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少将滋幹の母
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少将滋幹の母
谷崎潤一郎
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Chapter 3 of 11

その三

それからと云うもの、時平は宮中で国経と顔を合わすと、急に如才なく挨拶するようになった。位は下でも、彼には正しく伯父に当る高齢の人を、敬いいたわるのに不思議はないようなものだけれども、菅公を失脚せしめて以来、ひとしお態度が驕慢になって、満廷の朝臣どもに颯爽たる威容を誇っていた彼は、ついぞ此の伯父の存在などを眼中に置いたことはなかったのに、どう云う風の吹き廻しか、伯父に出遇うと変なニコ/\顔をする。そして、御壮健で結構であるが、此の頃の寒さはおこたえになりはしないか、とか、お風邪を召されぬように、とか、取って附けたような愛想を云う。或る日、分けても寒さの厳しい朝のことであったが、伯父の大納言の鼻先から水洟が滴れているのを見ると、彼はそっと寄って行って、

「お洟が出ておりますぞ」

と、注意をして、

「お寒かったら綿の物をたくさんお着込みになることですね」

と、小声で云った。

長寿の人によくあるように、大納言は少し耳が遠いので、

「綿?………」

と聞き返すと、

「ふん、ふん」

と、時平はひとりうなずいて、何やら老人には聞き取れないことを云ったが、やがて老人が館に帰ると、左大臣からの使者だと云って、雪のような綿を幾屯と云うほど届けて来た。「あなたのように齢八十になん/\としてなお矍鑠たる元気を保ち、壮者を凌ぐ趣がおありになるのは羨しい次第である。国に斯様な朝臣があるのは寔にめでたい限りであるから、何卒此の上とも体を大切にされて、一日でも多く長生きをして下さるように」と、使者はそう云う口上と共にくだんの贈物を置いて帰ったが、その二三日後、朝から大雪が降り出して一尺近くも積った夕方に、又使者があって、此の雪の白を如何ように過しておられますか、今夜は大方なみ/\ならず冷えることゝ存じますが、………と云うような言葉を述べ、何やら衣筥に収めたものを恭しく捧げながら運び入れた。そして、「これは唐土から伝来の品で、昔御先代の昭宣公が、冬になると召しておられたものですが、今の左大臣はまだ年がお若く、斯様なものを着用される折もないので、父君に代って伯父君に召して戴きたいと仰っしゃいまして」と、そう云ってそれを置いて行ったが、衣筥の中から出たものは、立派な貂の裘で、昔の人の薫きしめた香の匂が、今もなつかしくかおっているのであった。

贈物はそれからも引きつゞいて数回に及んだ。或る時は錦、綾、等々の織物、或る時はこれも唐土から渡ったと云う珍奇な幾種類もの香木、或る時は葡萄染、山吹、等々の御衣幾襲ね、―――折にふれて何とか彼とか口実を設けては、矢継ぎ早やに使者が来るのであった。大納言は時平に格別な考があるのだろうなどゝは疑ってもみず、たゞもう有難さと忝さで一杯であった。誰しも老年になると、若い人からちょっとしたいたわりの言葉をかけられても、つい嬉しさが身にこたえてほろりとするものであるのに、まして生れつきおめでたい、気の弱い国経なのである。殊に相手は甥と云っても、天下の一の人であり、昭宣公の跡を継いで摂政にも関白にもなるべき人であるのが、さすがに骨肉の親しみを忘れず、何の取柄もない老いたる伯父に斯くまで眼をかけてくれるとは。

「やっぱり長生きはするものですね」

と、或る晩老人は、北の方のゆたかな頬に皺だらけな顔を擦りつけて云った。

「わたしはあなたのような人を妻に持って、自分の幸福はもう十分だと思っていましたのに、そのうえ近頃は左大臣のようなお人から、斯ように優しくして戴ける。………ほんとうに、人はいつどんな時にどんな好運にありつくか分らないものです」

老人は、北の方が黙ってうなずいたのを自分の額で感じながら、一層つよく顔を擦り着け、両手で項を抱きかゝえるようにして彼女の髪を長い間愛撫した。二三年前まではそうでもなかったのであるが、最近になって老人はだん/\愛し方が執拗になり、冬の間は毎夜北の方を片時も離さず、一と晩じゅう少しの隙間も出来ないようにぴったり体を喰っ着けて寝る。そこへ持って来て、左大臣が好意を示すようになってからは、その感激のせいでつい酒を過し、酩酊してから床に這入るので、なおさらしつッこく手足に絡み着くようにする。それにもう一つ、此の老人の癖は、閨の中の暗いのを厭うて、なるべく燈火をあかるくしたがるのであった。と云うのは、老人は北の方を手を以て愛撫するだけでは足らず、とき/″\一二尺の距離に我が顔を退いて、彼女の美貌を讃嘆するように眺め入ることが好きなので、そのためにはあたりを明るくしておくことが必要なのであった。

「ですが、もうわたしなどは何を着ようと差支えない。あなたこそあの綿や錦を召して下さい」

「それでも大臣は、殿がお風邪を召さぬようにと仰っしゃって、下されましたものを、………」

低い声でしかものを云わない北の方は、耳の遠い老人に分らせることが困難なので、自然夫に対しては言葉数が少く、分けても閨に這入ってからは殆ど無言で通すので、此の夫婦の間では寝物語が交されることはめったになく、大概老人の方がひとりでしゃべりつゞけるのであった。そして北の方はたゞうなずくか、たまに一と言か二た言、老人の耳の端へ口を寄せて、唇が耳朶へ触れるくらいにして云うのであった。

「いゝや、わたしは何も要りはしない。何も彼もあなたに進ぜます。………わたしには此の人さえあれば………」

そう云って老人は又自分の顔を妻の顔から遠ざけながら、妻の額の上にかゝる髪の毛を掻きのけ、その目鼻だちへ燈火のあかりがほんのり当るようにした。こう云う時、いつも北の方は老人の節くれだった歪んだ指がわなゝきながら髪をいじくったり頬をさすったりするのを感じつゝ、おとなしく老人のするまゝになって眼を閉じているのである。それは顔の上にさす明りの晴れがましさを避けるため、と云うよりは、老人の貪るような瞳の凝視を避けるため、と云った方が適当であるかも知れない。八十に近い老人に斯様な熱情があることは、不思議と云えば不思議であるが、実はさしもに頑健を誇った此の老人も、一二年此のかた漸く体力が衰え始め、何よりも性生活の上に争われない證拠が見え出して来たので、それを自覚する老人は、一つには遣る瀬なさの餘り変に懊れているのでもあった。尤も彼の場合、その遣る瀬なさは、自分の悦楽が思うように叶えられないと云うよりは、此の若い妻に申訳ないと云う気持から来る方が多いのではあったが、………

「いゝえ、そんなお心づかいはなさらないで、―――」

老人がその胸中を率直に打ち明けて、あなたに済まないと思っている、と云う風に詫び言めかして云うと、北の方はしずかに頭を振って、却って夫を気の毒がるのが常であった。お年を召せばそれが当り前なのであるから、何も気になさることはない、その当り前の生理に背いて無理なことをなさるのこそ、お体のために宜しくない、そんなことより、殿が摂生をお守りなされて一年でも多く長寿を保って下さる方が私もうれしい、と、北の方はそう云う意味に取れることを云う。

「そう云って下さるのは忝いが」

老人は、そんな工合に北の方から優しい言葉で慰められると、一層北の方の心根がいとおしくなるのであった。そして、又しても眼をつぶってしまった北の方の顔を見守りながら思うことは、いったい此の人は心の奥でどんなことを考えているのだろうか、と云うことであった。それと云うのも、此の人がこんなにもすぐれた器量を持ちながら、五十以上も歳の違う夫に添わされた我が身の悲運を、それほどにも自覚していないように見えるのが不思議で、何か自分が世間知らずの妻を欺しているような気がするばかりでなく、妻の犠牲の上に自分の幸福が築かれていると云う意識があるからなのであるが、内心にそう云う訝しみを蔵しつゝ眺めると、ひとしお此の顔が神秘に満ち、謎のように見えて来るのである。老人は、自分がこれほどの宝物を独り占めにしていること、世にこれほどの美女がいることを知っているのは自分だけで、当人さえもそれをはっきりとは知っていないらしいことを思うと、何となく得意の念の禁じ難いものがあり、どうかすると、此のような妻を持っているのを誰かに見せて、自慢してやりたい衝動をさえ感じるのであった。又翻って思うのに、もし此の人が口で云う通りのことを考えているのであったら、―――みずからの性的不満などは意に介せず、ひたすらに老いたる夫の命長かれとのみ願っているのが本心であるなら、―――その有難い志に対して自分は何を報いたらよいのか、自分は此の後、たゞ此の顔を眺めるだけで満足しつゝ死んで行きもしようけれども、此の若い人の肉体を、自分と共に朽ち果てさせてしまうのは餘りにも不憫であり惜しくもある。で、両手の間にその宝物をしっかりと挟んで視つめていると、いっそ自分のようなものは一日も早く消えてなくなって、此の人を自由にさせてやりたいと云う怪しい気持にもなるのであった。

「どうなさいましたの」

老人の眼に浮かんだ涙が、自分の睫毛に伝わって来たのを感じると、北の方ははっとして眼を開けたが、

「いや、何でもない、/\」

と、老人はひとりごとのように云って口を噤んだ。

そんなことがあってから数日後、はやその年も残り少なになった十二月の二十日頃に、又しても時平の許から数々の贈物が届けられた。「大納言殿も来年は更に齢を加えられ、いよ/\八十路に近くなられると承るにつけても、縁につながるわれ/\共は慶賀に堪えない。これは些かながら、そのおよろこびのしるしまでに差上げるのですが、何卒これらの品々を御受納なされて、よき初春をお迎えになって下さい」と、使者はそう云う口上を述べたが、なお附け足して、時平が正月の三箇日のうちに、大納言の館へ年賀に見えるであろうと云う意を伝えた。「大臣が仰せられますには、自分の伯父御にこう云う長寿の人があるのは返す/″\も一門の栄誉である。自分はかね/″\此の伯父御とゆっくり酒を酌み交して、共によろこびを分ち、且は養生の術をも授かり、且は健康にあやからせて戴きたいと存じながら、今日まで折がなくて過して来たので、是非近々にその念願を遂げたいのであるが、それには此の正月がよい機会である。自分は毎年伯父御の邸へ年賀に参上したことがないのを、済まなく存じていた際でもあるから、来春から改めて御挨拶に伺い、年来の無礼をも詫びたいのである。と、左様に仰っしゃっておいでになりまして、三箇日のうちには必ず参上致すからお含みおきを願うようにと、申し付かって参りました」―――使者はそう云って帰ったのであったが、此の申越しはいやが上にも国経を驚喜せしめた。事実、時平が此の大納言の所へ年頭の礼を述べに来るなどゝ云うことは、嘗て前例がないばかりでなく、前代未聞の事件と云っても差支えない。此の恵み深い青年の左大臣は、一門の年長者たるの故を以て一介の老骨に結構な財宝をあまたゝび贈ってくれた上に、今度は自身その邸宅に駕を枉げると云う光栄を授けてくれるのである。―――ありていに云うと国経は、先達から左大臣の測り知られぬ温情に対して何がな報いる道はないだろうかと、寝ても覚めてもそのことを気に懸けていた矢先であった。そして、大臣の邸とは比べものにならない手狭な館ではあるけれども、一夕我が方へ臨席を仰いで饗宴を催し、心の限りもてなしをして、感謝の念の萬分の一でも酌み取って貰えないであろうかと云うことも、考えないではなかったのであるが、なか/\大納言風情の所へなど来てくれそうな人ではないので、申し出ても無駄であろう、却って身の程を弁えぬ失礼な奴と、物笑いになるだけであろう、と、そう思って差控えていた際であったのに、図らずもその人が自ら望んで客人になろうと云い出したのであった。

その翌日から国経の邸は俄に活気づき、大勢の人夫共が出入りし始めた。もう正月に餘日もないので、大切な客人を迎えるために急いで工匠や園丁を雇い、殿舎の修繕や林泉の手入れにかゝつたのである。家の中では板の間や柱をつや/\と拭き込み、畳建具を新しく調え、屏風や几帳を動かして座敷の模様がえをする。家司や老女などが指図をしつゝ、あゝでもない、こうでもないと、一つ調度を何回となく彼方へ持って行かしたり、此方へ持って来させたりしている。前栽では樹木を掘り起し、池の水を堰き止め、築山の一部を崩しなどしているが、此処では国経が自ら庭に下り立って、木や石の布置をいろ/\に工夫して見たりしている。国経にして見ればまことに一世一代の面目で、老後に花を咲かせるのであるから、此の支度のためにどれ程の人力と財力とを傾けても惜しくはなかった。

左大臣家からは正月の二日に前触れがあって、明くる三日に、きらびやかな車や騎馬の列が大納言の邸へ乗り入れた。餘り仰々しくならないように、供の人数なども目立たぬ程にして参る、と云うことであったけれども、右大将定国、式部大輔菅根などゝ云った人々、―――いつも時平の腰巾着を勤める末社どもの顔ぶれを始め、殿上人や上達部が猶相当に扈従していて、平中も亦その中に加わっていた。客人たちの座に着いたのが申の刻を少し過ぎた時分で、宴が開かれると間もなく日が暮れたが、その晩は特に酒杯の進行が激しく、主客共に酔いの循り方が速かであったのは、旨を啣んでいた定国や菅根たちの取持ちのせいもあったであろう。やがて時平が、

「酒ばかりでは面白うない、………」

と、末座の方へこなしたのを合図に、或る少納言が横笛を取り出して吹き始める。それに合わせて誰かゞ琴のことを弾く。扇で拍子を取りながら唱歌をうたう。つゞいて箏のことや、和琴や、琵琶が運び出された。

「御老体々々々、まずあなたからもっとお重ねにならなければ、………」

「御主人公がそう慎しんでおいでになる手はありませんな。それではわれ/\も酒がさめます」

「いや忝い/\、………愚老はたゞもう忝うて/\、………こんな嬉しいことは八十年来始めてゞ、………」

国経が酔い泣きしそうな口調で云うのを、

「あはゝゝゝゝ」

と、時平が持ち前の濶達な笑いで打ち消した。

「そんなことはお置きなされい。それよりもっと浮き/\と騒ごうじゃないですか」

「いかにも/\」

と云って、国経は突然声を張り上げて謡った。

「我に酒を勧む、我辞せず、請ふ君歌へ、歌うて遅きこと莫れ。………」

老人は白氏文集を愛読していて、興に乗ずると、こんな工合に文句を暗誦するのであるが、これが出る時はそろそろ酒が循って来た證拠であった。

「………洛陽の児女面は花に似たり、河南の大尹頭は雪の如し。………」

老来量を節してはいても、もと/\下地は好きな方で、過せばいくらでも過せる国経は、今宵は自分が主人役として容易ならぬ人を迎え、粗相があってはならぬと思うところから、最初のうちは努めて引き締めていたのであったが、何分胸中に抑えきれない喜びが溢れてい、而も客人たちの方から頻りに杯を強いられるので、いつか心の緊張が弛んで、上機嫌になって行った。

「いや、頭は雪の如しでも、御精力のお盛んなことはお羨しい限りですな」

そう云ったのは式部大輔の菅根であった。

「わたくしなどは、老人と申しましても明けて五十歳になったばかり、御老体から見ますれば孫のようなものですが、近頃めっきり衰えを感じておりますよ」

「そう云って下さるのは忝いが、もう此の老人もとんと駄目でして、………」

「駄目とは何が駄目なのです」

と、時平が云った。

「何も彼も駄目でございますが、二三年来特に駄目になったものがございましてな」

「あッはゝゝゝゝ」

「玲瓏々々老いたるを奈何にせん」

と、老人が又白詩を唱えた。

二三人の公卿たちが代る/″\立って舞い出した頃から、宴はだん/\闌になって行った。春とは云ってもまだ冬の感じの、うすら寒い宵であるのに、此処ばかりは陽気に花やいで、笑い声と歌声と歓語の声が沸き返り、人々は皆上衣の襟を外したり、片袖を脱いで下着を出したり、行儀作法を打ち忘れて騒いでいた。

Chapter 3 of 11
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