六
その翌る日から、どんなに兄と私との問が恰好の付かぬ気拙いものになったかは、これももう特別に、申し上げるほどのこともありますまい。
私は、不用意に兄に顔を合せることを避けていますが、思い做しか兄の方でもまた私を避けているように思われます。翌日からは、兄と親しく顔を合せる機会も、ありませんでしたが、偶にどうかした拍子には、顔を合せないとも限りません。そうした時の、兄のドキマギした様子といったら、ないのです。眩しそうに、人の顔を盗み見るようにして、かえってこっちの方が、気の毒になるくらいです。
「わしの思うには、……ソノなんだな……」
と人の気を兼ねて、怯ず怯ずいい出して来るのです。
「身体の工合が直ったら、早く東京へ戻って……ソノなんだ、お前のいるのが邪魔で、帰れというんじゃなえが、お前には大切な勤めがあるんだから、またゆっくり出直して来た方がええと思うんだがな。向うのお嬢さんも、さぞ待っとられるだろうと、思うんだがな」
勿論兄は、帰京を一日延ばしにしている私の身を、心配しているには違いありますまい。
が、私にはその兄の言葉も、そうジロジロと俺の上ばかり探索の眼を向けないで、もういい加減に解放してくれてもいいではないか! と、私に哀訴しているように、聞えてならないのです。
そして、おおよそそうした兄の言語なり動作なりが、深い疑惑と苦悩と憂愁に私の心を閉ざして、もう日延べの電報は東京へ、三度も打っています。明日こそはなんとしても兄の前に土下座して涙を流してでも、ことの真相を明かしてもらおうと決心した日に、ふと幼い甥の口から、明日は父ちゃんが商売で、寄居の町まで出かけて行くんだあ! と聞かされました。
ハハア、商売だと見せかけて、女のところへ行くんだな? と、私は直観しました。私が来てから既に、十日ばかりの日がたっています。この間兄が半日一日家を留守にしていたということは、一度もありません。いよいよ我慢がならなくなって、女のところへ行くのだな? と、踏みました。
ようし、それならば明日は私も、兄の後を跟けて行こうと決心しました。別段兄の女なぞを、見たいと思ったわけではありません。が、兄が女と逢っている、のっ引きならぬ現場を抑えたならば、兄が母を殺めたということも、明白になりましょう。いいや、そんなことよりも、兄の秘密を私が知っているということが、いいにくいことを私の口から並べ立てずとも、兄をして観念させて事の真相を、打ち明けさせてくれるだろうと思ったからなのです。そして朝起きるとスグ、家の前の山へ登って、木の蔭に隠れていました。
人の姿もない朝の七時頃、兄は門から出て来ました。盲縞の着物に鳥打帽をかぶって、外套も着けずに尻を端折って、リュックを背負って……脚絆草鞋で、身拵えをしています。まさか、こんな姿で女のところへ行くわけでもありますまい。寄居の町へ出て服装を改めるのかなと思いました。いずれにせよ、金を持ち出すのは憚るから、リュックの中には家に伝わる、金目な書画や骨董類でも、詰めているんだなと察しました。
転ぶように山を駈け降りて、見え隠れに後を跟け始めました。
私は今まで、人の後を尾行したという経験なぞは、ただの一度もありません。況んや年の暮の、こんな片山里の朝の七時八時頃には殆んど往き来の人もありません。その人っ子一人通らぬ道を、ポクポクと兄の後を跟けて行くのですから、兄に気取られぬよう、どんなに苦心したか知れません。
変装といったところで、なんの持ち合せもありませんから洋服の上に押入れから引っ張り出した、父の若い頃のボロボロの二重廻しをはおって、頭巾を真深に、鼻口許をマスクで掩うて、あまり近づかぬよう、さりとて姿を見失わぬよう、随分苦労して歩きました。
何か考え考え、兄は足を運んでいます。が田舎者の常として、足の早いこと! 姿を見失わぬよう頭巾の中で、息苦しいほど私は汗ばみました。
竹藪を通り抜けて、畑の横の石礫道を過ぎて胸を衝くような急坂を登り、さっきから三、四里余りの道も歩いて、もう時刻は十二時頃を、過ぎていたでしょう。登ったり下ったり、もう峠も、三つばかりを越えていたような気がします。
子供の時分の記憶ですから、ハッキリとは覚えませんが、道はこのさきで二股に分れていたような気がします。そして後一里か二里で隣り村の隣り村、母の葬られている北野の宗源寺へ辿り着くでしょう。左側の、そこの溪川に架けられた丸木橋を渡って、爪先上りの竹藪を抜ければ、遥か稗田山の麓には、寄居の町が小さく、豆粒のように霞んでいます。これももう、一里か二里くらいの道のりだったでしょう。
そこに佇んで、兄が考えているふうでしたが、と、やがて兄はリュックを降ろして、路傍の石に腰を降ろしました。竹の皮包みを取り出して、どうやら弁当でも使うらしい気配です。私の佇んでいるところから五、六間ばかり畑の奥に石の地蔵尊と四、五本ばかりの木立ちが、取り残されたように繁って、ここにいれば兄の眼につく恐れがありますから、大急ぎで這い上ってそこへ、身体を隠しました。
これで、振り返っても兄には気が付かれず、私の方からは小さく石垣の上に、兄の頭が見えるのです。
が、繁みに身を隠して、吻っとした途端、ギョッとして思わず総身が、鳥毛立ちました。跟けてることを絶対兄には、感づかれてないと思いの外、私が今身を忍ばせた道の下まで戻って来て、
「おい、新次郎! 新次郎!」
と、呼んでいるのです。
「新次郎! そねえなところに隠れとらんで、出て来て飯う食わんけえ?」
枝から覗いて見ると、兄は竹の皮包みを開いたまま、こちらを見上げています。
「…………」
「いつまで妙な真似を、しとるんけえ? 早う出て来え!」
「…………」
「隠れとるつもりかも知れんが、おい! そこから廻しの袖が、見えとるぞう!」
「…………」
「これだけいうても、まだ、意地を、張っとるんけえ? そこまで思い詰めとるもんなら、もうわしも隠しゃせん! 早う出て来え!」
これではもはや、隠れてる必要はありません。私は姿を現して、兄の前に突っ立ちました。もう兄も、決心したのでしょう。あの眩しそうな瞳なぞはしていません。穏やかな、いつもの顔に、戻っているのです。
「腹が空ったろう、弁当でも食わんけゃ?」
突き出した竹の皮の中には、ボロボロの麦飯の握飯と、傍に大きなひね沢庵が添えられてあります。
「要らん!」
「じゃ、わしも後にしよう」
と兄は、竹の皮を引っ込めました。
「やっぱり、跟いて来るけえ?」
私は黙って頷きました。
「仕方がなえ、思った通りに、するがええ。もうわしも隠しゃせん。お前だけは、仕合せに暮さしてやりてえと思うとったが、もうわしの力じゃ手におえん。来たらええだろう」
「兄さんは……兄さんは」
と私は、初めて口を開きました。「俺だということを、知っていたのか?」
「阿父さまの廻しなんぞ着て、わしにわからんと、思うとったんけえ?」
と兄は淋しそうに、笑い出しました。
「どうぞして、お前が諦めて帰ってくれりゃええ、と思うとったんだがな。来たかったら、来るがええ……来るけゃ?」
そして私は、息苦しい頭巾を跳ねて、兄の後について歩き出しました。それっきり兄は一言も口を利きませんでした。私もまた口を利かず、人っ子一人行き逢わぬ、石礫だらけの山道を登り始めたのです。
兄は、丸木橋を渡りませんでした。寄居へ行くのではありません。うねうねと、石垣に沿うた山道を、北野村へ登り始めたのです。
黙りこくって岩角を踏み、石礫を踏んで、山道をそれからまた一里か一里半も、もう午後の二時頃にもなっていたかも知れません。その間に兄のいった言葉は、たった一言……
「腹が減ったけゃ? 食わんけえ?」
後はただ、考え考え、道を歩いているのです。山道も漸く尽きて、部落へはいって来ましたが、この辺は北野村の裏外れと見えて、人の家らしいものも、殆んどありません。
相変らず兄は、黙ってゆるやかな坂道を、登っています。どこへ、兄が行こうとしているかが、やっと私にも、飲み込めてきたのです。兄は母の葬られている、宗源寺へ行こうとしているのです。寄居へ行くのを見合せて、寺へ行って母の帰依していたその住持に逢って、一部始終を聞かせて、くれようとしてるのだな。帰りには母の墓へ行ってお詣りでもするつもりかな? と私は考えました。
いよいよ見覚えのある、寺の門前へ出て来ました。何百年をへたとも知れぬ磨滅した、甃や、青苔の生えた石段の向うに、例の仁王門がすっくと、聳え立っています。そしてその遥かの奥に、楼門とは似ても似つかぬ萱葺きの小さな本堂が、真っ闇な老杉に囲まれて、昔に変らぬ陰森さを漂わせていました。
が、その石段を上ると、兄は本堂の方へは足を向けず、そのまま仁王門の横について、グルッと廻りました。裏手には、この楼門へ上るための、頑丈な格子戸がついているのです。初めて、落ちつきなく怯ど怯どと、兄はあたりを見廻しました。
「おい、だれか見とるといけんから、早く、早く! だれも見とらんか、見とらんか? さ、急いで入れ!急いで!」
自分も後から飛び込むと、初めて吻っとしたように、扉に掛金をかけました。埃だらけのその板の間に、粗末な段梯子が付いているのです。古い朽ち木の梯子に、新しく手を加えたらしく、それを上り詰めた板の間には、さらにもう一つ、同じような梯子があります。これを上ると、またもう一つ。
埃だらけの板の間へ出ては上り、出ては上り、都合三つの梯子を上り詰めたところが、一番のてっぺんと見えて、ミシミシと踏んでいる板の間の割れ目から、仁王様の頭のてっぺんが、見えています。もはやこの辺は陽の目も射さず、黴くさい臭いとともに歩くたんびに、何百年来の埃が濛々と舞い上ります。天井は低く、頭に掩い被さらんばかり、柱や垂木が乱雑に、もはやここは楼門の、天井裏と思われます。
兄が這うようにして行きますから、私も後に跟いていますが、もしここから覗いたならば、今まで越えて来た峠や道も、一目に俯瞰されるだろうと思われるくらい、随分高いところのような気がします。と、向うの端に小さな急拵えの、明り取り窓らしいものが見えて、その幽かな光を受けて、パッと私の眼に映ったものは!
その埃だらけの板の間に、四枚ばかりの古畳を並べて、その上に厚い夜具に凭れて今じっと、こちらへ顔を向けているものは!
白髪の髪をおどろに振り乱して、片方の眼が腫れ塞がり片方の眼があらぬ方を向いて、眉毛もなければ鼻もなく、のっぺらぼうの顔にポツンと真っ黒な穴があいて、満面膿み爛れて見る蔭もないその老婆は! 重症も重症二目と見られぬ癩病やみの、その老婆は!
「早う来たえ来たえと思うとりましたが、何やかやと手が離せなえで……」
とたちまち兄が、板の間に額ずきました。
「阿母さま、新次郎でござりますぞい……」
「な……何? お母さん?」
「口癖にいうていなされた新次郎が、仏蘭西から帰って参りましたぞい。逢うてやって、つかあされ! 阿母さまはもう頭に来てなさるで、お前がおわかりにならぬだろ!」
「こ……こ……これが、お母さんか! お……お……お母さん……だったのか?」
と私はそこに崩おれました。
「し……し……し、知らなかった……こ、これが、お母さんとは……し、らなかった。兄さん! か、勘弁してくれ!」
涙が後から後からと湧いて来て、もう私には、母の姿が見えなくなりました。母にも、私の姿がわからないのです。兄のいってることも、私が帰って来たことも! ただ白眼勝ちな片一方の眼が、キョトンとしてうつろにあらぬ方を眺めているばかり。兄のいうことも、聞えるのやら聞えぬのやら!
「今日は、友治の、誕生日でござりますでな……ほら、阿母さまのお好きな、小豆飯をどっさり持って参りましたぞい。お膾も持って参りましたぞい。ほれ、これが金平……煮染めもありますで……ひらべの煮付け……」
リュックを開いて、兄の取り出しているものは、掛軸でもなければ什器、茶道具の類でもありません。五里の山道を背負って来るために、嫂が詰めたのでしょう。ことごとく、竹の皮包みの喰べ物ばかり! お煮染……酢の物……赤飯……醤油瓶……酒の一合瓶……沢庵包み……
何故兄が、あんな忌わしい蔭口なぞを、叩かれていたのか? そんな蔭口を叩かれながら、黙々として隠従していたのか? そして兄弟の幸福ばかり図って、自分では村の生活にも財産にも、なんの未練も感じなくなっていたのか? ということなぞも、スッカリ飲み込めました。
いいや、それらが飲み込めたばかりではありません。何が故に村の医者に見せず、遠くの医者を呼んでいたのか? 村の菩提寺でなく、こんな遠くの寺へ、葬ったといっていたかというわけも、この瞬間ことごとくうなりを発して、私の心中で溶けて流れて消え去りました。みんな、私や弟に幸福な生活を送らせたい、兄の一心だったのです。
そして自分は、一言の愚痴をいうでもなければ、泣き言を並べるでもなく、黙々として母に、孝養の限りを尽している……これが私の兄の、真の姿だったのです。それが今、一瞬の間に音たてて、私の心で溶け去りました。あの子供の教育に熱心な人一倍家庭の教えの厳格な母が、今はまるで子供のように頑是なくなって、その膿み爛れて腐臭を発する身体に寄り添うて、子供にでも喰べさせるように、箸で口へ入れている兄の姿!
そのまた兄の入れてくれるのが待ち切れなくて、ガツガツと喉を鳴らしながら手探りで、子供のように竹の皮へ手を突っ込んでいる、母の他愛なさ! あの尊い尊い私の母だったのでしょうか! あまりの浅ましさに、私は顔を掩うて号泣しました。しかも、竹の皮包みを引っ掻き廻している、その指の何本かも、脱け落ちているのです。
涙なくては、一切眺められませんでしたがもっともっと私の涙をそそったのは、食事の済んだ後人目を忍んで汲み上げて来た、バケツの中へ汚れた皿や茶碗を突っ込んで、襷をかけて洗っている兄の姿だったのです。そして洗い終ると埃だらけの板の間へ、雑巾をかけて、尿屎の始末をしている、兄の姿だったのです。家にいれば、十何人かの下女下男に侍かれて、村一番の地主様で通るその兄が、まめまめしくしかも不器用に、働いているその姿が、母の哀れな姿にも増して、私の涙をそそって已みませんでした。
そして私は、この瞬間ほど尊い兄の前に手を突いて、兄を苦しめ切っていたこの四、五日の自分の罪を詑び、母の病気故の辛労を、血の涙を流して、兄に礼をいいたい、と思ったことはありませんでした。