Chapter 1 of 5

或る年の、四月半ばの或る晴れた日、地主宇沢家の邸裏の畑地へ二十人ばかりの人足が入りこんで、お喋舌をしたり鼻唄を唄つたりして賑かに立働いてゐた。或る者は鋤を持つて溝を掘り、或る者はそこから掘上げられた土を運んで、地続きになつてゐる凹みの水溜を埋めてゐ、また或る者は鍬の刃を時々キラキラと太陽の光に照返へらせながら去年の畝を犂返してゐた。

漸く雪解がすんだばかりなので、ところどころでちよろ/\小流が出来てゐた。掘返へしても掘返へしても、かなり下の方まで土がぢく/\濡れてゐた。それで、人足たちの手も足も、着てゐる仕事着も、頬かぶりにした手拭まで――身体ぢゆう泥だらけになつてゐた。

方々で、泥の飛ぶ音や水のはねつ返へる音がしてゐた。

「やりきれやしないや。」と、誰やらがこぼしてゐる。

「ほ、滑つて、歩かれやしない!」と、どこかで、他の男が怒鳴つてゐる。

と、こちらの、邸境になつてゐる杉林に沿つたところを犂返へしてゐる一人の中年の男が、それに答へるやうに、何かで酷く咽喉を害られてゐる皺嗄声で、「何だつてまだ耕作には時節が早過ぎるわ。」と嘯いた。「地面の奴、寝込みをあんまり早く叩き起されたんで機嫌を悪くしてゐやがるんだよ。」

「さうよ、土がまだ妙に冷たいもんな。」と、それと並んで同じ労働をしてゐる同じ年格好の、もう一人の男が云つた。そして、どこか不平を洩らすやうな調子で訊ねた。「だが、此地で一体何がおつぱじまるんだね?」

「林檎林が出来るんだとよ。」と、皺嗄声の男が、これも何やら気に入らなさ相な口調で答へた。

「へえ、林檎林が出来るか。だが、この界隈ぢや昔から林檎つてことは聞かないな、俺等の地方にや適かないんぢやないかね。なあにさ、そりや、どうせ旦那衆の道楽だから何だつて構はないやうなもののな。」

「ほんとによ。林檎がこの土地に適かうが適くまいが、そんなこと俺等に何の関係もないこつたが、その為めに、俺等が永年作り込んだ地面を、なんぼ自分の所有だといつて、さうぽん/\と無造作に取上げられたんぢや、全くやりきれやしない。」

「第一、勿体ないやね。こんな上等な土地を玩具にするなんて、全くよくないこつた! それには些つと広過ぎるよ。」

「しツ! 止かつしやい。馬鹿言ふぢやない。お前がたの今言つてたやうな事が、あの若旦那の耳へ入りでもしたら、」と、その隣に並んで同じ労働に従事してゐた三番目の男が、前の二人を窘めるやうに言つて、その会話に加つた。「あの人は真面目だから怒ると恐いぜ。それに、今度のことぢや、若旦那、篦棒なのぼせやうをして居なさるんだつて言ふからな。」が、その調子には、どこか一同と共通した不平と嘲笑の影がひそんでゐた。彼は飽までも恍けた真面目な顔をして、なほも続けた。

「なんだつていふぜ、今度の事がうまく成功すると、追々手を拡げて、所有地を全部小作人から取上げてしまふんだつて。そして、村ぢゆうをその林檎林にしてしまふんだつて。いや、あの人のこつたからきつとやるぜ。」

「そんなことされて堪るもんか。」と、誰やらが、それに反対した。

「だつて、堪るも堪らないもないぢやないか。地主様の仕つしやる事、誰が苦情を申立てられよう!」と、他の声が答へた。

「だが、さうなつたら、俺等はどういふ事になるんだ?」と、最初皺嗄声の男と話し合つてゐた中央の男が、麻紐で腰へ下げてある竹の箆で餅のやうにへばり着いてゐる鍬の土を払ひ落しながら、幾らか気になると云つたやうに訊ねた。

「さうなつたら、みんなで手を繋がつて北海道へでも出かけるより外ないさ。百姓が田地にありつけなくなつたらもう、どうにも終ないからな。」と、皺嗄声の男が答へた。ところが、その言ひ方が妙に哀れつぽくて殊更らしく滑稽だつたので、みんなが一斉にどつと笑ひ出した。

「笑ひごつちやないぜ。全く、追々時勢が変つて来てるんだからな。」

と、さつきの、恍けて真面目な顔をした男が、笑つて/\眼から涙を流しながら言つた。

前よりも一層大きな、一層長く続く笑声が湧起つた。と、その中の一人が、もう一度、一同の笑を繰返へさせようとして、「若旦那も罪なもくろみを初めなすつたものさね。」と言ひ放つた。そして、その目的が充分に達せられた。その上に、それは、多少なり興奮してゐた一同の頭を一遍に和らげ、軽く易々とした暢気な気持ちにさせた。なぜなら、そのなかに使用はれた「もくろみ」といふ言葉が、彼等の間では軈て直ちに『失敗』といふことを聯想させるものであつたから。――これを機として、彼等の話題は他の方へふら/\と漂ひ流れて行つた。この村の、もう一軒の地主である寺本といふ家では濁酒の醸造を創めて、まだ十年と経たない今日、家屋敷まで他人手に渡してしまつた……といふ、そんな噂や、それから、近年この近在の地主たちによつて頻々として演じられるその種の失敗の数々を次から次へと並べたてて行つた。彼等独特な、思ひきり明つ放しな高笑が、時々彼等の間で湧き起つた。

人々に依つて犂返へされた湿つぽい土からはほか/\した白い水蒸気が立ちのぼり、それと共に永い冬の間どこにもぐことの出来なかつた或る一種の生々した香が発散してゐた。その畑地の外側に沿ふて通じてゐる灌漑用の堀割の中を、雪解の水が押合ふやうにしてガボン/\流れてゐた。

Chapter 1 of 5