Chapter 1 of 4

豊橋から田原に行く間は、さう大してすぐれたところもなかつたけれども――馬上に氷る影法師と芭蕉が詠んだあまつ縄手が長くつゞいてゐるばかりであつたけれども、田原が近くなると、江山の姿が次第に凡でなくなつて来た。そこには比較的高い山が海に突出して聳えてゐて、豊橋から通つて来るペンキ塗の青い白い小さな汽船のその下を縫つて通つて行くのが、さながら印象派の絵を見るやうにはつきりと手に取るやうに見えた。

田原の町は、水郷らしい感じに於て、海と山とに挟まれた形に於て、また遠く世間を離れて一地方の士族町といふ形に於て、私に忘れられぬ印象を与へた。そこには例の志士で、画家で、ロマンチツクな数奇な一生を持つた渡辺崋山翁の墳墓などがあつた。私はそこから茅茨と瓦甍と相連つた町を通抜けて、松並木の凉しい影を成してゐるところから、次第にさびしい、水車などの輾つてゐる、処々に草深い水の咽んで流れてゐる、晨星のやうにさびしく人家の点在してゐるところへと出て行つた。概して渥美半島は、さう大して高い山もなかつたけれども、それでも何処か辺僻な、さびしい、荒山らしい気分が漲つてゐて、とても知多半島の丘陵のその頂きで耕されてゐるのには比ぶべくもなかつた。山の麓や、野や、丘などにも、まだ開かれない榛莽が多かつた。

田原から宇津江阪まで二里、此処に来て、私は再び海と相対した。それは東海幹線の蒲郡駅から展望した衣ヶ浦を、丁度その反対の方面から見たやうな形になつてゐて、碧い入江に帆が二つ三つ大きなスワンか何ぞのやうに静かに漂つてゐるさまは何とも言はれなかつた。それに、そこからは、正面に、林を隔て、山を隔て、海を隔てゝ、伊勢の遠い碧い山脈がそれと指点された。

これから畠村に至る間は、路は全く衣ヶ浦に添つて、倦むことを知らぬほどそれほど眺望のすぐれたところであつた。次第に漁村らしい、貝殻の屋根の多い、椿の樹の深く繁つた村落があらはれ出して来た。畠村の人家は、その衣ヶ浦の大きい入江から更に小さな入江をつくつたやうなところにあつて、かなりに白堊の多い、富んだ家の多いらしい村であつた。『いかにも、江村らしい気のするところだね。日本にも、かうした感じのする村はあまり沢山はない。何うしても、支那の詩にでもありさうな気のするところだ……』その時、私と一緒に行つた友達はこんなことを言つた。

こゝからは、尾張の知多半島と、豊橋の豊川の河口とに向つて、日夕汽船が発着した。私は渥美半島のすべてを探りたいと思つたために、わざわざ豊橋から歩いて来たけれども、旅客はその豊川の河口から、ぢかに衣ヶ浦の碧い波を横つて、三四時間で此処に着くことが出来た。

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