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令嬢エミーラの日記
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令嬢エミーラの日記
橘外男
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Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 6 of 9

六

二月八日。父様のお部屋で大きな呶鳴り声が聞える。一人は父様のお声、もう一人はアランの声だ。また何かこないだのような下らぬことを持ち出して、父様に叱られているのだなと思ったが、別段に、私に関係したことでもないから知らん顔をしていることにする。が、声はいよいよ尖ってくる。そして論争のうちに、

「お嬢様、ちょっといらしていただきたいと旦那様がお呼びになっていらっしゃいます……」

とイスカーキが呼びに来た。

「無茶です。たとえ先生のなさることでも、まるでもう狂気の沙汰です。僕は絶対不賛成です」

「要らざるお切匙だ! 儂が娘に言いつけることに君は何の権利があって嘴をいれる! 黙って見ておればそれでよろしい」

「しかしそんな無茶なお話は、同国人として見ていられますか! 御自分の令嬢をまるで類人猿の見世物になさるようなものです。それが我々として見ていられますか!」

「儂のすることに何の権利があって君は容喙すると、さっきから言ってるのに君にはわからんのか! いったいこの頃の君の態度は儂にはいささか腑に落ちん! 断っておくが、君は儂の一介の助手にすぎん。儂たち親子の問題に、君はこの頃いささか立ち入りすぎる嫌いがある!」

「私は先生に対しては助手であるかもしれません。しかし御令嬢のことに関しては、私は将来の夫たるべき婚約者の立場から、どうしても口を出さずにはいられないのです」

「気の毒だが君の婚約者という資格は取り消したのだ。なるほどある時代には公認したこともあった。しかし、いささか君を見損って、そういうことを口に出した軽率さを儂は後悔しておる。ともかく、取り消しだ! 君に通告するのを忘れていたから、今この機会にハッキリと言っておこう」

と父様は苦り切って言われた。そして私には、アランがそれっきり唇を噛んで、蒼白な顔色をしながら、身体をワナワナと顫わせて黙り込んでいるのが見受けられた。

ともかく、白け切って二人の論争が一時終わったのを機会に、私は、

「お呼びになりまして……」

と進み出た。

「エミーラ! エミーラ! 君にはこんな無茶なことが! こんな無茶なことが……たとえ先生のお言い付けだとて受けられるかい!」

と勢い込んで、アランが言った。

「君は黙っていればいいのだ! 娘には儂から話す」

と父様はアランを抑え付けて、私のほうへ向われた。

「エミーラ! 父様はお前に一つ頼みがある。お前も知ってのとおりお父様の研究も nwah 行喜悦を終わって、もう一息のところなのだ! もう一息で父様の仕事にも一段落つくとなれば――それがお前のたった一つの骨折りで解決するとなれば、まさかお前は父様の頼みを厭だとは言うまいな。それをこの男はさっきからとやかく言っているのだが……」

と父様はジロリと私を見上げられた。

「ええ、私にできますことならば、どんなことでもいたしますわ!」

とまさかにその時私も、父様のお頼みがそんな無茶なものであろうとは、夢にも思わなかったからであった。

「儂はやがてあのゴリラを檻から出そうと思っているのだ! お前も知ってのとおり、もうお前にはすっかりなつき切っている! 儂の研究の段取りから言っても一日も早くゴリラを檻から出して、なついているお前を媒介として、儂たちとなじんでもらわなくては困るのだ。そしてこのゴリラを森へ放って、その自然生態を研究したり録音したりするところに儂の今度の主眼があるのじゃから。そこで今儂のお前に頼みたいことは、檻から出す前に、一度このゴリラの最も大きな喜悦の刹那の叫音を録音したいと思っている。これが今の yoo-hw 行の最高潮のところになるのだ! そこでその方法を研究してみたのだが、一つお前に上衣でも脱いで、ゴリラの檻の前で面白そうに踊ってもらいたいと思う! ゴリラの受けた反応には、必ず何か新しい発見なり、あるいは今までの研究なりを裏書きするようなものがあろうと思われる、どうだろう、エミーラ、父様の仕事を助けると思って一度そうやってもらえんか!」

私は二人の顔を見較べた。アランは身悶えせんばかりに、目顔であらん限りに私に合図する。そして私には、この時ほど自分の婚約者のアランを厭だと思ったことはなかった。父様の態度ももちろんよくはない。娘の意思も何も頭ごなしにして、まるで娘一人ぐらいは自分の研究の犠牲にもしかねまじき様子には、淡い反感と不快とを湧き立たせてくるところがあった。しかし、父様は世間知らずの学者なのだ。父様自身としてはそれでいい。少なくともこのハラハラしている神経質な臆病そうな、自分の所信さえも断行できないような意気地のない――そのくせ父様の背後に佇んで眼ばかり光らせながら、まるで私の夫か何かのように思い上っているアランの態度に較べれば、どのくらい男らしく胸がスッとするか知れない。たかが上衣を脱いで踊ってみせるくらい、そんなにハラハラするのならば、この卑屈な意気地のない男に鼻を明かせてやる上にも、私は父様のお頼みを容れようと考えたのであった。

「ではそれだけのことなのですね? それ以外には別にありませんのでしょう」

父様は頷かれる。アランの眼が光る。

「かまいませんわ……たったそれだけのことなら。その代り録音は決してその室ではしない、隣りの室でするということさえ約束して下されば、父様のおっしゃるとおりにしますわ」

と私はわざとアランのほうなぞは見向きもせずに言った。

「そんな乱暴なことが……できることかできないことか! エミーラ、考えてみたまえ! 君はきっと今に後悔する!」

「私後悔なんぞ決してしませんわ! 親の研究のためならば毒を飲む娘さえもあるんですもの、それくらいのことで済むのならば、別段何でもありませんわよ」

どうだ儂の娘は、君なぞの御心配はなくとも、このとおり儂の言うことには背かんのだ! と言わんばっかりに、ジロリと眼を挙げて父様はアランの顔を御覧になる。そして、

「よろしい! 用事というのはそれだけだ」

とおっしゃって、またくるりと机のほうへ向っておしまいになった。

それを機会に、私も自分の部屋へ戻って来たが、

「エミーラ……エミーラ!」

と、まだ執拗く、アランは私の後方から追うて来る。わざと素知らぬ振りをして、私は自分の部屋へ戻って来た。

二月十日。昨日から隣室で録音の設備をするべく大勢でガタピシ大工さんをやっている。しかしマフチャズは一向気にも留めずに、黙って私のほうを瞶めているだけだ。エミーラ、君はきっと後悔するだろう! とアランはあの時そう言った。しかし別段に私の心の中には後悔するような気持も起こらない。が、後悔はせぬが、考えるとなんともいえぬ憂鬱な気持がする。マフチャズの檻の前で、芸人みたいに踊ってみせるなんて……でも、相手が人間でないから、まだ幾分は救われるようなものの。

マイクロフォンを出しておくだけで、あとはモニタリング室全体防音装置の上からさらに全部の壁を一分の隙もないように板で二重囲いにすることを父様は御承知になった。そしてそのおつもりで、御自分で監督はなすっていらっしゃるが、安心がならぬから、私は、今日自分で検分する。

これなら、まあ大丈夫だろう。覗かれるのはいつぞやのウェンデル以来こりごりだ!

二月十二日。今日ウェンデルの屍体が搬ばれて来た。何日雨に打たれてどこを彷徨うていたのか、あの大きな男の頬も悴け身体も痩せて髯ぼうぼうと、そして全身はふやけて見るも無残な姿であった。

男たちが屍体の始末をして、裏の納屋を抜けた密林の中へ埋葬してしまったから、私はその屍体をよくも見なかったが、あとで土人のフラゴが、その手にこんなものを握っていたと私にそうっと届けてくれた。

全身ポケットの中までも水浸しになった死後のことをおもんぱかったのであろう。手帳の紙を裂いて、それに鉛筆で書きつけて、小さく折り畳んで堅く堅く手に握っていたのだそうな。

俺は莫迦な男だ。俺の気持はそうでなかったが、心と反対のことをした。なぜそうしたのか、俺にもわからない。生きていればまだ俺は何かしそうだ。だから死んでゆくのだ。これでいいのだ!

ただそれだけのブッキラボーなものであった。

「莫迦な男!」

と私は舌打ちをした。

死ぬのならこんなことを書くにも及ばない。黙って死んでゆけばいいのにと思った。そして、

「棄てておしまい!」

とイスカーキに言い付けた。ウェンデルの遺書は窓の下で雨に打たれていた。ここではみんな雨に打たれるのだ。人の命も! そしてそれだけなのだ!

Chapter 6 of 9
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