努力と天啓
青年発明家の話
もう大方、十二三年もまえの話です。
私は岡山市に講演に行ったついでに、同市の場末の、ある小さな町工場をたずねました。それは、その工場の主人が、当時まだ二十七八歳の青年で、しかも、組織立った専門教育をうけた人でもないのに、すでにいろいろの発明に成功している珍しい人物だときいたからでした。
猪木伸一――それが、その青年の名でした。
私は、その日、午後の数時間を費して猪木君のいろいろの体験談をきき、非常な興味を覚えましたが、中でも、今に忘れがたいのは、同君の精米機発明の苦心談でした。この発明は、同君の二十三四歳ごろの発明で、その当時としては劃期的なものとされ、むろん特許はわけなくおりましたし、また、その頃毎年一回、明治神宮外苑の日本青年館で催されていた、青年の「一人一研究」の展覧会では、青年団の最高表彰である発明賞を授与されることになっていたのでした。
猪木君の話を、機械構造の細部にわたって伝えることは、その方面の知識のない私には出来ないことであり、また、今はその必要もないと思いますので、感銘の深かった要点だけを伝えることにしますが、それは大体つぎのようなことでした。――
「私が精米機の発明を思い立った動機は、これまでの精米機では、つきべりが非常に多いので、それをなるべく少くしたいというのでした。つきべりが多いのは砕米が多いからです。そして砕米が多いのは、ついて行くうちに米がまさつ熱でぼうちょうするのに、その米のはいっている筒の中の空間が固定しているからです。で、私は、その空間を米のぼうちょうにつれて広くする工夫をしたいと考えたのです。ところが、無学の悲しさに、なかなか名案が浮んで来ません。寝てもさめてもそのことばかり考えつづけていましたが、その最中に父が病気になりまして、その看護に徹夜をしたりすることになったのです――。
ある晩のこと、父がいくらか落ちついて眠っている間に、私はちょっと、そとの空気を吸いに出ました。ちょうど雨あがりの月夜でしたが、すぐ近くに水だまりがあり、それに月がまんまるに映っている。私は深呼吸をしたり、軽い体操をしたりしながら、見るともなくその月を見ていました。すると、風のためですか、或は虫でも落ちたのですか、その水が急に波紋をえがき出し月影が二つの半円にわかれて、離れては寄り、寄っては離れするのです。私は、その時、べつだん精米機のことを考えていたわけでもなかったのですが、まあ、何といったらいいでしょう、これが昔からいう天啓とでもいうのでしょうか、いなづまのように精米機構造の妙案が浮かんで来たのです。その時の私のうれしさといったらありませんでした。私は思わず手をたたいて、これだッ、と叫びました。夜中に一人で水だまりの前に立って、こんな仕草をしているところを誰かに見られたら、私はきっと気が狂ったと思われたでしょう。実際その瞬間は、すまないことですが、私は父の病気のこともすっかり忘れてしまっていたのです―。
で、私のその時の思いつきですが、それは、あとで考えると、何でもないことで、実は妙案などというほど大げさなものではありませんでした。つまり、米を入れる筒の部分を、固定した一つの筒にしないで、半円筒を二つ抱き合せたものにし、米がぼうちょうするにつれて、その内部の空間が自然にひろがるようにするだけのことなのです。こんな簡単なことを、どうして考えても考えても思いつかなかったのかと、今から思うとふしぎなくらいです。しかし、もしあの時、私が月影がゆれるのを見なかったとしたら、やはり今でも思いついていないかも知れません。そう思うと、これは私の発明というよりは偶然の賜物といった方が適当です。考えようでは、父の病気が私にこの発明を完成させたといってもいいでしょう。もし私が父の看護をしていなかったら、わざわざあんな夜中に外の空気を吸いに出ることもなかったろうし、外に出なかったら、水だまりの月影を見るようなこともなかったでしょうから。私は、あとでそんなことを考えて、しみじみ自分の努力のはかなさを感じ、この世の中には、何か眼に見えない力がはたらいているような気がしてなりませんでした。」
偶然を生かすもの
以上が猪木君の話の要点ですが、この話をききながら、私の深く考えさせられたのは、いわゆる「天啓」というものと、人間の「努力」というものとの関係についてでありました。
猪木君自身では、その発明について、自分の努力のはかなさを感じ、すべての功績を天啓とか偶然とか、父の病気とかいうことに帰しようとしていますが、それは、へりくだる言葉として、また、ある「眼に見えない力」に対する敬虔の念から発した言葉として、まことに尊い言葉だといえるでありましょう。しかし、われわれのような局外者が、もし万一にもその言葉をそのままに受取って、猪木君の精米機の着想を偶然のものとし、猪木君自身の努力を過少に評価するようなことがありましたら、それはとんでもない誤りだといわなければなりません。
なるほど、猪木君が外気を吸うために戸外に出たちょうどその時に、水だまりの月影がゆらめいたということは、偶然といえば全く偶然にちがいありません。しかし、その偶然を即座にとらえ、それを発明のために生かしたのは、猪木君自身の永い間の努力の賜物であります。もし猪木君が、ふだん精米機について何の関心も持たず、従ってその発明のために何の努力も払っていなかったとしたら、水だまりの月影は、単に眼にうつる景色以上の意味をもつものではなく、それが二つにわれてゆらめいたからといって、猪木君の心にとくべつな刺戟を与える原因にはならなかったはずであります。猪木君にとってそれが天啓と感じられたのは、天啓と感ずるだけのふだんの用意が猪木君にあったからで、ほかの人なら、おそらくそれを偶然とさえ感ずることが出来なかったのではありますまいか。
もともと人生のことは、考えようでは、すべてが偶然の連続といってもいいのでありまして、われわれの周囲には、数かぎりない偶然が、常に潮のように動き流れており、われわれはその潮の中を泳ぎわたっているようなものであります。そして、それらの偶然をたくみにとらえ、自分の目的のために利用するものにとっては、それらのあるものは「絶好の機会」となり、またあるものは「天啓」となって、たえざる向上飛躍の原動力として役立つのでありますが、それに気がつかなかったり、気がついてもぼんやり見過ごしたりするものにとっては、それらはもはや偶然とさえ感じられないでありましょう。偶然を偶然と感ずるのは、われわれがすでにある程度その偶然をとらえ得た時なのであります。
蜘蛛の網
では、偶然をとらえ、それを絶好の機会とし、或は天啓として生かすためには何が必要でありましょうか。それはいうまでもなく不断の用意であり、努力であります。ある哲学者は、蜘蛛という動物は、蟻や蜜蜂にくらべると非常な怠けもので、いつでも自分の巣のまん中に大あぐらをかき、偶然にとびこんで来る虫だけを食って生きている、といってそしったそうですが、考えて見ると、その怠けものの蜘蛛でさえ実は網を張るだけの用意と努力とがあってこそ、偶然にとびこんで来る虫をとらえることが出來ているのであります。何の用意も努力もなしには、偶然の虫がたとえ何億とんで来ようと、蜘蛛はその中の一匹もとらえることが出来ないでありましょう。われわれは、ただ偶然を待って、網を張らない蜘蛛になってしまってはならないと思います。
より多くの偶然をとらえるためには、むろん、より多くの用意と努力とを積まなければなりません。これを蜘蛛の場合でいいますと、その張りめぐらす網が大きければ大きいほど、またその網の目が密であればあるほど、それにひっかかる偶然の虫が多くなるわけであります。そして、もし蜘蛛が、どんな虫でもくぐりぬけることの出來ないほど目のこまかい網を、宇宙すみずみまで張りめぐらすことが出来るとしましたら、宇宙間のすべての虫を、のこらずその網の中にとらえることが出来るでありましょうし、そうなると、虫が蜘蛛の網にとびこむのは、もはや一つとして偶然ではなく、すべてが必然だということになって来るのであります。
人生の営みとは、要するに、われわれの身辺に間断なく流れているさまざまの偶然を出来るだけ多くとらえること、いいかえると、偶然を偶然のままに放置しないで、片っぱしから必然に変えて行くことであります。
釈迦は明星の光を仰いで悟りをひらいたといわれています。ニュートンは林檎の落ちるのを見て引力の法則を発見したといわれています。いずれも偶然といえば偶然であります。しかし、ふだんの努力を積んで、十分に機が熟していた二人にとっては、それは偶然ではなくて必然であったのであります。猪木君の場合もまた同様であります。猪木君が「自分の努力のはかなさを感ずる」といった言葉は、あくまでも謙遜の言葉としてのみ受取らるべきでありましょう。