強い降りであることは想像に難くない。ザアザア降る雨の中に、しきりに雲雀の声が聞える、という意味らしい。
太閤の「奥山にもみぢふみわけなく蛍」の時に細川幽斎が持出した「武蔵野やしのをつかねてふる雨に蛍よりほかなく虫もなし」という歌は、出所曖昧の三十一字だけれども、「たばね降」はこの「しのをつかねて」の意味に当るのではないかと思う。但地方語として何か特別の意味があれば、もう一度出直してかかる必要がある。
気うつりに酒のみ残す桜かな 桃妖
桜に酒はつきものである。年々歳々相似たる花を見る人は、歳々年々同じように酒を飲んで、春を短しと歎ずるのであろう。これ故に花見の句には古往今来、紛々たる酒気がつき纏うのを常とする。
この句の主人公も型の如く酒を携えて出たのではあるが、いよいよ出かけて見ると、それからそれへと気が移るために、遂に持って行った酒を飲み残した、というのである。
眼目であるべき酒を飲み残したというところに、別な意味の花見気分が窺われる。随処の春が人を支配するためであろう。
梅が香や様子の替る伯父の跡 岱水
「伯父の跡」というのは伯父の亡き跡――それもやや時間の経過した跡を指すのであろうと思う。一家の主人たる伯父が亡くなって、その跡嗣の時代になると、どこということなしに家の様子が変って来る。必ずしも旧慣を悉く廃棄するわけでもないが、主人公が異るにつれて、その空気に変化を生ずるのである。
変化は家の内にはじまって、漸次庭にも及んで来る。そこにある梅は昔ながらに咲いているが、あたりの様子は大分変った。在りし日のままに梅が咲いているという方を主とせず、跡の変化した方を描いたのが、この句の主眼であろう。
「伯父の跡」という言葉は、かつて伯父の住んでいた跡――屋敷跡と解せられぬこともない。その屋敷が人手に渡って、面目一変したという風に見ると、どうやらわれわれの周囲によくある現象のようになって来るが、強いてそういう変革を望むには当らぬ。先ず跡嗣の代になって家の様子が大分変った、という程度に見て置きたい。いずれにしてもこの作者が「伯父の跡」の変化を喜んでいないことだけは明である。
里坊の碓聞クやむめの花 昌房
「里坊」は「山寺ノ僧ナドノ別ニ人里ニ構ヘ置ク住家」と『言海』に見えている。「里坊に児やおはしていかのぼり」という召波の句の里坊と同じものである。
米でも搗いているのであろう、ずしりずしりという重い碓の音が里坊から聞えて来る、あたりに梅が咲いている、という即景を句にしたもので、里坊を持出して、特に趣向を凝したような跡は見えない。そこへ行くと召波の句は、里坊が非常に働いている代りに、多少斧鑿の痕の存するを免れぬ。
上五字が「里坊に」となっているのもあるが、全体の意味は大差ないように思われる。「聞クや」という言葉も、殊更に聴耳を立てたわけでなく、「聞ゆ」というほどの意に解すべきである。
雨気つく畠の梅のよごれけり 鼠弾
読んだ通りの句である。梅の花の白さはあまり鮮麗なものでないから、曇った日などは多少薄ぼんやりした感じを与えることがある。この句は雨催の畠の中にある梅の花で、あるいはやや盛を過ぎているのかも知れない。花の色が汚れて見えるというのである。
取立てていうほどの句でもないし、俳句としては珍しいこともないが、文人趣味、南画趣味でなしに、野趣横溢の梅を描いたのが面白い。画にするならば正に俳画の世界である。どんよりした空の下に汚れた色の梅が咲いているなどは、漢詩人も歌よみも恐らくは喜ばぬ趣であろう。自然を生命とする俳人の眼は、元禄の昔において悠々と如是の景を句中に取入れている。
鶯の障子にかげや軒づたひ 素覧
鶯が庭に来て、軒端に近い木を彼方此方と飛び移っている、その影が障子にうつる、というのである。
歌ならば「軒端木づたふ」というところであろう。俳句は字数が少いから、「軒づたひ」の五字で済してしまったが、鶯の性質から考えて、軒端の木から木へ飛び移りつつあることは疑を容れぬ。それだけなら平凡におわるべき景色を、障子にうつる影によって変化あらしめたのが作者の手際である。
一杯に日の当った南軒の障子が目に浮んで来る。「軒端木づたふ」鶯の影は、その障子にはっきりうつるのである。障子のうちの作者は、影法師の動きだけで十分に鶯たることを鑑定し得るのであろうが、それだけではいささか曲がない。一杯に日の当った南軒の障子に対しても、影の主はその嬌舌を弄する義務がある。
谷川やうぐひすないて鮠二寸 水札
まだ谷の戸を出でぬ鶯が頻に啼いている、谷川の鮠は已に二寸位になっている、という山間早春の景を叙したのである。「うぐひすないて」という中七字は、現在鶯が啼いていることを現すだけでなしに、もう鶯が啼くようになったという、季節の推移を現しているような気がする。
鶯と二寸位の鮠との間には、格別交渉があるわけではない。早春の季節が谷川を舞台として、一見没交渉らしい両者を繋ぐ。そこに一種生々の気が感ぜられる。
寺の菜の喰のこされて咲にけり 亀洞
寺の中に畠があって菜が作ってある。いずれ坊主どもの食用であろうが、その食い残りの菜に薹が立って花が咲いた、という風に解せられる。事実としては寺の畠の菜に花が咲いたというに過ぎぬが、それを坊主どもに食い残されたと見たのがこの句の眼目である。「喰のこされて」の一語によって、この菜は油を取る目的や何かで花を咲かせたものでないことがわかると同時に、花の分量がそう多くないことも想像出来る。
「春雨や食はれ残りの鴨が鳴く」という一茶の句がある。春まで池か沼にいる鴨に対して、人に捕られず、食われずに命を全うしたと見るのは、いささか持って廻った嫌があって、素直に受取りにくいが、畠の菜が食い残されて花が咲くという方は、句に現れた通り感じ得るように思う。それが寺の畠であるということも、場所に関する連想を補う効果があって、しかも不自然にわたる弊からは免れ得ている。奇抜という点からいえば、一茶に一籌を輸せねばならぬけれども、食われ残りの鴨よりは、食い残されて春に逢う菜の花の方に真のあわれはあるのである。
染物をならべて掛る柳かな 路健
綺麗な感じである。染物の色は何だかわからぬが、柳の緑に映発する鮮な色のような気がする。色彩を表面に現さないで、色彩が目に浮ぶから妙である。
「ならべ」という言葉は、柳に並んで染物を掛けたという風に解されぬこともないが、染物をいくつも並べて掛ける、即ち複数の場合と見る方が自然であろう。この十七字を誦して、駘蕩たる春風を面に感ぜぬ者は、竟に詩を解するの人ではない。
笠かけて笠のゆらるゝ柳かな 荻人
この方は柳に掛けるものと見ていいようである。柳に近く茶屋の柱とでもいうべきものがあって、そこに笠を掛けたのでも差支ないが、特に柳の木から切離す必要もなさそうに思う。
春風は徐に空を吹き、また柳を吹く。柳の枝の靡くにつれて、そこに掛けた笠も揺れるのである。笠を掛けて憩う者は旅人であろう。場所を描かず、人を描かず、柳と笠とだけで一幅の画図を構成しているから面白い。
「笠かけて笠の……」という風に同語を繰返す句法は、後世にも好んで用いる人がある。見方によれば一種の技巧であるが、この句の場合の如きは極めて自然で、一向斧鑿の痕は感ぜられぬ。
目ぐすりの看板かける柳かな 呂風
ついでだからもう一つ同じような句を挙げて置こう。
読んで字の如き市中の小景で、説明を要する点もないが、この句に至ると、染物の句ほど柳を離す必要もなし、笠の句ほど柳につける必要もない。配合趣味ともいうべきものが強くなっている。「目ぐすりの看板かけむ糸柳」となっている本もあるが、いずれにせよ店の前に柳の垂れた、長閑な景色が目に浮ぶまでで、強いて柳と看板との関係を限定するにも及ばぬようである。
この三句を併観すると、柳という一の季題に関し、期せずして同じところへ落込んだという風にも考えられる。しかしその落込んだ狭い領域の中で、三句三様の変化を示しているのを見れば、俳諧の天地は容易に窮まらぬという感じもする。俳諧の変化は毛色の変った句の中に求めるよりも、こういう近似した句の中に求めた方が、かえってよく会得出来るのかも知れない。
春雨や音こゝろよき板庇 蘆角
雨に古今の変りはないが、これを受けるものには変りがある。この句は板庇に当る雨の音を快しと聞いたので、従ってこれは音もなく煙るような春雨でない、もっと強い降り方の場合と思われる。
香取秀真氏が大学病院で詠まれた歌に「風の音あめのしづくの音聞かむ板葺やねを恋ひおもふかな」というのがあった。これは「雨ふれど音の聞えず、しぶきのみ露とぞ置く」コンクリート建築に慊焉たる結果、爽な雨の音に想を馳せられたものであろう。板庇にそそぐ雨の音を愛ずることは同じであっても、茅葺屋根に居住する人の心持と、トタン葺に馴れた人の心持とでは、その間に多大の逕庭あるを免れまい。この句の眼目は春雨の音を主にした点にある。閑居徒然の耳を爽にする春雨は、相当降りの強い場合でなければならず、これを受けるのも板葺でなければならぬ。トタンでは爽を通り越して、少々やかましい憾がある。
白鷺の雨にくれゆく柳かな 諷竹
柳に鷺の配合は、日の出に鶴ほどではないかも知れぬが、画材としては頗る陳腐なものである。それに雨を添えただけでは、まだ格別のこともない。ただ「くれゆく」という時間的経過が加わるに及んで、やや陳套を脱すると同時に、絵画の現し得る以外のものを取入れたことになる。
柳の上にじっとしている鷺は、下の水にいる魚でも狙っているのであろうか、先刻から少しも動かぬ。霏々たる雨のやまぬ中に、水辺の空気は徐に暮れかけて来た。白い塊のような鷺の姿も、影のような柳の木も、一つになって夕闇の中に見えなくなろうとしている。――こう解して来ると、見慣れた常套的画景の外に、何らか新なものが感ぜられる。作者が脳裏に組立てた景色でなく、実感より得来ったためであろう。
花の雨鯛に塩するゆふべかな 仙化
これだけのことである。到来の鯛でもあるか、それに塩をふって置く。こういう事実と、花の雨との間にどういう繁りがあるかといえば、こまかに説明することは困難だけれども、そこに或微妙なものが動いている。その微妙なものを感ずるか、感ぜぬかで、この句に対する興味は岐れるのである。
花の雨ということに拘泥して、花見の料に用意した鯛が、雨のためにむだになったのを、夕方になってから塩をふるという風に解すると、誰にもわかりやすいかも知れぬが、それでは一句が索然たるものになってしまう。この句の眼目は、鯛に塩をふるということと、花の雨との調和にあるのだから、どうして鯛に塩をふらなければならなくなったか、という径路や順序について、そう研究したり闡明したりする必要はない。そんなことが何処が面白いかというような人は、むしろ最初からこの句に対する味覚を欠いているのである。この作者が都会俳人であることは、贅するまでもあるまい。
灸居てみる山近しはつ桜 吾仲
「灸居て」は「スエテ」である。灸をすえながら山を見るというのか、灸をすえてから山を見るというのか、その辺は俳句の叙法の常で判然しないが、とにかくしかして見た山の端に初桜を認めた、という句意らしく思われる。
その山は近くにある。従ってその桜も霞か雲かと見まがうようなものではない。初桜というものは花の量の乏しいことを現すと同時に、季節においてやや早いというところを踏えている。そこに灸をすえるために脱いだ肌の寒さというようなものが感ぜられて来る。初桜と灸との間には、それ以外に何の因縁もなさそうである。
菜の花のふかみ見するや風移り 路健
一面の菜の花に風が吹渡る。そう強い風ではないが、花から花へと風の移って行くのを見送ると、今更のように菜の花畑の広さ、奥行の深さというようなものが感ぜられる、という意味であろう。
ちょっと変った句である。点景もなければ背景もない。ただ菜の花というものを――一本一輪の微でなしに、一面に咲いた菜の花を見つめたところに、この句の特色がある。
春雨の足もと細しみそさゝい りん女
春雨の中を餌でもあさっているのであろう、鷦鷯がちょこちょこしている、その足もとを細しと見たのである。
小鳥の中でも小さい鷦鷯の足もとが細いということは、格別特異な観察でもないが、作者は見た通り、感じた通りを句の中に持って来た。この場合、鷦鷯がどこにいるというようなことは問題にせず、細い足だけに注意を集中している。鳥よりもむしろ人間に近い感じがせぬでもない。そこに女流の作たる所以があるかと思う。
菜畠に藪の曇りや雉子の声 風国
菜畠の向うにどんより曇った日の藪が見える、というのがこの句の背景で、そういうしずかな舞台の空気を破って、突然鋭い雉子の声がした、というのである。古風ないい方をすれば、静中動ありとか何とかいうことになるのかも知れない。
この菜畠は花が咲いていてもよし、春をよそにした青菜畠であっても差支ない。要するに雉子が登場するまでの背景をつとめれば足るのだから、画家の手心で一面の緑にしても、少々黄色をなすっても、そこは深く問うに当らぬであろう。
棚解てよごるゝ藤の長さかな 探志
何かの必要があって藤棚の竹を解いたので、そこに下っていた藤の長房が地に垂れて、花の末を汚した、という意味であろう。藤棚の藤を句にする場合、その棚の竹を解く光景などは、容易に頭に浮ぶものでないから、こういう実景に逢著して詠んだものに相違ない。
藤の花はそう寿命の短いものでもないにせよ、棚の修理でもするなら、花が過ぎてからにしてもよさそうな気がする。何か事情があったものと思うが、作者はそんなことは穿鑿しない。
ただ眼前に棚を解いたため、藤の花房が垂れて地に汚れている、という事実だけを捉えている。棚を外された藤などは慥に変った眺であり、そこにまた一種の趣も存する。
早梅や奥で機織長屋門 吏明
もうだんだん少くなってしまったが、それでも古い屋敷などで長屋門を存しているところが、東京にもいくつかある。門の両側が長屋になって、人の住むように出来ている、いかめしいといえばいかめしいが、現代の邸宅にはちょっと縁の遠い門である。
この句の早梅の花は、長屋門のどこに咲いているかわからない。門のほとりに咲いているとしないでも、長屋門のある屋敷の中なり、あるいは近所なり、とにかく背景的に存在すればいいのである。その長屋門の奥で機を織っている――目に見えるのでなしに、音が聞える方だろうと思うが、それがこの句の眼目になっている。早梅の花と、長屋門の奥に聞える機の音とが、季節的に或調和を得ていることはいうまでもない。
鶯やついと覗てついとゆく 白雪
鶯が庭先か何かにやって来て、ちょっと覗くようにしていたかと思うと、そのままついと行ってしまった。相手が鶯である以上、見つけた者はその啼くことを期待する。鶯に取っては迷惑かも知れぬが、人間の方で勝手にそうきめている。しかし人間のために啼かなければならぬ理由はないから、鶯は啼きたくなければ構わず澄して行ってしまう。その期待外れのようなところを詠んだのである。
作者はこの句に「鳴はせで」という前書をつけた。前書があれば一層はっきりはするけれども、「ついと覗てついとゆく」といえば、その鶯が御誂通り啼かぬことは言外に含まれている。「鳴はせで」と断るのは蛇足である。今の人はあまりこういう前書をつけないが、昔はしばしば前書によって句意を補うという方法を取った。それだけ世の中がのんびりしていたのであろう。
梅さぶし灯もきえず朝餉 素覧
この句にも「寒梅」という前書がある。特に寒梅と断らずとも、「梅さぶし」の語がこれを現しているように思うが、あるいは春立つ以前の――冬の梅という意味で、特にこの前書を置いたのかも知れぬ。
朝餉は「アサガレイ」である。宮中の場合に特に用いられることもあるが、この句はそういう特別なものではあるまい。早朝の膳に向って食事をする。この「灯」は何の灯かわからぬが、前夜来の灯でなしに、暁の暗いために点したものらしく思われる。寒梅のほのかに薫る早朝に、そういう灯の消えぬ下で膳に向うという、何となく引緊った感じの句である。その感じを主にすれば、必ずしも如何なる家であるかを穿鑿する必要はない。
種まきや当字だらけの紙 左岡
種を蒔こうとして去年しまって置いた袋を取出す。その袋には種の名か何かが書いてある。いずれ農家の事であろうから、本当の名前を知っているわけではない。いい加減な当字ばかり書いてある。滑稽というほどでもないが、ちょっと微笑を誘うようなところがある。
昔は教育が普及していなかったから、余計そういう傾があったろうと思うが、現代といえどもこの種の当字は絶無ではあるまい。専門語の中には、仲間だけに通用する特殊な当字があるかも知れぬ。
山やくや舟の片帆の片あかり 水颯
湖か、川か、あるいは海に近い山を焼く場合であるか、とにかく春になって山焼をする。その火の明りが水にうつり、またそこを行く舟の片帆にうつる、という西洋画にでもありそうな景色である。
一茶に「山焼の明りに下る夜舟の火」という句がある。『七番日記』には「夜舟かな」となっているが、その方がかえっていいかも知れない。山焼の明りが火である上に、更に火を点ずるのは、句として働きがないからである。片帆に片明りするの遥に印象的なるに如かぬ。山焼と舟というやや変った配合も、元禄の作家が早く先鞭を著けていたことになる。
江戸留守の枕刀やおぼろ月 朱拙
主人が江戸に出ている場合であろう。留守の心細さに枕許に刀を置いて寝る。折からの朧月夜であるが、何となく寂しい留守の状態を詠んだものであろう。
天明期の作者は、しばしばこういう複雑した場合を題材に採る。しかし元禄期の作者も、全然興味がなかったのでないことは、この句のみならず、「江戸留守」を詠んだ句が散見するによって証し得られる。
江戸留守や笋はえて納戸口 露竹江戸留守を見込で鳴やかんこ鳥 宵月江戸留守を嫁々の岡見ぞをかしけれ 涓流
江戸留守を題材にした点は同じであるが、一句の働きにおいては朱拙の朧月を首に推さなければなるまい。
蕪村の「枕上秋の夜を守る刀かな」という句は、長き夜の或場合を捉えたものである。この句も或朧月夜を詠んだに相違ないが、江戸留守という事実を背景としているために、もっと味が複雑になっている。朧月というものは必ず艶な趣に調和するとは限らない。こういう留守居人の寂しい心持にもまた調和するのである。
踏なほす新木の弓やはるの雨 孟遠
弓に関する知識は皆無に近いから、頗るおぼつかないけれども、新木で拵えた弓は狂いやすいというようなことがあるのであろう。春雨に降りこめられたつれづれに、その弓を足で踏んで狂いを矯めようとする、という意味ではないかと思われる。あるいは新木で拵えた弓であるために、雨降の時には狂いを生ずるというようなことがあるのかも知れぬ。
弓から「はる」ということを持出したので、「はるの雨」は「張る」にかけたのだ、というような解釈を下す人があっても、それは取らない。そういう解釈を妥当とするには、元禄より更に前に遡らなければならぬ。後世蕪村等の用いた縁語といえども、勿論これとは趣を異にする。ただこのままの句と見るべきである。
魚懸にあたまばかりや春の雨 朱拙
西鶴の『永代蔵』であったか、『胸算用』であったか、台所に魚懸というものがあり、年末に鰤でも懸けてあるのを見て、出入の者がもう春の御支度も出来ましたという条があったと記憶する。この句はそういう魚懸の魚をだんだん食べてしまって、頭だけが残っているというのである。春の用意に懸けた魚が、春雨頃に頭だけになるのは自然の数であろう。
魚懸は現在のわれわれには縁が遠い。われわれが台所にぶら下っていたのを知っているのは、塩引の鮭位のものである。「塩鮭の頭ばかりや……」といえば、今の人には通じいいかも知れない。だんだんに食べて頭ばかりになった魚と春雨との間には、趣としても相通うものがある。
雉子啼や蔵のあちらの蜜柑畑 桃先
田舎の屋敷内などであろう。母家を離れたところに土蔵があって、その向うはずっと蜜柑畑になっている。雉子はその辺まで来て啼くとも解せられるし、蔵の向うに蜜柑畑の見えるような場所で、けんけんと啼く雉子の声を聞いたということにしても構わない。
雉子の声の背景としては、これまでも随分いろいろな世界を挙げて来たが、「蔵のあちらの蜜柑畑」は正に一幅の画図である。ここに雉子の声を点じて、画以上にすべてを生動せしめた。雉子の啼く頃では、蜜柑は枝頭に朱い玉をとどめていないかも知れぬが、土蔵の先に一面の蜜柑畑が展開しさえすれば、果の有無の如きは深く問うに及ばぬであろう。
山焼て峯の松見る曇かな 魚口
この句において多少の疑問があるのは、「山焼て」という言葉にかかる時間である。山を焼いて然る後、どの位の時間を経ているか、それによってこの句の味は異らなければならぬ。
山焼の済んだ後の峯に、何本かの松が聳えている、焼かれてややあらわになった山の頂の松が、曇った空に高く見える、という風にも解釈出来る。
もう一つは現在なお山を焼きつつある場合で、煙はそこら一面に流れている、峯頭の松もその煙のために曇って見えるか、あるいは実際曇った空に聳えているか、とにかく山焼が現に行われているものと解するのである。
「山焼て」という言葉は、本来はっきりした時間を現していないから、何方にも解し得ると思うが、再案するに「峯の松見る曇かな」という十二字には、しずかに落著いた空気が含まれているので、現に火が燃えている――山を焼きつつあるものとすると、感じの上においてそぐわぬところがある。やはり山を焼いてから多少の時間を経過したものと見るべきであろう。
にくまれてたはれありくや尾切猫 蘆本
猫の恋を詠んだ句は、比較的漠然たる趣のものが多く、猫そのものの様子なり、動作なりを現したものはむしろ少い。この句はその少い方に属する一である。
春の季題に猫の恋を取入れたのは誰か知らないが、恋猫というものはそれほど雅趣に富んでいるとも思われぬ。家を外に浮れ歩くあの様子は、平生猫に好意を持っている人にすら、疎むとか、憎むとかいう心持を起させやすい。そういう猫の中に尾を短く切られたのが一匹おって、日夜狂奔しつつある。その様子を皆が見て憎らしいというが、猫はそんな世評には頓著せず、相変らず家を外に狂い歩いている、というのである。
猫を飼う趣味にもいろいろあって、必ずしも同一標準に立つわけではないけれども、尾の長い方が見た恰好もいいし、可愛らしくもある。この猫が人に憎まれるのは、尾の短いことも一理由になっているかもわからぬが、作者はそれを正面に置いてはいない。「にくまれて」はどこまでも「たはれありく」様子にかかるので、その猫は尾が切られていて短い、という特徴を描いたまでのものであろう。
「恋ひ負けて去りぎはの一目尾たれ猫 より江」という句は、さすがに近代の産物だけあって、猫の様子なり、動作なりについて更にこまかい観察を試みているが、「尾たれ猫」の一語は特に画竜点睛の妙がある。蘆本の句は観察の精粗において固より同日の談ではない。但この句の眼目は畢竟「尾切猫」の一語にある。この一語がなかったら、尋常一様の漠然たる恋猫の句になってしまったに相違ない。
昼からは茶屋が素湯売桜かな 言
これはどういう場所であるか、桜があって、茶屋があって、人が見に来るようなところらしいが、それ以上の想像は困難である。あるいは不必要かも知れぬ。
特に「昼からは」と断ったのは、午前は何もないが、午後からは……という意味に解せられる。午前はあまり人が来ないのか、茶屋が開業しないのか、それもわからない。
反対に人があまり来過ぎるので、午後からは茶屋が茶でなしに素湯を飲ませている、という意味に解すると、素湯だから冷たくはないにしても、いささか冷遇の意味になって来る。「昼からは」という以上、午前と午後とで何か異る事情がなければならぬ。その事情は大づかみに見て、消極、積極の二通りになるが、いよいよとなると断定は下しにくいように思う。
羽子板の箔にうけたり春の雪 吾仲
美しい句である。
春降る雪の冬の雪と感じの違うところはいくらもあるが、要するに季節を過ぎているだけに、何となく一種のゆとりを生じており、雪片が大きいながらふわふわと降って来る趣なども、この感じを大に助けている。この句はその趣を捉えたもののように思われる。
箔を置いた羽子板をさしのべて、春の雪片を受けて見る。深窓に育つ羽子板の持主の嫣然たる趣を連想すれば更に美しい。「ロシヤ更紗の毛蒲団を、そっとぬけでてつむ雪を、銀のかざしでさしてみる、お染の髪の牡丹雪」という夢二氏の童謡を昔読んだことがあるが、どこかそれと共通する浮世絵趣味に似たものが感ぜられぬでもない。しかしそれは固より連想、余情の範囲で、句の表に現れたものは、春の雪の降る中にさしのべた、美しい羽子板だけである。
「箔にうけたり」という言葉を、箔を置いた羽子板と取らずに、春の雪を受けて羽子板の箔とした――雪片そのものを箔と見る――という意味に解すると、多少技巧的な句になる。われわれはやはり箔ある羽子板をさしのべた、美しい句としてこれを見たい。
尋よる門やしまりて梅の花 野紅
この訪問者と居住者との関係はわからない。門前を通りかかったから寄って見るというような漫然たる訪問でないことだけは慥である。
折角たずねて来た門がしまっている。近頃は門がしまっていても、必ず不在だとはきまらない。ベルを押して、取次が出て来てからでも、真の在否のわからぬ手合さえある。作者はこの場合「門やしまりて」の一語によって、門がしまっているということだけでなく、主の不在であることをも現している。「九日駆馳シテ一日閑ナリ。尋ネテレ君ヲ不レ遇ハ又空シク還ル。怪ミ来ル詩思清ウスルヲ二人骨ヲ一。門ハ対シ二寒流ニ一雪ハ満ツレ山ニ」というような趣であるとすれば、梅花に門を鎖した主は隠者らしくなって来るが、この句はそこまではっきり描いていない。門のしまっているために得た失望の感を、「尋よる」の一語に含ませているに過ぎぬ。
白梅の月をさゝげて寒さかな りん女
明治の末に「寒月照梅花」という勅題が仰出された時、誰かがいろいろ古歌の例を引いたものを見たら、月に梅を配したものはあっても、寒月という感じのものは少かった。当時詠進の歌には、何かの景物によって寒さを現したものが多かったように記憶する。歌では「寒月や」という風の言葉が使いにくいため、自然配合物の力を藉ることになるのであろう。
この句は春になってからの句かも知れぬが、寒さが主になっているので、「寒月照梅花」の意にも適うかと思う。皎々たる月の光の下に、白い梅の花が咲いているという、見るからに寒い感じの句である。月下の梅ということをいわずに、「月をさゝげて」といったのは、月が中天にかかっていることを現すためもあるが、そこに作者の技巧らしいものが見えて、そういい句だというわけではない。ただ同じ作者の句に「白梅の月をおさゆる寒さかな」というのがあり、彼これ対照すれば、やはり「さゝげて」の方が優っている。「おさゆる」では作者の技巧的主観が強くなって、自然の趣を損ずることが多いからである。
炉ふさぎや上へあがりてふんでみる 朱拙
久しい間の炉を塞いで蓋をする。一冬を頼みにして来ただけに、いよいよ塞いでしまう段になると、うら寂しい感じもするが、同時にその辺が綺麗になって、さっぱり片付くところもある。作者はそういう気分の下に、今塞いだばかりの炉を上から踏んで見たのであろう。
「上へあがりて」というと、何だか高いものの上に上ったように聞えるが、実際は炉を塞いだ畳の上を踏むに過ぎまいと思う。今まで明いていたところを急に塞いだので、その慥さを踏み試みるという風にも解せられる。実際は年々歳々塞ぐことを繰返し、その度にこうやって踏んで見るのかも知れない。もし難をいえば、「上」ということよりも「あがりて」の方にありそうである。
桃さくや古き萱屋の雨いきれ 四睡
桃の咲く時分になって、春の暖気は俄に加わり、降る雨にも万物を悉く蒸し返らすような力を生じて来る。この句はそういう雨に濡れた、古い萱屋根の家を描いたのである。
瓦屋根やトタン屋根では、到底こういう感じは起らない。萱屋根にしても、新に葺かれたばかりの家だったら、やはり感じが異るかも知れぬ。多くの歳月を経て真黒に古びた萱屋根が、折からの雨に濡れて、ムーッといきれたようになっている。このいきれた空気の中に、屋根草は芽を吹き、もろもろの虫の卵は孵り、天地の春を形づくるのであろう。野趣といっただけではまだ尽さぬ、多くの詩歌の看過する春のいぶきを、俳人は容易に捉え得た。この蒸れるような雨の感じに調和するものは、他の何の花よりも桃でなければなるまい。
あるいはこの句は現在雨が降っている場合でなしに、雨がやんだばかりに日がさして、水蒸気が一面に立騰るというような光景でもいいかと思う。春らしい実感を十分に盛り得た点で、異色ある桃の句というべきである。
はるの月またばや池にうつる迄 諷竹
「猿沢辺に円居して」という前書がついているから、この句の場所は明瞭である。もうほどなく春の月が出る。それが少し高く上れば、猿沢の池の面にうつるようになる。それまで待とう、待って池にうつる春の月を見よう、という句意らしい。
もう十年近くも前になるか、奈良に遊んで一宿したことがある。当時は燈火管制も何もなかったが、春の夜の町へ散歩に出るのに、驚いたのは道の暗いことであった。元禄時代の奈良は更に暗かったであろう。作者はどんなところに円居しているのかわからぬが、日が暮れてから電車で京都や大阪へ帰り得る時代でないから、月を待ってどうしようというのでもあるまい。猿沢の池にうつるまで、月の上るのを待って、その眺を見囃そうというに過ぎまいと思う。
奈良の月は直に「春日なる三笠の山を出でし月」を連想せしめるが、作者はそういう伝統に捉われず、猿沢の春月という新な配合を見出し、更に「池にうつる迄」という興味を点じた。「はるの月またばや池にうつる迄」と繰返し誦して見ると、のんびりした昔の春の心持が、我身に近く感ぜられて来る。
我のせよ御形咲野のはだか馬 祐甫
御形の花の咲いた野に裸馬が放し飼になっている。あの馬に乗ってこの野を乗廻して見たい、己を乗せてくれぬか、といったのである。「我のせよ」は単なる願望の意で、もし強いて対象を求めれば、その裸馬に対して述べたことになる。
御形はハハコグサである。この作者の感興の背景をなすものとしては、ハハコグサは少し寂しい。五形と書くゲンゲの方なら、一望の野を美しくするかと思うが、作者が御形と書いている以上、やはりハハコグサの眺と解して已むべきであろう。
陽炎や身を干海士の日向ぼこ 朱拙
岩の上か、砂浜か、場所はわからぬ。今しがた海から上ったばかりの海士が、身体を乾かしながら日向ぼっこをしている。そのほとりから陽炎がゆらゆら立のぼる、という海岸の一小景である。
「身を干」という言葉がこの句の眼目であろう。この一語によって、単に日向にいるというだけでなしに、海から上ったばかりの海士ということもわかれば、風もない海辺の日和の暖さも自ら連想に浮んで来る。
現在の歳時記では「日向ぼこ」は冬と定められているが、必ずしもそう限定するには及ぶまい。身体を乾かしながらの「日向ぼこ」には、冬よりも春の方が適切であろう。ゆらゆらと立つ陽炎は、この光景を一層効果あらしめているような気がする。
乳呑子の耳の早さや雉子の声 りん女
この句の舞台に登場する者は、乳を含ませている母親と、乳を飲みつつある幼児とだけである。しずかな春の日中であろう、どこかで鋭い雉子の声がする、というので、その空気は一応描かれたことになるが、「耳の早さや」という中七字は、考えようによっていろいろに解釈出来る。
主要な登場人物の一人である乳呑子が、いち早く雉子の声を聞きつけたという点に変りはないが、ただ聞耳を立てたというだけか、あれは何の声だといって尋ねたのか、あるいは已に雉子の声の何者たるかを知っていて聞きつけたのか、そこは俄に断じがたい。乳呑子のことだから気がつくまいと思ったのに、いち早く聞きつけたというのか、母親がうっかりしているうちに、乳呑子の方が聞きつけたというのか、その点も解釈が二、三になりそうである。
けれどもここではっきりしているのは、母親の乳を含みつつある幼児の小さい耳が、いち早く雉子の声を聞きつけたということと、その耳の早さを先ず感じた者が母親だということである。女性たる作者がその母親であることも、ほぼ推定し得る。一句の眼目たる事実が動かぬ以上、その他の小さい連想は、各自の感ずるところに従って差支あるまいと思う。
夜の明ぬ松伐倒すさくらかな 陽和
山中の景色であろうかと想像する。
まだ夜の明けぬうちに杣がやって来て、そこにある松の木を伐り倒す。巨幹は地ひびきして倒れると、またもとの静寂に還る。あたりには桜がたわわの花をつけている、というような光景を描いたものらしい。
この場合の松と桜は、ただ近くにあるというだけで、深い因縁や交渉があるわけではない。「花の外には松ばかり」という山中自然の配合であろう。未明の天地に木を伐るという一の活動が起って、間もなく松は伐倒される。その背景として爛漫たる桜を描いたというよりも、桜の背景の前にこういう活動が行われたものと解すべきである。
人の姿を点出せずに、ただ松と桜のみを描いたのは、如何にも未明伐木の光景にふさわしい。伐られる松と、しずかに咲いている桜とを対照的に扱って、とかくの弁を費すが如きは、そもそも無用の沙汰であろう。