鶏小舎
4・15東京日日(夕)
大阪のある大きな会社で、重役の一人が労働問題の参考資料にと思つて、その会社の使用人に言ひつけて、めい/\の家の生活向きを正直に書き出させたことがあつた。いゝ機会だ、ことによると、これが増給のきつかけとなるかもしれないと、職工達はてんでに自分の生活向きを正直に書き出した。正直にうちあければ、うちあけるほど惨めなのは彼れ等の生活だつた。
好奇心と満足と不安とのごつちやになつた気持ちで、職工達の報告書を調べてゐた重役は、その一つに家賃の項目が書加へてないものを発見した。その職工はすぐに重役室に呼び出された。
「なぜ、家賃の項目を書き落としたんだ。すぐ書き加へてもらひたい。」
「はい。」浅葱服の職工は飛んだ失敗でも見つけられたやうに恐縮した。「幾らか書き込んでおいた方がいいとは思ひましたが、正直にといふお話でございましたから、そのまゝ差出しましたやうな次第で……実は家は自分の持ち物なので、家賃と申しましては一文も払つて居りません。」
「家は自分のものだつて。」重役は自分の大きな鼻を他人の持ちものだと言つて、指でこつぴどく捩ぢ曲げられたやうにびつくりした。「それは偉いな、俺なぞ、かうして重役室に納まつてはゐるが、家に帰ると見すぼらしい借家住まゐだからな。」
「どうも相済みません。」職工は重役の借家住まゐが、自分のせゐででもあるやうに恐縮した。
「家の建築費は、みんな自分で稼ぎ溜めたのか。」
「はい、みんな自分で稼ぎました。」
「それは偉い。」重役は職工の報告書に何か書き加へようとして、鉛筆を取り上げながら、眼鏡越しにちらと相手の顔を見た。「すつかりで幾らかゝつたかい。」
「はい、すつかりで二十円かゝりました。」
職工は自分の身体が二十円紙幣ででもあるやうに、重役の前で皺くちやになつた。
「なに、二十円で済んだ? 戯談ぢやない。」
重役はからかはれでもしたやうに真ツ赤になつた。
「いえ、戯談なぞ申しません。鶏小舎の古いのを買ひまして、それに住つてゐるのです。夏分になりますと、羽虫に困らされます。」
職工は自分が雄鶏でないのを不思議がるやうな眼付をして足もとを見まはした。
「さうか、鶏小舎に住んどるのか。」
重役の顔にちらと愍みの色が見えたが、すぐまた相手が蹴爪でももつてゐはしないか、と気づかふやうな不安さうな顔つきに変つた。