夏
湯殿出る若葉の上の月夜かな 李千
爽快な句である。湯上りの若葉月夜などは、考えただけでもいい気持がする。湯から上ったあとは何時でも悪いことはないが、一脈の懶さを伴っている春の夜よりも、汗を流すのを第一とする夏の夜よりも、はっきりした空気の中に多少の冷かさを含んでいる若葉時分の夜が、爽快な点では最も勝っているであろう。湯殿を出た人はそのまま庭に立って、若葉に照る月のさやかな光を仰いでいるのである。時刻を限る必要もないけれども、あまり夜の更けぬうちの方がよさそうに思う。
この句は中七字が「青葉の上の」となっている本がある。若葉にしても青葉にしても、爽快な点に変りはない。その方には作者が「里仙」となっているが、恐らく同人であろう。珍碩――珍夕、曲翠――曲水その他、同音別字を用いた例はいくらもあるからである。
病後笋ときほひ出ばや衣がへ 吾仲
病が漸う癒えて衣を更える場合であろう。その恢復に向う力に対して、土を抽ずる笋の勢を持って来たのである。現在それほど元気になったというわけではない。笋の勢に倣おうというので、なお病後の弱々しい影の去りやらぬことは、前書及「出ばや」という言葉に現れている。病後の更衣はその後にもしばしば見る趣向であるが、これは主観的に笋を扱って、恢復に向う力を描いたところに、元禄の句らしい特色がある。
子規居士にも「病中」の前書で「人は皆衣など更へて来りけり」という句があった。癒ゆべからざる長病の牀にあって、更衣の圏外に置かれた居士の気持は、この句を誦する者に或うらさびしさを感ぜしめずには置かぬであろう。笋と共にきおい出でむとする病者は、癒ゆべき日を眼前に控えているだけに、一句の底に明るい力が籠っているように思われる。
山ごしに顔は見えけり幟の画 峯雪
一目瞭然、説明するまでもない句であるが、幟の顔ということは、近頃の人にはちょっとわかりにくいかも知れぬ。子規居士が「定紋を染め鍾馗を画きたる幟は吾等のかすかなる記憶に残りて、今は最も俗なる鯉幟のみ風の空に飜りぬ」といって歎息したのは、已に四十余年の昔だから、今の東京に鯉幟が幅を利かしているのも、勿論やむをえぬ次第である。
この句の働きは「山ごしに」という上五字にある。大した山でないと同時に、そう遠距離でないことは、「顔は見えけり」という言葉から想像出来る。この顔は幟に画いた鐘馗か何かの顔である。「幟の画」とある以上、如何に鯉幟が天下を風靡したところで、鯉の顔と解釈される虞はなさそうに思うが、念のために蛇足的説明を加えることにした。
定紋の下に鬼かく幟かな 秋冬
などという句も、鯉にあらざる幟の様子を最もよく現している。とかくの説明にも及ばぬが、前の句の参老資料たるだけの価値は十分にあると思う。
長竿に板の武者絵や帋幟 村
この幟も同類である。長い竿の幟が立ててあるが、その幟は布でなしに紙で、しかもその絵が肉筆でない。版で摺ってあるという。(板の字の傍に棒が引いてあるから、これはハンと音で読むのである)いずれ簡略なものであろう。その絵が武者絵であることも、この句は明にしてある。
絵の幟の句があまり見当らぬ中にあって、紙に板画で武者絵を刷ったことまで描いたのは、慥に珍とするに足る。あるいは作者も珍しいと思って、特に一句に纏めて置いたのかも知れぬ。
五日旅なれや菖蒲も葺ず笠の軒 鶴声
端午の句である。こういう年中行事に対する古人の心持は、自ら今人と異るものがある。今日でも全く人の意識から離れ去ったわけではないけれども、各自これを守る心づかいに至っては、多大の軒輊を免れぬ。王維が九日山東の兄弟を懐うの詩「独リ在リテ二異郷ニ一為ル二異客ト一。毎ニレ逢フ二佳節ニ一倍思フレ親。遥カニ知ル兄弟登ルレ高キニ処。遍ク挿シテ二茱萸ヲ一少カン二一人一」の如きも、単に家郷の兄弟を懐うだけでなく、こういう年中行事の中に洩れた自分を顧るところに、自ら微妙な味が籠っている。これは時代も古いし、そういう懐郷の情を正面から詠じたのであるが、一歩俳諧の世界に踏入って
旅中佳節馬の背の高きに登り蕎麦の花 移竹雨中九日病起試みに下駄の高きに登りけり 銕僧
というような句を見ると、そこに或転化の迹が目につく。移竹の句の登高は本当の登高ではない。重陽の日も旅にあって馬に跨りつつあることを、「馬の背の高きに登り」と登高に擬して興じたのである。銕僧の句も重陽ではあるが、雨が降っているし、病起の状態でもあるので、高きに登ることなどは出来ない。そこで単に下駄を穿いて見たまでのことを、「試みに下駄の高きに登りけり」と誇張していったのである。この二句は元禄期の作ではないけれども、俳諧の一特色たる転化の傾向を見るべきもので、正面からいうのと違ったおかしみを伴っている。鶴声の菖蒲葺の句もやはりこの種類に属する。旅中端午の節句に逢って家郷を想うに当り、忽ち例の転化を試みて、現在自分が被っている笠を持出したのである。即ち旅にあって端午の菖蒲も葺かずにいるということから、笠の端を軒端に見立てて、そこに菖蒲を葺かぬということを以て一句の趣向にしたので、それが「馬の背の高き」に登ったり、「試みに下駄の高きに」登ったりするほど明快に片づかないのは、元禄調と天明調との相違によるのかも知れない。格別すぐれた句ではないが、一種の句として観る価値はありそうである。
薄紙にひかりをもらす牡丹かな 急候
子規居士の『牡丹句録』の中に「薄様に花包みある牡丹かな」という句があった。これも同じような場合の句であろう。「ひかり」というのは赫奕たる牡丹の形容で、同じく子規居士に「一輪の牡丹かゞやく病間かな」という句があり、また「いたつきに病みふせるわが枕辺に牡丹の花のい照りかゞやく」「くれなゐの光をはなつから草の牡丹の花は花のおほぎみ」などという歌もある。牡丹に「ひかり」という強い形容詞を用いたのは、この時代の句として注目に値するけれども、薄紙を隔てて「ひかりをもらす」などは頗る弱い言葉で、豊麗なる牡丹の姿に適せぬ憾がないでもない。「い照りかゞやく」にしろ、「光をはなつ」にしろ、その形容の積極的に強い点からいえば、遥にこの句にまさっている。
尤もこういう言葉の側からいうと、元禄の句がやや力の乏しいのは、必ずしもこの句に限ったわけではない。牡丹に雨雲を配した
雨雲のしばらくさます牡丹かな 白獅方百里雨雲よせぬ牡丹かな 蕪村雨雲の下りてはつゝむ牡丹かな 虚子
の三句について見ても、言葉は蕪村の「方百里」が一番強い。しかして曲折の点からいえば、元禄の句は竟に大正に如かぬような気がする。けだし長所のここに存せぬためであろう。
美しき人の帯せぬ牡丹かな 四睡
ちょっと見ると、牡丹の咲いている側に、美人が帯をしめずに立っているかの如く解せられるが、実際はそうでなしに、牡丹そのものを帯せざる美人に見立てたものと思われる。牡丹の妖艶嬌冶の態は単に「美しき人」だけでは十分に現れない。「帯せぬ」の一語あって、はじめてこれを心裏に髣髴し得るのである。
こういう句法は今の人たちには多少耳遠い感じがするかも知れないが、この場合強いて目前の景色にしようとして、帯せぬ美人をそこに立たせたりしたら、牡丹の趣は減殺されるにきまっている。句を解するにはどうしてもその時代の心持を顧慮しなければならぬ。
捲あぐる簾のさきやかきつばた 如行
『句兄弟』に「簾まけ雨に提来る杜若」という其角の句がある。これは「雨の日や門提て行かきつばた」という信徳の句に対したので、単に燕子花を提げて通るというだけの景色に、「簾まけ」の一語によって山を作ったのが、其角一流の手段なのであろう。
如行のこの句には、其角のような山は見えない。縁先の簾を捲上げると、すぐそこに燕子花の咲いているのが見える、という眼前の趣を捉えたのである。簾を捲くと同時に、燕子花の色がぱっと鮮に浮んで来るように感ずるのは、この句が自然なために相違ない。自然に得来ったものは、一見平凡のようでも棄て難いところがある。
ほとゝぎす栗の花ちるてら/\日 李千
紛れもない昼のほととぎすである。ほととぎすの句というものは、習慣的に夜を主とするようになってしまったが、古句を点検して見ると、必ずしもそうではない。この句は「てら/\日」というのだから、相当日の照りつけている、明るい昼の世界である。
ほとゝぎすあみだが峯の真昼中 路通郭公日高にとくや筒脚半 探志
などというのは、明に昼の時間を現しているし、
幟出す雨の晴間や時鳥 許六ほとゝぎす傘さして行森の雨 洒堂
の如きも、やはり昼と解した方がよさそうに思われる。元禄人は伝統に拘泥せず、句境を自然に求めて随所にこの種の句を成したのであろう。
「ほとゝぎす」という言葉がその鳥を現すのみならず、直にその啼く声までを意味するのは、活用の範囲が広きに失しはせぬかということを、鳴雪翁はいっておられた。しかしほととぎすは声を主とする鳥で、啼く場合殆ど姿を見せぬということも考えなければならず、その名詞が五音であるため、他の語を添える便宜に乏しいという消息も認めなければなるまい。ここに挙げたのはいずれも昼のほととぎすであるにかかわらず、一向句の表に姿を現していない。「栗の花ちるてら/\日」という明るい世界にあっても、ほととぎすは依然声を主として扱われているのである。
の餌袋おもし五月雨 胡布
の餌袋は胸のところにある。かつて少しばかりを飼った頃の経験によると、夕方舎をしめる時などに、よくその餌袋に手を触れて、腹が十分であるかどうかをしらべたものであった。貪食なの餌袋が一杯砂でも詰めたように固くなっているのは常の事であるが、これは五月雨時なので、いささか運動が乏しく、特に餌袋の重きを感じたものかも知れない。
この句の眼目は「おもし」の一語に尽きる。これによって客観的にの餌袋を重しと見るのみならず、何となく自分の事ででもあるかのような感じを与える。に親しい生活の人でなければ、こういうことは捉えにくいだろうと思う。
味噌の香に蔵の戸前や五月雨 海人
陰鬱な五月雨の空気の中に漂う侘しい香を見つけた――嗅ぎつけたのである。味噌は蔵の中にあるのであろう。じめじめした暗い五月雨と、プンと鼻に感ずる味噌の香とを脳裏に浮べ得る人ならば、この句の趣は説かずともこれを了するに相違ない。
子規居士に「秋雨や糠味噌臭ふ仏の間」という句があったと記憶する。季節も違い、場所も違い、匂うものも違うけれども、嗅覚が捉えた句中の趣には、自ら相通ずるものがある。
中わろき隣合せやかんこどり 一夫
「さびしさに堪へたる人の又もあれな」というような山里ででもあるか、閑古鳥が啼くといえば、自ら幽寂な境地を想像せしめる。しかもそこに住んでいる人は、隣合っていながら仲が悪い、という人間世界のやむをえざる事実を描いたものらしい。
しかしわれわれがこの句を読んで感ずるところは、それだけの興味に尽きるわけではない。かつて『ホトトギス』の俳談会が
腹あしき隣同志の蚊遣かな 蕪村仲悪しく隣り住む家や秋の暮 虚子
という両句の比較を問題にしたことがあった。人事的葛藤を描く上から見ると、蕪村の句が最も力があり、活動してもいるようであるが、句の価値は姑く第二として、自然の趣はかえってこの句に遜るかと思う。こういう趣向の源もまた元禄に存することは、句を談ずる者の看過すべからざるところであろう。
飛ひかりよわげに蚊屋の蛍かな 鶴声
蛍を蚊帳に放つという趣向は、早く西鶴が『一代男』の中で「夢見よかと入りて汗を悲む所へ、秋まで残る蛍を数包みて禿に遣し、蚊屋の内に飛ばして、水草の花桶入れて心の涼しき様なして、都の人の野とや見るらむといひ様に、寝懸姿の美しく」云々と書いている。
蚊屋の内にほたる放してアヽ楽や 蕪村
という句は、その放胆な句法によって人に知られているが、蕪村は果して西鶴の文中から得来ったものかどうか。蚊帳に蛍を放つの一事が、それほど特別な事柄でないだけに、偶合と見る方が妥当であろう。「アヽ楽や」の句は一応人を驚かすに足るけれども、再三読むに及んでは、蚊帳の中を光弱げに飛ぶ元禄の蛍の方に心が惹かれて来る。この間の消息は「自然」の一語を用いる外、適当な説明の方法もなさそうである。
子規居士が「試問」として『ホトトギス』の読者に課した中に、「子は寝入り蛍は草に放ちけり」の句を批評せよ、という問題があった。この句は誰の作かわからぬけれども、その答と共に居士が掲げた文章によると、享保頃に
子を寝せて隙やる蚊帳の蛍かな 喜舌
という句があるらしい。居士は「子は寝入り」の趣向の古きものとしてこれを挙げたのであるが、更に遡れば元禄に
ねいらせて姥がいなする蛍かな たゝ女
という句がある。「試問」における居士の批評は、第一に句尾の「けり」を難じ、第二に「子は」「蛍は」と二つ重ねた句法を難じ、第三に「子は寝入り」といい放したことを難じ、「もし句調を捨てて極めて簡単にせば『子寝ねて蛍を放つ』とでもすべきか」といっている。「草に」の一語がこの場合、あまり働かぬ贅辞となっていることも自ら明である。
享保の喜舌の句は、放つべき草をいわずに、今いる蚊帳を現した点が多少異っているけれども、「隙やる」の一語は何としても俗臭を免れない。元禄のたゝ女に至ると、寝入った子を主とせず、寝入らせた姥を主役にして、その姥が蛍を放つことになっている。これには草もなければ蚊帳もない。「ねいらせて」及「いなする」という言葉に厭味はあるが、「子寝ねて蛍を放つ」ということから見れば、この句が一番近いようである。こういう種類の句は、何時誰が作ったにしても、所詮俗を脱却し得ぬものであろう。ただこの趣向においてもまた、元禄の句が最も自然に近いとすれば、他の方面の事は推察に難くない。
すてゝある石臼薄し桐の華 鶴声
農家の庭などの有様かと思う。桐の花の咲いているほとりに、使わない石臼が捨ててある。単に石臼が捨ててあるだけで満足せず、その石臼の薄いことを見遁さなかったのは、この句のやや平凡を免れ得る所以であろう。
元禄時代に「すててんぶし」と称する唄がはやったことは、人の知るところであり、其角の『焦尾琴』には「棄字ノ吟」の題下に「すてゝある」の語を詠み込んだ句十七を列記してある。この鶴声の句は、それを引合に出すにも及ぶまいかと思うが、時代が同じだから、いささか念を入れて置くことにする。
若竹や衣踏洗ふいさゝ水 兀峰
ただ洗濯するといわず、「衣踏洗ふ」といったところに特色がある。場所ははっきりしないけれども、「いさゝ水」という言葉から考えると、井戸端や何かでなしに、ささやかな流の類であろう。その水に衣を浸して、足で踏んで洗いつつある。若竹の緑にさす日影も明るい上天気に違いない。鄙びた趣ではあるが、爽な感じのする句である。
芥子の花咲や傘ほす日の移り 烏水
芥子の句は由来散るということに捉われやすい。越人の「散る時の心やすさよ芥子の花」などというのは、その代表的なものである。「芥子畑や友呼て来る蜂の荒 潘川」の如きは、そう著しく表面に現れていないが、それでも「蜂の荒」ということが、散りやすい芥子に対して或危惧を懐かしめる。他の花なら何でもないことでも、芥子の場合は散りやすさに結びつけられる点があるのであろう。
然るに烏水のこの句にはそれが全くない。雨の後であろう、庭に傘が干してある、芥子もその辺に咲いている、という純客観の句である。「日の移り」という言葉は、文字通りに解すると、此方から彼方へ移動するもののように思われるが、映ずるという意味の「うつる」場合にも、昔はこの字を使っている例がある。今まで干傘にさしていた日が芥子に移ったと見るよりも、干傘に照る日が芥子にうつろうと見た方がよさそうな気がする。
撫て見る石の暑さや星の影 除風
暑さの句というものは赫々たる趣を捉えたのが多いが、これはまた一風変ったところに目をつけた。一日中照りつけられた石が、夜になってもほてりがさめきらずにいる。恐らく風も何もない晩で、空に見える星の影も、いずれかといえば茫としたような場合であろう。作者の描いたものは、僅に手に触れる石のほてりに過ぎぬようだけれども、夜に入ってもなおほてりのさめぬ石から、その夜全体の暑さが自然と思いやられるのである。
鬼貫に「何と今日の暑さはと石の塵を吹く」という句があり、暑さを正面から描かず、塵を吹く人をして語らしめたのが一の趣向であるが、少しく趣向らしさに堕した憾がある。除風の句の石は何であるかわからぬけれども、「撫て見る」という以上、小さな石でないことはいうまでもない。
供先に兀山みゆるあつさかな 虎角
支那、朝鮮あたりを旅行していた人が、内地に帰って第一に感ずるのは、山の緑のうるわしいことだという。兀山の眺は何時にしてもありがたいものではないが、炎天下の兀山に至っては、慥に人を熱殺するに足るものがある。この句は大名などの行列を作って行く場合であろう。その供先に兀山が見える。その赭い山肌には烈々たる驕陽が照りつけているに相違ない。これから進んでその兀山の下を通るのか、あるいはそれを越えなければならぬのか、そこまでは穿鑿するに及ばぬ。ただそこに見えているだけで、暑さの感じは十分だからである。
蕪村の「日帰りの兀山越る暑さかな」という句は、時間的に長い点で知られているだけに、この句よりは大分複雑なものを持っている。一言にしていえば、この句より平面的でないということになるかも知れぬ。日帰りに兀山を越えなければならぬ暑さは、固より格別であろうが、炎天下の行列の暑さも同情に値する。大勢の人が蹴立てて行く砂埃を想像しただけでも、何だかむせっぽい感じがして来る。
虫ぼしや掛物そよぐ笹の風 里揚
虫干でいろいろな掛物がかけてある。その掛物に庭から風が吹いて来る。「曝書風強し赤本飛んで金平怒る」などというような、えらい風ではない。日中の笹もそれによってそよぎ、掛物もまたそよぐという静な風である。趣は平凡だけれども、自然なところが棄て難い。
虫干や葛籠払へば包熨斗 鶴声
これとちょっと調子の似た句に「虫干や幕を振へば桜花 卜枝」というのがある。花見の時用いた幕の中に、桜が散り込んでいたと見えて、幕を振ったらその花びらが出て来たというのは、一種の浮世絵趣味で、綺麗な代りに巧に失する嫌がある。葛籠を払った中から包熨斗が出て来たのでは、画にはならぬかも知れないが、それだけ真実性が強い。われわれはこの真実性を尊重したいのである。
買や否ものゝ書たき扇子かな 秋冬
説明するまでのこともない、つまらぬ句である。ただ正面から率直にいったところが、取得といえば取得であろう。句を作る者の通弊は、どうしても巧に流れる点にある。こういう稚拙な句を故意に作ろうとすると、大人が子供の字を真似したようになって面白くない。この句にしても「買や否」の上五字は、単なる初心者には置き得ぬところがある。
蚊屋釣ていれゝば吼る小猫かな 宇白
水鳥がさえずるということはないといったら、いや『源氏物語』にあるといって例を挙げた話が、『花月草紙』に書いてあった。猫が吼るというのもざらにはない。例証を挙げる必要があれば、この句なども早速持出すべきものであろう。猫が不断と違ったような声を出すのを、「吼る」といったものではないかと思う。
吉村冬彦氏がはじめて猫を飼った経験を書いた文章の中に、蚊帳のことが出て来る。この句を解する参考になりそうだから、左に引用する。
我家に来て以来一番猫の好奇心を誘発したものは恐らく蚊帳であったらしい。どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高く聳やかし耳を伏せて恐ろしい相好をする。そして命掛けのような勢で飛びかかって来る。猫にとっては恐らく不可思議に柔かくて強靭な蚊帳の抵抗に全身を投げかける。蚊帳の裾は引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである。これが猫には不思議でなければならない。ともかくも普通のじゃれ方とはどうもちがう。余りに真剣なので少し悽いような気のする事もあった。従順な特性は消えてしまって、野獣の本性が余りに明白に表われるのである。
蚊帳自身かあるいは蚊帳越しに見える人影が、猫には何か恐ろしいものに見えるのかも知れない。あるいは蚊帳の中の蒼ずんだ光が、森の月光に獲物を索めて歩いた遠い祖先の本能を呼び覚すのではあるまいか。もし色の違った色々の蚊帳があったら試験して見たいような気もした。
われわれも猫を飼った経験はしばしばあるが、不幸にしてこういう観察を下す機会がなかった。猫と蚊帳についてこれだけ精細な観察を試みたものは、あるいは他に類がないかも知れない。宇白の句は僅に「吼る」の一語によって、猫の蚊帳に対する奇態な興奮を現したに過ぎぬが、とにかく観察のここに触れている点を異とすべきであろう。
しる人の見込て通る蚊やりかな 和丈
門口を通る人が家の中を覗いて通る。それは知った人で、家の中を覗いては行ったが、別に立寄もせずに通ってしまった。夏の晩で家の中には蚊遣が焚いてある、という趣である。
知人の店の前を通る時など、通りすがりに家の中を見込んで、在否を窺うようなことは現在のわれわれにもある。この句の場合は作者が家の中にいて、外を通る者の知人たることを認めているのだから、立場は反対になるわけであるが、中を見込んで通る知人の方は、やはりわれわれと同じく在否を窺うような心持なのではなかろうか。この句は町家の光景と解したい。
膳棚に鼠早渡る蚊やりかな 河菱
「早渡る」は「さわたる」と読むのであろう。灯火の暗い家の中には蚊遣の煙が漲っている、膳棚には鼠が伝い歩く、という侘しい感じの句である。「さわたる」という言葉は、鼠には少し上品な感じがせぬでもないが、ちょろちょろと伝う様子をよく現している。
ちょっと見ると夜寒とか、夜長とかの方がふさわしいようにも思われる。しかし再按するにそれは机上句案の頭で、蚊遣の煙の籠った家の中に鼠の荒れている様子は、竟に如何ともし難い実感である。活字で読む場合の感じだけで是非するわけには行かない。
雨もりも天井ちかき紙帳かな 十丈
紙帳というものは釣って寝た経験がないから、何ともいうことは出来ないが、この句から想像する紙帳の趣は、蚊帳より遥に侘しそうである。天井近い雨もりの跡なども、はっきり眼につくに相違ない。その雨もりの跡を仰ぎながら、紙帳の中に寝ている様子を考えると、甚だ憂鬱になって来る。実際紙帳に包まれて見たら、はじめて蚊帳にぶつかった猫のように、奇態な興奮を感ずるかも知れぬが、目下のところでは俄に経験して見たいとも思わない。
供舟はまだ日のあたる涼かな 花明
まだ日の暮れぬうちに涼み舟に乗った場合である。自分の舟は比較的岸に近くおり、供舟はやや向うに漕出しているのであろうか、半ば昃った水の上に、供舟の人たちが夕日を浴びているのが見える。「供舟はまだ日のあたる」という言葉によって、その間に多少の距離のあることもわかり、水面も此方はやや暗く、向うの方が明るい情景も眼に浮んで来る。納涼の本舞台はまだはじまらぬのであるが、晩涼の気は已に四辺に動きつつあることと思われる。
「供舟」の「供」は深く文字に拘泥せず、「友舟」と同程度に解して然るべきであろう。
涼風や障子にのこる指の穴 鶴声
「おさなき人の早世に申遣す」という前書がついている。この句について思い出すのは、小泉八雲が「小さな詩」の中に訳した「ミニシミルカゼヤシヤウジニユビノアト」という句である。この句の作者は誰か、八雲の俳句英訳に関する最も重要な助手であった大谷繞石氏が、この句の下に(?)をつけているのを見ると(全集第六巻)あるいは出所不明なのかも知れない。ケーベル博士が日本の詩歌について語った中に
おお、「障子」の孔を通って来る風の寒いこと、私は硬くなる――これもお前の小さい指の仕業だ!
とあるのは、何に拠ったものかわからぬが、やはりこの句を指したものであろう。
身に入むということは、俳句では秋の季になっている。「ミニシミル」の句は前書がないと意味が十分に受取りにくいけれども、八雲のいう通り、「死んだ子を悼んでいる母の悲みを意味している」ことは想像出来る。障子の「軟かい紙へ指を突込んで破るのを子供は面白がる。すれば風がその穴から吹き込む。この場合、風は実に寒く――その母の心の底へ――吹き込むのである。死んだその子の指が造った小さな穴から吹き込むからである」という説明も、西洋人に対しては無論必要であろう。ただこの説明に従えば、この句は冬らしくなる。近頃のように障子を冬の季と限定してかかれば差支ないが、昔の句としては、やはり「身に入む」によって秋と解すべきではあるまいか。
作者不明の「ミニシミル」の句は、この「涼風」の句から生れたものかどうか、今俄に断定しがたいけれども、一句として見る場合には殆ど比較にならぬものである。実際のところ「身に入みる風」といい、「指のあと」といっただけで、子供の破った障子の穴から寒い風が吹き込むと解釈するのは、いささか骨が折れる。それが亡くなった子供の指の痕で、そのために一層身に入みて感ぜられるのだ、というに至っては、前書なしには不可能な話である。八雲が易々としてそう解し去ったのは、何かその意味を補うだけの前提があったものと見なければならない。
そこへ行くと「涼風」の句は第一にちゃんと前書がついている。これによって作者は自分の亡児を思い出しているのでなしに、他人が子を失ったのに同情しているのだということがわかる。
第二にこの場合の障子は夏の障子で、しめ切って中に籠っている場合ではない。涼風はその穴から吹入るものと解せられぬこともないが、夏のことだから明放してあったとしてもいい。即ちこの「指の穴」は眼に訴えるので、その穴から吹込む風が身に入む、というほど深刻ではないのである。第三に「のこる」という一語が前書と相俟って、世に亡い子供の残した形見であることをよく現している。子供は世の中に残す痕跡の少いものだけに、僅なものが親の心を捉えずには置かぬのである。一茶が亡児を詠じた「秋風やむしり残りの赤い花」でも、子供がむしり残した花というところに、綿々たる親の情が籠っている。この句の生命は繋って「のこる」にあるといっても、過言ではあるまいと思う。第四に――もう一つ附加えれば、「指のあと」という言葉は「指の穴」の適切なるに如かぬであろう。畢竟「のこる」という言葉を欠いたから「あと」といってその意を現そうとしたものであろうが、その点は不十分な嫌がある。
障子の穴から吹込む風が身に入みることによって、今更の如くかつてその穴をあけた亡児を思い出すというのは、一見悲痛な感情を描いたようで、真に凄涼なものを欠いているのを如何ともすることが出来ない。鶴声が他人の上を思い遣るに当って、障子の穴を点出したのは、この意味において遥に自然である。俳句が強い人情を詠ずるに適せぬことは、先覚の夙に説いている通りだから、繰返す必要もあるまいと思う。
白雨や洞の中なる人の声 畏計
洞穴の中に夕立を避けたのである。その人の姿を描かずに、その声のみを描いたのが面白い。雨やみをしている人の声が、洞穴の中にくぐもって聞えるなどは、都会人の思いもよらぬ趣である。
子規居士も奥羽旅行の時、飯坂温泉で「夕立や人声こもる温泉の煙」という句を作っている。趣はこの句と違うけれども、心持には似通ったところがある。
夕顔のにぶきそよぎや簾越し 包之
あまり風のない夕方らしい。簾越に咲いている夕顔の白い花が僅にそよぐのが見える、というのである。「にぶきそよぎ」の一語が、簾越の花の僅にそよぐ趣をよく現している。元禄らしい写生句である。
瓢箪の蔓に見越すや雲の嶺 范孚
俳画に描くとすれば、窓に垂れた瓢箪の蔓を比較的大きく画いて、その向うに雲の峯の白く聳えているところを現すのであろうか。この句を読むと、青い瓢箪の葉越に晴れた夏の空と、雄大な雲の峯のたたずまいが眼に浮んで来る。
大小の配合といったような点からこの句を見ることは、必ずしも当っていない。ただ雲の峯というような題目は、とかく大景の連想に捉われやすいのに、この句は植物の中でも細い、軟な瓢箪の蔓を配したところに興味がある。それも一茶の「蟻の道雲の峯よりつゞきけり」のような、意識的な配合でなしに、自然の景色として成立っているから面白いのである。
馬のりに乗や清水の丸木橋 釣眠
湧き出る清水が自ら細流をなして、そこに一本の丸木橋が架っている、清水をむすびに来た人が、ふとした興味でその丸木橋に跨って見た、というだけのことであろう。清水の句としては少しく変った趣を具えている。
これが夕涼の場合ででもあったならば、橋に跨る趣向も多少平凡に陥らざるを得ない。運座席上の調和論などは、往々にしてこういう平凡を支持しやすいものである。清水に対して丸木橋を持出し、それに馬乗になるというようなつれづれのすさびは、単に平凡でないのみならず、経験なしには念頭に浮べにくい。おどけたようでしかも棄て難い閑中の趣である。
えり垢の春をたゝむや更衣 洞池
軽い著物に脱ぎ替る初夏の快適な心持は、今も昔も変りはあるまい。「蝶々も軽みおぼえよ」といい、「籠ぬけのかろみ覚えつ」といい、多くは軽快な感じが主になっている。この句の如く脱ぎ捨てた旧衣に眼を注いだものはあまり見当らぬ。
新衣に更うるに当って脱ぎ捨てた著物は、已に多少襟垢がついている。作者はこの襟垢を以て、すがすがしい新衣に対照せしむると同時に、旧衣に対する愛著の情を寓するものとした。
「えり垢の春をたゝむ」というのは、かなり巧な言葉遣いで、その衣に裹まれた三春行楽の迹も、自ら連想に上って来る。昔の更衣は四月一日ときまっていたから、過去った春を顧る情は、今よりもはっきりしていたことと思われる。
西鶴の「長持に春かくれ行く更衣」という句も、多少この句と趣を同じゅうするようであるが、西鶴の更衣は単に季節を現しているまでで、洞池のような実感を伴っていない。「長持に春かくれ行く」は、華かな花見小袖の類が、長持にしまわれることを指すのであろうが、巧を求めて機智を弄し過ぎた嫌がある。旧衣の襟垢にとどめた春の名残の自然なるに如かぬのである。
綿抜やひそかに宵の袖だたみ 兆邦
綿抜というのは袷のこと、布子の綿を抜いて袷とするの意であろう。「南無阿弥陀どてらの綿よひまやるぞ」という一茶の句は、最も簡単にこの間の消息を伝えている。
この句は隠れた意味はない。綿を抜いて著られるようになった袷を、そっと袖畳にして置いた、というつつましやかな趣である。それが宵の燈下であることも、何となくこの句に或情味を添えている。
家土産や樒に附し笹粽 鶴声
粽というものは、国により土地によって随分種類があるらしい。歳時記などにもいろいろ書いてあるが、名称だけではなお心往かぬ感じがする。粽の種類を列挙するのは、風俗誌の領分に属するにしても、各地に固有の粽が存在する以上、俳人の観察がそこに及ぶのも徒爾ではあるまい。例えば『猿蓑』にある「隈篠の広葉うるはし餅粽 岩翁」という句にしても、単に粽とのみあるものよりは、遥に読者に与える印象がはっきりしているからである。
鶴声の句の粽は笹に巻いたもので、樒の枝にいくつもつけてあるらしい。特に「家土産」と断ってあるのは、御土産用にそういうものを売っているのか、持って帰る便宜のためにそうしてくれたのか、その辺はわからない。
青梅や葉かげをのぞく眉の皺 伽香
活字本には「眉の雛」となっているが、恐らく「皺」の誤であろう。仮に原本に「雛」とあったにしても、雛では意味をなさぬ。木版本にもこの程度の誤はしばしばあるから、皺として解すべきものと思われる。
かつて蕪村句集輪講の時、「青梅に眉あつめたる美人かな」の「眉あつめたる」について議論があったのを、これは何でもない、青梅を見て、おお酸ぱいといって眉を寄せたのだ、と断じたのは子規居士であった。伽香の捉えどころも全く同じで、「眉の皺」は子規居士説の通りと思われるが、蕪村は眉あつめたる美人を主として描き、伽香は青梅を見る様子に重きを置いたので、句の表は大分異ったものになっている。葉陰の青梅を覗いて眉根に皺を寄せる者は、やはり女であろう。元禄と天明との相異はここにもある。句としては蕪村の方が成功しているかも知れぬが、時代的に先じた点で、伽香の句を一顧する必要がある。
しら壁や若葉のひまの薄曇 葉圃
新緑に蔽われた初夏の天地は、すがすがしい明るさを持っている一面、何となくどんよりした感じを免れない。この句はどんよりした方の趣である。
茂り合う若葉のひまから白壁の家が見える。緑と白との対照が、どんよりした薄曇の中に眼に入るのである。景色としては格別珍しいこともないが、慥に初夏の或趣を捉え得ている。
白壁は若葉に曇る朝けかな 未出
という句も、同じくどんよりした若葉の趣である。「朝け」という時間を持出したことが、どんよりした若葉の感じを助けてはいるが、眼に訴える印象からいうと、前の句の方がすぐれている。殊に看過すべからざるものは「ひまの」の三字であろう。後の句の「白壁は」という上五字は、「白壁の」と大差ない意味であろうが、決して巧な用語というわけには行かない。
裏門の潜に見ゆる青葉かな 野紅
簡単なスケッチである。
裏門の潜戸があいていて、そこから庭の青葉が見える。塀をめぐらした大きな屋敷でもあろうか。こういう景色にはしばしば逢著しながら、これほど単純に句にすることはむずかしい。「潜に見ゆる」が一句の眼目である。
卯の花や落米を拾ふの声 里東
卯の花の咲いたあたりに米がこぼれている、その米を啄むの声がする、というだけの句である。俳句に用いられる「の声」は、牡の時をつくる声が多いようであるが、これは落米のところに集って、コココココと忙しげにいう方であろう。卯の花と落米との取合は、場合によってその落花を落米に見立てたような解釈を生ぜぬとも限らぬが、が啄んでいるのだから、正真正銘の落米であるに相違ない。
「つつお」という言葉は『大言海』などにも、「筒落米、つゝおちまいノ略、米さしヨリ落チコボレタル米の称。ツヽオチゴメ。ツヽオゴメ。略シテつゝお」と出ている。何時頃からある言葉か知らぬが、西鶴は『永代蔵』の中に「西国米水揚の折ふし。こぼれすたれたる筒落米をはき集て。其日を暮せる老母」が、落米を拾い溜めては売り、拾い溜めては売りして、二十余年間に十二貫五百目の金を得た、という話を書いた。『懐硯』にも「早や敦賀に売られ、筒落米拾ひし事を忘れたか」とあるから、最初は船著の落米をいったものらしい。「ツツオチゴメ」という言葉は調子が悪いが、どうしてチを略してツツオとなるのか。「花咲かせ爺」とあるべきが「ハナサカジジイ」で通用する例と同じものかどうか、そういう問題になるとわれわれの手には合わない。但里東のこの句は西鶴の書いたような、船著の光景ではなさそうである。農家の庭などにこぼれた米をが啄んでいる、しずかな趣であろう。
竹垣や桶の尻干くりの花 可吟
竹垣に桶を引掛けて、尻の乾くようにしてある。その辺に栗の木があって、例の花が垂れている、という小景である。
栗の花は一面陰鬱な連想を伴うようであるが、必ずしもそうばかりではない。栗の花盛りの梢に日の当っているところなどは、むしろ明るい、鮮な感じがする。「合歓未ださめず栗の花旭に映ず」という子規居士の句は、その明るい方の趣を捉えたのである。可吟の句はそれほどはっきりした場合ではないが、桶の尻を干す日和である以上、日の照っている栗の花であることはいうまでもない。
砂に居る心もさびし袷比 洞月
「砂に居る」という言葉は多少不十分であるが、砂の上に跼んでいるとか、腰を下しているとか、とにかく極めて砂に親しい感じと思われる。春が過ぎて夏に入る頃は、身のまわりが軽くなるに従い、室内生活から解放されて屋外の空気に親しむようになる。其角に「たそがれの端居はじむるつゝじかな」という句があった。『五元集』には上五字が「旦夕の」となっているが、「たそがれ」にしろ「旦夕」にしろ、外気に親しむ点に変りはない。「砂に居る」も先ずそういう意味に解すべきであろう。
晩春初夏の明るいながらうらさびしい心持を捉えたのが、この句の眼目である。その心持は完全に描き得ていないかも知れぬが、袷の句の常套に堕せず、作者が捉えようとしたところには、われわれも同感出来る。
「袷比」は「アワセゴロ」と読むのであろう。「袷時」という言葉もあったかと思う。袷を著る時節という意味であるが、漠然たる季節をのみ指すのではない。作者は現に袷を著ているのである。
五月雨や又一しきり猫の恋 白雪
猫の恋は春にあるばかりではない。猫の子に夏子も秋子もあるように、恋の方にも自ら段落がある。季題によって季節の連想を限るのは、俳句の長所であると同時に、その短所でもあるが、俳人は時に他の配合物を拉し来って、季節外れの猫の恋を句にしている。子規居士は寒の内から已に恋い渡る猫の声を聞いて、「凍え死ぬ人さへあるに猫の恋」と、ややあさましいという見方をした。季題の春を猫の恋のシュンとすれば、寒の内のはハシリであり、梅雨中のは時候おくれのわけである。
梅雨に入って毎日のように雨が降る。その雨の中を恋い渡る猫の声が聞える。「又一しきり」というのは、春以来一時やんでいた恋猫の声が、五月雨時になって再興されて、また一しきり聞えるという意味であろう。この「一しきり」は普通に「雨がまた一しきり強く降る」などというほど、短い時間の「一しきり」ではない。長い梅雨の間の一時期を指すものと思われる。
五月雨や朝行水のたばね髪 洛翠
行水というものは大体夕方か、夜のものと相場がきまっている。一日の汗を流す簡単な入浴なのだから、実際問題からいっても、そういう時間になりやすい事情がある。
この句は変った場合と見えて、特に「朝行水」という語を置いた。時節も五月雨だから、いわゆる行水のシーズンではない。「朝行水のたばね髪」という言葉は、束ね髪をして朝行水をする、という意味にも取れる。朝行水をした後を束ね髪でいる、という意味にも取れる。後の解の方がよくはないかと思う。
『雲萍雑志』の著者は「夏日の七快」の一として「湯あみして髪を梳る」を挙げた。五月雨時の粘った膚を朝行水で洗うのは、爽快でないことはないかも知れぬが、夏日の十快には該当しそうもない。やはり五月雨の鬱陶しさが先に立つからであろう。
ほとゝぎす月夜烏の跡や先 里東
月夜に浮れて烏が啼く。そうかと思うと今度はほととぎすが啼渡る。月夜烏が啼き、ほととぎすが啼く、という趣を詠んだのである。「跡や先」という言葉は、前後して啼くといったら、一番わかりいいかも知れない。
鵑声と鴉声とを配したものは、其角に「それよりして夜明烏や時鳥」という句がある。ほととぎすの声を聞いてから、ややあって夜明烏の声が聞える、というのである。尤もこの方は声々相雑るのではない。鵑声から鴉声に移ることによって、夜明に至る時間の経過を現している。(『己が光』には中七字が「それよりして夜明の馬や」となっており、伝え誤ったものかとも思われるが、明方早く戸外を通る馬の音は、また別個の趣をなしているようである。一概に誤伝とすべきではあるまい)
蛍籠提て聞夜や後夜の鐘 半残
蛍を追うて知らず知らず遠くまで歩いて行ったような場合かと想像する。もう大分更けたと見えて、どこかで後夜の鐘を打つのが聞える。作者はこの鐘声に驚いて、蛍籠を提げながら踵を回したことであろう。
この句では「提」の字がよほど句の意味を限定する力を持っている。もしこれが仮名で「さげて」とあったならば、必ずしも蛍狩の場合にはならない。軒に蛍籠を吊して後夜の鐘を聞くとも解せられる。単に「蛍籠」という時は、蛍狩を連想せぬ方がむしろ自然かも知れない。けれどもこの句は現在手に提げているのだから、軒端の蛍では工合が悪い。夜更に蛍籠を提げているとすると、蛍狩の句と見るのが妥当らしく思われる。
但中七字に「聞夜」とあって、下五字にまた「後夜」とあるのは、文字面からいって多少重複の感を免れない。「後夜」は時刻の名には相違ないが、夜であることが明な以上、「聞夜」の「夜」は蛇足のようである。
蠅打に猫飛出ルや膳の下 江
猫はよく食事の時膳の下に入っているものである。膳上の蠅を打つ音に驚いて、下にいた猫が飛出した。「飛出ル」の一語で、猫の驚いた様を現している。同時に人間の方も、多少不意を打たれたような気味がある。
大した句ではないが、空想ではちょっとこの趣を捉えにくい。画にすれば俳画よりも漫画に近いものであろう。
家なみのはなれ/\やけしの畑 竹夜
家並が尽きて家が離れ離れになる。そういうところに芥子畑があって、花が盛に咲いている、という趣である。離れ離れの家の間が芥子畑だというほど、景色を限定しなくても差支ない。離れ離れに建っている家と、芥子畑とが一幅の画図に収りさえすればいいのである。
形容の大まかな割に、印象の明な句である。われわれもかつてどこかでこんな景色を見たような気がする。
あからみし麦や正木の垣間より 巴流
青い正木垣の間から麦畑が見える。その麦は已に十分に熟している。――垣根の直ぐ外まで、麦畑が迫っている場合と思われる。
作者は一望黄熟した麦圃の大景をも描かず、繁忙な麦秋の人事や、それに伴う埃っぽい空気をも描かず、正木の垣の間より瞥見した熟麦の色だけを捉えた。特色ある句というべきであろう。
涼しさや寝てから通る町の音 使帆
「町の音」という言葉は、今だと都会の騒音を連想せしめやすいが、これはそんなに大規模なものではない。自分はもう寝ているのに、戸外にはまだ涼を逐うて歩く人が絶えぬらしく、足音だの、話声だのが聞える。それなら「人の音」といっても同じようなものであるが、「人の音」では夜涼を背景にした町の空気が、全然現れぬ憾がある。
「人声の夜半を過ぐる寒さかな」という句は、その人声の何であるにかかわらず、一種のいかめしい響がある。深夜の門を通る人声によって、現在歩きつつある人々の寒さも思いやられる。使帆の句はそれに比べると頗る軽い。同じ夏の夜であっても、『猿蓑』の附合にある「暑し/\と門々の声」では、なお全く炎苦から離脱出来ぬが、これは自分は已に寝ているほど涼しいのである。従って外の響も涼しく聞かれるのである。
虫干の又めづらしや絵踏帳 悠川
「長崎にしばしのいとまあり名主の家に入て」という前書がある。虫干の句としては珍しい題材を捉えたものである。
長崎の絵踏のことは、古い歳時記には皆説明が出ているから、ここに改めて述べる必要もあるまい。切支丹の信徒を吟味するため、聖像を踏ませるのである。明治あたりまでの句集には、絵踏を詠んだものがいくらもあるが、その多くは未見の人事に対して空想的興味を鼓するのだから、どうしても考えて拵えたものになりやすい。この場合俳人も講釈師と同じく、見て来たようなをつくわけである。
この句は絵踏を詠んだものではないけれども、妙な方角から実在的な絵踏に触れている。名主のところにある絵踏帳というのはどんなものか、それは長崎研究者に聞くより外はないが、恐らく絵踏を行う際の人名その他を記したものであろう。悠川が長崎に行った時は、切支丹迫害当時よりは大分年数がたっているので、多少好奇的な眼でこれを見たものではないかと思われる。絵踏帳は今の切支丹研究者に取っても、看過すべからざる材料であろう。
この句を見て思い出すのは、太祇の「魂祭る料理帳あり筆のあと」である。太祇一流のそつのない、複雑な事柄を一句に纏めた手腕は認められるけれども、この句に比べると、どこか工夫の余に成ったらしい点がある。故人の書いた料理帳、それは魂祭のための設であるというので、季題にもなっているのであるが、こういう表現はよほど脳漿を搾らないと出来ない。元禄の句は無造作で自然である。天明の句は細心で巧緻である。
ほろりとも降らで月澄む蚊遣かな 焦桐
大旱の夜のしじま、とでもいうべきものを描いたのである。降れと待つ雨は一向降らず、今宵も明るい月が澄んでいる。暑に喘ぐ人はまだ寝かねて、蚊遣を焚きながら月を見ている。恐らく風などの少しもない、闃寂たる夜であろう。
「ほろりとも降らで月澄む」の十二字を以て、大旱の夜の空気を現した伎倆は尋常でない。蚊遣は片靡きもせず、作者の座右に細々と燻りつつあるものと想像する。
月涼し百足の落る枕もと 之道
夏嫌の人が不愉快な箇条を数える中には、虫が多いということも加っている。羽のある虫も嫌、羽のない虫も厭だという。昼だけならまだしも、夜まで灯を求めて活動する。夜の虫はありがたくないが、殊にそれが百足と来ては、虫嫌を標榜せぬわれわれでも降参である。枕にさす月の涼しい光も、ここに至っては頓に凄涼な感じに変化するように思う。
古い藁葺屋根の家を買い求めて、電燈を引き、勝手許も綺麗にして住むようになったら、急に虫が多くなったので驚いた、今まで絶えなかった燈火の油煙、炊煙の類が自ら防虫の役をしていたのだとわかった、という話がある。虫嫌を弱らす虫は、今の建築でも全然はねつけるわけに行かぬらしい。昔の多かったことは想像の外である。
朱硯の乾もはやし雲の峯 釣眠
一種の取合の句で、雲の峯立つ盛夏の天と、忽ち乾く朱硯の水とを配合したに過ぎない。こういう配合を一の趣として感じ得ぬ人に、言葉で説明することはあるいは困難であるかも知れぬ。
普通の硯より小型でもあり、浅くもあるから、朱硯の水は乾きやすいという点もある。大して面白い句でもないが、一読して筆硯に対する親しさを感ずる。日夕朱硯を伴とする人でなければ、ちょっと思いつかぬところであろう。
唐黍のかぶりもふらぬ暑さかな 梅山
いわゆるそよりともせぬ暑さを詠んだのであるが、相手が唐黍では全体が大き過ぎて、「そより」というような言葉では十分に現れぬところから、「かぶりもふらぬ」という中七字を拈出したのであろう。唐黍の頂もじっとして動かぬということによって、大暑の烈しさ、畑中の照り工合が思いやられる。
「かぶりもふらぬ」というような言葉は、俳句に用いるにはあまり好ましいものではない。ただ擬人的であるばかりでなしに、否定するという意味をも兼ねているからである。「芋の葉や蓮かと問へばかぶりふる」という句の如きは、芋の葉と蓮の葉とが似ているという、『万葉』以来の問題を取入れたので、蓮かと問うたら、芋の葉がかぶりを振って否定した、という結果になっている。けれどもこの唐黍の句には、そういう寓意はなさそうに見える。作者は大暑にじっと立っている唐黍を見て「かぶりもふらぬ」といったまでであろう。俗謡子の材料になった芋の葉などでないために、それほど俗に陥ってないようである。
ほめられて小歌やめけり夕涼 微房
夕涼をしながら何か小唄を口吟んでいると、うまいぞといって褒める者がある、それっきりうたうのをやめてしまった、というのである。「ほめられて」といっただけでは、相手の様子は何ともわからぬが、どうもこれは見知越の人らしくない。誰だか知らぬ人に声をかけられたので、多少ばつが悪くなって、やめてしまったものと思われる。
『遠野物語』の中に、山を越えながら笛を吹いていると、白樺の茂った谷の底から、何者か高い声で「面白いぞう」と呼わる者がある、薄月夜で連も大勢あったが、一同悉く色を失って逃げ帰った、という話が出て来る。この話は慥に読者をぞっとせしめるだけの気味悪い力を持っているが、微房の句の褒め手はそう物凄い者でもあるまい。大分後の話だけれども、秋葉の原が火除地であった時分は、夏の月夜などに大和町辺の駄菓子職人の中から、咽喉自慢の連中がやって来て、涼みながら唄をうたったものだという。見知越と否とにかかわらず、うまければ「うまいぞう」位の声はかけたであろう。「ほめられてやめ」る小歌は、先ず此方の世界に近そうである。ただ月下にうたいすさむだけでなしに、褒められてやめたという事件を捉えたのが、この句の働だといえるかも知れない。
水うてば夕立くさき庭木かな 芝柏
一日照りつづけた庭に水を打つ。立木といわず、草といわず、石や土のたぐいからも、一斉に一種の気が立騰る。あの気を感ずるのは第一に嗅覚であるが、それが何に似ているかといえば、夕立の降りはじめに感ずる匂に外ならぬ。「夕立くさき」の一語は穉拙だけれども、ちょっと他に換うべき言葉が見当らない、穉拙なりにその感じを道破している。
こういう句に比べたら、太祇の「水打て露こしらへる門辺かな」の如きは巧であろう。けれども畢竟巧であるというに止って、吾人の感覚に訴えて来るところは何もない。のみならず「こしらへる」の語にいうべからざる厭味を感ずる。実感による穉拙と、厭味を伴う巧と――この比較の結果は、已に度々繰返した元禄、天明の対照になりやすい。それは一句一句の優劣論でなしに、この両時代の句の傾向の相異である。特にこの一句について多くを談ずるに及ばぬであろう。
朝草の鎌利立る水かな 史興
「朝草」というのは朝刈る草の意であろう。『猿蓑』にも「涼しさや朝草門に荷ひ込」という凡兆の句があった。
この句は朝草を刈るべき鎌を研いでいる場合らしい。水郷などの実景であろうか。朝まだきの静な空気の中に水の声が聞える、という趣である。全体の表現はやや不明瞭だけれども、水の句としては珍しい方に属する。
藻の花に雲の白みや峯の池 濫吹
山上の池というものは、何となく恐しい感じのするものである。山の池で泳ぐのが一番気味が悪い、という話を誰かに聞いた。やはり底が深かったり、水が冷たかったりする関係かも知れない。その水につき纏う伝説でもあればなお更の話である。
この句は峯の池を舞台としているが、そういう気味の悪い空気には触れていない。そこに藻の花が咲き、白雲が影を落す、夏の日中の静な様子を現しているだけである。しかし場所が峯の池だけに、普通の池沼とは多少趣を異にするものがないでもない。
青すだれ黒歯つけ/\の咄しかな 山鳳
鉄漿というものは今のわれわれには全く親しみがない。先日図らずも歯を染めた老婆を往来で見たが、周囲の世界と全くかけ離れた感じであった。
川柳子は鉄漿に関する観察をいろいろな点から試みており、デッサンとして面白いものもあるが、未だ一幅の画図を成すに至っていない。この句は青簾を垂れたところに、鉄漿をつけながら誰かと話をしている女を描いたので、大してすぐれた句というでもなし、好画図というほどでもないけれども、全体がちゃんと纏っている。川柳と俳句との相異は、こういう扱い方の上にも認められる。
「黒歯」はやはり「カネ」と読むのであろう。「黒歯つけ/\」という言葉によって、その女の様子、鉄漿をつけるのに相当時間を要することなども想像出来る。「つんぼかと覗けばかねをつけている」「稍しばしあってお歯黒返事する」などという川柳は、この句を解する上に多少参考になる。
夜に入て雨を呼出す水かな 源五
日が暮れてから一しきり水の声が聞えていたかと思うと、やがて雨が降って来た、というような場合であろう。水が啼き、しかして雨が降る、という自然の現象を、水の声が雨を誘うものの如く見たのである。「雨を呼出す」の一語は人為的に過ぎる嫌があるが、季節の上から見て、こういう事実はいくらもありそうに思う。
水の句にはこの外にも
夜嵐をおさへて廻る水かな 東推狐火をたゝきけしたる水かな 楚山なるかみをしづめて扣く水かな 露川
というように、何か他に働きかけるような意味のものがあるけれども、水の声の性質からいうと、いずれも少し強過ぎるようである。尤も事実は水の声にそういう力があるわけではなく、夜嵐や神鳴のしずまったあとに啼き、狐火の見えなくなった闇に啼くのであろうが、言葉の意味はどうしても水にそぐわぬ憾がある。雨を呼出す水は一番平凡かも知れぬが、それだけ無難だともいい得るであろう。
さはやかに身は藍くさし衣がへ 和風
重い綿入を脱いで袷に著更える。それだけでも爽快なのに、新しい著物と見えて藍の香がしきりに鼻をうつ。「くさし」という言葉は、いずれかといえば不愉快な匂の場合に用いられるようであるが、この句は必ずしもそうではない。強い藍の香もまた「さはやか」な感じの幾分かをつとめているのである。
化学染料の幅を利かす今日では、昔のような、爽な藍の香に浸ることは困難であろう。
娵ばかりそめ物くさしころもがへ 広房
などという句も、ほぼ同じところを覘っているが、これは人事的関係を取入れたため、複雑になったようでかえって俗に堕ちている。ひとり著る衣の爽なるに及ばざること遠い。
物拭ふ袖に紙あり衣更 其林
「物なくて軽き袂や更衣」とか、「袷著て袂に何も無かりけり」とかいうことは、明治以後の俳人もこれを詠んでいる。更衣をすました爽な心持からいえば、袂には一物もない方がいいかも知れぬが、一概にそうきめてしまうと、また一種の型に陥る虞がある。
其林の句は物を拭うべき紙を袖にしている、というだけではない。実際何かを拭う必要があって、袂の紙を取出した場合である。これほどのものならば更衣の感じを妨げぬのみならず、ただ袂に何もないというよりも複雑な場合を現している。元禄の句を単純だとのみ片づけることは、当っていないのである。
卯の花やせきだ干置ク里の垣 左白
「せきだ」は雪踏のことである。『言海』には雪踏の訛としてある。卯の花の咲いている里の垣根に雪踏が干してある、というだけのことに過ぎぬが、これは考えて後にはじめて得る配合ではない。眼前の実景である。工夫に成る配合は所詮自然の配合に如かぬ。この句が一見平凡なようで、しかも棄てがたいのは全くそのためであろう。
卯の花に誰が櫛けづる髪の落 桃※
これも実景に相違ない。卯の花の咲いているほとりに、誰が梳ったものか、髪の毛が落ちている、という趣である。
卯の花は必ずしも妖気を伴う花とも考えられぬが、白いこまかい花でもあり、陰鬱な季節の連想もあり、何となく寂しい感じがする。そこに「誰が櫛けづる髪の落」などという趣と一脈相通ずるものがある。この句は卯の花の凄じいというか、無気味というか、そういう方の感じを発揮したものである。
初せみや日和鳴出す雲の色 邦里
初蝉を聞く爽な空の感じを捉えたのである。蝉も盛になると暑苦しい感を免れぬが、初蝉の頃はまだその声が珍しいというばかりでなく、季節の関係と相俟って、むしろ明るい爽な感じを伴っている。
子規居士の晩年の句に「蝉初メテ鳴ク鮠釣る頃の水絵空」というのがある。句の内容は同じではないが、蝉のはじめて鳴く頃の空の感じを捉えた点は、揆を一にしているといって差支ない。
針つけて糸につながん柿のはな 染女
面白い句ではない。ただ見つけどころの女らしい点を取れば取るのである。
柿の花の固いところ、手に取っても崩れぬところ、その他いろいろな点から考えて、数珠つなぎにするにはふさわしい感じのように思う。色彩からいうと、いささか寂し過ぎるけれども、地上に夥しく落ちるところから、この想を得たものであろう。何でもないように見えて、女性でなければ思いつき得ぬ趣向である。
わた抜や机に臂をついてみて 雨帆
袷を著て机に倚る。毎日机に倚らぬ男が、ことさらに机に倚るわけではない。綿を抜いた軽い著物になって、何となく新な気持の下に、机に臂をもたせるというのであろう。「机に臂をついてみて」さてどうするのかというと、それは誰にもわからぬ。作者はただ臂をついた刹那を捉えたまでなのである。
これも大した句ではない。「ついてみて」という下の一字は少し軽過ぎるが、場合が場合だから、作者はこれでよしとしたのかも知れぬ。
灌仏の日に生れけり唯の人 巴常
天上天下唯我独尊といって生れた釈迦と同じ日に、ただの平凡な人間が生れる。仏縁あって同じ日に生れる、という風にこの作者は見ていない。釈迦と同じ日に当前の凡夫も生れる、という世間の事実を捉えたものであろう。
芭蕉にも奈良で詠んだ「灌仏の日に生れあふ鹿の子かな」という句がある。場所は仏に因縁の多い奈良であり、日も多いのに灌仏の日に生れるということが、芭蕉の興味を刺激したものと思われる。畜生の身ながら、かかるめでたき日に生れ合うことよ、というほど強い意味ではない。奈良で鹿が子を産むのを見た、それがあたかも灌仏の日であった、という即事を詠んだのである。この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。釈迦に比べればどう転んでも「唯の人」に過ぎぬ、というような意味とすれば、益理窟臭くなって来る。鹿の子ならそのままで通用する事柄も、「唯の人」という言葉を用いたために、いささか面倒なのである。
芥川龍之介氏の『少年』という小説の中に、バスの中の少女の事が書いてあった。フランス人の宣教師が今日は何日かと問うと、十二月二十五日と答える。十二月二十五日は何の日か、と重ねて問われたのに対し、少女は落著き払って「きょうはあたしの誕生日」と答えるのである。この答を聞いて微笑を禁じ得なかったという作者の気持には、例の皮肉が漂っているようであるが、「クリスマスの日に生れ合う少女」も、面白い事実でないことはない。但こういう事実は散文の中においてはじめて光彩を放つべき性質のもので、俳句のような詩に盛るには不適当である。芭蕉の句が比較的離れ得たのは、眼前の即事を捉えたせいもあるが、ものが「鹿の子」で、「唯の人」というが如き理智を絶しているために外ならぬ。
つり初て蚊屋の薫や二日程 花虫
この句に極めて類似しているのは「つり初て蚊帳の匂や二三日 浪化」である。「薫」と「匂」、「二三日」と「二日程」では殆ど両立するだけの相違点は認められぬ。『浪化上人発句集』にはこの句は見えず、「二三日蚊屋のにほひや五月雨」という句が出ている。「二三日」も「にほひ」もこの方にはあるが、果してどう混線したものか。『類題発句集』以外に慥な出所がわかるまでは、疑問として浪化の句を存し、花虫の句を挙げて置くより仕方があるまい。花虫の句は北陸の選集たる『猿丸宮集』にあるので、地方的にいえば浪化の作と混雑する可能性も多少ある。
蚊帳はうるさいものであるが、釣りはじめの間はそう暑くないせいか、何となくなつかしいような感じがする。花虫の句は一日二日の間、萌黄の匂を珍しく感ずるところを詠んだのである。秋になって蚊帳を釣らなくなる時でさえ、「蚊帳の別れ」だの「蚊帳の名残」だのという情趣を感ずる俳人が、釣り初めの蚊帳に対して、普通人以上の感情を懐かぬはずはない。前に引いた浪化の「五月雨」の句以外にも
つり初て蚊帳面白き月夜かな 言水一夜二夜蚊帳めづらしき匂かな 春武
の如きものもあるが、花虫の句は最もすぐれたものといい得るであろう。
ほとゝぎす腹の立事言てより 草籬
何か腹の立つことがあって、それを口にした、その後でほととぎすの声を耳にした、というのである。
不機嫌な折からほととぎすを聞いたという事実の報告ではない。何か腹の立つことをいってのけた、むしゃくしゃしたような、しかも一面にはけ口を見出したような心理状態を捉えたところが主眼である。そういう気持とほととぎすの声とが、或調和を得ていることはいうまでもない。
太祇の「思ひもの人にくれし夜時鳥」という句も、或心理的変化の上にほととぎすを持込んでいるが、その事柄が特別過ぎるため、奇は奇であっても、拵えた痕迹を免れない。「腹の立事言てより」は平凡な代りに自然である。こういう心理的経過ならば、われわれでも十分察することが出来る。
くれもせぬ隣の餅や五月雨 野棠
隣の家で餅を搗いている。五月雨に降りこめられた徒然のままにそれを聞いて、あの餅をくれればいいな、と思うが、一向持って来る様子もない。そのうちに杵の音も止んでしまった、というような趣であろうか。
「隣の餅」というだけでは、現在搗きつつある場合かどうかわからない。冬搗いたかき餅などを五月雨時分に焼いて食うこともないではないが、それにしてはいい方が事々し過ぎるような気もする。何か特別な事があって餅を搗いているものと見た方が、「くれもせぬ」という言葉にも適うし、五月雨の徒然な様子も現れるようである。
くれるときまりもせぬものに対して、「くれもせぬ」といったところに、多少滑稽な趣が伴っている。一茶の「我門に来さうにしたり配り餅」なども、気持の上に似たところがあるが、際どいだけに俗な点があって面白くない。「くれもせぬ」という余裕ある不平に及ばざること遠い。
たゝかれて沈む蛍や麻の雨 其風
麻の葉にいる蛍が雨に打たれて、茂みの中に沈む趣である。この蛍は無論複数であろう。雨勢の相当強い様子もわかるし、麻の葉を打つ爽な音も連想に浮ぶ。「麻の雨」の五字で全体を纏めた句法も、なかなか働いているように思う。
画のような景色というところであるが、画ではかえってこういう趣は現しにくいかも知れない。生趣に富んだ句である。
霓立や影と輪になる夏の海 柳糸
昔の句では虹が季になっていない。西鶴の書いたものに冬の虹が出て来るのを、ちょっと妙に思ったが、その後気をつけて見ると、俳句にも冬の風物に虹を配したのがいくつもある。虹は夕立のあとにばかり出るわけではないのだから、夏に限定する方がかえって捉われているのかも知れぬ。
この句の虹は夏の虹である。鮮に立った雨後の虹が海面に影を落して、大きな円を描く。「影と輪になる」という言葉は、極めて大まかな言葉のようだけれども、これ以上適切に現し得る言葉があるかどうか疑問である。昔の虹の句としては特色あるものたるを失わぬであろう。
よむほどやほしに数なき夕涼 風吟
子規居士は「星」という文章の中で、「一番星といえば星の下に子供一人立っているように感ぜらる」といった。「一番星見つけた」というのは、われわれも子供の時にしばしば耳にした言葉であった。一つ見つけ、二つ見つけするうちに、眼界の星はいくらでも殖えて来る。「数なき」というと、数が沢山ないようにも聞えるが、ここは無数の意であろう。「真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり」という子規居士の歌の「数なき」と同じことである。
「涼み台又はじまった星の論」という。夏の夕方、涼台に屯する人たちの注意が自ら天に向うのは、けだし自然の成行である。
夕すゞみ星の名をとふ童かな 一徳
というのもやはり元禄の句であるが、天を仰いで闌干たる星斗に対する間には、天文に関する知識も働けば、宇宙に対する畏怖も生ずる。あるいはわれわれ人間は大昔から夏の夕ごとに、こういう経験を繰返して来たのかも知れない。
庭砂のかわき初てやせみの声 北人
朝のうちはしっとり湿っていた砂が、日の高く上るにつれてだんだん乾いて来る。今日の日和を卜するように、そこらで蝉が鳴き出す、というのである。句の表には格別時間を現していないようであるが、暑くなりそうな夏の日の感じが溢れている。
「かわき初てや」の「や」は必ずしも疑問の意ではない。しかし「かわき初むるや」というのとは、少し意味が違う。こういう言葉の味を説明するのは困難である。これを誦して会得する外はあるまいと思う。
実桜や古茅はこぶ宮の修理 邑姿
「修理」は「シュリ」と詰めて読むのであろうか。普通人名の場合はシュリ、修繕の場合はシュウリと発音するようであるが、ここは詰めないと調子が悪い。
桜の実の熟した、もの静な宮の境内らしい。そこへ宮修理のための古茅を運んで来るという光景である。桜の実は境内の土の上に落ちていそうな気がする。
直に俳画になり得べき趣である。日本の桜の実は、花と違って多くの場合閑却された形であるが、この句は実桜にふさわしい趣を捉えている。人目は惹かぬけれども、面白い句である。
昼顔や魚荷過たる浜の道 桃妖
眼前の景色である。
昼顔の咲いている浜の道を、魚荷を運ぶ人が通る。この句は魚荷が通ったあとの光景らしい。一面の砂浜の日が照りつけている中に、炎威にめげぬ昼顔の花の咲いている様が眼に浮ぶ。あたりには魚荷の腥い香がまだ漂っていそうな気もする。
飯鮓や竹の広葉の折かへり 木因
「月潺堂にまいりて」という前書がついている。多分人の住いであろうと思うが、よくわからない。句の表は鮓の写生が主になっている。
飯鮓の中に入っている笹の広葉が折返っていた、というだけのことであるが、「折かへり」の一語がこの句に或生趣を与えているように思う。こういう微細な写生が元禄に已に行われている点に注意すべきである。「隈篠の広葉うるはし餅粽」という岩翁の句なども、元禄の句としては相当印象的であるが、この句の「折かへり」は観察の点において更に一歩を進めている。今のような握鮓の句でないことはいうまでもあるまい。
但「月潺堂にまいりて」なる前書に何か意味があって、飯鮓並に「折かへり」の語も漫然置いたものでないということになれば、更に出直して解釈しなければならぬ。今はさし当り見たままの句として置く。
風の香も麻のうねりや馬の上 冠雪
炎天下を馬上で行く場合であろうか。道端の麻畠を吹いて来る風も、生ぬるくてムッとするような感じが想像される。「風の香」は勿論麻の香で、青い麻の葉がゆさゆさ揺れている様らしく思われる。
けれどもこの句は決して右のような光景を的確に表現しているわけではない。一読何となく暑そうな感じがしたために、そう解したまでであるが、作者の意はあるいは日も少し昃った場合で、麻を吹く「風の香」に多少爽涼の気を含ませているのかもわからない。要は「風の香」という語の解釈如何にある。読者は自己の連想によって、これを解するより仕方がない。
手にすゑて浅瀬をのぼる鵜匠かな 一之
読んで字の如くである。
一羽の鵜を手に据えて、浅瀬をざぶざぶ上って行く鵜匠の姿を描いたので、現在鵜を使っているわけではない、準備的状況のように思われる。「浅瀬」の一語によって、自ら徒渉の様を現している。勿論昼の景色であろう。
夏旅やむかふから来る牛の息 方山
今は夏を以て旅行シーズンとするのが常識になっているが、昔はそうでなかった。一所不住のような惟然坊にしてなおかつ「夏さへも有磯行脚のうつけ共」という句を作っている位だから、その苦痛は思いやられる。
ここに「夏旅」というのも、そういう季題があるのではない。今日の人が夏になって旅を想うのとは反対に、むしろ夏の旅の苦しさを現すために、先ずこの語を置いたものではないかと思う。
喘ぎ喘ぎ炎天下の道を行く。現代のような広い道路はないから、厭でも向うからのろのろ歩いて来る牛とすれ違わなければならぬ。牛の熱い鼻息を身に感ずる、といったような、昔の旅の暑さ、侘しさを捉えたものであろう。そこまでいわないでも、向うから牛が息を吐き吐き来るというだけでも差支ないが、特に「むかふから来る牛の息」という以上、どうしてもその息は身に近く感ずるように思われるのである。
松笠の火は消やすき涼みかな 萬風
そこらに落ちている松毬を集めて火をつける。一時よく燃えそうに見えるが、じき消えてしまう。その消えやすいところを面白がっているようにも見える。涼み人の手すさびを詠んだので、キャンプの人などにはこういう経験があるに相違ない。
土芳が芭蕉を泊めた時の句に「おもしろう松笠もえよ薄月夜」というのがあった。同じ物を焚くにしても、材料が松毬となると、一種の雅致を生じ、必要以上の興味がある。町中の涼みでは到底こんな趣を味うことは出来ない。
白雨や赤子泣出す離れ家 野角
夕立の降っている中の離れ家で赤ン坊が泣いている、というだけのことであるが、もう少し補っていえば、夕立のためにおびえたとも取れるし、夕立が俄に降って来たため、母親が赤ン坊を置いて立上った、それで泣出したとも解せられる。
「離れ家」は離亭でなしに、ぽつんと一軒離れて建っている家の意であろう。「闇の夜や子供泣出す蛍舟」という凡兆の句を思い出す。
鮓喰て先おちつくや祭顔 蒙野
祭の家に招かれた場合であろう。もてなしの鮓の御馳走になって、一先ず落著いたら、何となく祭らしい気分になった、という場合を叙したのである。この鮓は今の握鮓のようなものではない。祭のために特に自分の家でつけたものと思われる。尤も句の眼目は、鮓を食って一先ず落著いたという段落にあるので、鮓そのものの吟味はいずれでも差支ない。恐らく鮓を前奏曲として、本格的な御馳走があとに控えているのであろうが、それはどうでもいい。鮓を食って先ず祭気分になった、というところにこの句の山はある。「先」の一語が重要な働きをつとめているわけである。
何々顔という言葉は平安朝以来のもので、天明時代になってから、蕪村や太祇が頻にこれを句に用いた。子規居士もこの語について何か書いたことがあったと記憶する。「祭顔」というような言葉でも、たった一語で祭の気分を最も端的に現している。これに代うる言葉の見当らぬのは勿論、説明しようとすれば多くの言葉を補わなければならぬ。日本語の長所のよく発揮された一例と見るべきであろう。
賤は猶祭めかしや髪かしら 盛弘
日頃はなりにもふりにも構わず働いているような人たちも、祭の日はさすがに髪をきちんとして、如何にも祭らしく見える、という意味らしい。今では髪というと女の世界に限られるようだけれども、結髪の昔は男といえども祭の髪を結い映えたものに相違ない。
祭の日の賤の髪が目立って見える、という点に作者は興味を覚えたのである。「猶」という言葉は、この場合なるべく軽く見たい。賤はなおの事、という風に強く解すると、多少理窟っぽくなる虞がある。
いい句とは思わぬが、元禄の句はこういう種類の句でも、どことなく重厚なところのあるのに注目しなければならぬ。
長高き法し見らるゝ競馬かな 草籬
勝負事に熱心な人たちの狂奔する今の競馬ではない、五月十五日に行われる賀茂の競馬の句である。
競馬を見る群集の中に、目立って丈の高い法師がいる。皆の視線は自らそれに集る。見る人たちの側を主とせずに、法師を主にして「見らるゝ」といったのである。競馬そのものを描かないで、見物の中の或人間を中心とするような手段は、写生文家の得意とするところであるが、この句も期せずしてそういう点を捉えている。
この句を読むと、『徒然草』の一節を思い出す。賀茂の競馬を見に行ったら、樗の木に坊主が上って、木の叉のところで見物していた。木につかまりながら眠りこけて、落ちそうになるかと思うと、ハッと目をさましてまた眠り出す。見物がこれを見て嘲る、という話である。その坊主は木の上にいるのだから、別に大きいとも小さいとも書いてない。「長高き」というのはこの句の働きで、実景から得たものかも知れぬが、競馬の群集中に法師を点じたこと、皆がこれを見るというあたり、あるいは『徒然草』から脱化したのではないかという気もする。
卯の花のちるや流れぬ池のさび 従吾
水錆の浮いた池水の上に、岸の卯の花がこぼれる。しずかな、陰鬱なような光景が眼に浮んで来る。池の水は必ずしも流動する性質のものではないが、場所によっては自ら他と相通ずるものがある。この池はそういうこともなしに、じっと湛えているらしい。
「池のさび」はしばらく水錆の意に解したが、「池の寂び」とも見られぬことはない。ただ卯の花の散るということに対しては、水錆の方がいいかと思う。
濁江や漬木の陰のかきつばた 東賀
濁江の水に材木が浸してある。浮ぶともなく浮んでいるその材木の陰に、燕子花の花が咲いている、というのであろう。
われわれの燕子花に関する感じは、伝統的に庭園に捉われ過ぎている。こういう自然の趣は、ただ燕子花らしい句を案出しようとする者の、所詮逢著し得ざる世界である。この句の強味はそこにある。
尼寺にみそ摺音やほとゝぎす 除風
小さな尼寺であろう。朝か夕かわからぬが、ゴロゴロと味噌を摺る音が聞える。何処かでほととぎすが啼くという意味らしい。音に音を取合せるのは、効果の薄い方法のようにも思われるが、古人はしばしばこの手を用いている。一概に排し去るべきではあるまい。
味噌摺る音だけでは平凡であるが、尼寺というので一種の興味を感ずる。ほととぎすとも何となく調和を得ているようである。
草の戸や筵扣ケばぎやう/\し 為重
この筵は何の筵かわからぬが、上に「草の戸」とあるから、不断敷いている筵ではあるまいかと思う。バタバタ筵を叩く音がする、行々子即ち剖葦が啼く。これも音と音との取合せである。
尼寺に味噌摺る音とほととぎすの声とは、必ずしも似通っているわけではない。但趣の上に或調和がある。筵を叩く音と行々子の声とも、やかましい点では多少共通するかも知れぬが、似ているということは出来ない。侘しい趣が感ぜられる。
ほとゝぎす鳴や山田の日和虹 捨石
昼のほととぎすらしい。日和虹というのは、雨も降らぬのにかかる虹をいうのであろう。後の俳書に「日和虹」という名のがあったかと記憶する。山田の空には鮮に日和虹がかかり、ほととぎすの啼き渡る声がする。爽な感じの光景である。
俳人によって開拓されたほととぎすの世界はいろいろあるが、最も多いのは配合の句で、それだけまた相似たものになりやすい。その点からいうと、この句の如きは配合物の上で明に伝統を破っている。実感にあらずんば得難い趣であることは言を俟たぬ。
笠はみな哥にかたぶく田植かな 松葉
笠を著連れた早乙女が一斉に歌をうたう。その時笠が皆傾いて見える。同じような姿勢の下に田植歌がうたわれるというのであろう。
「早乙女の笠かたぶけてうたひけり」とか、「うたふ時かたぶく笠や早苗取」とかいう風にいった方が、意味はよくわかるかも知れぬ。ただ「笠はみな哥にかたぶく」というと、表現が力強いのみならず、一斉に笠の傾く様子が眼に浮んで来るように思う。
振たてゝ柳に散や鵜の篝 林陰
鵜飼というものは実際を見たことがないから、はっきりしたことはわからぬが、舟がやや岸に近いような場合であろうか。鵜匠の振立てる松明の火の粉が岸の柳に散りかかる、という意味らしく思われる。何となく爽な趣である。
鵜飼を詠んだ句の多くは、鵜もしくは鵜匠に集注する。この句は鵜匠の働きを描いて、多少変った方角から見たところに特色がある。柳に散る篝火は美しいのみならず、涼しい感じをさえ伴っている。
川狩や樽あづけたる宿はあれ 朋水
川狩というと必ずしも昼夜を限定せず、夜振というと夜の場合に限られる。この句は川狩を終えたら一杯やるつもりで、樽を預けて置いた、その宿は彼処だといって指すような意味だから、昼の場合のように思われる。しかし遥に灯火か何か見えて、あれがあの家だというものとすれば、夜の場合でも差支ない。現在この句が描いているところは、それだけの動作に過ぎぬが、その裏には出がけに樽を預けたということや、川狩をしている間に自ら移動して、その家から遠くなったということや、川狩が済んだら一杯やろうということや、いろいろなものが含まれている。写生文を圧縮したような句である。
かたばみの花の盛や蟻の道 如此
かたばみの花は大して見どころのあるものではない。恐らく俳句以外、在来の詩歌の類には顧みられぬ種類のものであったろう。本当の道ばた、市井の家の垣下などにも咲いているものだけに、町中に育ったわれわれにもこの草は親しい記憶がある。小さい胡瓜のような形の実に手を触れて、そのはじけるのを喜んだ幼い日のことを思い出す。
旱にめげぬかたばみの黄色い花のほとりに、ほそぼそと蟻の道が続いている。花も小さければ、それに配した蟻も小さい。炎天の下にじっと跼んで見入ったような小さな世界が、この句に収められているのである。
短夜の碁を打分の名残かな 喜重
人が来て碁を打つほどに、夏の夜はずんずん更けて行く。更けて行くばかりではない、もうしらしらと明けるのではないかという気がする。先刻から何番打ったかわからぬが、未だ勝敗が決しない。名残惜しいけれども、このまま打分にするという句意である。
「名残」という言葉は無論碁の上にかかっている。同時に心持の上において、明やすき夜に通うところがある。そこにこの句の巧があるのであろう。
虫干や鼓にたゝく書物箱 此山
曝書というと書物のみに限られるようだが、虫干といえば包含する範囲が広くなる。この句は虫干の中における書物の場合である。
本箱に入った書物を皆出して、からになったのをポンポンたたく。それを鼓に見立てたのである。「鼓に」は「鼓の如くに」の意であろう。虫干の最中に興じて鼓の真似をしたとまで解さなくてもいい。埃を払うために背中からポンポン打つ。それを鼓を打つようだ、といったものと見ればよかろうと思う。
本箱といわずに書物箱といったのは、字数の関係とも見られる。しかしこういう風に置かれて見ると、書物箱という言葉は言葉で、本箱とは違った味いを持っているような気がする。
笈摺をかけて涼しや梛の枝 自笑
「熊野道中」という前書がある。これが熊野道者の風であることは、狂言の小歌にも「爰通る熊野道者の、手に持つたも梛の葉、笠にさいたも梛の葉、これは何方のお聖様ぞ、笠の内がおくゆかし、大津坂本のお聖様、おゝ勧進聖ぢや」とあるによって明であろう。ただこの句がやや明瞭でないのは、作者は熊野道中にあって、こういう道者の姿を描いたのか、作者自らも道者の群に加っているのか、という点である。
手にも梛の葉を持ち、笠にもさして通る。青い梛の葉をかざす道者の姿を涼しと見た、とも解することが出来る。この場合はすべてが客観の涼しさである。そういう道者の一人として、笈摺をかけ、梛の葉をかざして見ると、身も心も涼しくなったような気がする、という風にも解することが出来る。この場合は大分主観の加った涼しさになる。いずれにしても道者の姿ということは動かぬのであるが、「熊野道中」という前書といい、「笈摺をかけて」の語が身に近く感ぜられるところから見て、後者と解するのが妥当ではあるまいかと思う。
去来にも自ら順礼に出た経験があったらしく、「卯の花に笈摺寒し初瀬山」「順礼もしまふや襟に鮓の飯」というような句が伝わっている。自笑もあるいは自家の経験によってこの句を獲たのかも知れない。
涼しさや袂にあまる貝のから 一琴
海辺の土産に貝殻でも持って帰るような場合かと想像する。袂に入れた貝殻が相触れて鳴る音も涼しいが、長いこと波に洗われて真白になっている――動物というよりも石に近い感じの貝殻であることが、涼しさを加える所以らしく思われる。
「袂にあまる」という言葉は、「うれしさを何にたとへむから衣袂ゆたかにたてといはましを」の歌以来、つつむに余るというような主観的の場合に用いられやすい。この句は実際袂に余るほど多くの貝殻を獲たのであろうが、それに伴ううれしさというものも陰に動いている。少くとも作者はそれを意識して「袂にあまる」の語を置いたのであろう。
谷水に松葉の浮てあつさかな 一楊
谷川というと、考えただけで淙々の音が耳に迫るような感じがするが、一概にそうきめてかかるわけにも行かぬ。あまり深くない谷の、暑さ続きに水の乏しくなったところなどは、そう涼しい趣ではない。この句はそういう小景を描いたのである。
石の間に捗々しくは流れぬような水がよどんでいる。そこに散った松葉が、これも流れずに浮んでいる。「清滝や浪に散り込む青松葉」というような背景なら、大に涼しかるべき松の落葉も、かえって暑そうな感じになるのは、谷そのものの感じが涼しくないためである。俳人はこういう景色に対し、つくろわざる真実を描いているのが面白い。
蚊屋つるに又ふまへけり鋏筥 流志
「旅行独吟」という前書がある。金属の鋏という字が書いてあるが、普通の挟箱、即ち箱に棒を添え、衣服などを納れて僕に担わせて行くものの意であろう。金扁に拘泥して鋏を入れる筥ではないかなどと考えるのは、少々思い過である。
蚊帳を釣るに当って釣手が高いため、何か踏台になるものはないかと思って物色した結果、挟箱を利用することにした。或旅宿でこういう経験を得たら、暫くしてまた同様のことを繰返す機会に逢著した。「又」の一語によって、その旅行の何日か続いたこともわかれば、同じ旅中に何度か挟箱を踏台にしたことも窺われる。
一種の簡易生活であるが、その簡易も旅中より生れたものであることに注意しなければならぬ。「旅行独吟」の前書がないと、その点を看過する虞がある。
夏立や明り障子の朝みどり 左次
「明り障子」というのは、或特別な障子を指す場合もあるらしいが、普通は今いう障子のことである。ガラス障子というような、更に明るいものの出現した今日から見れば、紙障子を「明り障子」と号するのは、いささか僣越の沙汰であろう。しかしこれが明り障子として通用するためには、一方に明るくない障子のあった時代を顧みなければならぬ。障子といえば子供が指で破るものときめてかかる時代になっては、かえって「明り」の語が何か特別のものの如く考えられる虞もあるからである。
晴れ渡った朝空の色か、新緑の庭木の色か、あるいは両者合体した色でも差支ない。紙の障子に外面からそういう色がさすという、如何にも初夏の朝らしい爽快な感じである。「朝みどり」の語はこのまま朝と解すべく、浅緑の意味もあるなどという穿鑿はしない方がいい。
ほとゝぎす啼や子共のかけて来る 紫道
この二つの事柄には元来関連はないのである。ほととぎすが啼く、向うから子供が駈けて来る、ということを取合せたので、今ほととぎすが啼いたからといって、誰かに知らせに来たわけではない。ただ関連のない二つの事柄をこうやって一句に収めて見ると、必ずしも離れ離れのものとも思われぬ。ほととぎすの倏忽な感じと、子供が駈けて来る動作との間に、自ら相通ずるものがあるのである。
この駈けて来る子供の姿は、やはり見えていた方がいい。その点からいって、この句は真昼間でないにしても、とにかく夜でない、明るい間のほととぎすであろうと思う。
葉のふとる一夜々々や煙艸苗 釣壺
畠に作った煙草でもいいが、昔のことだから、庭の隅か何かに生えた苗と見ても差支ない。ぐんぐん伸びる煙草苗が、一晩ごとに目に見えて大きくなる。葉の大きい、丈の高くなる植物だけに、その育ち方も著しく感ぜられるのである。平凡なようであるが、煙草苗ということは動かし難い。
見世掃て一人居るや更衣 助然
「居る」は「オル」ではない、「スワル」とよむのである。鴎外博士の小説には坐すという場合に、「据わる」と書いてあったように思う。「スワル」という言葉から考えると、そう書く方が正しいのかも知れぬ。今の人には手扁があった方がわかりいいが、感じからいえば「居る」の方が適切なようでもある。
あまり大きな店ではなさそうである。自分で掃除をして、綺麗になった店の中に一人で坐って見る。丁度冬の衣を脱いで、軽い袷に著更えた爽快な時節である。自ら満足したような気分が窺われる。この場合「一人居る」者はどこまでも作者自身――即ちこの句における主人公で、他人が坐っているのを傍観したのでは面白くない。
子規鯉の子うみにのぼる時 水颯
この句におけるほととぎすは、現在啼いているものと見ないでもよろしい。ほととぎすの啼く頃という、漠然たる季節の感じである。ほととぎすがしばしば啼き渡る頃になると、水中の鯉も子を産むために上って行く、という事実を叙したのであろう。一句に纏められて見ると、そこに自然な面白味が感ぜられる。
蘇東坡の詩に「竹外ノ桃花三両枝。春江水暖ナルハ鴨先ズ知ル。嵩満チテレ岸ニ蘆芽短シ。正ニ是レ河豚ノ欲スルノレ上ラント時」というのがあった。季節による魚族の動きは、江辺垂釣の客の関心事であるばかりではない。自然を愛する詩人に取ってもまた好個の題目でなければならぬ。さすがに俳人は伝統的なほととぎす以外に、こういう消息を解している。
五月雨や夕日しばらく雲のやれ 魯九
長い五月雨の間の或状態を句にしたのである。来る日も来る日も五月雨で、鬱陶しい限りではあるが、朝から晩まで全く降り通すわけではない。時明りというやつで、今にも晴れそうな気配を見せることがある。夕方などは殊に天末が明るくなって、雲の間から夕日の光がほのめいたりする。しかしそのまま日が暮れると、相変らずの五月雨になるのである。
沼波瓊音氏の句であったか、「入日雲見えしもしばし皐月雨」というのがあったと記憶する。晴れそうになって晴れぬ状態は、この「しばし」といい「しばらく」という語に尽きるように思う。真の梅雨晴でないこともまたこの語がよく現している。こういう自然の現象には、古今の相違があるべくもない。
卯の花やむかひから来る火のあかり 林紅
この卯の花は路傍にでも咲いているのであろう。卯の花の白々と目立つ闇の道を、向うから誰か来る灯が見える、というだけのことらしい。
もしこの「むかひ」が向い家の略で、今いう「おむこう」などというのに当るとなると、前の解釈は全然違って来る。庭の垣根か何かに卯の花があって、それに向い家の灯がさすものとすれば、それもまた一の趣たるを失わぬけれども、この場合の「来る」という語には、どうしても或動きがある。ただ灯がさすものとは受取れない。
尤も前の解釈にしても、単に灯が向うから来るだけでなしに、その灯の明りが卯の花にさすことを認むべきであろう。夜目にもしるき卯の花だけでは、「あかり」というのがあまり利かぬ虞がある。
手拭も動く小風やしゆろの花 呂風
手拭懸の手拭が動く程度であるから、大した風ではない。作者はそれを「小風」という語で現した。漢語を用いれば微風というところであろう。そういう繊細な景色に対して、一方にはどっしりした椶櫚の花を点じている。この句の妙味は慥にそういうコントラストにあるが、同時にあまり風もない、よく晴れた初夏の庭前の様子が描かれていることも、固より見遁すことは出来ぬ。
わか竹に麦のほこりや日の盛 吏全
季題本位の人たちにこんな句を見せたら、何に分類していいかわからぬというであろう。若竹、麦埃、日盛と三つも季題が含まれているからである。しかし自然は季題のために存在するものでない。時として他の季節の風物と交錯することさえあるのだから、同じ季節のものが重なる位は怪しむに足らぬ。自然の上に立って見れば、立派に存在する光景なのである。
初々しい若竹の緑に、どこからか麦を打つ埃が飛んで来る。明るい日のかんかん照りつける日中の趣である。若竹も麦打も初夏の風物であるが、「日の盛」という言葉は普通には盛夏の場合に用いられているかと思う。その点あるいは季題論者から文句が出るかも知れぬ。しかし「日の盛」を日中もしくは真昼間の意とすれば、この光景は一幅の画として通用する。已に二つまで季語がある以上、そう「日の盛」に拘泥する必要はあるまいと思う。
陣貝の声のつよさや雲の峯 十丈
「陣貝」というのは陣中で吹く貝のことである。貝の音にも種々の区別があるのは、今の喇叭と同じであろう。実際の戦陣で貝を鳴らす場合を、空想的に描いたとしても悪くはないが、元禄の句のことだから、やはり実感と見るべく、従って演習的の陣貝と思われる。
雲の峯は山の如く夏日の天に聳え立つものだけあって、時に或音響が配合される。明治の句にも、「突き当る鐘の響や雲の峯」「雲の峯に響きてかへる午砲かな」などというのがあった。この陣貝の音は必ずしも雲の峯に当って反響する、という風に解さなくてもいい、雲の峯の強い感じと、陣貝の音の強い感じとが、配合の上に或調和を得ているまでである。
すゞしさや月ひるがへすぬり団扇 祐甫
月下に涼んでいる場合であろう。灯火などは傍にないので、月光を受けた塗団扇が涼しく光る。団扇をひるがえす度に、一面に受けた月の光もひるがえるように感ずる。「月ひるがへす」という言葉は際どくもあり、多少誇張を免れぬが、或感じは慥に捉えているようである。
昔の通人は屋根船を綾瀬川まで漕ぎ上せて、月下の水に向って開いた銀扇を投げる。地紙の銀泥が月光を受けて、きらきら光りながら水に落ちるのを興じたものだという。ただ月に対するのみで満足せず、月光のうつるのを賞翫するすさびらしい。月光を受けた塗団扇は銀扇ほど美しくはないが、月を受けて光る点だけは普通の団扇と違う。作者はそこに興味を持ったのであろう。
尤も団扇は古来月のまどかなるに譬えられている。団扇をひるがえすのを月に見立てたのだ、という解釈も成立たぬことはない。しかしそれでは肝腎の塗団扇ということが格別利かぬように思う。やはり前解に従って置きたい。
李盛る見世のほこりの暑かな 万乎
果物というものは何れかといえば涼しい感じを伴うようである。しかし果物にもより、また場所の関係もあるから、いつでも必ず涼しさを連想させるとは限らない。店先に李が堆く盛上げてあって、それに埃がかかっているなどというのは、どうしても涼を呼ぶ趣ではない。暑い方の感じであろう。作者はそれを率直に描いたのである。
芥川龍之介氏の句に「漢口」という前書で「一籃の暑さてりけり巴旦杏」というのがある。この暑さは巴旦杏の色を主にしたのかも知れない。しかしこの一籃の巴旦杏を前にして、漢口の市街を想像すると、むっとするような暑さと、大陸の埃とが無限にひろがって来るような気がする。即ち感じの上において、どこかこの句と相通ずるものがある。
裸身に蚊屋の布目の月夜かな 魚日
灯火を置かぬ場合であろう。月の光が室内にさし込んで、蚊帳に寝ている人に及ぶ。裸の上に蚊帳の影が落ちて、布目がはっきり見える、というのである。夜更らしいしずかな趣が想像される。
長塚節氏の『鍼の如く』の中に「四日深更、月すさまじく冴えたり」という前書があって、「硝子戸を透してに月さしぬあはれといひて起きて見にけり」外二首の歌がある。魚日の句はガラス戸のない時代だから、月は戸のひまか、窓からでもさし入るものと思われるが、長塚氏の歌は月のさす蚊帳に重きを置き、魚日の句はその蚊帳に入っている自分の姿が主になっている。歌と句との相異はその辺にもあるのかも知れぬ。
この句と殆ど同じところを覘ったものに、「手枕や月は布目の蚊屋の中 智月」というのがある。「手枕」と「裸身」ということ、「月は布目の蚊屋の中」といい「蚊屋の布目の月夜かな」という表現の上にも、男女の相違は現れているが、時代は智月の方が先んじている。こういう趣が偶合するのは怪しむに足らぬとしても、布目の月ということに対する先鞭の功は、智月に帰せなければなるまいと思う。
おちくぼのさうしめでたや土用干 桃先
土用干の本の中に『落窪物語』があったというだけでは、元禄の句としても単純に過ぎるが、この句には「おちくぼのさうし、大伯母妙貞の娵入道具の一つとかや」という前書がついている。前書と相俟ってこの句を見れば、一概に単純といい去るわけには行かない。
ここに『落窪物語』の草子がある。その本は大伯母に当る妙貞という婦人が、嫁入の時に持って来たものであるという。妙貞は剃髪後の名であろうが、まだ存生であるのか、没後の話か、この句だけではよくわからない。いずれにしても大伯母である人が嫁入したのだというのだから、随分古い話である。作者は土用干の中にこの書を見出して、そういう由来を思い浮べ、今更の如く過ぎ去った歳月を考える。すべてが淡々と叙し去ってあるにかかわらず、短篇小説でも読むような連想を与えずには置かぬ。句そのものの力より、前書に現れた事実の興味によるのであろう。
嫁入道具の中に『落窪物語』があったということは、大伯母妙貞の人柄なり、生れた家柄なりを考えさせるものがある。書誌学者ならば、この時代の草子についても必ず説があることと思うが、われわれは「めでたや」の一語からその体裁を想望するだけで満足したい。
客人に水汲おとや夏の月 吾仲
水は有力な夏のもてなしの一である。客人のために水を汲ませる。身体を拭く水か、飲む水か、そこまではわからぬが、汲むのは水道でなしに井戸だから、つめたいことは請合である。中七字が「水汲せたり」となっている本もある。「水汲おとや」とある以上、主人自ら汲むのでなしに、誰かに汲ませているので、特に汲ませると断るにも及ばぬかと思う。けれども「汲せたり」という言葉が、単に人をして水を汲ましむるに止らず、汲ませた水をそこへ運んで来るという動作を含むとすれば、その点は多少違って来るが、そこまで連想を働かすのが果して正解であるかどうか、疑問なきを得ない。
水は目に訴える場合ばかりでなく、耳に訴える場合にもまた涼味を伴う。「音」の一字はこの場合、相当重要な役目をつとめている。
子をうんで猫かろげなり衣がへ 白雪
お腹の大きかった猫が子を産んで、身も軽げに見えるという事実と、更衣をして自分の身も軽くなったという事実とを取合せたのである。句の表は猫が主になっていて、更衣は景物のように見えるけれども、猫の身を「かろげ」と観ずる根本は、更衣をして快適になった作者の気分にある。季節の上からそれが一致することはいうまでもない。
「子をつれて猫も身がるし……」となっている本もあるが、これだと単に子を産んだという事実だけでなしに、その子を連れてそこらを歩いているという猫の動作が加って、句の上の景色が多少複雑になって来る。いずれにしても、そういう軽快な猫の様子と、更衣の気分とを併せて一句の趣としているのである。
山ごしの豆麩も遅し諌鼓鳥 怒風
「豆麩」というのは豆腐のことである。腐の字は感じが悪いというので、泉鏡花氏などは「豆府」と書いていたが、古人はしばしば「豆麩」の字を用いているかと思う。
山を越した向うの里から豆腐を売りに来る。その大凡の時間がきまっているのであろう。もう来そうなものだと思うが、なかなかやって来ない。どこかで閑古鳥の声がする、という山里の光景である。「諌鼓」の字が当ててあるが、「諌鼓苔深うして鳥驚かず」などという面倒な次第ではない。俳諧季題の一員たる閑古鳥が啼くのである。
「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」とかいう天明の狂歌があった。ほととぎすに不自由しない里は毎日の生活に不自由するという概念的の歌で、一読して誰にも合点は行くようなものの、そういう里の情景は一向躍動しない憾がある。この閑古鳥の里も、豆腐屋へ二里あるか、三里あるかわからぬが、作者はそういう方角から眺めずに、自分をその里の中に置いて、山越に来る豆腐屋が遅いという点だけを描いた。閑古鳥に豆腐を配するなどというのは、俳諧でなければ企て得ぬところであろう。
飛石の間やぼたんの花のかげ 介我
牡丹園とか何とかいう場所でなしに、普通の庭の牡丹と思われる。飛石と飛石との間の土に、牡丹の花の影がうつっている。日ざしの関係であろうが、作者はそこに興味を感じたものらしい。大きな花だけに花の影もはっきり地上にうつるのである。
「花に影」となっている本もあるが、牡丹の花に影をうつすとなると、飛石以外の何者かでなければならぬ。それは句の上に現れておらぬから、何の影か想像に困難である。「花のかげ」の方がいいと思う。
さは/\と風の夕日や末若葉 魯九
夕方の景色である。若葉の梢に明るく夕日がさして、爽な風が吹渡る度に、きらきらと光りながら翻る。『武蔵野』にある「林影一時に閃く」とか、「木葉火の如くかがやく」とかいうような盛な感じではない。明るい中にも一脈の陰影と寂しさとを伴った光である。「さは/\」という言葉の現す風は、そう強い性質のものとも思われぬ。
「若葉吹風さら/\となりながら」という惟然の句は、若葉の風の爽な感じを主としたものであるが、時間は句の上に現れず、眼に訴える分子があまり多くない。魯九の句は「夕日」の一語があるため、斜陽の光の中に翻る若葉の梢が、直に眼に浮ぶように感ぜられる。夕日の若葉などというものは、いずれかといえば洋画的風景で、当時としては新しい世界を窺ったと見るべきであろう。
明るいとか、光とかいう文字を使わないのは、昔の句の含蓄ある所以であるが、今の人はこれでは満足しないかも知れない。
白南風や風吹もどす紗の羽織 沙明
沙明というのは筑前黒崎の人である。助然がこれを訪ねて別るるに当り、沙明は船まで送って来て別を惜んだ。その時示したのがこの句で、「下のかたより青鷺のこゑ」という脇を助然がつけている。
白南風というのは近年白秋氏が歌集に名づけたりしたので、比較的人の耳目に熟しているかと思うが、黒南風と並んで梅雨中の天象の一となっている。古来いろいろな解釈があるらしいけれども、梅雨に入って吹くのをクロハエ、梅雨半に吹くのをアラハエ、梅雨晴るる頃より吹く南風をシラハエという『物類称呼』の説に従って置く。いずれにしても空の明るさを伴う梅雨時の現象であることは間違ない。
船まで送って来て別を惜む。漸く晴に向わんとする梅雨の空から来る風が、頻に紗の羽織を吹く。「吹もどす」の一語に惜別の情が含まれていることは勿論である。海の空は薄明るくなって、自ら季節の移るべきを示しているのであろう。比較的大きな光景を前にして、小さな紗の羽織を描き、陰鬱の雲を散ずべき白南風に惜別の情を寓している。「下のかたより青鷺のこゑ」という助然の脇も、折からの景物と思われる。普通に景中情ありなどという平凡なものではない。実景実感の直に読者の胸に迫る句である。
うたゝねのかほのゆがみや五月雨 釣壺
五月雨に降りこめられたつれづれにうたたねをしている人がある。ふとその顔を見ると、どういうものか歪んで見える。そこに或寂しさを感じた、というのである。
病人などでなしに、うたたねの人であるところがこの句の面白味である。少し老いた人のような気がするが、必ずしもそう限定せねばならぬというわけではない。
蜀魂啼や琴引御簾の奥 吾仲
作者はこの場合、御簾の外にいるものと思われる。ほととぎすが啼き渡る、御簾の奥では今琴を弾きつつある、という情景である。
必ずしも平安朝の物語を連想する必要はないが、奥深い、大きな屋形であることは疑を容れぬ。琴を弾ずる人は恐らくほととぎすの声が耳に入らぬのであろう。『虞美人草』の文句にある通り、「ころりんと掻き鳴らし、またころりんと掻き乱」しつつある。
音に音を配合するのは、一句の効果を弱めるという人があるかも知れない。しかしそれは御互に即き過ぎて、相殺作用を起す場合の話であろう。この場合のほととぎすは琴を妨げず、琴もまたほととぎすを妨げない。作者は御簾の外にあって、両の耳に二つの声を収めるとすれば、その辺の心配はないわけである。
網打やとればものいふ五月闇 雪芝
舟か陸かわからぬが、とにかく投網を打っている男がある。ざぶんと打つ網の音が闇を破って聞えるが、人は黙々として打続けるらしく、五月の闇は濃くその姿をつつんでいる。ただ若干の獲物があった時だけ、「しめた」とか「今度は捕れた」とかいうのであろう。何も捕れなければ、黙りこくったまま、またざぶんと投網を打つのである。
独り言か、誰か側にいるのか、それはわからぬ。何か捕れればその結果としてものをいい、獲物がなければ黙って網打つ動作を繰返しつつある。網の間に時々閃く銀鱗は、この場合さのみ問題でない。一句の中心をなすものは、闇中に動く黒い男の影だけである。「とればものいふ」の語は、後の太祇の句などに見るような使い方で、頗る働いているのみならず、これによって周囲の闇を一層深からしめている。他の如何なるものを持って来ても、この七字以上の妙を発揮出来そうもない。異色ある句というべきであろう。
みじか夜を皆風呂敷に鼾かな 除風
「浪花より船にのりて明石にわたる乗合あまたにて」という前書がついている。そういう船中の様子を句にしたのである。
混雑した船の中で、ともかくも眠ろうとする。「風呂敷に」という言葉が多少不明瞭であるが、風呂敷を顔に当てて眠るか、風呂敷包を枕にするか、眠るに際して風呂敷を用いるという意味らしい。風呂敷包とすれば、やはり包の字が必要であろうから、ここは風呂敷を被って寝ると見た方がいいかも知れぬ。風呂敷に隠れた顔から鼾の声が聞えるなどは、短夜にふさわしい趣であろう。
現代の夜汽車の中でも、往々これに似た光景に逢著することがある。昔の船は今の汽車ほど仕切がないから、「皆」という言葉を用いるのに都合がいいように思う。
世は広し十畳釣の蚊屋の月 怒風
この上五字は今の人の気に入らぬかも知れない。しかし作者の主眼はむしろここにあるのであろう。
世の観じようはいろいろある。人間の真に所有し得る面積は、坐って半畳、寝て一畳に過ぎぬという説を聞かされたことがあったが、そういう見方からすれば、十畳釣の蚊帳も大分広いことになる。いわんやそこに月がさして、のびのびと手足を伸して寝られる以上、「左右広ければさはらず」の感あることはいうまでもない。「十畳釣の蚊屋」というような、やや説明的な材料を活かすためには、時に「世は広し」の如き主観語を必要とする場合もあるのである。
作者はこの蚊帳について月の外に何も点じておらぬが、いくら十畳釣の蚊帳だからといって、中に大勢人が寝ているのでは面白くない。仮令一人と限定せぬまでも、「世は広し」と観ぜしむるだけの条件は具えていなければならぬ。蚊帳の広さ即世の広さだなどといって来ると、何だか少し理窟臭くなるけれども、作者がこの蚊帳の中に一の楽地を見出していることは事実である。この句を味うためには、どうしても蚊帳の中に楽寝をしている作者の姿を念頭に浮べる必要がある。
吹おろす風にたわむや蝉の声 如行
句の上に場所は現れておらぬが、先ず山がかったところと想像する。上からサーッと風が吹きおろすと、山の木が一斉に靡いて、鳴きしきっていた蝉の声が、一瞬吹き撓められるように感ぜられる、というのである。
この風は烈風とか、強風とかいう種類のものではないが、一山の木々が葉裏を見せて翻る程度の風でなければならぬ。蝉は風によって鳴声を弱めるわけではない。風声によって蝉声が減殺されるようになる。それを「たわむ」という言葉で現したのが、作者の技巧であろう。「吹落す」となっている本もあるが、「落す」では前のような光景は浮んで来ない。「吹おろす」でなければなるまいと思う。
野はづれや扇かざして立どまる 利牛
元禄七年五月、芭蕉が最後の旅行に出た時、東武の門人たちが川崎まで送って行った。芭蕉が別れるに臨んで「麦の穂をたよりにつかむわかれかな」と詠んだ、その時の餞別の句の一である。
芭蕉の姿はだんだん小さくなって行く。立って行く芭蕉も、見送る門弟も、これが最後の別になろうとは思いもよらなかったに相違ない。じっと姿の見えるまでは立って目送する。今ならハンケチを振るところであろうが、元禄人にはそんな習慣がない。立止ってかざす扇の白さが目に入る。別離の情はこの一点の白に集っているような気がする。
芭蕉翁餞別という背景がなかったら、この句はそう注意を惹く性質のものではないかも知れぬ。俳人が別離の情を叙するに当って妄に悲しまず、必ずしも相手の健康を祈らず、不即不離の裡に或情味を寓するの妙は、この句からも十分受取ることが出来る。
蚊遣火や道より低き軒の妻 百里
路傍に道より低い家があって、蚊遣を焚いている。単に「道より低き」といっただけでは、概念的であることを免れぬが、軒の端が道より低いというによって、その印象が明瞭になると共に、相当低い地盤に建った家であることがわかる。例えば土手の下にある家の如く、道を行く人は到底その内を窺い得ぬ程度のものであろう。
そういう低い家から濛々たる蚊遣の煙が立騰る。庇の深い、薄暗い地盤の低い家が、この趣を大に助けているから面白い。
箒木の倒れふみ立すゞめかな 配力
この箒木は歌人がしばしば伝統的に用い、其角あたりも句中に取入れて読者を煙に巻いた「その原やふせやに生ふる箒木」の類ではない。草箒の材料になる、ありふれた箒草のことである。
風に吹折られたか、人に踏折られたかして倒れている箒木がある。それを雀が踏むまではわかっているが、「立つ」という言葉は二様に解せられる。雀がその倒れた箒木を踏えて立ったというのか、踏んで飛立ったというのか、二つのうちであろう。踏えて立つということにすると、雀の身体も小さいし、足も細過ぎて少々工合が悪いが、飛立つ場合なら特に「ふみ立」というのが念入のようである。ここは雀も小さい代りに、箒木も大きなものではないから、倒れた箒木に雀がとまっているのを、「ふみ立」といったものと解して置く。勿論雀の性質として、そう長くじっとしているはずはない。一度踏えて立ったにしろ、やがてパッと飛立つことは明であるが、それはこの句としては余意と見るのである。
眼前の写生で、しかも相当こまかいところを捉えている。雀も箒草も平凡な材料であるにかかわらず、この観察は必ずしも平凡ではない。
川風や橋に先置蛍籠 陽和
現代の風景とすると、蛍売が荷をおろしたような感じがするけれども、元禄の句だから、そんなこともあるまい。蛍狩に行った者が川端へ出て、夜風の涼しい中に佇みながら、手に持った蛍籠をちょっと橋の上に置いた、というのであろう。
方々蛍を捕って歩いた挙句、橋のところへ来かかったものとすると、この籠の中には蛍の光が点々として明滅していなければならぬ。これから出かける途中ならば、まだ獲物は入っていないわけである。その辺は作者が明示していないのだから、読者の連想に任せて差支ないが、籠は蛍用のものであるにしても、全然入っていなくては寂し過ぎる。少しは蛍が入っている籠を点ずることにしたい。但橋に出たのは蛍狩の目的でないので、偶然そこへ来たら川風が涼しいため、蛍籠を橋の上に置いて暫く佇んでいるものとすればいいのである。
くらがりに目明てさびしなく水 万乎
ふっと目がさめた。あたりは真暗である。何時頃かわからぬが、どうも夜半らしい。今と違って時計の刻む音も何も聞えず、天地は真暗であるのみならず、極めて闃寂としてしずまり返っている。
その暗い、ひっそりした中に水の声が聞えた。戸をたたくという形容を持込んで、誰かがたずねて来たかというような連想を働かす必要はない。ただ真暗な夜の中に目をさました人が、闃寂たる天地の間に水の声を耳にしたまでである。「さびし」という言葉は、四隣闃寂たるだけでなしに、これを聞く人の心の問題でもなければならぬ。
行馬の水にいなゝく夏野かな 游刀
炎天下を馬に乗って行く場合と思われる。鞍上の人も固より咽喉が渇いているであろうが、馬も烈日の威に堪えず、喘ぎ喘ぎ歩みつつある。広漠たる夏野にさしかかって、どこで水に逢著するかわからぬ。そのうちに馬は前途に水あることに勘づいたと見えて、急に元気よく嘶いた。鞍上の人もホッとして馬を急がせる、という風にも解することが出来る。
しかし再案するに、この馬は鞍上の人となった場合に限る必要はない。馬を曳いて共に夏野を歩みつつあるのでもよさそうである。「水にいなゝく」という言葉も、前途に水あることを馬が直覚したというほど、特別な場合と見ないで、現在水に逢著して嬉しげに嘶いたとしても差支ない。ただこの句に必要なのは、炎天に渇し夏野に喘ぐ人と馬との間の親しい心持である。路傍の人として馬を見送る態度でさえなければ、他は爾く限定するに当らぬであろう。
夕がほにあぶせて捨る釣瓶かな 臥高
ちょっと見ると釣瓶を捨てたようであるが、如何に物資不足の世の中でないにしろ、そうやたらに釣瓶を捨てるはずがない。釣瓶の中の水を捨てたのである。
釣瓶から水を飲むような場合であろう。汲上げた水がまだ大分釣瓶に残っている。その水を井戸のほとりの夕顔に、ざぶりと浴せて捨てたというのである。一杯の水もむだに捨てず、植木の根にやるという峨山和尚の話は、結構であるに相違ないが、下手に俳句の中へ持込んだりすると、かえってその妙を発揮しなくなる。井戸流しへぶちまけてしまわずに夕顔に浴せれば、一味の涼はそこに生れる。俳人はこの程度の効果を以て足れりとすべきであるかも知れぬ。
ほとゝぎすなくや夜鰹はつ鰹 孟遠
ほととぎすに鰹の配合というと、必ず素堂の「目には青葉山時鳥初松魚」が持出される。あまり判で捺したようだから、一つこういうのを持出して見た。
素堂の句は視覚、聴覚、味覚を併せて、首夏の爽な感じを尽しているので、解釈するのに便宜であるが、この孟遠の句はそれほどはっきりしてはいない。ほととぎすが啼く頃夜鰹が来る、その夜鰹即初鰹だという風にも解せられる。それほど狭く限定しないで、「夜鰹はつ鰹」は「富士の霧笠時雨笠」というような、一種の調子を取った言葉と見ても差支ない。いずれにしても「夜」がほととぎすの啼く夜であるだけは慥である。
この二句を対照して見ると、素堂の方は三つの官覚を併せているだけに、首夏の趣は十分であるが、一句から受ける印象は、感じの上にぴたりと灼きつくというよりも、事実の上でなるほどと合点するところがある。ほととぎす啼く夜の鰹は、その場所とか、背景とかいうものが一切塗潰されているにかかわらず、やはり実感に訴えて来るものを持っている。
しかしこの句から直に新場の夜鰹などを持出して、むやみに江戸ッ子仕立にすることは、恐らく見当違におわるであろう。孟遠は肩書に僧とあるからである。但初鰹の作者は必ずしも鰹の賞味者ばかりに限らぬ。この一句によって直に孟遠を腥坊主にする必要もなさそうに思う。
雨に折れて穂麦にせばき径かな 尺艸
雨の降る日に穂麦畑に沿うた径を通る。麦の穂先が地に折れ伏しているため、径の幅が狭くなっている。その狭い径を雨にそぼ濡れながら行くというのである。
「雨に折れて」というと、雨のために穂麦が折れたもののように聞えるけれども、実際は雨中の径に穂麦の先が折れ伏している、という意味であろうと思う。穂麦に雨を点じて、こういう小景を描いているのが面白い。折れ伏した穂麦を踏むまじとして、雨に濡れながら径を行く足のうすら寒さまで、この句から窺い得るような気がする。
葉桜のうへに赤しや塔二重 唯人
印象的な句である。
葉桜の緑と、丹塗の塔との配合が、色彩の上からはっきり頭に残るというだけではない。樹木の緑と建築物の赤との対照は、日本においてはむしろ平凡な景色に属する。この句において特筆すべきものとも思われぬ。
五重塔か、三重塔かわからぬが、多分前者であろう。丹塗の塔の上二重だけが、葉桜の上に見えている。この句が平凡を脱するのは「塔二重」の一語あるためである。近代の句ならば、こういう観察も敢て珍しくないかも知れぬが、元禄期の句としては注目に値する。「塔二重」をもう少し平凡な語に置換えて見れば、その差は自ら明瞭であろう。
満目の葉桜の上に丹塗の塔が姿を現しているのを、やや遠くから望んだ景色と見ても悪くはないが、葉桜の茂った下に来て、梢に近く丹塗の塔を仰ぎ見た場合とも解することが出来る。新緑や青葉若葉でなしに、特に葉桜と限ったところを見ると、あまり遠望でない方がいいかも知れぬ。
若竹に晴たる月のしろさかな 魯九
この句には前の「葉桜」のような、こまかい観察はない。特に「晴たる」と断ったのは、今まで降っていた雨が晴れて、すがすがしい月が出たという意味であろうか。三日月や半月では、どうもこの景色に調和しない。磨きたてたような円い月でありたいように思う。
「しろさ」というのがこの句の眼目である。この一語によって、晴れたばかりの月の新しい感じ、その光の明るさも眼に浮んで来る。実感に繋る言葉は、一見平凡のようで然らざるものがある。
麦秋や弘法顔の鉢チ坊 巴龍
表を汚い道心坊の通るのを見て、さてさて小汚い坊主だと内儀がいうのを、滅多なことをいうな、弘法様かも知れぬ、と主が咎める。坊主が立どまって、南無三あらわれたという。さてもさても太い坊主だ、弘法様かも知れぬといったら、あらわれたとぬかしたというと、坊主が「またあらわれた」という笑話がある。この句を読んで第一にあの話を思出した。
弘法大師が今も世に存在して随所に現れる、ということは一般に信ぜられていた。大師と知らずに麁末に取扱ったため、その家が後に非運に陥ったというような話も、いろいろ伝わっている。前の笑話はそういう漠然たる信仰を種に使って、ちょっとおどけたところに面白味があるが、巴龍の句にはそれほど曲折はない。麦秋の頃に鉢坊主がやって来る、それが如何にも弘法大師然たる顔をしている、といったのである。「弘法顔」という言葉は、自ら弘法を以て任じている場合にも使われるが、もしそんな手合があれば、必ず山師にきまっている。この句は作者が殊更にそう見たので、大師に関する伝説を頭から肯定したというよりも、むしろその鉢坊主を多少揶揄するような気分で、「弘法顔」といったものではないかと思われる。
鉢坊主は托鉢する乞食僧の俗称である。「鉢チ」と「チ」の字を送ったのは、「ハッチ」と読ませるためであろう。
毛氈を達磨に著ルや五月雨 白雪
弘法が出たから、大師の因によって達磨を出したわけではない。全く偶然である。
五月雨の時分には、袷に羽織を重ねてもまだ寒いことがある。この句は五月雨に降りこめられた人が、肌寒いままに毛氈を頭から被って、つくねんとしている、その形が達磨のようだ、という意味らしい。その毛氈が赤ければ、いよいよ達磨に近いわけであるが、そこまでの穿鑿は無用であろう。
この場合、達磨の如しとか、達磨に似たりとかいったのでは、いささか平凡になる。画にかいた達磨のような形に毛氈を被るということを、「達磨に著る」の一語で現したのは、奇にしてかつ妙である。寒夜毛布を被って机に対する経験は、われわれも持合せているが、他からこれを見る時は達磨然たるものであることを、この句によってはじめて合点した。
見立の句ではあるが、別に厭味に陥っていないのは、「達磨に著るや」といってのけたためであろう。他人の姿を見た句でなしに、自己の姿を客観したもののような気がする。
はつ蚊屋に網うつ真似や小盃 呂風
秋の蚊帳、蚊帳名残、蚊帳の別というような句は、今でもしばしば逢著するが、初蚊帳という句はあまり見たことがない。しかし蚊帳の別を惜む俳人が、蚊帳を釣りはじめるに当って、年々新な感興を覚えるのは当然であろう。袷の中に初袷というものを認めるならば、蚊帳の中に初蚊帳があってもいいわけである。
古人が蚊帳の釣りはじめを詠んだ句については、前にも記したことがあった。ただ「はつ蚊屋」という言葉はなかったように思う。この句は蚊帳を釣りはじめた時の、浮れたような気持を現したので、その点は前に述べた句と大差ないが、小盃という道具が加っているため、つい浮れ方の度も強くなって、網を打つ真似などもするに至るのであろう。蚊帳の布目の影や、自らその中に身を置くことなどから、自然連想が投網にも及ぶのであるかどうか。
つり初に寝て見る昼の蚊帳かな 惟斗
この句は前の句ほど浮れたところはないように見える。しかし試に釣った蚊帳の中に、わざわざ入って寝て見る。昼間のことで昼寐をする目的でもなさそうなのに、わざわざ中へ入って寐て見るというのは、やはり気分の動きが認められる。逸興という言葉はぴったり当嵌らぬかも知れぬが、何か興の字のついた気持であることはいうまでもない。
年々歳々釣る蚊帳、厭うべき蚊を防ぐ道具の蚊帳であっても、釣りはじめの際にそういう気持が起るというのは、人間の生活に何らかの変化を必要とする所以であろう。蚊帳に興ずる子供の気持と同じようなものが、大人の脈管にも流れているのである。俳諧の面白味は、そうしたものを端的に捉えている点にもある。蚊帳の釣りはじめも、蚊帳の別も、夏中毎日釣る場合と同じく、何の感興も惹かぬという人があるならば、それは仮令十七字の詩は作っても、真に俳諧の趣を解する人ではない。
白雨の滝にうたすやそく飯板 孟遠
今のヤマト糊が一般に普及する前は、子供が何か貼る場合も、ひめ糊がなければ続飯を用いたものである。われわれは自ら続飯を作る技に習熟するより早く、ヤマト糊の類が手に入るようになったから、箆を執って飯粒を練った経験をあまり持合せていないけれども、昔の家には必要に応じて糊を作るため、続飯用の板と箆とが備えてあったものであろう。
続飯を練ったあとの板は、忽にこびりついてかちかちにこわばってしまう。だからなるべく早く洗い落す必要がある。この句は「滝」という字を用いてはあるが、勿論本物の滝ではない。夕立によって軒から滝のように水が流れ落ちる。その水の落ちるところに続飯板を置いて、洗い落そうというのである。
夕立の句としては慥に一風変った趣であり、俳人の観察の意外な辺に及んでいる一証にもなる。「白雨の滝」という言葉は少々無理だという人があるかも知れぬが、率直に読めばそのまま受取り得るように思う。
うちくらみ夕立すなり隣村 江橋
一天俄にかき曇って、今にも夕立が来そうになった。隣村の空は真黒な雲が垂れて、もう降っているらしい。それを「夕立すなり」といったのである。
自分は此方にいて隣村の空を望んでいるのだから、「夕立すらし」という風な言葉を用いるべきところかも知れぬが、それでは調子が弱くなって、隣村まで迫った夕立の勢は現れない。ここはどうしても、「夕立すなり」と現在の景にしなければならぬ。
「おほひえやをひえの雲のめぐり来て夕立すなり粟津野の原」という真淵の歌は題詠であろうが、「おほひえやをひえの雲のめぐり来て」という調子がなだらかなため、夕立らしい勢が浮んで来ない。江橋の句は「うちくらみ」の一語によって、直ぐ近くまで迫った夕立の空気を描き得ている。「夕立すなり」の語に効果があるのもそのためである。
旅泊魚煮たる鍋あらためよ茄子汁 使帆
或人が寺で造る精進料理がうまいといって感心したら、野菜を煮る鍋と腥物を煮る鍋とを別にして御覧、といわれたそうである。肉食に慣れて腥臭を意とせぬわれわれは、平生はさほどに感じないけれども、時に純粋なる精進料理――未だかつて腥物を知らぬ鍋で煮た精進料理を味ったら、やはり讃歎の声を吝まぬかも知れない。
この句は旅宿で出された茄子汁に、何となく腥臭のまつわっているのを感じて、これは何か魚を煮た鍋で作ったに相違ない、茄子汁の場合はやはり別の鍋を用いた方がいい、といったのであろう。尤も「あらためよ」という言葉は、旅宿の主人に注意したとまで見なくても差支ない。作者の独語でもいいわけである。「あらためよ」といったところで、必ずしも別の鍋を使うということには限らぬ。魚を煮たあとはよく吟味しろ、という意味でもよかろうと思う。
作者は熊本の助成寺の住僧だそうである。平素純粋な精進料理に慣れているため、鍋の移り香が気になったものらしい。旅宿の茄子汁を一口啜って、眉を顰めているような様子まで連想される。
蝙蝠や日は今入て雲の紅 一彳
赫々たる太陽が漸く西に沈んで、雲は一面紅になっている。日はもう落ちたが、全く暮れるにはまだ間がある。そういう空を蝙蝠が翩々として飛びつつある、という句である。
近頃では夕焼というものを夏の季題にしているが、炎威が烈しいだけあって、夏の夕焼が最もめざましいように思われる。佐藤春夫氏も『田園の憂鬱』の中に、夏から秋への夕焼の推移を述べて、「空の夕焼が毎日つづいた。けれどもそれはつい二、三週間前までのような灼け爛れた真赤な空ではなかった。底には深く快活な黄色を匿してうわべだけが紅であった。明日の暑さで威嚇する夕焼ではなく、明日の快晴を約束する夕栄であった」とあるのが、その間の消息をよく伝えている。炎暑に喘ぐ人は秋の到ることをよろこぶにしても、夕焼本位に見れば、明日の暑さで威嚇する時期が全盛の名に値するのであろう。
蝙蝠は昼と夜との境目を自分の舞台として頻に飛廻るが、われわれの受ける感じは、いずれかというと幽暗な方に傾いている。この句はそういう感じに捉われず、夕焼雲だけを配したところが面白い。古人は別に季題として取上げはしなかったけれども、夏の夕焼の美しさは十分に認めていたのである。
やね葺が我屋ね葺や夏の月 夕兆
屋根葺は自分の職業上、昼間は他人の屋根で仕事をしなければならぬ。もし自分の家の屋根を葺こうとすれば、仕事のない時か、夜にでもやるより仕方がない。この句は夏の夜の涼み仕事に、屋根葺が自分の屋根を葺いている体である。
夏は井戸掘より涼しきはなく、屋根葺より暑きはない。しかし夜になって涼しい月の照す下に、風に吹かれながら屋根の上で仕事をするとなれば、そう暑いことはないかも知れぬ。雨の降る心配がないのだから、今夜中に葺いてしまわなければならぬというほど、必要に迫られているわけでなしに、涼みかたがた急がぬ仕事をやっているように見える。そこがこの句の眼目であろう。
職業はどうしても暑さを伴う。また職業である限りは、暑さの故を以て回避するわけには行くまい。ただ我家の事である間、そこに自由な涼しさを領することが出来る。そういう風に考えて来ると、いささか分別臭くなる虞があるが、俳諧は固より爾く観念に終始するを要せぬ。現在夏の月夜に屋根で働く人を見、屋根葺が涼みながら自分の屋根を葺いているな、という点に興味を感じただけでいいのである。眼前の光景とすれば、多少の滑稽をも含んでいるような気がする。
敷つめてすゞし畳の藺の匂 野径
新しい畳の句はすがすがしいものである。替えたばかりの畳の上に寐ころんでいると、如何なる熱鬧の巷にあっても、生々たる自然の呼吸に触れるように感ずる。自然に親しい日本建築の一条件に算うべきものであろう。
この句は洒堂の『市の庵』という集にあるので、洒堂が膳所から難波へ居を移した記念のものである。従ってこの集の中には「鋸屑は移徙の夜の蚊遣かな 正秀」とか、「踏人もなきや階子の夏の月 臥高」とか、「上塗も乾や床の夏羽織 探芝」とか、新築気分の横溢したものがいろいろある。野径の句もその一で、新居の洒堂に寄せたものだから、自分が現在そういう青畳の上に寐ころんだりしているわけではない。涼しい藺の匂に満ちた洒堂の新居を想いやり、淡い祝賀の意を寓したものと見れば足るのである。野径は洒堂のそれまでいた膳所の人で、膳所と難波は遠距離でもない以上、親しく新居を訪れた際のものとしても差支ないが、強いて限定してかかるにも及ばぬかと思う。
昼の蚊に線香さびし草の庵 村
今だと直に蚊取線香を連想する。しかし元禄の昔に、今のような蚊取線香があったとも思われぬ。そうかといって線香は仏前に供えたもの、蚊は蚊で別に飛んでいるもの、という風に切離してしまうのは少々惜しいようである。
蚊遣というものの起原は知らぬが、蚊蚋の類が煙を厭うところから用いはじめたとすれば、蚊遣専用のものが発明される以前にも、あらゆる煙が試みられたに相違ない。われわれがおぼえてからでも、楠や榧の木片が蚊遣用として荒物屋に並んでいた外に、普通の木屑なども盛に用いられた。蚊火の煙などといって歌の材料になるのは、進化した専門的蚊遣でなしに、むしろ原始的な濛々たる煙の方ではないかと思う。
この句の線香は坐禅観法の人の座辺に立てたものかも知れぬが、縷々たる香煙はなお多少蚊を卻ける力を持っている。庵主は香煙の揺ぎにも心を乱さじとして端坐しつつある、昼の蚊のほのかな唸りが時に耳辺を掠めて去る、というような寂然たる光景も、連想を逞しゅうすれば浮んで来る。畢竟「さびし」の語が蛇足にならず、或効果を齎しているのは、この句が蚊取線香でなしに普通の線香だからである。
夕顔に筆耕書の机かな 牧童
「連翹に一閑張の机かな」という子規居士の句ほど客観的ではないが、元禄の句としては最も客観的な部類に属するであろう。
夕顔の花の咲いている窓先か、縁先かに机を据えて、筆耕書が何か写し物をしている、というだけのことである。今のように早く電燈がつかないから、夕暮の色が漸く濃くなるまで、を惜しんで明るいところへ机を持出しているのではあるまいかと思う。
絵簾を分けて覗くやあやめ売 いん
この「あやめ」は端午の「あやめふく」のことであろう。手許の歳時記をしらべて見たが、「あやめ売」というものを挙げていないから、特別な行装をしていたわけでもなさそうである。苗売のように声を張上げて呼んで歩くのか、一軒一軒寄って行くのか、その辺もよくわからない。この句は或家の簾を分けて、「あやめはよろしゅう」というようなことをいって覗いたところらしい。
ただの簾、普通の売物であったら、さほどのこともないが、あやめ売が絵簾を分けて覗くというので、一種の情趣を生ずる。作者が女性であることも、この場合情趣を助けているように思う。宛然一幅の風俗画である、などというものの、あやめ売の風俗がよくわからないのではいささかたよりない話である。
編笠の頤見ゆる祭かな 朱拙
祭の列にいる人でもあろう、編笠を深く被っているので、その顔は見えぬ。僅に頤だけが見える、というスケッチである。祭という背景については何も描かず、祭の中にある人の、そのまた一部を捉えて描く。昔の句にもこういう傾向がないでもない。
笠を被っている人の顔は、帽子などと違って何となく趣がある。「山車引くと花笠つけし玉垂の細し少女の丹の頬忘らえね」という香取秀真氏の歌は、山車を引く花笠であり、くわし少女の丹の頬であるから、更に美しいけれども、朱拙の句も祭の句だけに、尋常の編笠とは同一に見がたい。但この編笠の主は、男性か女性か不明である。
外向に咲かたがるや卯木垣 四睡
垣根の卯木が外向に白い花をつけて、その花のついた方に傾いている、というだけの句である。「かたがる」は傾くの意であろう。作者は内側から卯木垣を見ている場合ではないかと思われる。
卯木垣のことは知らぬが、山茶花や薔薇の垣根なども、花は外向についていることが多いようである。垣根の山吹なども外へ咲き垂れる。それが行人の目を惹く所以であり、子供が折って行く動機にもなる。この句は垣根の卯の花が外向に花をつけるという一事を捉えた外に、「咲かたがる」の語によって、卯の花の趣を活かしている。類型や概念を離れて、直に眼前の卯の花を描いている点に、その特色を認めなければならぬ。
青梅や桑とる哥の息やすめ 萬子
桑摘にいそしむ女たちが頻に唄をうたいつつある。さすがに咽喉がかわいたか、うたい草臥れたかして、しばらく唄をやめた。その間に青梅を取って口に入れた、という意味らしい。この梅は桑圃のほとりにあるか、はじめから袂にでも忍ばせてあったか、その辺の消息はわからぬが、青梅は元来話だけでも渇に悩む兵士の咽喉を霑す効能を持っているのだから、実際口にすれば架空の梅に百倍するものがあるに相違ない。
野趣野情に富んだ句である。花がしばしば高士隠者に配せらるるに引きかえ、青梅は所詮仙家の食物にはならぬ。村嬢が桑摘唄の間に用いるのは、適材適所というべきであろう。「息やすめ」の語もこの野趣野情に適しているような気がする。
家々の門や田植の仕舞歌 卯七
その辺の田を植えおわって、各自分の家へ帰って来る。その門口へ来たところで、もう一度田植唄をうたうという意味らしい。「仕舞歌」というのは、特にそういう唄がきまっているのか、ただ最後にうたうというだけでこういったのか、われわれにはよくわからない。
柳田国男氏の『民謡覚書』によると、「田植唄は、最近の約三、四十年が衰亡期であった。もはや復活する見込もなく、また年寄の歌の文句や節を記憶する者も、次第になくなろうとしている」ということである。田植は年々歳々繰返されても、田園を賑わす田植唄なるものは、払拭したように消え去る時が来るのかも知れない。そういう時代から過去を顧ることになったら、この句などは注目すべき一材料たるを失わぬであろう。
この句の眼目は「家々」と複数になっているところにある。夕暮近くなった田の面に響いて、方々から田植の仕舞唄が聞えて来る。どこも無事に田植をおわったらしいという、一安堵したような気持も窺われる。この場合、黙々として家に帰るのでは、一日の疲が身に残るに過ぎまい。一くさりの唄が如何に心身を和らげ、慰安を与えるか。――この句の連想の中にはそんなことも浮んで来る。
『民謡覚書』には、田植唄は朝と昼と夕で、それぞれうたう文句を異にする、いよいよ日が暮れてその日の田植が終る前になると、「田の神あげ」即ち田神を送る唄が歌われたようだ、と書いてある。「仕舞歌」という言葉は用いられてないが、この場合もあるいはそういう種類の唄をうたうのかも知れない。とにかく机上の句案では容易に探り得ぬ趣である。
青柿や壁土こねて休み居る 旦藁
この青柿は木になっているのか、地上に落ちているのかわからぬが、そのほとりに壁土がこねかけたままになっている、という即景を詠んだのである。青柿というと、自然樹頭にあるよりも、ぽたぽた地上に落ちている様が想像される。こねかけた壁土の中などにも落ちていそうであるが、それは想像に上るまでで、文字に現れているわけではない。
ただ青柿とこねかけた壁土との間には、一種の調和がある。この調和は言葉で説明するのは困難だけれども、俳諧を解する者なら直に感じ得るはずである。上を「青柿や」といい放したまま「壁土こねて休み居る」と承けているあたり、むしろ近頃の句と相通ずる点があるかと思う。
蜘のいや蓮の巻葉のひらき時 長虹
『今昔物語』に蜂と蜘蛛と戦う話があった。一たび蜘蛛の擒になったのを人に助けられた蜂が、仲間を催して蜘蛛を螫しに来る。蜘蛛は軒から池の蓮の上に糸を垂れ、更にそれから水際まで下っていたので、蓮の葉は隙間がないまで螫されても、遂に身を全うしたというのである。
この句にはそんな因縁はない。ただ蜘蛛の糸が蓮の巻葉にかかっている。その巻葉があたかも今開こうとしている、というので、「蜘のい」なるものに時間が含まれていないため、下の「ひらき時」という言葉と格別照応するものがないように思われるが、開こうとする蓮の巻葉に蜘蛛の糸がかかっている、というだけの意と解すべきであろう。この辺の表現はやはり元禄流に、大まかに出来上っているのかも知れない。