Volver
武州公秘話 01 武州公秘話
Table of Contents
武州公秘話 01 武州公秘話
谷崎潤一郎
Reading Settings
Tamaño de fuente
18px
Tema
Claro
Oscuro
Sepia
Protección ocular
Interlineado
Modo de lectura
Traducción Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 9 of 15

筑摩則重兎唇になる事、並びに上の厠の事

天文二十四年乙卯の春、月形城の合戦から半歳ほど過ぎた弥生半ばのことであった。織部正則重は居城牡鹿山の奥御殿の庭で花見の宴を催し、折柄満開の桜の木かげに幔幕を繞らし毛氈を敷いて、夫人や腰元どもと酒を酌みながら和歌管絃の興に耽っていた。宴は朝から始まって、ゆうがた、空におぼろ月のかゝる頃までつゞいたが、莚の上にところ/″\燈火が運び込まれた時分、いたく酔った則重は座頭に鼓を打たせて自ら謡いながら曲舞いを舞った。それが終りに近づいて、

花の錦の下紐は

とけてなか/\よしなや

柳の絲の乱れごゝろ

いつ忘りよぞ

寝乱れ髪の面影

と、舞い収めようとした時であった。不意に何処からか矢が飛んで来て、則重の顔を横さまにかすり、危く彼の大事な鼻を桜の花と一緒に散らすかと見えたが、鼻より少し下の方へ来、上唇の突端を傷けて過ぎた。

「曲者!」

則重は六七間向うの桜の枝から黒い影が飛び降りて逃げ出したのを、確かに見たような気がしたので、血のしたゝる口を押さえて直ぐ大声に叫んだけれども、―――いや、叫ぼうとしたけれども、―――どう云う訳か発音が乱れて思うように言葉が使えないので、ひどく慌てた。で、もう一遍、

「それ! 彼方へ逃げた!」

と怒鳴ってみたが、矢張おかしな、赤ん坊が物を云うような、ろれつの廻らない無意味な音が出た。それは上唇の肉と上顎部の歯齦が裂けて、その苦痛のために唇が十分に動かせないのと、息が傷口から筒抜けに洩れてしまう結果なのだが、その時の彼は顔のまん中から血がたら/\と流れるので、鼻をやられたのか口をやられたのか自分に判断がつかなかった。そして自分の云うことが自分にも聞き取れないと感じると、甚だしく狼狽した。

そのあたりはめったに男子の立ち入ることを許されてない場所だったので、居合わせた女中たちが直ぐ曲者の跡を追った。そうするうちに侍共も駈けつけて、廣い庭の隅々を隈なく捜したが、曲者はいかにして身を隠したのか、とう/\発見されないでしまった。それは全く合点の行かない奇怪事であった。なぜかと云うのに、此の奥御殿は本丸の中央にあって、そこへ忍び込むのには、幾つもの要害を越えなければならない。成る程、そこの一廓は男子禁制の女護の島であるけれども、外廻りには要所々々に番兵が立ち、晝夜の分ちなく見張りの眼が光っているのである。仮りに、間道を知っている者がうしろの山路を伝わって本丸までは忍び寄ったとしても、奥庭へ潜入することは容易でない。城中の武士と雖も、二重三重の関所を通らなければそこへ行かれない。それが、忍び込んだのさえ不思議であるのに、庭中何処を捜しても居ないのである。外へ逃げられる筈はないから、必ず内部にひそんでいると云う見込みの下に夜通し捜索がつゞけられ、庭はもとより殿中の部屋と云う部屋、天井、廊下、床下まで調べて廻ったけれども、すべて徒労に終ってしまった。そのために人々は一層不安に囚われて、番兵の数を増し、夜警の巡回を頻繁にしたが、一と月過ぎ二た月過ぎても結局曲者の正体が分らず、又そのゝちは何の変事も起らなかった。

そう云う訳で、家中の武士は幸い殿のお命に別条がなかったことを喜んだものゝ、その事件以来、殿様に拝謁を仰せ付かった者は誰でも心中に気の毒な思いをした。と云うのは、その傷口が乾上ってから始めてお目通りを許されてみると、殿様の顔が生れもつかぬ兎唇になっていたのである。いかさま、此の程度の負傷なら深手とは云えないかも知れない。唇の線がちょっとばかり不規則になったところで日常の生活に差し支えはないし、戦場に於いて打ち物取って働くことも普通人と同じに出来る。びっこや眼っかちに比べれば生理的障害が少い訳だから、「御機嫌の態を拝しまして恐悦至極」と一同挨拶を述べたけれども、まともに主人の顔を正視した者は一人もなく、皆「はっ」と云ってお時儀してしまった。それに、彼等が甚だ当惑したのは、主人の言葉がとき/″\聴き取れないことであった。傷が固まるに連れて次第にそれも直っては来たが、上唇のまん中が三角に裂けている上に前歯が二三本なくなってしまったので、或る種類の音は、ちょうど鼻のふが/\になった人のそれのように明瞭を缺いた。生理的障害と云えば先ず此れだけが唯一のものであったと云ってよい。

しかしそんなことは、馴れるに従って当人も周囲も一向気に留めないようになるものである。織部正自身も、最初は確かに悲観したらしかったが、いつか家来共も自分の顔を平気で見てくれるようになったし、言葉も巧く聞き取ってくれるので、バツの悪い感じは忘れられてしまい、主にも家来にもそれが当り前のことに思われて来た。中には、跛足で眇眼でちんちくりんの山本勘助の例を引いて、体の器官に不備な所があるのは却って威容を増すものだなどゝ云う風に上手に吹っ込む者があると、だん/\当人も慰められて、「それもそうだ」と云う気持になるらしかった。が、冷静な、或は意地悪い者の眼から見たら、滑稽なことを誰も滑稽に感じないでいる時が、実は最も滑稽である。河内介は家来一同がすっかり馴れっこになればなる程、則重の顔や話しごえがます/\可笑味を加えて来るように思われて、その三角の唇のあたりを眺めていると、どう気を取り直しても此の人のために忠義を盡す料簡にはなれないのだった。反対に、その顔の醜悪さは桔梗の方への切なる思慕をひとしお募らせた。彼はその人のみめかたちをせめて一と眼でも垣間見たいと願ったが、しかし出来ることならば、単独の彼女よりも、彼女と此の兎唇の大名とが水入らずで対坐している閨の光景が見たくてならなかった。此の可哀そうな御面相の殿様が奇態な声を出して甘ったるい言葉をかけるとき、その殿様の恋女房である桔梗のおん方が、腹の底からこみ上げて来るおかしさを怺え、陰険な悪意を押しかくして、にっこりと媚をふくんでみせる、―――夜な/\繰り返されているであろう奥御殿の密室に於けるそんな有様が、則重の前へ出る度毎に否でも応でも彼の妄想に現れるのであった。どうかすると、上段の間に端坐している則重のうしろの方の、うすぐらい床の間のあたりに高貴な上のほのじろい顔が幻のように浮き上る気がした。

河内介は、織部正の御面相を材料にそう云う妄想を享楽しながら日を送ったことであったが、それにしてもあの奥庭へ忍び込んで矢を射た者が誰であるかは、彼にも見当が付かなかった。読者はきっと河内介が臭いと推量されたであろうが、事実そうではなかったらしい。―――らしいと云うのは、前後の事情から彼に疑いをかけるのが自然であるけれども、「道阿弥話」や「見し夜の夢」には後述の如く他に下手人があったことを語っているから、先ず彼等の記載を信ずる方が穏当である。彼等は武州公の秘事についてその暗黒な方面を随分無遠慮に発いているのだから、仮りに此の行為が公の仕業であったとしたら、公を庇ったり曲筆したりする筈はないと考えられる。それに此の時はまだ公と桔梗の方との間に連絡がついていなかった。―――いなくても蔭でいたずらをする可能性は大いにあるが、しかし夫人との連絡なしには到底事が成就しないに極まっている。いったい公は変態的情熱に駆られると、平素と全く矛盾した人間になるけれども、元来は最も男性的な、豪壮雄偉な武将なのだ。此の時の公は恐らく内々いたずらをしてみたい衝動を感じたくらいなことで、自ら手を下してそんな卑劣な真似をする程、その病的傾向が昂進していたとは思われない。かた/″\此れは公の所業ではなかったに違いない。公、―――河内介は、実はあの図書と云う武士を殺して夫人の計畫を頓挫させたのを、甚だ残り惜しく思っていたところへ、ちょうど花見の事件が突発したのである。彼は現場に居合わせなかったので、委しい様子は分らなかったけれども、夫人が今も尚計畫を捨てないのみか、彼女のために第二の図書の役割を勤める者がいるらしいことを、すぐに直覚したのであった。勿論その男?―――或は女?―――が、いかにして奥庭へ忍び込み、いかにして何処へ消え失せたのか分らないが、兎に角夫人のさしがねと庇護に依っていることは明かである。そしてその矢が則重の唇を裂いたのは、鼻を狙ったのが誤まって下の方へ行ったものと察せられる。それなら夫人は、夫を兎唇にしたゞけで満足するであろうか。或は鼻を抹殺してしまう迄は何回でも襲撃を行わせるであろうか。―――河内介の興味は結局そこへ落ちざるを得なかった。

すると、同じ年の六月、夏の盛りの頃であったが、或る晩則重が夫人と共に風通しのよい縁先にくつろぎながら酒を飲んでいると、突然庭前の木立ちの繁みから矢が飛んで来た。それは則重の顔に対して全く此の前と同じ角度、同じ方向から放たれたものだが、物静かな宵のことで、ひゅうッと風を切る音がしたので、アワヤと云う時則重は反射的に顔を背けつゝ身を反らした。もしそうしなかったら今度こそ彼の兎唇の上にある隆起物が其ッ平らになってしまったかも知れない。しかしそれにしても、彼が身を避けるより矢の来る方が速かったので、無傷と云う訳には行きかねた。「あっ」と云って彼が上体をうしろへ引き、右から来る矢をカワすべく頸を左へ捻じた途端に、矢は顔の右半面をさっとかすって、そこに凸出していた肉片の幾分と軟骨とを、―――つまり、彼の右の耳朶を、―――浚って行った。

直ちに腰元共が、一と組は則重を介抱し、一と組は薙刀を持って庭へ駈け出したのは云う迄もない。花見以来既に三月も過ぎていて、あれきり何事も起らなかったし、下手人の捜索も絶望に帰して、多少油断が生じかけている折柄であったが、此の前の経験で周到な警戒網が即時に張られた。が、曲者は空を翔ったか地にもぐり込んだか、今度も見附からずじまいであった。

則重の負傷は、生理的障害が少いと云う点で此の前と同じ、―――いや、此の前よりもなお軽かった。たゞ外見上からは、兎唇の上に右の耳朶がちぎれたのは相当の打撃だけれども、一つしかない鼻がなくなるよりは此の方がまだ仕合わせであった。尤も此れでは顔の相似形が不均斉になった訳だから、兎唇や鼻缺けよりも一層悪いと云う議論も成り立つが、それは人々の意見に任せるとしよう。そんなことよりも牡鹿城内に於ける人心の不安と動揺とは大変であった。あの花見の時の曲者と今度の曲者とは十中八九同一の人物と認めなければならないが、あの時以来今日まで奥御殿に潜んでいたとすると、これはどうしても内部の者の仕業である。男子禁制の区域にも、雑色、小者、仲間の類は使われているから、先ずそう云う方面から身体検査や身元調べが始められて、追い/\上の方の女中たちにまで及んだ。そして最も濃い嫌疑をかけられたのは、「お局様」や「お部屋様」と呼ばれている側室の婦人たちであった。と云うのは、大概大名の奥向きなどでは、正室の夫人よりも妾たちの方が寵遇されているものだのに、織部正は思い人を妻に迎えたゞけあって、夫婦仲が非常によい。彼が二人も三人もの側室を置いているのは、半分はその頃の領主の習慣と、半分は彼自身の好色の惰勢に過ぎないので、現に正室との間には二人まで子を儲けながら、彼女たちには一人も生ませていないのを見ても、どんなに側室の連中が袖にされていたかゞ分る。それでも以前にはとき/″\気紛れに彼女たちを訪れることがあったけれども、最近彼の容貌の上に不幸な災禍が見舞ってからは、夜は殆ど夫人の側に附き切りで、彼女たちに顔を見られるのを厭う風さえあった。それやこれやで、彼女たちの中の嫉妬深い者が目星をつけられて厳重な訊問を受けることになったが、そんな形跡もないことが知れて、此の方面の努力も水泡に帰した。

そうなると人々は、捜索を断念してしまった訳ではないが、ちょっとは見込みのないものと思って、たゞ今後の事件を豫防するように、前にも優して見張りや夜警を励行し、番所の数を増やし、近習の武士を月番で監督の任に当らせた。かくてそれから又二た月ばかり過ぎた仲秋の頃であったが、或る日、その番所詰めの役目が、此の間からそれを心待ちにしていた河内介へ運よく廻って来たのである。尤もそう云えば彼こそ秘密を嗅ぎつけている唯一の人物であるから、彼を措いて他に適任者はない訳だけれども、彼がその日を待ちに待ったのは、勿論陰謀の證拠を抑えて則重に忠勤を抽んでようと云う腹からではない。番所と云っても桔梗の方の起き臥しゝている居室からは遥かに隔たっているので、垣間見ることは愚か、間接に連絡をつける望みも覚束ないが、しかし餘所ながらその人を慕う身になってみれば、ちょっとでも彼女に近い所へ行って、彼女の住んでいる御殿の甍、壁の色なりとも眼に入れたかったのである。で、首尾よくその役にありついた河内介は、そのゝち毎夜奥御殿の外囲いを徘徊しながら見張りの配置を監督する一方に、奥の間に於ける不思議な夫婦の対照を思いやっては、例の妄想に耽ったのであった。そして晝間でも御殿の下の日当りのよい石崖に倚りかゝって、晴れた秋の空を見上げながら独りぼんやりと幻を趁いかけたりした。戦場に出ては無双の勇士である彼も、そう云う折には定めし一箇の詩人になっていたであろう。何しろそのあたりは城の内でも一番奥まった、一番閑静な区域であって、やるせない恋情を胸に秘めている青年が、自らの空想を話相手として無聊の時を過すのには甚だ恰好の場所なのである。前にも述べたことがあるように、此の筑摩家の居城は牡鹿山の天嶮を利用した山城で、城と云っても後の安土城の如く西洋の築城術を加味したものでなく、建築は純中世式のものであり、内部の区割も地形に制せられて、規模の大きい割りに至って不規則であったから、構えの中に森や谷があったりして、小川なども流れていた。そして奥御殿のある所は独立した一つの丘になっていて、そこから瓢箪形にもう一つの大きい丘がつゞき、その方に表御殿が建っていた。此の二つの丘をつなぐ瓢箪形のくびれた所には、表御殿から奥へかよう長い/\渡り廊下があったが、その廊下の中程に杉戸が設けられていて、それが男女の関所であった。だから、下駄を穿かずに男の世界から女の世界へ行ける通路は此の廊下一つだったのである。そこで番兵どもの見張りをする区域と云うのは、つまり奥御殿の建っている丘の周囲全体で、これがなか/\廣かったらしい。丘の頂辺の平地のぐるりには一圓に土塀が繞らしてあり、それに接して直ぐに切っ立ったような急な石崖があり、石崖から下の斜面は地山のまゝに捨てゝあって、草がぼう/\と伸びていたり、ところ/″\断崖絶壁があったり、物凄い原始林が小暗く繁っていたりして、そのあたりへ行くと、人跡稀な深山幽谷へ迷い込んだような気がするのである。

或る日の午後、河内介は例の如く石崖の下の淋しい場所へやって来て、木の根に腰をかけながら茫然としていたが、彼の眼は自らその石崖の上に聳え立つ土塀を超えて、鬱蒼と蔽いかぶさっている奥庭の森の梢に、その梢の間に隠見する建物の屋根に注がれた。そして、「あゝ、あの辺が御殿なのだなあ」と思うと、こんなに近くまで来ていながら、その人の忠実な家来となってどんな忘恩の仕事にでも手を貸そうと云う自分の心を訴える道のないことが、つく/″\恨めしくもあり、又それ故に恋いしさは一層ひし/\と迫るのだった。そのとき彼の眼は遣る瀬ないあこがれを籠めて、石崖から屋根にいたる間をいつ迄も視詰めていたことであろうが、やがて、ふと気が付いたのは、石崖の一番下の、土に接しているあたりに、或る一箇所だけ苔の剥がれている部分があった。彼は最初何気なく眺めていたのだけれども、一面に苔を着けている石崖のそこだけが、考えてみれば人が引っ掻いたようになっていて、而もその痕を胡麻化すために周りの苔を又少しずつり取った形跡がある。河内介は立ち上って、最も大きく剥げている一つの石の表面を二三度コツコツと叩いた。するとその石の向うががらんどうらしい音がするのであった。彼は他の石と叩きくらべてみていよ/\それを確かめ得た。次には、その怪しい石を動かして又もとのように直した者があるらしく、附近の土が擦れていたり、草が蹈みにじられていたりした。ちょうど指をさし込むのに都合のよい隙間があるので、試みにそれを揺す振ってみると、容易にぐらつきそうもない石がずる/\と手に着いて引き出せる。河内介はオヤと思った。引き出せるのも道理、可なりな厚味のあるべきものが、それ一つだけ他の石の半分より薄く截ってあり、裏側に、長さ七八寸ばかりの柄のような把手が刻んである。これは明かに、内部からその石へ手をかけて元の通りに篏め込むために作ったもので、石を除いた穴の大きさは辛うじて首と肩とがすれ/\に這入れるくらいであった。河内介は、太刀を外して先ず体だけを、窟の胎内くゞりのようにしてずり込ませ、這入りきってしまった所ですぐに幾分か餘裕が出来たので、そこから手を伸ばして太刀を引き寄せ、把手を掴んで石を元の位置に据えた。中は真っ暗になったけれども、よう/\匍匐して進める程度の坑道が大体爪先上りに、或る所では急勾配の石段になったりして自然に導いてくれるのであった。彼はそんな工合にしつゝ途方もなく長い間地中を這ったように感じた。それが何間ぐらい、或いは何丁ぐらいあったか、正確な距離の測定は出来なかったが、最後にその地下道は、それと直角に交わる縦坑の縁へ来て行きどまりになっていた。手さぐりに岩のかけらを拾って落してみると、その縦坑は非常に深い。そして河内介は、自分が今どう云う陽所へ来たのか、その時大凡そ見当がついた。

こゝで、少しく尾籠ながら、その頃の高貴な婦人が使う厠の構造について述べることを許されたい。むかし吉原の或る有名な太夫は緡銭を毛蟲と間違えたふりをして上品さを衒ったと云うが、大名の家庭に生れた貴婦人たちは銭を知らなかったどころではない、自分の体から排泄する物質をさえ、一生人に見せなかったのみならず、自分でも見ないようにした。それにはどうするかと云うと、厠の下に深い縦坑が掘ってあって、彼女が死ぬと永久にその坑を埋めてしまうのである。蓋し糞便の処置方法として此のくらい高雅な仕掛けはない。蛾の翅を無数に積み重ねてその上へ固形物を落し、落ちると同時にそれが翅の中へもぐり込んでしまうように造ったと云う倪雲林の厠なぞも、贅沢さに驚かされるけれども、掃除人夫にさえ見せないで済ます点では、到底前者の奥床しさに及ぶべくもない。かの平安朝の宮廷の美女は、色好みの平中を魅惑するために丁子の実で自分の排泄物を模造した逸話があるではないか。かりそめにも上と云われる者にはそのくらいな嗜みがあったのである。それに比べると現代の水洗式装置などは、清潔で衛生の趣意にはかなっているけれども、誰よりも自分がまざ/\とそれを見せられることになるので、無躾な、人の居ない時にでも礼儀と云うものがあることを忘れた、浅ましい考案だと云わなければならない。

しかしそう云う縦坑は貴族の夫人か姫君のものに限られていたし、此の奥御殿ではまだ姫君は二歳であったから、それを使っている人は一人しかいない筈である。即ち河内介の行き着いた所は、夫人の厠の真下にあたる地中に外ならないのであった。

Chapter 9 of 15
|